HomeFeatures

Features

ゆうゆうインタビュー ロバート・“シタ”・ウェルチ・ジュニア

  —— 部族はどのくらい昔から当地に定住しているのですか。 クミアイ族はこの地域に1万年以上も住み続けています。クミアイ族は12に分かれたグループで構成されており、私たちはビエハス一族で、それ以外にバロナやシクアンなどのグループがあります。ビエハス一族は他族と全く特徴が異なります。私たちはかつて多くの儀式でフクロウの羽を使いましたが、ほとんどのインディアン部族はフクロウやフクロウの羽とは関係が無いという違いがあるのです。 ...

ゆうゆうインタビュー マーティン L. イトウ

  —— 北カリフォルニアのご出身だそうですが、ご家族がサンディエゴへ来られた時期は日系人が強制収容される以前のことでしょうか。 それより遥かに昔です。私たちは1927年以前からサンディエゴに住んでいたはずです。私にはエンカント地区の建物が流された1927年の大洪水の記憶が残っているのです。 ...

ゆうゆうインタビュー 稲盛和夫

    — 少年時代はどんな夢をお持ちでしたか。  幼い頃は勝気でガキ大将だったかもしれません。私が育った時代は、日本が第二次世界大戦に突入して軍国主義の真只中にあり、将来自分は軍人になるだろうと思っていました。そして、13歳で終戦を迎えましたが、故郷の鹿児島は99%が空襲で 焼けてしまいました。父が経営していた印刷工場も灰塵に帰して、私は食にも困るという苛酷な境遇に置かれたのです。それから10年間は何をしても上手くい かず、手詰まりの状況でした。大学進学も志望校には入れず、郷里の鹿児島大学へ入学。また、希望する企業にも就職できず、京都にある中堅会社へ入社しまし た。しかし、そんな私にも転機が訪れたのです。私はファインセラミックスに深い興味を抱き、技術開発に没頭するようになりました。それから50年、脇目も 振らずにファインセラミックスの研究に力を注ぎながら、今日までの人生を歩んできました。 ...

ゆうゆうインタビュー マイク・井上滋

  —— サンディエゴ・ティファナ日本協会 (JSSDT) の活動内容を教えて下さい。 私達はビジネス、教育の発展、文化交流、そして皆さんに日本、アメリカ (サンディエゴ)、メキシコ(ティファナ)...

ゆうゆうインタビュー 丸山裕子

  —— デビュー CD アルバム「In Tone Nation」 (イントネーション)...

ゆうゆうインタビュー エドウィン・マクダニエル

  —— 「日本人の交渉手段」 を研究されていますが、日本人のコミュニケーションスタイルの特徴とは。 アリゾナ州立大学大学院でスピーチコミュニケーションを研究しましたが、私の学位論文の焦点は「文化の影響が日本企業のコミュニケーションスタイルにどのような影響を与えるか」でした。私がこの分野に興味を持った理由は、日本人とアメリカ人の間で展開されるビジネスにおいて、文化の違いに由来する問題が生じている現実を見てきたからです。特に、アメリカ人が日本人のビジネス事情を理解できないと嘆くのをよく耳にします。そこで、私は実際に日本企業の経営幹部にインタビューを申し出て、2 年の歳月をかけて典型的な日本人の特徴を解明しました。その一例として 「日本人は企画・計画の段階で、アメリカ人が求める以上の情報を収集したり、同じ内容の質問を何度も繰り返す」、また...

ゆうゆうインタビュー 古賀三郎

    —— 彫刻家を志した理由とは。 私は 4 人兄弟の末っ子で、共働きをしている両親の下で育ちました。それほど裕福な家庭ではなかったので、カチカチの泥ダンゴや木の弓などの自分で作った玩具で遊んでいました。5 歳の頃から小刀を器用に使っていたと思います。こうした遊びの中で、モノを作る喜びというものを自然に身に付けていきました。小学...

