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インタビュー

ゆうゆうインタビュー ガルシア繁子

経歴:福岡県出身。1959年渡米。1973年1月、「サンディエゴ俳句会」を創立。1994年1月に「フォーシーズン俳句クラス」と改称して、通信制度による俳句会を結社。俳人協会評議員(1989年)、同名誉会員(2018年、アメリカではただ一人)。芭蕉祭俳句コンテスト選者(2000年~2020年)。羅府新報新年俳句選者(2008年~現在)。日米文化交流の功績でナショナルシティー市長より「市の鍵」授与(1977年=右下写真)。表千家茶道教授、「四季の会」主宰(1998年~現在)。表千家同門会より功労賞授与(2017年)。これまで4冊の句集刊行。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「フォーシーズン俳句クラス」の創立50周年を祝う! 日本文化が凝縮された俳句をアメリカでも学び、楽しみ、広めていきたいーとの熱い思いで、カリフォルニア州サンディエゴ市で「フォーシーズン俳句クラス」が結成されて50年の節目を迎えた。 主宰者のガルシア繁子さんは現在、満93歳を迎えてなお意気軒昂。俳句に対する情熱は衰えることなく、毎月、全米の会員から寄せられる俳句に目を通し、添削し、会報を発行するなど元気に活動を続けている。 俳句会を結社 同会は1973年1月16日、サンディエゴ日本語学園の一室に会員80人が集まり「サンディエゴ俳句会」として設立される。 翌1974年に日本の俳句結社「青樹社」の支部となり、「カリフォルニア青樹支部句会」に改称。そして、1994年1月に現在の「フォーシーズン俳句クラス」と再改名し、結社として独立し、現在に至る。 ワープロを導入 創設以来、ガルシアさんは毎月10ページ超の俳句誌を手書きで制作していたが、「手書きでは大変だろう」と東京の兄がワープロを送ってくれたのを機に、ワープロの通信教育を半年がかりで受講して100点満点で卒業するという頑張りも見せる。ワープロの導入で、俳句のほかエッセイや会員相互の交流記事なども加えて、ページ数は毎月100ページ前後に膨らむが、過労がもとで2回ダウンし、ついに入院の憂き目にも遭う。 会報を出版 創立40周年のころには退院後も体調がすぐれず、2か月ほど俳句クラスを中止する事態に。それでも 「私たち全員で応援していますから、俳句クラスは中止しないでください。一日も早い全快をお祈りし、俳句クラスが再開される日を待っています」と多くの会員から激励のメッセージが寄せられ一念発起。その後は...

ゆうゆうインタビュー 岡崎道弘 D.C.

  In March, 2024, Okazaki Chiropractic celebrated its 20th anniversary—a...

ゆうゆうインタビュー 牧田和久

アスレチックス戦での登板を終え、チームメートと笑顔を見せる牧田和久投手(右から2人目)=3月5日、アリゾナ州ピオリア ブルワーズ戦の2番手でメジャー初登板し、好救援した牧田投手 =3月30日、ペトコパーク                           ©Kyodo スプリングキャンプでコーチらが見守る中、フリー打撃に登板した牧田投手 =2月27日、アリゾナ州ピオリア MLB相手に継投で無安打無得点試合を達成し、笑顔を見せる(右から)先発の則本投手、2番手の西投手、3番手の牧田投手、最後を締めた西野投手 =2014年11月15日、東京ドーム                          報道陣に投球フォームを披露する、西武                                 から大リーグのパドレスへ移籍が決まっ                                 た牧田投手=1月10日、埼玉県所沢市の                        球団事務所xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx...

