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時間

  「締切」という重い枷 (カセ) を負わされた出版業務を38年続けた。時間に「追われる」日常が加速して、たちまち時間に「追い抜かれ」、いつしか時間を「追いかける」 ようになった。平日と休日の境界線がなくなり、本能的に時間の効率化を図る因果な日々。始終、何かにムチ打たれ、何かに駆られている焦燥感がある。▽生来、短気でせっかちなので、とびきり評判の良い料理店で食事をしようとしても、お客さんの長い列を目撃すると意欲がなくなり、近くの空いている店に飛び込んでしまう。コンビニのキャッシャーに美人の店員さんがいると、男はそのラインを目掛けて並ぶらしいが、私は美人だろうが不美人だろうが、男だろうが女だろうが、若かろうが老けていようが、地球人だろうが火星人だろうが、ガラ空きのキャッシャーに直行する。時短最優先。▽還暦を過ぎて早起きになった。1日の始まりは、明け方に前庭に出て、仁王立ちで朝刊を待つこと。配達時刻が10分以上遅れて、待ちぼうけを食わされると不愉快になるが、腕組みをしながら、朝靄 (あさもや) の薄明かりの中でひたすら待ち続ける。「弁慶か? 薄気味悪い」と妻。▽一度決めたことは変えたくない性分。その傾向に拍車が掛かり、加齢とともに「頑固ジジイ」路線をまっしぐらに突き進みそうなので、改善しなければならない。時間がかかりそうだ。(SS) ▽年を重ねるごとに1年が短く感じるのは、多くの人が経験することだ。小学生のころは一年が終わりのないほど長く感じたのに、今ではあっという間に年末が近づいていると感じる。子供のころは毎日が新しい発見や楽しい出来事でいっぱいで、そのたびに「新しい!」と感じ、脳がたくさん働くため、時間がゆっくり流れているように思えるのだそうだ。▽友人や親戚の子供たちがどんどん成長していく姿を見ると、彼らが未来に向かって「足し算」のように時間を生きているのに対し、大人は過去が増えていく「引き算」の時間を生きていると強く感じる。もし私に子どもがいれば、子育てを通して、もう一度この「足し算」の時間を体感できたかもしれない。▽猫を動物病院に連れて行ったとき、「ペットと人の年齢早見表」を見て、猫が一年で人間の二十歳に相当する成長を遂げ、その後は一年ごとに人間でいうプラス四歳ずつ加算されることを知った。人や動物によって時間の流れ方や感じ方は異なるが、みんなそれぞれの時間を感じながら、同じ場所で一緒に生きていることで、つながっているように思う。▽毎日にちょっとずつ新しいことを取り入れると、1日1日が特別に感じられ、時間がゆっくり流れているように感じられるそうだ。通る道を変えたり、新しい料理に挑戦したり、旅行に行ったり、テニスやゴルフも再開してみたいと思う。(NS) 家族で過ごす時間、友人と過ごす時間、自分ひとりで過ごす時間、どれも私にとって大切な時間だ。先日、夕食後に美味しいスナックを求めて、夫と娘と私の3人で車に乗って少し離れたマーケットへ夜の買い物に出かけた。道中、娘が学校での出来事や友達とのあれこれを話してくれるの聞いたり、日々のたわいのないことを喋り合いながら過ごす時間が心地よかった。高校3年生の娘は、最近友達と過ごす時間が多くなってきた。自分で車を運転するようになったら、家族揃ってこんなふうに一緒に行動する時間がもっと減るのだろうなと思ったら、なんだか寂しくなった。お互い虫の居所が悪くて、険悪な雰囲気になると、こういう感傷的な気持ちはどこかに吹き飛んでしまうのだけれど(笑)▽若い頃の私はよく一人で買い物に行ったり、映画を観に行ったり、ご飯を食べに行ったりしていたなと思う。友達と一緒に出かけるのももちろん楽しかったけれど、自由気ままに自分の好きなことを自分のペースでする時間が定期的に必要だったのだと思う。夫も好きなことは一人でやるものが多い。チームスポーツが苦手なのも私に似ている。一緒に過ごす時間はもちろん、ひとり時間をちゃんと楽しめるって大切だなと思う。(RN) 世の中には時間が守れない人、人種がいるようだ。約束に10分、20分遅れてきても悪びれる様子もなく、謝りもしない。かつて友達だと思っていた人も、必ず遅れる人だった。あまりに約束の時間にいい加減な態度に呆れ果て、「〇〇さん、普段から5分くらい前に着くように家を出ない?」と、やんわりと言ったところ、「出られるワケがないでしょ!」と逆切れされたことがあった。珍しい日本人だ。時間はそこにあるものではなく“作る”もの。作ろうとしなければ、ただ悪戯に過ぎていくだけ。日本人は一般的に時間を守る国民だ。列車の発着時間でも、わずか2、3分の遅延にアナウンスが流れる。こんな国は世界中探してもそうはない、と思う。一方、ラテン系の民族は特に時間にルーズな人が多い。パーティーに平気で遅れてくるのは序の口。自分のウェディングに1時間も遅刻したメキシコ人カップルもいた。かつてのイタリア大使が書いた本に、イタリアのある都市の道路沿いに4つの時計が掲げられていたが、そのどれもが示す時刻が異なっていた、と。そんな時間の差など全く気にならない国民性なのだ。しかし、こんなに時間にいい加減な国でも、公共交通機関の出発時間は「お見事!」と、声を大にして称賛したいほど定刻に出発する。お国が違えば、我々には普通のことをしただけで誉められる。日本の常識は世界の非常識 !?...