ゆうゆうインタビュー 三宅一生

    「衣服はデザインとイノベーションに属するもの。ファッションはビジネスの要求を満たすクリエーションに過ぎない」。日本の伝統美に根ざす「一枚の布」という概念と最先端技術が合体するとき、時空、国境、階層を越えた人間生活にフィットする服が誕生する。平面の布が立体の身体の動きと一体となり、そこに造形美が生まれる。革命的デザイナーとして“世界のミヤケ”の名を欲しいままにしている三宅一生氏が、もう一つのノーベル賞と呼ばれる稲盛財団の京都賞( 第22 回・思想芸術部門) を受賞した。先月、サンディエゴ大学での講演を終えた氏に、ポリエステルの軽素材による画期的商品「プリーツプリーズ」、ハサミで切り取るだけの“一体成型”で生産工程を変革した「A-POC」、そして東京・六本木に開設したデザイン施設「21_21 DESIGNSIGHT」などについて尋ねた。 ...

ゆうゆうインタビュー ドナルド・H・エステス

    —— 日本あるいは日本文化に興味を持ったのはいつ頃でしたか。 小学校2年生時の記憶が最も古いでしょうね。学校で外国について調べる宿題が出ましてね、私なりの思いがあって日本を選びました。でも、先生には私の選択を手放しで歓迎する様子など無かった。当時の日米は「戦闘状態に入れり」でしたからね。第二次大戦を挟んで、相当数のサンディエゴの日本人が近所に住んでいた。私は日本人コミュニティーと共に育ちました。一緒に学校へ通い、一緒に遊んで…。ある意味で、日本と日系アメリカ人の文化は常に私の人生の一部でした。それは今も変わらない。 ...

ゆうゆうインタビュー ケビン・ハンター

  —— キャルティ社の概要とご自身の任務を教えて下さい。 キャルティとはトヨタ・モーター・コーポレーション (TMC) 南カリフォルニア (ニューポートビーチ)...

ゆうゆうインタビュー 福田光代

  —— ご自身が園長を務めるサンディエゴ日本学園について教えて下さい。 1974年2月2日、日系企業進出に伴って増加する日本人駐在員家族、並びに米国籍やメキシコ籍の子供達への日本語教育の場として、非営利法人サンディエゴ日本学園を創立し、日本語を家庭語とする子弟たち、英語、スペイン語を家庭語とする子弟たちのグループに分けて指導を始めました。現在は毎週土曜日に小・中・高校に分けて日本語教育を行っています。生徒たちが日本の言語、文化、習慣、情緒を身に付けると同時に、他民族の言語や文化をも尊重するという心を育み、豊かな情操と思いやりの心を持ち、幅広い国際人として成長することを目標に、教師一同、日夜努力を続けています。 ——学園創立の経緯は。...

ゆうゆうインタビュー 吉田兄弟

  青森県津軽で誕生した独特の三味線は、普通の三味線よりもサイズが一回り大きく、迫力ある音色が特徴。しかも、楽譜に従って演奏される民謡と違って、楽譜そのものが存在しない津軽三味線は、アメリカのジャズのように自由にアドリブが楽しめる 「日本のジャズ」 と呼ばれている音楽だ。日本の伝統楽器の津軽三味線を、紋付袴を身にまとい、ジャズやロックのような小気味よいノリで演奏する吉田兄弟。ダイナミックでしかも癒し系の音色が日本の若者を中心に人気を集めている。2003年に米国でデビューを果たした二人。津軽三味線の新しい魅力を引き出す両人の素顔に迫ってみた。 よちよち歩きができるようになった兄の良一郎さん ——...

ゆうゆうインタビュー テリー・ケネディ

    —— サンディエゴで長年大リーガーとして活躍された後、再び戻ってきた今の気持は。 悪くないですね。私が現役時代に最高のシーズンを過ごしたサンディエゴに帰ることができたのですから、とても幸せです。この仕事を引き受けたのも、それが一つの理由でした。自分がかつて成功を収めた場所で、今度は新しいゴールデン・ベースボール・リーグ ( 以下、GBL) を通して再び人々と触れ合い、野球への情熱を分かち合いたかったのです。...