ゆうゆうインタビュー 虎牙光輝

「ハブと拳骨」 東京国際映画祭での舞台あいさつ 1975年福島県会津若松市生まれ。2000年にボクサーから転身して「Nike」のCMでモデルデビュー。「Levi's」のCMにも出演。その後、俳優としても活躍。主な出演作には 映画「ラストサムライ」「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」「ハブと拳骨」「BUSHIDOMAN ブシドーマン」などがある。2015年に渡米。現在、ロサンゼルスに拠点を置き、Micky Kogaとしてハリウッドをはじめ英語圏の映画に出演。プロボクシング、キックボクシング、ブラジリアン柔術、空手、修斗セコンドなど、多くの格闘技ライセンスを保持している。「2017 コミコン」のゴジラのパネルゲストとして、虎牙光揮さんがサンディエゴを訪れました。プロボクサーからモデル、そして、俳優として活躍している、そんなユニークなキャリアを持つ虎牙さんにお話を伺いました。プロボクサーへの道小学生の頃からスポーツで飯を食おうと決めていたんです。体育の成績が良かったので。父がボクシングファンで、テレビに釘付けになって一緒に世界戦を見てましたね。高校入学後、伸び盛りの3年間を無駄にしたくないと、親を説得し、高校を中退して16歳で上京。職安で左官屋の仕事を決めて、寮に住み込み。新宿の協栄ボクシングジムの門を叩きました。どん底に落ちる経験いろんなアルバイトをしながら、勝つためにはどうすればよいか。そればかりを考えて練習に励んでいました。でも、プロになってデビュー直前の18歳の時にライセンスを剥奪されたんです。トレーナーとの意見の食い違いが大きなことになってしまって。人生終わったなと。どん底に落ちる経験を味わいました。人生に影響を与えた人物ボクシング元世界チャンピオンの鬼塚勝也さん。協栄ジムで付き人をさせてもらっていたのですが、自分に甘えず、防衛を重ねる毎に厳しくなっていく。そんなストイックな「孤高のボクサー」から技術だけでなく、人生で大切なことを教えてもらいました。アメリカのキャンプに連れてきてくれたのも鬼塚さんでした。若くてお金もないので、野宿もしましたが、ボクシングを再びできる喜びをかみしめました。モデルへの挑戦日本でお金を稼いで、アメリカでボクシングをする生活を続けていた時、友人に誘われて24歳でモデル事務所に所属したんです。ちょっと舐めた感じの軽いノリで、最初のオーディションを受けたら見事に落とされた。でも、そんな自分の姿勢が腹立たしくなり、こんな気持ちになるんだったら、一度真剣にやってみようと受けたのがNike。体を鍛え直して、当日スペシャルスキルとして、思う存分、シャドウボクシングを披露したら、採用されました。ボクシングの試合に挑むようにNikeの時は、控え室に2時間くらい引きこもってイメージトレーニングをしてから撮影に臨んでいました。後楽園ホールの控え室のように。その方法しか知らなかった。CMは好評で、3シーズンやらせていただいて、Livi’sのCMにも出演しました。ストリー仕立てのCMで役者の面白さを知り、演技の学校にも通いました。「ラストサムライ」もオーディションで手にして、その後、ゴジラの主演や、たくさんの役者の仕事をもらえるようになったんです。俳優とプロボクサーカメラの前に立って、カチンコがカチと鳴る瞬間が、試合開始のゴングに聞こえるんです。台本をもらって、役作りのために毎回、減量したり、増量したり、リングに向かう感覚で自分を作り上げていく。試合に、そして演技に命を懸ける。リングで果たせなかった夢を映画に託しているんです。座右の銘「やればできる。できないのはやらないからだ」。小学校の校長先生が毎日朝礼で言っていた言葉です。当時は意味も分からず聞いていたんですが、ずっと耳に残っていて、不思議と力がみなぎってくるんです。日本の代表としての俳優演じる役によって別人になれる、いろいろな色に染まることができるカメレオン俳優を目指しています。初めてプロデュースと主演を手がけた映画「BUSHIDOMAN ブシドーマン」は、2014年の「Japan Action...