リラックス

  事件は妻が帰省中の深夜に起きた。1か月前にトイレのドアノブ (握り玉タイプ) が腐蝕して抜け落ち、ネジも紛失。穴が開いたまま放置して、ドアストッパーで密閉を防いでいたが、うっかり内側から閉めてしまった! 出られない! 雪隠詰めとはこれ如何に。内部に手を入れてラッチ (突起部分) を引こうとするが狭くて届かない。道具も使えない。妻がいたら、ドアの両側から通したリボンテープでラッチを押し込められた? ドア全体を取り外すドライバーもない。ドアの隙間に厚紙を入れてラッチにチャレンジしたが、斜面にストッパー枠があり、これも失敗。飼い猫が「ご飯くれ~」 と鳴きながらドアにカリカリと爪を立てる。私はパニック状態の自分をリラックスさせようと、床にバスタオルを敷いて横になった。頭に浮かんだのは、南米の鉱山で地下700メートルに閉じ込められ、2か月後に救出された作業員たちのこと。深刻さは比べものにならない。朝になれば誰かが家の前を通るし、窓から絶叫して911に連絡してもらえばいい。でも、地元ニュースの笑いネタになりそうだ。目に留まった頭の横のビニール袋。壊れたドアノブが中に!...

料理

  幼少期を過ごした旧家は家父長制的な封建色が強く、戦前の竃 (かまど) が残された厨房では祖母が “総料理長” の風格で指揮を執っていた。祖父は旬の食材を好み、 一人だけ豪勢なメニューで1日5度の食事を楽しむ日々 (信じられない!)。祖母はまさに「生きた歳時記」で四季折々の旬味に通じ、台所に並ぶ食材の最高の味わい方と日本の習慣の本義を説明してくれた。旧家では月見を2度していた。準備するのは祖母。“芋 (いも) 名月”...

音楽

  ▽クラシック音楽愛好家は育ちが良くて、上品で、高貴な心が宿っている? そうだろうか。逆かもしれない。そんな「カッコ付け屋」は別として、クラシック中毒症の性格分析をするなら、程度の差こそあれ、気性が激しく、大きく揺れ動く感情の持ち主が多い。クラシック音楽は人間が本能的に刺激を求めるニコチンのような「毒」に思える。凡人の私でも多少は “クラシックの効用” を心得ていて、疲労困憊 (こんぱい) ならモーツァルト (愁)、傷心回復にはチャイコフスキー (愴)、雑務を手早く終わらせるにはドビュッシー (淡)、深い悲嘆から逃れるにはブラームス...

好きな家事・苦手な家事

  ▽ 妻が調理師免許を持っているので「得意な料理は◯◯」などと宣言した日にゃ、マトモに突っ込まれそうな気がして、とても言えない。献立のレパートリーは足元にも及ばない。妻を見ていると、仕事、家事、人の世話を同時にこなしている。右脳と左脳を連結する脳梁が女性は男性よりも約50倍太いという(何かの記事で読んだ)。つまり、女は男より50倍もの「複数処理能力」があるらしい。マルチタスク型 (水平思考型) は女性の特質? 一方で、厄介な問題に没頭して解決する一点集中型 (垂直思考型) は男性の特徴? 鍋底にこびり付いた黒焦げをタワシで削ぎ落とす作業を任せれば、男は一心不乱にやり遂げる (笑)。男女脳の...

エクササイズ/運動

  ▽精神論に傾倒する野球少年 (昭和の男) だった私は、エクササイズの度が過ぎて地獄の入口に立っていた。部活のシゴキに体力の限界まで走り続ける「心臓破りのランニング」 があった。無理だと思いながらも、あの電柱まで走ろう、もう1本、そして、もう1本と目標を上げていく。すると、精神力が体力を凌駕して意識下の制御が効かなくなり、永遠に走り続ける危険な状態に追い込まれる。死に直結する扉を開けた恐怖に襲われ、意識的に路上に倒れて自分の命を救った (?) ことがある。▽野球をやめてから体が重くなり、大学入学時には85kgになっていた。部活勧誘で柔道部主将に目を付けられた私は「君は必ず強くなる! 柔道部を救ってくれ!」と熱っぽく口説かれる。主将の執念は凄まじかった。翌日も正門前で私を待ち構えて強引に入部させようとする。翌々日も私の後を追い、信号待ちをしていたら、突然「ビックリ〜」と姿を現わした。ジョークにもならず、この時に減量を決意した。▽徹底した食事制限と運動により、半年間で23kgのダイエットに成功! ところが、食物を拒否するメカニズムが自分の体を支配して、その後も体重が減少。気が付けば50kg前後まで落ちていた。医師からアノレクシア (拒食症)...

スポーツ/オリンピック

  ▽夏季五輪に4回出場し、28個のメダル (23個は金) を手にした、伝説の競泳選手マイケル・フェルプス。金5個を獲得したリオ五輪でのインタビューで “If it comes to that, I...

笑い

  ▽ 笑いとは ① オーソドックスな笑い、② ナンセンスな笑い、③ ブラックユーモア、④ 自嘲 —— の4種類に大別できそうな気がする。数年前まで、私たち夫婦が好んで観ていたTV番組にNHKの『ケータイ大喜利』...