ゆうゆうインタビュー 三浦邦昭

    今年1 月に開催された脳科学のシンポジウムで、東北大学の川島隆太教授の研究が注目を集めました。研究テーマは脳を活性化させる新たな学習理論で、5 年前からfMRI やPET を利用して人間の脳活動を調査分析した結果、「音読」と「単純計算」により脳全体が活発に活動することを発見したというのです。特に、コミュニケーショ ンや意志決定、他者の理解などに関わる前頭前野と呼ばれる領域が「音読」と「単純計算」により活発化すると発表しました。今回は、当地サンディエゴで右脳の活性化に重点を置いた教育を行っているミウラ・エデュケーション・センターの代表、三浦邦昭さんにお話を伺いました。 ...

ゆうゆうインタビュー ユミ・クライメンソン

    —— いつ頃から絵に目覚めたのですか。 母方が芸術に長けている家系で、祖父母も母も水彩画を嗜たしなんでいたという影響があったのでしょうか。文字を覚える前から、白墨で道路に絵を描いていたような子でした。とにかく絵が大好きで、1日中何時間も夢中になって描いていた記憶があります。成蹊学園の中学に進んでから美術部に入り、母に連れていってもらった上野美術館での「ゴッホ展」で、アルルの夜を描いた『夜のカフェ』という作品の前に立った時の衝撃は今でも鮮明に覚えています。ゴッホの心が込められた繊細な色使いに圧倒された私は、30分間もその絵の前から離れられず立ちすくんでしまいました。この時です、「将来、油絵画家になろう!」と思ったのは̶̶̶。高校に入学して、その道に進む意志が益々確かなものになり、二紀会理事を務めていらっしゃった成井弘先生に油絵を、ヨーロッパやアメリカで活躍されていた水墨家の大家、内山雨海先生に水彩画を師事しました。 ...

ゆうゆうインタビュー 鈴木尚

—— 現在研究されている内容について教えて下さい。 私たちの研究グループはハワイ島マウナケア山頂標高4200mにある、世界最大のKeck 望遠鏡と、隣接する日本のすばる望遠鏡を使って100億光年彼方にある宇宙創成1秒後の痕跡を探っています。現代物理学は、宇宙創成137億年の歴史を観測的事実に基づいて宇宙誕生1秒後まで遡ることを可能にしています。宇宙の始まりはどうなっていたかというと、誕生から1秒後、莫大なエネルギーが光と物質に分かれました。反物質と物質に僅かながら非対称が生じて私達を構成する物質だけが生き残り、宇宙誕生3分後までに軽元素 (水素95%、ヘリウム5%、僅かに他の元素) が生まれたと考えられています。私達はこの軽元素を正確に測り、どうして非対称が生じたのか、そこにある未知の物理は何か、さらに1秒後よりも前の世界はどうなっていたのかなどを理解しようとしています。...

ゆうゆうインタビュー テッド・ジャーディン

  —— サンディエゴ・ビジター・インフォメーションセンターの業務について教えて下さい。 ビジター・センターは Mission Bay Dr....

ゆうゆうインタビュー 西野多恵子

  —— バレエを始めたきっかけ 私が6歳のとき、母が『赤い靴』に感動して私をバレエ学園に入れたことですね。日本バレエ界の第一人者・森下洋子さんは少女の憧れの的でした。公演には出来るだけ連れていってもらいましたし、TV放送は必ず録画して何十回も繰り返し観て…。でも、一度はバレエを辞めたいと思ったこともあるんですよ。練習で土日も休めないから、普通に友達とも遊べない。遊園地に行ったり出来る友達がうらやましかったんです。でも、「中途半端に続けるなら辞めなさい」と両親に言われると意地でも辞められなかった。中学くらいからは毎日練習。放課後、スタジオに直行して遅くまで練習するようになり、もうバレエの無い生活なんて考えられなくなりました。 ...