ゆうゆうインタビュー 大隅良典

科学と文明の発展に貢献した人物に授与される京都賞。稲盛財団(理事長・稲盛和夫京セラ名誉会長)が主催する同賞の第28回授与式が昨年11月に京都市内で行われ、基礎科学部門は東京工業大の大隅良典特任教授(67)が受賞した。大隅博士は栄養不足の環境における細胞のオートファジー(自食作用)のメカニズム解明への貢献が高く評価された。先端技術部門はコンピュータ・グラフィックスの基礎技術を確立した米国のアイバン・エドワード・サザランド氏(74)、思想・芸術部門ではグローバル化が生んだ新たな“植民地主義”を批判する言論活動が評価され、インド人として初の受賞を果たしたコロンビア大のガヤトリ・スピバク教授(70)がそれぞれ栄誉に浴した。2013年「京都賞シンポジウム」が3月12日から14日までサンディエゴ市内の4大学で開催され、受賞3氏の講演も行われている。基礎科学部門で受賞した大隅博士に、人生の転機、研究成果の意義、今後の展望などを聞いた。幼い頃の家庭環境4 人兄妹の末弟として終戦の6か月前に生まれました。食糧事情が悪く、無事に育つだろうかと両親は心配していたようです。父は九州大工学部に勤務。母は結核 の病床にありました。母が元気になってからは家族でマージャンをしていましたね (笑)。自分が一番強かった (笑)。ひらめきに長けていたので、やはり科学者タイプなのでしょう。 少年時代の夢体が弱く、スポーツも得意でなく、昆虫採集に夢中になるような少年でした。両親は私に学者になるよう期待をかけていて、自分でも子供の頃から研究者を目指していました。 酵母研究者への道1970年代は大腸菌のタンパク質合成制御の研究が花盛りでしたが、ロックフェラー大学院研究員時代にリーランド・ハートウェル(ノーベル生理医学賞受賞の生物学者)の出芽酵母による細胞増殖についての研究に触発され、体の細胞を理解するというテーマが自分に向いていると思い、酵母の研究を始めました。 情熱の源分からないことを理解したいという意欲。今後の研究課題は山ほどあります。 オートファジーの働き飢餓状態における細胞の自食作用のことです。栄養不足になると、自分の細胞組織を壊して必要なアミノ酸を取り込んでいきます。山で遭難しても、体内のタンパク質を取り込むことで1週間は水だけで生存できるのです。オートファジーには細菌を食べる機能もあります。 研究成果オートファジーは半世紀前にベルギーの学者が名付けた現象。私が発見したわけではありません。それに関わる遺伝子やタンパク質の作用については長く不明のままでした。遺伝子解析でオートファジーに必要な遺伝子を特定し、その働きを証明することができました。 医学的展望オートファジーはディフェンス・メカニズム(生体防御機能)なのでバランスが必要です。“オートファジー病”は確認されていませんが、食べ過ぎれば細胞死も考えられます。細胞が完全欠損すると人は死にます。遺伝子の働きによる病気にはオートファジーが関係しています。バランス良く細胞の中を掃除することで老化の進行を遅らせたり、がん細胞のオートファジーをブロックすることでがんを防止できる可能性もあります。 夢を抱く若者へ流行(はや)りに飛びつかないでほしい。若い研究者は注目されている分野に行きたがりますが、それは正しい選択とは言えません。学者であれば未知の分野を目指すべきです。 大隅良典(おおすみ・よしのり) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  大隅良典(おおすみ・よしのり)1945年福岡県生まれ。1967年東京大学教養学部基礎科学科卒。1974年東京大学理学博士号取得。1974〜77年にロックフェラー大学博士研究員として滞米。1977年から東京大学理学部助手/講師、同大学教養学部助教授を務める。1996〜2009年基礎生物研究所教授、2004〜09年総合研究大学院大学生命科学研究所教授を経て、現在は基礎生物研究所名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、東京工業大学特任教授。2005年藤原賞(藤原科学財団)、2006年日本学士院賞 (日本学士院)、2009年朝日賞 (朝日新聞社)、2012年第28回京都賞(稲盛財団)・基礎科学部門 (生命科学)...