里帰り

  それはサンディエゴから日本に里帰りした冬の出来事でした。凍てつく福島駅に降り立った私は、あまりの空腹に耐え切れず、和食にありつきたいと思っていたら、近くに開業したばかりの食事処を見つけた。目立つ看板に大きく宣伝していた「地元福島牛の牛すき鍋焼きうどん+ミニカツ丼セット」 を注文。鍋焼きうどんの温かさに至福を感じながら、ミニカツ丼をまさに食べ終えようとしたところ、ありゃ!? どんぶりの底から緑色の輪ゴムが出てきた! はてさて、この事実を店員さんに伝えるべきか、思案に明け暮れること数分間。私はほぼ完食しており、クレームするにはタイミングが悪すぎる。故郷の新店を応援したいし、注意を喚起するという目的で、お茶を注ぎにきた女店員さんに「これ、入ってました」 と、笑顔を浮かべて小声で伝えると、女店員さんは慌てて「少々お待ちください」 と厨房へ 。暫くして、店長さんの丁重なお詫びの言葉とともに、あろうことか、同じセットが運ばれてきたのだ! 「・・・」 。満腹の私にとって最大の問題は目の前の同じ料理。アメリカのように...

夏休み

  ▽福島は夏が短いからか、小中学校の夏休み期間は7/21〜8/20の1か月。私は前半に宿題を終わらせ、後半は解放された時間として自由を満喫しようと思っていた。小学5年生の1学期に体験した十勝沖地震の影響もあり、自由研究のテーマを『地震』にしたが、これが裏目に出た。当時はインターネットなど存在せず、家庭用の百科事典からの情報も限られていた。私は父に連れられて仙台管区気象台へ向かい、地震のメカニズムについて教えてもらった。この年ばかりは宿題に想定外の時間を取られ、気象台へ3回も通うなど、夏休みのほとんどを自由研究に費やしてしまった。▽猫は外で何をしている? 親戚の男の子が『飼い猫の行動様式』を自由研究に選んだ。猫の目に世界はどう見える? 猫の首に小型カメラを装着して記録を始めた (現代の自由研究はIT化が進む)。まず、近くの藪の中で昼寝をした後、他人の家に立ち寄り、オヤツをもらっていた。しかも3軒ハシゴしている! 訪問を受けた人間たちは「あたしたちが好きなのね」と嬉しがっているが、平気で掛け持ちしている猫の方が一枚上手だ (笑)。画期的と思えた自由研究も2日目で頓挫。帰宅した猫の首には小型カメラがなかった。邪魔で自分で外したのか、自然に紛失したのか・・。いずれにしろ、猫は一筋縄ではいかない。それが夏休みに得た結論らしい。(SS) ▽夏休みで思い出すのは、学生時代のワンゲルの夏合宿。「重い荷物担いで、何で、山なんかに登るん?わしは、金をもらってもやらん」という、松本行きの「あずさ」に乗っていたおっちゃんの言葉を思い出す。でも、今なら言える。「おっちゃん、その歩みは、人生そのものなんです。そして、寝食を共にした学友は素晴らしい。キラキラと輝いている」。卒業してから40年が経過した。いつか、ワンゲルの皆んなに会ってみたい。▽アメリカの夏休みは約3か月と長い。留学時代は、サマークラスをとったり、オンボロ車で安いモーテルに泊まりながらアメリカやカナダを旅行した。アメリカの子どもたちは、サマーキャンプに参加したりする。日本と違って、夏休みの宿題はない。いつもと違う出会いや体験が満載だ。夏休みをそれぞれの価値観で自由に生きるという発想は、大人になった時、大きなプラスになるような気がする。▽米農家、八百屋、マーケット、コンビニと業態はかわっても、実家はずっと自営業で忙しかったので、家族旅行というものをしたことがない。だから、巷でいうところの夏休みというものもなかった。キャッシャーをやったり、漬物をつけたり、帳簿を書いたりして、店を手伝っていた。東京で自活して、初めて夏休みというものをとって上高地に行った。これから私の新しい人生が始まると思った。(NS) 夏休みといえば、島根の父の実家への帰省旅行。往路は寝台列車というのが定番だった。食堂車で車窓からの景色を眺めながらの夕食、狭い寝台スペースで列車に揺られながら寝るのが特別な感じで好きだった。父の実家は迷路のような作りで、それも大好きだった。ひなびた商店街に立地し、店舗兼住居の2階建てのその家は、土間の通路がずっと続き、家の中に入る戸口が複数あった。渡り廊下や階段がいくつかあって部屋数もかなりあった気がする(なにせ、子供時代の記憶なのでかなりあいまいだ)。極めつけは五右衛門風呂。夕刻になると、家に住む誰かが風呂焚きの準備にとりかかる。祖父母以外にも、父の兄家族とその他にもいつも誰か複数人いた。東京郊外の団地住まいだった私と弟は、火を使うこと自体めったになかったので、その準備が楽しくて仕方なかった。熱い鉄製の風呂釜に触れないように気を付けながら、おそるおそる湯舟につかるのもスリリングで楽しかった。朝、配達される瓶入りの牛乳が冷たく冷えていて美味しかった。書店と家電屋を営んでいたので、漫画や本は読み放題。好きな歌手のカセットテープももらえたり。お隣の菓子問屋さんに遊びに行けば、何列にも並んだ棚にぎっしり詰まったお菓子も自由に取り放題。子供にとっては天国のような場所だった(笑)(RN) ♬VACATION(アルファベット読み) 楽しいな ギラギラと輝く太陽背に受けて 青い海泳ぎましょう...

