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StaffTalkスタッフ閑談
回想
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December 4, 2024
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時間
ゆうゆうインタビュー マイケル・シャナハン
インタビュー
April 30, 2007
—— サンディエゴの名所の一つとなったスター・オブ・インディア号が当地にお目見えした時期は。 スター・オブインディア号は地元の人々だけでなく、観光客にも知られるサンディ エゴの象徴的な存在となりましたが、この帆船が当地に来たのは 1927 年のことです。...
ゆうゆうインタビュー 大渡浩平
インタビュー
April 30, 2007
—— 造園業、不動産業、シーカヤックツアー会社設立…。職業歴から活動的な人生が伝わってきますが、少年時代から行動力に溢れていた…。 兵庫県の田舎の兼業農家に3人兄弟の末っ子として生まれましてね、周りは手付かずの荒削りな自然だけというド田舎でしたから、遊びというと自然と戯れることしかなかったんです。山川草木の中を走り回っていると、とても幸せな気分になり、子供心に「これが最も自分に合っている生き方なのかな」と感じていました。自然から人間の本来あるべき姿というか、何かを学んでいたと思います。高校時代はアマチュア無線に没頭し、拙い英語で世界中の人と交信しているうちに、漠然と「海外に出たい」と思うようになっていました。特に、熱帯作物とか熱帯果樹にも興味があったので、アルゼンチン、コスタリカなどの国をぼんやりと思い浮かべていました。それは、世界の雄大な自然の中に我が身を置いてみたいという願望だったと思います。 ...
ゆうゆうインタビュー ラケル・ジスカフレイ
インタビュー
April 30, 2007
—— アキュラ・クラシックは世界が注目するテニストーナメントですが、ここまで成長した経緯を話して下さい。 私が現役の頃、トーナメントの舞台裏について常に興味を持っていました。ʼ60年~ʼ70年代は現在と異なり、主催者に認められた者のみが光栄にも出場権を与えられるという、社交的なイベントとしての性格を備えていました。プロ=アマで活躍していた私などはパーティーへ招待されることもありました。こうして、漠然としながらも大会の運営活動について興味を持つようになったのです。1977年に引退後、南米でテニストーナメントの運営を始めました。基本的に私一人で担当していたので相当な苦労がありましたが、生活のため、そして30年間過ごしたテニス界を離れたくないという思いで頑張りました。WTA (女子テニス協会) ツアーのダブルスに出場している時にジェーン・ストラットン選手と出会い、友人になりました。引退後、どのようにテニスに携わっていこうかと以前から語り合っていましたので、彼女が南米トーナメントに参加する際には、選手の視点から私の運営方法を見てもらい、色々と助けてくれました。後に私達は、アキュラ・クラシックを主催するプロモーション・スポーツ社の母体となる機関で働くようになったのです。 ...
ゆうゆうインタビュー ブライアン・リーマス
インタビュー
April 30, 2007
——「バイク・フォー・ブレインズ」はどういうグループですか。 「バイク・フォー・ブレインズ」は非営利財団でサイクリングのイベントを通して基金を集めます。私たちの目標は、サンディエゴ小児病院 (Children's Hospital) の神経科へ即時対応のMRI装置 (磁気共鳴映像法)...
ゆうゆうインタビュー 石田 真紀
インタビュー
April 30, 2007
ECHL所属のプロアイスホッケーチーム、サンディエゴ・ガルズのチアリーダーのオーディションに、日本人として初めて合格した石田真紀さん。本場アメリカのチアス ピリットに触れ、自身のさらなる飛躍と、日本のチアリーダー界の向上を目指してい る真紀さんに、その熱い思いを語って頂きました。 ...
ゆうゆうインタビュー ジョン・海山・ネプチューン
インタビュー
April 30, 2007
—— 尺八という楽器について教えて下さい。 尺八にはさまざまな側面があります。尺八は 1,000 年以上前に禅僧によって中国から日本へ伝えられたと言われています。かつて尺八奏者たちは、それを音楽ではなく、単なる瞑想の道具として用いていました。日本の伝統楽器である尺八は、明治時代までは長さ 1...
ゆうゆうインタビュー シスター・ヘレン・マックヒュー
インタビュー
April 30, 2007
—— SDで英語を教えていた先生が日本に興味を抱き、深く関わるようになった理由を聞かせて下さい。 日本への興味は当初からございました。私の家族が懇意にしている友人の中に日本人がおられたのも理由になると思いますが、正直に言うなら、日本と深い関わりを持つまでに少々回り道をしています。私はサンディエゴ大学で教鞭を執ってきましたが、研究休暇を得る権利を取得したのは英語学科の主任を務めた’70年代後半になってからです。私は昔から英語教授として言語学に関心を寄せていたので、スコットランドで1セメスター (約半年間) を過ごすという計画を立てたこともありました。残念ながら、大学側はそんな短期間の計画に賛同してくれず、逆に3年プランを呈示してきたのです。「3年間は長すぎる」 とばかりに、私は英国のオックスフォード大に目標を定めて入学を果たし、憧れのトリニティ・カレッジ...
ゆうゆうインタビュー 鈴木啓之
インタビュー
April 30, 2007
—— 牧師として体験したアメリカでの忘れられない出来事とは。 クリスチャンに転向した元暴力団員で構成されるミッション・バラバ (キリストを身代わりに処刑を逃れた極悪人の名に由来) の第3代会長に就任した翌年の1998年に、当時のクリントン大統領から朝餐会に招待されてスピーチを行う機会を与えて頂いたことです。その2年前に私達一行がハワイに伝道した際、ビザなしで渡米した私達は 「前科者はビザが必要」...