ゆうゆうインタビュー 大塚晶則

  —— 今シーズンのパドレスの雰囲気 5月にチームの月間最多勝利(22勝)を記録してNL西地区の首位に立ち、去年と比べると自信とまとまりが感じられますね。強いチームになったという感触がある。デイブ・ロバーツとウッディ・ウィリアムズの両選手がムードメーカーとなり、試合中は勿論、クラブハウスでも盛り上げてくれて、チームが勝つとお祭り騒ぎになります。オヘダがサヨナラヒットを打った時 (5月30日・対ブルワーズ戦) もビールを掛け合ったり、踊ったり(笑)。とにかく、最後まで試合を諦めないという気持が強いですね。 ...

ゆうゆうインタビュー ジェフ・オアー

    —— ワイマックスとは何ですか。 World Interoperability for Microwave...

ゆうゆうインタビュー トム・ヤナギハラ

    —— 日本友好庭園と深く関わりを持つようになられた経緯を話して下さい。 日本友好庭園の理事に推されたのは15年も昔になるでしょうか。実を言うと、当初はそれほど興味が無かった。でも、説得されるうちに数年が経過して、気がついてみたら庭園の魅力の虜とりこになっている自分がそこにいる。本当に美しい日本庭園ですからね、無理からぬことだと思う。さらに何年か過ぎて、再び同じ人から説得を受けました。この人物は当時の日本友好庭園会長のモト・アサカワ氏で、結局、会長の任務を引き継ぐ形となり、現在に至っているわけです。 ...

ゆうゆうインタビュー オミッド・ナマーズ

  —— 誕生して間もないWUSAですが、リーグ発足の経緯を話して下さい。 1999年に世界中を熱狂させた、女子サッカーW杯でのアメリカ代表優勝という栄光を背景に女子プロサッカーリーグ (WUSA) が誕生しました。全米を感動と興奮の渦に巻き込んだW杯の成功が自然に女子リーグの誕生を実現させたのです。今季でリーグ創設3年目に入り、現在のチーム数はアトランタ、ボストン、カロライナ、ニューヨーク、フィラデルフィア、サンノゼ、ワシントン、そしてサンディエゴ・スピリットの8つ。各チームが1シーズンに21試合ずつ消化しています。今年9月には中国でW杯が開催され、益々女子サッカーリーグが注目されることでしょう。 ...

ゆうゆうインタビュー アンドリュー・フラウンド

  —— 相撲に興味を抱いた理由は。 日本で暮らしていた時のことです。当時、市川 (千葉県) に住んでいた私は長時間かけて電車通勤をしていました。私は仕事以外では特別なこともせず、あまり社交的でもありませんでした。日本での滞在が終りに近づいてきた頃、ここでの思い出を残すために何かをしようと考えるようになりました。そこで、私は 『東京ジャーナル』...

ゆうゆうインタビュー スタン・サカイ

  —— あなたの経歴について話して下さい。 私は日系アメリカ人3世です。私と兄は京都で生まれ、ハワイで育ちました。父はハワイ出身で、戦後日本に配置され、そこで長崎出身の母と出会ったのです。私が今でも覚えているのは、京都の手塚治虫プロダクションを訪れて、近所の神社に立ち寄ったことを母に話した時、母は「あなたはそのすぐ近くで生まれたのよ」と言っていました。ハワイへ移った私たちは、古い映画館カパフルシアターのすぐ近くに住みました。そこでは毎週土曜日になるとチャンバラ映画を上映しており、私は毎週通いました。今では信じられませんが、当時の入場料はわずか25セントだったのです。私は三船敏郎の古い作品や、「7人の侍」に始まる黒澤映画をすべて観ました。私のお気に入りは、内出好吉監督の3部作「里見八犬伝」でした。今でもオリジナルのコピーを持っていたらも思います。他の2バージョンは持っていますが、当時私が見ていた1959年製作のものは、今だに探している最中です。 ——芸術家やマンガ家になりたいと思っていましたか?...