記憶

  ▽大谷翔平選手の豪快すぎるスイングには、ボールを遠くへ飛ばすテクニックというより、巨獣を一刀両断に叩き斬る壮絶なパワーを感じてしまう。悠然とダイヤモンドを回る勇姿に、ギリシャ神話に登場する「巨大な伝説の生物」を思わずにはいられない。彼は球界のペガサスなのだろう。韓国では大谷翔平の成長物語を綴った漫画が大人気。考えてみると、私は少年時代に『巨人の星』の漫画を読んで人間心理の側面から野球に興味を抱いた記憶がある。今では、スーパースター『オオタニ』が最高の大舞台で燦然と輝き、後から教育マンガとして深く意味づけされている。少し「流れ」が違う。▽テニスのイン/アウト確認に精度99.9%のハイスピードカメラが大活躍 (元来は弾道ミサイル照準用)。来年からエレクトロニック・ラインジャッジ (電子判定技術) も導入される。MLBにも「チャレンジ制度」 (ビデオ判定要求) はあるが、判断を下すのは人間の目。アーマンド・ガララーガ投手 (タイガース) の「2010年幻の完全試合」 (最終打者の一塁ゴロを塁審が内野安打と誤審)...

幸運

  ▽私は勝負事が好きで、白黒をはっきりさせたいタイプ。ギャンブルに深入りしそうな性格だけど、自分では変えられぬ「ツキの周期」に挑戦する気はなく、射倖心に駆られることもない。パチンコは短時間で500発ほど増えて目減りが始まる。暫くすると盛り返し、500ラインを往来するパターンを何度も繰り返す。やがて、ピークへの到達時間が遅くなり、そのうち息が切れる。私の幸運リミットはせいぜい速攻500発/景品カセットテープ1本が妥当なところ。昔、友人とチームを組み、個人差のあるバイオリズムを利用して、共同作業で打ち止めに成功したことがある。私は先鋒で、憧れだった「食事中」 の札を台の前に立て、休憩時間を十分に取りながらツキの周期を調整し、3人がかりで達成!日本に帰省した折、東京で20数年ぶりに興じた。妻がやたらと強くてアッという間に1台制覇。学生時代は無敗に近かったとか・・お、恐るべし。▽〆切が迫る時期は無駄な時間を最大限に省略したいので、些細な “絶妙のタイミング” に出会うと幸運を感じてしまう。「スプリンクラーの散水範囲を微妙に外れて、濡れなかった朝刊」「芝生の刈り込み終了と同時に到着したゴミ収集車」「必要な日用品を買いに出かけたら、信号が全て青」「牛乳をこぼしてしまい、困っていたところへ隣の猫が現れた」。小さな幸運に感じる絶大なる有り難さ。(SS) ▽モノの本によれば、運には2つの種類が存在するという。1つはギャンブルのような純粋確率に基づく運で、もう1つは出会いや人生のような非純粋確率に基づく運だ。ギャンブルで幸運を手に入れるためには、冷静さが必要とされる。ロンドン大のオンラインカジノに関する研究によると、幸運な人々は2回の大勝ち、または大損をした後に、適切なタイミングでその場を去るか、掛け金を減らして次のチャンスを静かに待つことが多い。一方で、不運な人々は賭け金を増やし続け、最終的には何も残らない状態に陥りやすいそうだ。▽人生のように非純粋確率の運に左右される場合、テンションを高め、意識的に積極的な行動を取ることで幸運に近づけるという。特に効果的なのは日常的に運動をすること。エクササイズを習慣化すると、精神状態が向上し、不安が解消される。これにより、前向きな態度やチャンスを試す回数が増えていき、幸運が連鎖するらしい。▽日本へ里帰りするたびに、今は亡き男やもめの父と格安ツアー旅行を楽しんだ。彼がポツリと漏らした「この観光バスに乗っている人たちはね、皆が幸せな人たち・・」という言葉は、今も私の心に響いている。青空の下を歩くこと、知らない土地を探索すること自体が、すでに幸運なのかもしれない。日々の生活の中で、生かされていることへの感謝の気持ちを忘れずにいたい。(NS) ▽ガソリンスタンドで並ぶことが嫌いな私。混雑しそうな時間帯を避けるようにしているけれど、それでも数台並んでいるのは普通。たまに、全く並ぶことなく給油できた日は最高にラッキーな気分になれる。▽今飼っている猫のトラちゃんがHumane Societyで猛烈ラブコールを送ってくれたのは本当にラッキーだった。トラちゃんの積極的なアピールがなかったら、他の猫ちゃんをもらってきていたかもしれない。トラちゃん、私たちを選んでくれてありがとう。▽近所に出没する大柄な猫が、いつの間にか我が家にもちょくちょく顔を出すようになったのは数年前。最初はご飯だけをあげていたが、ある雨の降る寒い夜に、我が家の玄関先に濡れて座っている姿を見て、うちの子に迎え入れることにした。いつも優しい気持ちにさせてくれるこの子が、私たちを選んでくれて本当にラッキー。▽学生時代、交換留学制度を利用して初めてサンディエゴを訪れた私。留学を躊躇していた私の背中を半ば強引に押してくれたのは亡き母だった。留学中に出会った男性と数年にわたる遠距離恋愛の後、結婚。そしてサンディエゴに移住。何かと大変なこともあったけれど、今はとても幸せだ。自分のことを思ってくれる人が周りに数多くいる中で生きてこられたことは、幸運以外の何ものでもないとつくづく思う。(RN) 私はこれまでの自分の人生を振り返るに、かなりの幸運に恵まれてきたのではないかと思う。私の人生は誰が見ても破天荒でハチャメチャ。故に、これまでも何度か崖っぷちに立たされ、オットットという極限まで追い詰められても、どうにか崖から転げ落ちないで、しぶとく、この世で未だに命を頂けているのは、単衣 (ひとえ) に幸運としか言いようがない。例えば、観光ビザで米国に滞在していた私は、雇った弁護士に言われるままに、観光ビザから就労ビザを申請すべくティファナへ。それをティファナではできないことを知りもせず、当然却下。入国審査で残り2週間あった観光ビザも取り上げられ、ハンドバッグ一つで日本への帰国を余儀なくされるも、知り合ったばかりの男性から結婚を申し込まれ、訪日してくれて結婚届を提出し、見事にビザがクリアできた。これをラッキーと言わずして何と呼ぼうか。日本で勤務していた出版社を辞めた際、スイスに駐在していた姉家族を訪ねて3か月滞在。その間にヨーロッパ各地を旅行した。この時に出会った人を通じて、次から次へと知り合う人たちのお蔭もあり、思いもよらなかったサンディエゴに暮らすことができている。これもラッキー。中には、自分の努力で成就したものもあるが、その多くが人さまのお力を頂いて、何とか今日までハチャメチャ人生を続けられている。衷心 (ちゅうしん) より感謝!である。...