ゆうゆうインタビュー アレキサンダー・チュアン
インタビュー
April 30, 2007
—— サンディエゴ中国歴史博物館が創設された経緯は。 1985年に地域の歴史遺産の保存を目的として、中国系アメリカ人グループのサンディエゴ&バハカリフォルニア華人歴史学会がトム・ホム氏やバディー・ウォン氏らによって創設されました。私がこの団体に参加した1987年から、一般人がこれらの歴史遺産に触れることができるようにと博物館の建設に向けて動き出したのです。 Santa...
ゆうゆうインタビュー 水野 和行
インタビュー
April 30, 2007
—— 宝石デザイナーの具体的な仕事内容を教えて下さい。 ロサンゼルス郊外のローリングヒルズで宝石店「アート・オブ・クリエーション」を経営し、世界各地から宝石の原石を探し出して、研磨、カット、デザインの一連の作業を通してアクセサリーを作っています。1年のうち7か月をアメリカで、5か月を日本と東南アジアで過ごしています。弊店の場合、お客様の7割がカスタムメイドの宝石を好まれますので、お客様一人一人の宝石をデザインしています。 ...
ゆうゆうインタビュー レーン・ニシカワ
インタビュー
April 30, 2007
—— 現在の仕事に就いた発端を話して下さい。 大学に通っていた頃、脚本の執筆、自由詩や口語体の創作に興味を抱くようになりました。それは片手間で始めたことでしたが、地道に続けていましたね。演劇と執筆活動をしながら、UPS、空港、駐車係などの数多くの仕事に従事しました。長く続いたのは電器店のセールスマンで、私は販売員と倉庫係として働いていました。当時の私は、脚本家として成功するとは想像もしていませんでした。 アジア系アメリカ人劇団を紹介されたことが機縁となり、脚本だけでなく演技にも興味が向くようになりました。彼らは早いうちから「この作品を上演したい。オーディションを開いてはどうか」と私に提案するので、どうなるかと不安ながらも、オーディションを設定してキャストを集めました。その後で「次は何をすればいいのだろう」と思案していました。この初めての体験を通して、仲間である俳優、監督、脚本家から舞台や演技について多くを学んだのです。私はあらゆることを注意深く観察し、できる限りのことを頭の中へ叩き込みました。詩歌の創作も続けていましたが、舞台での演技が影響してか、その内容は人物描写に重点を置くようになりました。例えば、第442連隊戦闘団の一員であった叔父をモチーフにした人物が第二次世界大戦時代を追体験するなど、...
ゆうゆうインタビュー 吉岡香代子
インタビュー
April 30, 2007
—— ダンスの道に進む機縁となったのは。 日本で母がクラシック・バレエを嗜んでいたことから、ヨチヨチ歩きの姉と私も習い始めたんです。まだオムツを当てていた頃ですよ! 親として物心のつかない娘に意図的に何かをさせようとした。それがバレエでしたね。でも、成長とともに、自分自身が望む道だと思うようになりました。 ...
ゆうゆうインタビュー オーラー・貞子
インタビュー
April 30, 2007
—— 現在の活動内容について教えて下さい。 自宅でのプライベートレッスンに加えて、バルボアパーク、ナショナルシティー、ランチョサンタフェ、そしてビスタなどの会場で池坊の生け花教室を開いています。日本人に限らず、花に魅せられたアメリカ人の方々が沢山参加しており、現在100余名の生徒さんが稽古に励んでおられます。また、生け花の精神とその芸術性に深い感銘を受けた故エレン・ゴードン・アレン夫人によって1956年に東京で設立された 「いけばなインターナショナル」 という文化団体の活動にも力を入れております。国籍も流派も多様な会員たちが 「花を通じての友好」...
ゆうゆうインタビュー 山本順子
インタビュー
April 30, 2007
私は自分自身を ̶̶̶ 私の内面的な世界を描きます。自分の真実の世界を語るために作品を創りたいと思っているので、どうしても私自身に関わった作品を創る以外にないのです。 自分が見て知っている世界の本質を明らかにしたいと思う私は、借り物の考え方や理屈から可能な限り離れて絵を描こうと心掛けています。そのために、イメージの内容よりも創作していく上での具体的な部分、例えばラインの質、色、構図などにこだわるのです。そして、なるべく潜在的な意識の中からイメージを呼び起こします。それは、通常気づいている部分より深い自分の内面の風景を、もっと正確に映し出したいという欲求なのです。ですから、描いている間は、それがどんな意味を持っているのかを意識することはありません。 ...
ゆうゆうインタビュー 猪俣陽子
インタビュー
April 30, 2007
—— 現在所属しているサンディエゴ・バレエ団について話して下さい。 サンディエゴ・バレエは1991年に非営利団体として創設されたプロバレエ団です。所属ダンサーは常時20名ほどおり、他のバレエ団と比べて各ダンサーの担当パートが多いのが特徴です。バレエと聞くと、日本では「難しくて高尚な芸術」というイメージが先行し、敷居が高いように思われがちですが、アメリカでは誰もが気軽に足を運べる雰囲気を持っています。私たちは、お客様に舞台の臨場感を味わって頂きたいという理由から、ホートンプラザやUCSD内劇場などの比較的小規模なシアターでパフォーマンスを披露しています。また、教育の一環として、サンディエゴ市内の各小学校を訪問し、バレエのレクチャーも行っています。 ...
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