ゆうゆうインタビュー 研ナオコ

「雨のち晴れ、ときどき涙」デビュー45周年を記念して、2015年5月に発表したスタンダードアルバム。J-POPや昭和歌謡の名曲のカバーに加えて、ビッグアーティストの書き下ろした新曲「壁の向こう」(中村中)、「ホームレス」(玉置浩二)を収録。全10曲、3,000円。アマゾンでも購入可能   来たる10月3日(土)&4日(日)、NTC at Liberty Station で2日間にわたって開催される「2015 San Diego Japan Fair」の10月3日のスペシャルゲストとして、日本から研ナオコさんが出演する。シンガーとして数々のヒット曲を世に放ち、また、女優、バラエティ出演など輝かしいキャリアをもつ研ナオコさんに、サンディエゴでの初公演を前にお話を伺った。   新しいアルバムを発表 今年デビュー45周年を迎えてアルバム「雨のち晴れ、ときどき涙」を発表しました。カバー曲8曲に、中村あたるさんと玉置浩二さん書き下ろしの2曲を加えた全10曲。人生は雨ばかりでなく、晴れる日もある。そして、泣きたくなる日もある。そんな、人生観を歌っています。大人の方にじっくり聴いて頂けたら嬉しいです。ビッグアーティスト書き下ろしの新曲 中村中さんの「壁の向こう」は彼女の人生そのものを歌っている、とてもせつない曲です。玉置さんが作詞作曲した「ホームレス」は、大切な人への思いを歌ったバラードで、命の尊さや人を愛し慈しむ気持ちを感じられる曲です。働き者の母から人の道を学んだ実家は静岡県の兼業農家で、父が外で働き、母が家事、子育て、農作業を一手に引き受けていました。早朝から深夜まで働き詰めで、そんな生活を何十年も続けて、祖母の面倒も見て…。母のにおいは汗のにおいなんです。子ども3人を育て上げてくれた母に感謝しています。歌手になるまでの経緯 子どもの頃から歌うことが大好きでした。12歳の頃に静岡放送の「のど自慢大会」に飛び入り参加して「悲しい酒」を歌って見事合格。親戚のおじさんが宝塚の照明をやっていて、新しいレコード会社のオーディションを薦められて、高校1年で学校を辞め、親の反対を押し切って上京したんです。学校には「両親は賛成」、両親には「学校は賛成」と言いました。正直なところ、親に楽をさせてあげたい、築100年の家を建て直したい、という思いがあったんです。下積み生活 オーディションを受けて、1年くらい経ってデビューしたんです。でも、あまり売れず、マネージャーと夜行列車に乗って全国キャンペーンをしました。レコード、色紙、カラオケテープを持って、毎日レコードジャケットと同じ服を着て、スナックに飛び込み営業。2か月お風呂に入らなかったこともあるし、北海道や東北の冬は雪が深いのできつかったですよ。人生最大の転機 新曲「愚図」との出会いが転機となりました。75年に「愚図」がヒットして、やっと歌手として認めてもらえたんです。それまではタレントとしか見てもらえなかった。この曲がなければ、歌手の研ナオコは存在していないと思います。影響を与えた人物 小林幸子さんですね。同い年なんですけれど、彼女が小学校6年生の時にデビューして、それをテレビで見て「子どもでもデビューできるんだ。こんな年で歌手ならわたしだって…」。それからですね、本気で歌手になりたいと思ったのは。歌は語って、芝居は歌うように 歌い上げると、自分の世界に入り込んでしまって、自己満足で終わって、曲の心が伝わらないと思うんです。あまり上手に歌われると、うるさいよって思っちゃうんです。自分の感情は2、あとの8はお客さまに預ける。歌は語るように、芝居は歌うようにしているんです。これからの夢 アメリカが好きなので、日本とアメリカを行き来できる仕事をしたいですね。子どもたちにもそんな生き方をしてもらいたいと思っています。そしていつか、アメリカに住んでみたいと思っています。サンディエゴの皆さんに一言 直接お会いできる時間は少ないと思いますが、私の歌で、懐かしい日本や匂いを感じていただければ嬉しいです。    研ナオコ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1953年静岡...

ゆうゆうインタビュー 根井正利

  「京都賞シンポジウム」が3月17日から19日までサンディエゴ市内の4大学で開催され、受賞者による講演会も行われた。基礎科学部門で受賞した根井正利博士 (進化生物学者/ペンシルベニア州立大学教授) に、人生の転機、研究成果の意義、今後の展望などを聞いた。   幼い頃の家庭環境生家は現在の宮崎市郊外にあり、当時は焼酎を作っていました。祖父が興した会社でしたが、私が生まれた2~3年後、世界大恐慌の頃に潰れてしまい、父は農業を始めることになったのです。私に農業を継がせたかった父は教育熱心ではありませんでした。自分でも父の後を継いで農夫になるものと思っていたのです。   少年時代戦争真っ只中の少年時代。宮崎市は米軍の空襲で焼け野原となり、私の村も壊滅的な打撃を受けました。ある日、私は畑で金属製の容器を見つけて家に持ち帰り、分解していたら突然爆発! それは小型爆弾で、私は雷管(起爆装置)というものを知りませんでした。このアクシデントで結果的に左目の視力を失いました。その一方で、約1か月間の入院中にいろいろな本を読むことができ、学問への意欲が湧いてきたのです。   高校/大学時代高校ではトップの成績だったので、先生が父を説得してくれて宮崎大学農学部に入学。父が進学を許してくれたのは地元の大学でした。生物学を専攻していた私は、得意としていた数学を使う集団遺伝学に関心を持つようになりました。その分野を研究している先生が大学にいなかったので、自分で論文を読みながら勉強していました。   アメリカでの研究生活京都大学大学院で農学博士号を取得。遺伝学を基礎から学ぼうと、奨学金を得てアメリカの大学に1年ほど留学もしました。アメリカでは「新しいことをやろう」というフロンティア・スピリットが溢れていましたね。日本では職を得るために研究している人が多く、私も国内にいれば就職の心配はありませんでしたが、アメリカは集団遺伝学と密接に関係する分子進化生物学の先進国でもあり、この国を研究拠点に定めました。農業とは直接関係のない「進化」について考える人生を本格的に歩み始めたのです。   研究成果最初に認められたのは、集団が分かれた時期を測定できる遺伝的距離(genetic distance)の理論でした。ヨーロッパ系とアフリカ系の集団は約10万年前に分かれ、東洋人と西洋人の違いは約5万年前に起こり、その後、非アフリカ系が残りの世界を占めたという論文も出しました。遺伝的距離の方法論が各分野で使われるようになり、生物進化のプロセスを図解する「系統樹」作成のための近隣結合法も開発しました。   分子遺伝学への期待チンパンジーは人間よりゴリラに似ていますが、形態的な違いからは系統関係を説明することができません。解明するには分子レベルの長期的研究が必要です。どうして形態の違いが起こるのか? ダーウィン論(自然淘汰説)を信じている人が多いのですが、私は突然変異の固定化が重要であり、そこから進化を考えるべきだと思っています。   夢を抱く若者へダーウィンの進化理論は150年以上信じられていますが、研究者を目指す若い人たちには固定観念を破るような存在になってほしい。いつの時代でも「ドグマに対するチャレンジ」が求められています。     根井正利(ねい・まさとし)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1931年宮崎市生まれ。1953年宮崎大学農学部卒。1959年京都大学農学博士号取得。1962~65年放射線医学総合研究所研究員。1965~69年同研究所集団遺伝学研究室室長。1969~71年ブラウン大学准教授。1971~72年同大学教授、1972~90年テキサス大学ヒューストン校教授を経て、1990年~現在までペンシルベニア州立大学分子進化遺伝学研究所所長/同大学教授。2013年第29回京都賞(稲盛財団)・基礎科学部門 (生物科学) を受賞。 ...