マイブーム

  ▽幼少期~少年期を過ごした1960~70年代の日本を邦画で楽しんでいる。スクリーンを通して、あの時代を改めて見つめたい。5年以上続いているマイブームがそれ。激変の時代「昭和」の中間点に生まれた私は兄貴分の「団塊の世代」に憧れた。彼らは学生運動という名の “破壊活動” を通じて戦後の既成価値を否定し、反体制フォーク全盛期の旗手となり、フーテン族やサイケ族などのカウンターカルチャーを生んだ。1950 年代後半生まれの私たちは “時代の大波” に直撃された経験もなく、目立った行動も示せなかった。高度経済成長期の恩恵を受けて生活水準が高くなり、ベトナム戦争も収束へ向かい、気が付けば狂喜と反戦のエネルギーが消えた世の中に放り込まれていた。そんな過度期を当事者として感応するにはあまりにも未成熟で、成人してから後付けで理解しただけ。時代の再認識という大袈裟 (おおげさ) なものじゃない。映画で描き出される社会通念、都市景観、流行ファッションと髪型、家電製品の移り変わりを眺めるのも面白い。▽冠婚葬祭の「葬」を意識する年齢になった。最近のマイブームは自分の遺影となりそうな写真を集めること (妻がイヤがる)。今のところ、別府温泉の「カニ食べ放題」ホテルで至福の笑顔を写した浴衣姿が最有力候補...

ウィークエンド

  私は前後の見境なく娯楽に耽溺する「道楽者」ではない (そう思っていた)。そんな自分がボールルームダンス熱に浮かされ、生活の基盤を危うくするほど夢中になってしまい、競技会には必ず出場するというオバカな一時期があった。26歳の時、映画以外に楽しみのないワシントン州東部の小都市で米国生活を始めたが、ウィークエンドが退屈でたまらない。古びたダンススタジオを見つけて「ここはアメリカ。社交ダンスくらい身に付けよう」と思い (その考えがおかしい)、門を叩いたのがマズかった。ワルツのリズムとラテンのシンコペーションの魅力に取り憑 (つ) かれ、週末はもとより週4ペースで足繁く通うことに。州大会で入賞し、インストラクターから才能があるとおだてられ、リズムに乗っただけでなく、調子に乗ったのが命取り。個人レッスンを重ねて、スパンコール付き競技用コスチュームまで特注し、気が付いたら◯万ドルをつぎ込んでいた! スタジオはご高齢の上流階級婦人が集まるサロン的な雰囲気が漂い、パーティーでは男手が足りず、ご婦人方の相手をさせられたが、ホストのボランティアをしていたようなもの。ダンス浪費で生活水準は極貧レベルに転落。安価で大量に買えるワシントン州産コーンとアイダホ州産ポテトが主食になっていた。慚愧 (ざんき) に堪えない日々を過ごしたけれど、そこでダンスパートナーとして出会った女性が妻となる。(SS) ▽日本の国政・地方選挙の投票日は基本的に日曜日だけど、アメリカでは火曜日と決まっている。これは1845年の連邦法で定められたことらしい。当時のアメリカは日曜日を安息日として休むキリスト教の習慣が定着し、馬車での移動が主だった。月曜日を「選挙の日」にすると、遠隔地の有権者が投票に間に合わないこともあるので、1泊の余裕を持たせて火曜日が選ばれたという。▽知人に仕事の手伝いを頼んだら、シャバットという安息日を理由に断られたことがあった。彼女は敬虔なユダヤ教信者で、土曜日に仕事や世俗的な活動を一切行わず、家族&友人との交流や祈りに時間を費やすという厳格なルールを守っていた。PCやスマホの使用を避け、車の運転や火を使うことも控えるという徹底ぶりで、忙しい日常から離れた特別な時間を大切にしている。▽米農家に始まり、セブン-イレブンを複数経営するまで、私の両親はいつも忙しく働いていた。週末は特に多忙を極めたが、笑い声が響いていた。「どこにも連れて行ってくれないから、作文を書くネタがない」と泣きわめいた私に、祖母が諭した言葉を今でも思い出す。「あんたの両親は、戦争で夢を諦めざるを得なかった。でも、おまえは好きなことをすればいい。家族のために、そして、それぞれの夢や目標を実現するために、私たちは働いているんだよ。仕事や客を大事にすることが、家族を大切にすることになるんだよ」。(NS) 平日は子供たちの学校スケジュールで朝が早いので、週末は少し遅めに1日をスタートさせる。普段、バナナやシリアルなどの簡単な朝ごはんを食べている子供たちのために、パンケーキやフレンチトースト、ハムエッグなどを作り、掃除機をかけ、洗濯をする。その後の過ごし方は、週によってまちまちだ。のんびり家で過ごす日もあれば、子供たちをプレイデートに連れて行く日、どこかに出かける日、買い物に出る日もある。子供たちに言わせると「週末は短すぎる! あっという間に終わる!」そうだが、私が子供の頃は、休日は日曜と祝日のみだった。土曜も半日ほど授業があったけれど、給食はなかったので、母が会社の昼休みを使って「小僧寿し」や「ほっか弁」、スーパーのお惣菜をお昼ご飯に買ってきてくれた。たまに母が忙しくて帰って来れない時は、自分で袋ラーメンを作って食べた。日曜の朝は母に起こされ、まず家の掃除を手伝うのが日課だった。布団を干し、朝ごはんを食べ、日中は母がドライブやハイキング、買い物、ランチへ連れて行ってくれた。夕方になるとテレビの『サザエさん』と『世界名作劇場』を見て「もう日曜も終わりか。明日からまた学校。。。」と淋しい気分になっていた。まさに「週末は短すぎる!...

YuYu interview Michihiro Okazaki, D.C.

  In March, 2024, Okazaki Chiropractic celebrated its 20th anniversary—a...

寿命

  還暦を過ぎても初老の実感はないが、突然死で世を去る同年代の知人もいて、間違いなく寿命のマジックナンバーのカウントダウンが進んでいる。▽経験則では語れない死。仏教書を読んでもイメージが先行して「あの世」がどんどん遠くなる。私のように霊界を想定した説法に倦んで、神の摂理にも導かれず、真如縁起にも疎い人間は無神論者/無宗派の一語で括られる。▽『歎異抄』 にも挑戦したが「無碍の一道」=死をも煩わない無想の境地=は深遠すぎて本流の対岸が見えず、危うく溺れそうになって断念した。観念的に理解できても、実践論としての釈義を求められるとお手上げだ。▽曹洞宗の名僧、永平寺78代貫首・宮崎奕保禅師の言葉を聞いて雲間から光が射し込んだ。「平気で生きていることが悟りなんや」。仏道修行は死ぬ覚悟や勇気を求めることにあらず。凛として生きる態度が彼岸へと導く。講演で聴いた碩学2人の至言も頭から離れない。「死ぬまでは生きている」 (独文学者・高橋義孝氏)。「寿命を迎えたらさっさと死ね」(禅僧・関牧翁)。箴言ここに極まれり。▽不幸・不運に遭遇しても、意味を見つけてユーモアに解し、自ら態度で示して人生に答えたいと思っているが、この「態度に示す」 が実に難しい。私たち夫婦は今際の際に、これまでの愉快な話をして笑って見送ることにしている。(SS) ▽先日、テレビで不老不死とされるベニクラゲの特集番組を見た。特殊な生態を持つベニクラゲは、体が傷つくと幼体に変身して、何回でも若返ることができるらしい。「ベニクラゲ、いいな」とつぶやいたら、「死があるから、生は美しい」と旦那。そこまで、すんなりと受け入れられない自分がいる。▽母が逝き、父が亡くなって、妙な感覚に襲われた。自分の前に遮るものが無くなって、親の姿に阻まれて見えなかった「死」という水平線がくっきり見えてきた。「次は自分の番だ」という感覚。同時に、子どもを守ってくれていた大きな親の盾を感じた。そして、人生の水平線に思いを馳せながら歩いていると、兄弟や友達や同僚やペットなどがとても大切な存在に思えてきた。▽寿命を考えるとき、スティーブ・ジョブズの最後の言葉を思い出す。「人生を十分に過ごせるだけの富を積み上げた後は、富とは関係ない、他のことを追い求めた方がよい。もっと大切な何か他のこと。それは、人間関係や、芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね」。成功しても、お金があっても、病気を肩代わりしてくれる人は買えない。ジョブズは家族や友人との時間、愛、健康、夢を追いかけることが本当に大切だと語っている。確かに、あの世に持っていけるモノは、愛情にあふれたポジティブな思い出だけのような気がする。(NS) 「散る桜 残る桜も 散る桜」。良寛和尚の辞世の句とも言われているこの禅語。桜は散る。命は散る。必ず散りゆく命とは何? 病に冒されたから死ぬのではない。生きているから死ぬのである。数か月後の死は不幸で、10年後の死は幸福かといえば、そんなことはないのだろう。▷長期の闘病生活の後、40代後半で亡くなった私の祖母。子供たちが自立し、これから自分の好きなことをゆっくり楽しもうとしていた矢先に病に倒れ、60代後半で亡くなった私の母。平均寿命に及ばずに亡くなった母たちのことを考えると、天寿を全うできずに可哀想だったと心が痛むのだが、良寛和尚の命についての考え方を知り、長生きできずに不憫だったと悲しむ必要はないんだなと、少しだけ心が穏やかになる。▷生きているから死ぬ。とはいえ、命の終わり方は穏やかなものであってほしい。不慮の事故や事件、戦争などで理不尽に命を奪われてしまうのは、どうにもやるせない。宗教上の争い、土地や資源の奪い合い、権力者の利害関係、文化や民族性、政治的信条の違いなど様々な理由で、今も世界各地で争いが続いている。争いの犠牲になって命を落とした人たちの無念さを考えると心が痛む。問題を武力解決しようと決めたトップの方々、どこかの無人島に自分たちだけで集まって、一騎討ちなり何なりで、勝負して頂けたら幸いです。(RN) 私の父は77歳、母にあっては52歳と若くして亡くなり、両親とも平均寿命まで辿り着くことができなかった。しかし、父方の祖父は90歳、祖母は80数歳と、その時代の人としては長寿を全うしたと言える。彼らには3男2女の息子と娘がいたが、お酒を飲み過ぎて肝臓を悪くした父を除いては、皆が100歳近くまで生きた。母方の家系も母を除いて比較的長生きだった。故に、我が家の家系は平均寿命は超えられるらしいと勝手に推測している。先日、子供のいない数人の友達が集まり、その時の話題がお金と寿命。あと何年生きられるかが分かっていれば、お金を後世に残す必要のない我々としては、手持ちのお金を余生の年数で配分して使い切ることができるのだが・・と。しかし、人生はそうはいかない。とにかく生きるにはお金が必要。人生85年と踏んでお金を使ってしまい、想定した平均寿命を超えて命が続きそうなら、その後の人生は使えるお金も残り僅かで、惨めさを強いられる恐れもある。人生の終盤になって惨めな思いなどできるだけ避けたい。友達の一人が言っていた。自分で余命を勝手に決めて、その日が近づいたら、有り金をはたいて豪華クルーズ船に乗り込んで、お金が続く限り世界中を回る。そして、所持金が尽きた時点で海に飛び込む。これなら日々豪華な思いに浸ったままで死ねる・・と。さぁ、あなたならどうずる?  (Belle) わたしはふるーいラップトップを使っている。たぶん15年前くらいの機種 笑。しかも、人からもらったお古...