ゆうゆうインタビュー 吉田えり

昨年、日本の女子選手として初めて米独立リーグに所属した吉田えり投手 (19) が今年も米国でプレーしています。6月上旬に開幕した、約2か月にわたるサマーリーグに新規参入した日本選手のみで構成する「サムライ・オール・ジャパン」に在籍。サンディエゴを拠点として、充実した日々を送っている吉田えり投手にお話を伺いました。 プロ野球関西独立リーグ・神戸の入団発表。女子高生プロ選手=12/2/08 —— 野球を始めたきっかけは 小学2年生の時、二つ上のお兄ちゃんの影響で、野球を始めました。お兄ちゃんのモノマネばかりしていたんです。   —— ナックルボールとの出会いについて 中学3年の夏、部活が終わると同時に、「これから野球どうしよう」と考えている時、お父さんが、ナックルボーラーのティム・ウェイクフィールド選手の映像を見せてくれて、その時、初めてナックルという変化球に出会いました。 ——...

ゆうゆうインタビュー 岡見勇信

  UFCアルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ米国のズッファ社が主催する総合格闘技大会。1993 年に第1 回大会開催。試合は5分3ラウンド、オクタゴンと呼ばれる直径9 m のケージで囲まれた八角形の舞台で行われる。勝敗の裁定はノックアウト(KO)、テクニカルノックアウト(TKO)、サブミッション、テクニカルサブミッションなど。ラウンドごとにジャッジが選手の一方に10ポイント、他方に9ポイント以下をつけ、各ラウンドの合計ポイントで勝敗を決するラウンドマスト制を採用している。 —— 総合格闘家になったきっかけ高校時代の3年間は柔道をやっていました。卒業後、プロレスラーになりたいとトレーニングを続けましたが、 新日本プロレスの入門テストに2度も落ちてしまいました。体を鍛えるため総合格闘技のジム「和術慧舟會東京本部」に入門。練習と試合を重ねていくうちに、総合格闘技の面白さに目覚めました。—— 総合格闘技の魅力自分も相手も、お互い背負っているモノがあるんです。それは勝負の厳しさ。トレーニングしたり、減量したり……長く苦しい準備をして、華やかな舞台の上で闘う。でも、勝負はシビアで...

ゆうゆうインタビュー 鈴木 潤一

すずきじゅんいち監督の最新ドキュメンタリー映画「442」と「東洋宮武が覗いた世界」が、それぞれ8 月21 日と22日にバルボアパークの 写真美術館 =Museum of Photographic Arts=で公開されます。 サンディエゴでの上映を前に監督からお話を伺いました。 ...

ゆうゆうインタビュー 渡辺広

  アメリカで生活する日本人家族の姿をコミカルに描く長編映画『White On Rice(ホワイト・オン・ライス)』が2009年11月6日よりサンディエゴで公開されます。日本語ペラペラのデイヴ・ボイル 監督が自身の経験を元に、主演の渡辺広 (『硫黄島からの手紙』) をイメージして書き上げたという本作は、『男はつらいよ』シリーズを彷彿とさせる、笑いあり、ホロリと涙ありのストーリーです。主役を演じる渡辺広さんにお話を伺いました。なお、この作品は「サンディエゴ・アジア映画祭 」で「観客賞=Audience Award for...

ゆうゆうインタビュー 為末大

  世界陸上大会トラック種目、男子400mハードルで2つのメダルを獲得した初の日本人選手、為末大。ハードルとの出会いは18歳。世界ジュニア大会を観戦中にひらめくものがあった。 ハードル競技は瞬発力が勝負のすべて。170cmの小柄な陸上選手でも世界を狙える。 25歳の時に、不治の病に倒れた父の「やりたいようにやれ」の言葉に後押しされ、プロ転向への決意を固める。3年後のロンドン五輪を目指すため、2009年3月サンディエゴに拠点を移す。投資家として著書も出版する異色のハードラーだ。 サンディエゴに生活拠点を移し、2012年ロンドン五輪に照準を合わせて始動する為末選手 ——  サンディエゴを生活拠点とした理由は。 アメリカの元陸上選手から紹介されました。外国で暮らしたいという願望もあり、ユニークなアメリカ人の国民性にも引かれました。自分の足で西海岸の街をポートランドからサンディエゴまで見て回り、最高の環境を備えている街だと思いました。 温暖な気候が魅力的で、陸上競技の強化施設が充実しています。ビーチや芝生に恵まれているので、衝撃の弱い路面で走り込みながら調整しています。ロンドン五輪に照準を合わせています。...

ゆうゆうインタビュー ジャンチブ・ガルバドラッハ

  —— 「新モンゴル高校」について ガルバドラッハ校長先生と家族の皆さん モンゴルの高校は通常2年教育ですが、同校は初の3年制高校で、国際水準のカリキュラムを実践し、学習面では日本の進学高をモデルにしています。英語と日本語という2つの外国語を同時に学び、理数科目にも力を入れ、全国アカデミック・オリンピックで物理と化学で8名の優秀者が出ています。モンゴル国を代表して世界オリンピックに出場した生徒も10名以上います。開校以来8年間で100人以上の留学生を日本や米国に送り出しました。 —— 高校創設の動機と現状...

ゆうゆうインタビュー 西野多恵子

  —— チュラビスタ・バレエ団 チュラビスタ・バレエ団は4年前にNDA(Neisha’s Dance Academy)所属のユース・バレエ団として設立されました。以来、さまざまな活動を通じて順調な成長を続け、多くの支援者の方々のご尽力により、今年の春、念願のNPO法人(非営利団体)の認可を受け、いよいよ本格的に活動を開始いたしました。 ...

ゆうゆうインタビュー 松 秀二郎

  —— サンディエゴ店のコンセプト     マルカイ・サンディエゴ・プラザと名付けたサンディエゴ店は3つの建物から成り立っています。ひとつは「食品館」。日本食、生鮮食品、総菜など食品全般を取り扱います。次に「生活館」で電気製品、台所用品、生活雑貨など。そして「ダイソー館」。日本でおなじみの100円ショップ「ザ・ダイソー」の商品を中心に、一部アジアンテイストの和風家具も取り扱います。食品館には旅行社、ビデオショップ、ケーキ店などの各テナントも入る予定で、これら3つのビルディングの完成により、食から生活までワンストップですべての日本商品が揃う、大変便利なショッピングプラザとなります。 ...

ゆうゆうインタビュー 井口資仁

  ホワイトソックスに入団したメジャー初年にチームが88年ぶりのワールドシリーズ制覇。 昨年はシーズン後半に移籍したフィリーズが球史に残る快進撃を続け、大逆転でプレーオフ出場を果たした。 常に陽の当たる花道を歩んできた野球人・井口資仁。彼の行く処には奇跡が起こる。 今年、その実力と強運を備えた内野手をパドレスが迎えた。 移籍後の初本塁打は延長戦でのサヨナラアーチ。サンディエゴのファンに強烈な存在感を示した。...