修理・修繕

  ▽私が通った小学校は明治政府が近代学校制度 (学制) を公布した翌年 (明治6年) に建てられ、60年前に入学した時点で90年以上の歴史を刻んでいた。谷崎潤一郎が著書『陰翳礼讃』で「日本美の核心は影の深みにあり」と絶賛したように、古色蒼然たる校舎には風趣があったものの、朽廃が進んで修理が連日続いていた。階段の上部には、巨大なゼンマイ式時計が故障したまま10時25分を指していた。修理不能で放置されていたが、真夜中にボーンボーンと鳴り出すこともあり、宿直の先生が肝を潰したらしい。修理の域を超えた校舎は私が卒業した数年後に取り壊された。現存していれば、国指定重要文化財の旧遷喬 (せんきょう) 尋常小学校 (岡山県真庭市/明治40年築) にヒケを取らぬ国家遺産になっていたはず。▽昭和初期に建てられた私の生家は格式を備えていたが、無理な増築と修理を重ねて不気味な内部構造になっていた。三階建てなのに「中二階」...

省エネ

  ▽長年使用していた furnace が故障したので高額な暖房システムを導入した。セントラルヒーティングなので家中が暖かくなっても、光熱費の上昇ペースはスカイロケット級。そこで1人に1枚ずつ、LED表示のタイマー付き電気ブランケットを買い入れ、furnece を稼動させずに冬の日々を過ごした。節電効果は大成功! 見事なまでに家計を助ける省エネとなった。微力ながらも、各家庭がエコ生活を実践すれば地球温暖化対策に貢献できる。▽「省エネ」は「省力」にあらず。子供の頃、私と弟は10日間ほど知り合いの寺に預けられ、そこから小学校へ通った。日課は朝夕の「落ち葉掃除」。掃き清めても、翌日には枯れ葉が境内に落ちてくる。「2日に一度でいいのでは?」と先延ばしを願い出た私たちに、若いお坊さんが柔和な笑顔で「心を掃くんだよ」と一言。毎日、苦もなく俗事を続ける平常心が大事。やがて魂が浄化されて往生できる。明日死のうが、百歳まで生きようが、人生の質を高めたいなら「心の省エネをするな」ということらしい。▽多忙を極める人気俳優 T・Kさんの名言が光る。「手を抜いた仕事は、より疲労感が残る」。悟られないように適当に仕事を切り上げても、真剣に取り組まなかった不全感/罪悪感が自分を苦しめて精神的に数倍も疲れてしまう。「省エネ」と「省力」を履き違えてはいけない。(SS) ▽日本にいる姪は、昨年、コンロや給湯機を電気からガスに替えたそうだ。ひと月の電気代が10万円を超え、オール電化住宅を諦めたとのこと。サンディエゴの友人は、セントラル空調をやめて、部屋用エアコンを取り付けた。自分は電気代が半額になる「スーパーオフピーク」の時間帯を狙って料理や洗濯をしている。▽仕事の省エネや時短は不可欠だが、最近、断られた → 返信しない「メール1往復主義」を採用する人が増えている気がする。「またよろしくお願いします」という「一往復半」に慣れている自分としては、何となく寂しい気分になる。▽急激に食事量を減らすと、人間の体は飢餓から身を守ろうとして「省エネモード」に切り替わるらしい。この状態で食事を摂ると余ったエネルギーが脂肪として蓄えられてしまう。リバウンドしちゃったけど、またダイエットすればいいや!と、安易に考えていたら、相撲部屋の新弟子検査に合格できる体重に近づいていた。▽人間の脳は「省エネ」を好むらしい。脳はとても小さいけれど、体が消費するエネルギーの20%も消費するので、時々「サボりたい」と思うらしい。だから、大切なことに集中することを心がけて、他のことは習慣にしてしまうと、脳が疲れにくくなるそうだ。何もしたくない時でも、とりあえず、何かを始めて10分ほど続けていると、不思議とやる気が出てくるという。(NS) 省エネで思いつくのは、エアコン停止、使わない部屋の消灯、誰も見ていないテレビを消す、こまめに家電のプラグを抜く——などかな。我が家はエアコンを全く使わない。蒸し暑いときはシーリングファンを回し、それでも暑いとドアを開け、扇風機の風でしのぐ。冷え込むときは厚着をして、まだ寒ければ先日買ったミニヒーターを使う。不要照明の節電は普段から心がけている。私は一人でテレビを見ることがほとんどない。映画やTV番組はタブレットで楽しむことが多い。たまに子供たちがテレビをONにしたままタブレットやパソコンを使っているので、見かねて消すように言っている。節電とはいえ、冷蔵庫、オーブンなどのプラグを抜くことはできない。トースター、電子レンジも使用頻度が高く、抜くのが面倒なので付けたまま。アマゾンのスマートスピーカー Echo...