ゆうゆうインタビュー 岩本光弘

  幼年期より視力が低下し、小学校から盲学校に進んだ少年は運命の苛酷さに押しつぶされそうになる。16歳のとき、失うものへの不安、苛立ち、恐怖と対座して深く自己に語りかけた。 前向きに希望を求めていく人生。後ろ向きに不幸を呪う人生。 どちらも同じ一生。一晩号泣して、到達した境地。 天上から一筋の光が差し込むのを感じた。 鍼灸手技療法教員への道を歩みながら、よき伴侶にも恵まれてヨットの世界と出会う。 来年3月にニュージーランドで開催される「視覚障害者ヨット世界選手権大会」へ向けてチームを結成、参加準備を進める日々。 夢を応援してくれるスポンサーを募っている。 ...

ゆうゆうインタビュー 中田宏

  1958年に姉妹都市提携を結んだ横浜市とサンディエゴ市は、国際姉妹都市の草分け的存在となっています。 定期的な公式代表団の親善訪問を中心として、教育、文化、産業、経済など幅広い分野に亘って交流を重ね、両市は姉妹都市提携50周年を迎えました。 昨年10月27日に横浜市より100名近い市民文化交流団を迎えて記念交流会を開催。 山火事で延期された記念祝賀昼餐会および姉妹都市提携再署名式が2月17日に行われ、サンディエゴ市を訪れた中田宏市長にお話を伺いました。 ...

ゆうゆうインタビュー 今井雅之

  売れない若手俳優が自作自演の脚本執筆に一念発起。マッドネスを極限まで表現する意欲に駆られ、選んだテーマが「神風特攻隊」。リサーチを進めるうちに「狂気の沙汰の玉砕集団」「戦時中の暴走族」という先入観は打ち砕かれ、「命に代えて親を守る」という切ない隊員の真情を知り、衝撃を受ける。人生の転機だった。特攻隊員の心を綴った舞台劇『The Winds of God〜零のかなたへ〜』の沖縄最終公演。その2日後に9.11テロが勃発。有名米紙が世界貿易センターに突入する旅客機を“Kamikaze Attack!”と報道した。「特攻とテロは違う」。突き上げるものを感じて舞台を再開し、米国でも上演。その劇が全編英語版で映画化され、今秋サンディエゴで公開される。監督・主演・原作・脚本を務めた男の名は今井雅之。「神風」への熱い思いに至った足跡をたどる。 ...

ゆうゆうインタビュー 佐々木達夫・成子

  —— 現在の活動について教えて下さい。 ギリシャ「Athens Festival」にて (1969 年 8 月...

ゆうゆうインタビュー 右近勝吉

  —— 便利屋として、どのような仕事をされているのですか。 ドブさらい、お茶の相手、旅行のお供…何でもやります。依頼があれば、世界の何処へでも行きます。以前、世界中の石を集めているという方から 「南極だけはどうしても行けないから、代わりに石を拾ってきて下さい」 との要請を受け、実際に行って来ました。最近は一緒に海外旅行をして欲しいという人達も多く、昨年は10数か国を旅行しました。3か月のうち家に居たのは2日だけでしたね。...

ゆうゆうインタビュー マーサ・W・ロングネッカー

  —— 民芸国際美術館について教えて下さい。 この民芸国際美術館はバルボアパークを永久 (とわ) の住処として1996年8月8日に誕生しました。過去数十年間に世界中で開催されたイベントや体験を基にして設立されました。私は昔から日本を何度も訪れていますが、自らの勉強の目的だけではなく、アメリカのアーティストや学生を随行させたり、逆に日本からもアメリカへ連れてくることもあります。やがて、私は文化の相互交流には団体組織が必要であると実感したのです。そして1974年、今は亡き夫の協力により、世界の文化を通じて「民衆による芸術」(民芸) をより理解するという目的の非営利組織「民芸インターナショナル」を設立しました。1977年にはアーンスト・ハーン氏が手掛ける美術館をユニバーシティ・タウン・センター内に設立するという話が持ち上がりました。そして、陶芸家の濱田庄司氏...

ゆうゆうインタビュー デヴィッド・グランザー

  —— サンディエゴで定期的に開催されているコミック=コンは、いつ始まったのですか。 1970年にスタートして34年間続いています。年に2回開催された年もあったので、7月22~25日に予定している今年のイベントで35回目を数えます。どのように運営してきたのか、私には説明できません! 34年前に US・グラント・ホテルの地下で初めて開催された時の参加者は僅かに300人で、それはコミック本やコミックアート、コミックライティングが好きな人々の同好会でした。彼らはメディアから見放されたと感じていました。世間ではコミックアートは雑誌などと同様に読み捨てるものとして見なされていたからです。このイベントのアイデアはタイムリーでした。何故なら、その価値を知らない人々が屋根裏を掃除した際に、そこに置かれていた値段の付けようのないコミック本のコレクションを顧みることなく、捨てられようとしていたからです。このような話は全てを語ることの出来ないくらい、これまでに沢山耳にしました。 ...

ゆうゆうインタビュー クリス・タシマ

  —— 演技や映画製作に興味を持つようになった経緯は。 私はパサディナとバークレーで育ったのですが、子供の頃から映画製作に興味を抱いていました。どういうわけか、私は映画産業界で働きたいという思いが強かったのです。その頃のヒット作『スター・ウォーズ』などの大仕掛けの映画に魅せられていました。ところが、自分が何をすべき人間なのかという明確な意識はありませんでした。自分が作りたいと思っていた映画が世の中の主流を行くメジャーな作品であることにも気付かず、ただ夢を描いていました。私は白人が大多数を占める地域で少年期を送っています。中学生の頃、アジア系アメリカ人の活動にも参加しましたが、そこで教えられたことを正しく認識していなかったと思います。アジア系アメリカ人が抱える問題の存在について漠然と理解していた程度でした。 Oscar...

ゆうゆうインタビュー 江本 勝

  —— 水に興味を抱くようになった理由を聞かせて下さい。 私が水に興味を抱いたのは40歳を過ぎてからです。それまでは宗教、哲学、科学には全く関心がなく、神の存在さえ信じていませんでした。私が貿易業を営んでいた頃、同僚がコロイド状の水 (超微粒子が分散した水) を紹介してくれました。それは私が長年抱えていた足の痛みの治療に効果を示し、この経験から水に興味を抱くようになり、研究を開始したのです。唐突かもしれませんが、波動水の勉強を始めたところ、私の前世からの記憶がそうさせたことを悟ったのです。...

ゆうゆうインタビュー ベン・S・セガワ

  —— サンディエゴ日系米人歴史協会 (JAHSSD) の活動目的は何ですか。 サンディエゴの日系米人に関わる歴史物を取り集めて保存していくことが私達の仕事です。戦時中の強制収容所での経験も含めて、私達の歴史をより皆さんに理解してもらえるよう、展示会の開催、学校等での講演を通して協会の普及活動に励んでいます。...

ゆうゆうインタビュー 曽 碧光

  —— アメリカでもブームとなっている漢方について教えて下さい。 漢方薬とは数千年の歴史と経験がその効能効果を証明している生薬 (しょうやく) を組み合せて作られた薬です。漢方の基本理論は...

ゆうゆうインタビュー 今井貞美

  —— ティーチングプロについて説明して下さい。 アメリカのゴルフ界には、丸山茂樹選手のようにツアーに参加して活躍するツアープロと、ゴルフ指導を専門とするティーチングプロが存在しています。華やかなイメージのツアープロに対してティーチングプロの認知度は低いのですが、タイガー・ウッズのようなトップツアープロでさえ専属ティーチングプロの指導を受けているのです。ティーチングプロは PGA (プロゴルフ協会)...

ゆうゆうインタビュー 秦 英之

    —— 初めて開催される「ジャパン・フィエスタ・イン・サンディエゴ」についてお知らせ下さい。 来たる3月26日(土) にサンディエゴ・スポーツ・アリーナで開催される日米国際交流イベントです。日本に触れ、日本を学び、日本を味わい、日本を楽しむ ̶̶̶。サンディエゴの皆さんに日本の文化や日系人の歴史を知ってもらい、日本への関心を高めるとともに、地元日系コミュニティの一体化をアピールすることを目的に開催します。イベントは2部構成となっています。第1部ではサンディエゴの日系人の歴史や日本文化の展示・紹介を行います。そして第2部では、日本代表チーム「侍ウォリアーズ」と地元サンディエゴのAFLチーム「リップタイド」によるアリーナフットボールの親善試合を予定しています。 ...

ゆうゆうインタビュー 鈴木弘子

  —— プロアメフトの選手生活について話して下さい。 現在アメリカには女子のアメフトチームが81あり、3つのリーグに分かれています。私が所属しているのはWPLFで、サンディエゴにフランチャイズを置く南カリフォルニア・スコーピオンズの一員です。今年、ロングビーチ・アフターショックから移籍してきました。女子アメフトリーグに参加して今年で6シーズン目。毎年オールスター戦に選ばれてプレーオフにも出場してきました。現在、リーグでの日本人プレイヤーは私1人です。 WPLFの試合ルールはNFLと同じ4クォーター制で1...