方言

  ▽方言とお国訛 (なま) りに悩んだのは、福島から東京の私立高校に入学した頃。新入生の内訳は、附属中学からのエスカレーター組4割、首都圏組4割、地方組2割。悲惨なのは地方出身者で、私は福島弁 (がおる → 疲れる、くさし → 怠け者) を標準語と勘違いして笑われた。何よりも、言葉の節々に出るアクセントの違いが一番の悩み。現代国語の教師が秋田出身で、福島出身の私と山形出身のF夫を朗読役に指名して「懐しい響きだなぁ」と喜ぶ姿にゾッとした。F夫は苦笑いしていたが、内心は傷ついていた。私は秘かに『NHKアナウンス読本』を買い求めて発音・抑揚の矯正に勤...

無駄

  ▽日本のサラリーマン時代。過労気味だった20代の私は会社を休んで、ブラリと房総半島南端の景勝地「平砂浦 (へいさうら)」を訪れた。心は和 (なご) んだが、無為な1日を過ごした罪悪感を拭い切れずに帰途につく。追い打ちをかけるように「お急ぎの方は、急行列車に乗り換えてください」とのアナウンス。条件反射的に移動しようとした刹那 (せつな)、相模湾の彼方に浮世絵のように美しく映える富士山を目撃する。忙 (せわ) しく動き回る乗客をよそに、私だけ普通列車の座席に戻り、見事な景観に見惚 (と) れていた。ここで覚醒。「1時間早く家に着いて何をする?...

どうにかしたい

  ▽妻は信じられない頻度で「アレ」「ソレ」の指示代名詞を連発する。「今日はアレ (?) の用事で外出するけど、冷蔵庫に小皿のアレ (?) と昨日のアレ (?) があるから、ソレ (?) をアレして...

2024年/お正月

  星占いで読み解く新年の世相。2024年11月20日に冥王星が宝瓶宮へ順行し、約240年続く “水瓶座の時代” が本格的に始まる。占星術上の大転換期。国家主義から人道主義へ。権威から個性へ。プロの米人占術家の表現を借りると「独裁強権の残滓 (亡霊) から博愛主義の嚆矢 (黎明) へ」。すぐにパラダイスは来ない。人間の意識の大転換は安寧の中では実現しない。それは人類史が証明している。「大災害、パンデミック、ジェノサイドを経験したじゃないか!」と反論されそうだが、決定的なカタストロフィーは起きていない (恐ろしいことを言うなぁ。SSって何様?)。240年の巨大フレームの中で、2024年はどんな1年になる? 前半は既成概念を取り払う絶好機。投資・蓄財プランを見直す決断は吉...

年末/年越し

  暮れ行く2023年。今年から帽子を被るようになった。初老の実感はないが、突然死で世を去る同年代の友人もいて、寿命のマジックナンバーのカウントダウンが始まっている。老後に向かってQOLを意識したのも今年。まず、簡単なオシャレに挑戦しようと、ビーニー帽 (ツバなしのニット帽) に手を出した。還暦を過ぎてファッションに目覚めたというのはウソで、薄くなった頭髪をカバーするために妻の薦めで着用している。この帽子、余裕のある後頭部を弛ませるのがオシャレのアクセント。深めに被るとクールな印象になる。似合っているかはともかく、被り方を “研究” しながら、変化をつけて楽しむようになった。今年は5年ぶりに里帰りをして93歳の母と過ごした。「痴呆症になっていないか?」「私を息子と認識できるだろうか?」 一抹の不安を抱きながらチャイムを鳴らす。私は再会を祝う特上寿司の大皿を携えていた。母は「届けていただいて、ありがとう」と丁寧に頭を下げて、ドアを閉めようとする。慌てた私は「母さん、オレだよ!」 と呼び止めた (やはりボケたのか?)。「あなた、どうしてそんなモノ被ってるの?」と驚いている。配達人さんと勘違いしたらしい。鏡に映る自分の姿。確かに、濃紺色のビーニー帽は和食料理人さんの調理帽子によく似ている。母は正常。2023年も心穏やかに越せそう。(SS) ▽2023年の流行語大賞に、阪神タイガースのリーグ制覇&日本一を意味する「アレ (A.R.E)」が選ばれた。他には、今年7月に駆除されたヒグマ「OSO18/アーバンベア」、意中の人に対して急に冷めてしまう「蛙化...

  車にまつわる思い出は「冷や汗体験」が多い。▽渡米直後に買った中古車はドイツ製の ハッチバック クーペ だった。9年落ちで走行距離は20万マイル+。前の所有者はかなり使い込んでいた。この車に7年間乗った。米国には車検制度がない。ある日のこと、メンテナンスの不備が災いしたのか、生命の危機に晒 (さら) されるとんでもない事態に遭遇する。アクセルを踏んでいないのに、轟音を立てて、車が勝手に急加速していく! まるでホラー映画! ブレーキも効かない! フリーウェイが一般車道に交わる直前、私はサイドブレーキを力一杯に引きながら減速させ、誰もいない歩道に乗り上げてエンジンを切り、危機一髪で事故を回避した。「制御基板の故障とブレーキオイル漏れが重なって起きた、珍しいケース」と整備士が説明してくれたが、車に呪われたような不気味さもあり、その場で「廃車にしてほしい」と告げた。▽2台目は日本製の旧式ミニワゴン。購入して1週間も経たない冬の朝に盗まれ、事故車となって乗り捨てられていた。警察署から...