回想

  1987年8月にサンディエゴで出版社を立ち上げてから足掛け38年。日本人・日系人の皆様と歩んできた歳月を振り返りながら、12月16日号で日本語情報誌の発行を終了することとなりました。創業当初、まだ小さかった日本人社会の中で、同胞のビジネスや生活を支え、繋がりを深める媒体になりたいと創刊したこの雑誌。私たちが目指したのは、ただの情報誌ではありません。「心のふるさと」を感じていただける場を提供すること。日本を離れた多くの方々にとって懐かしさと安心をもたらし、次世代にも日本の素晴らしさを伝えたいという願いでした。その思いはどれだけ実現できたでしょうか。時代の流れとともに情報のあり方も変化し、私たちも新たな局面を迎えました。皆様への謝恩を形にするには、この時期を節目として、一つの役割を終えることが最善と判断いたしました。さて、当コラムを『編集後記』ではなく『スタッフ閑談』とした理由には、エッセイを書いてほしいという編集長としての希望がありました。担当者は (私も含めて) “プロの物書き” ではありません。作文が少し得意という編集者・記者が同一テーマでプライバシーを垣間 (かいま) 見せつつ、日々の出来事を綴るなら、その座標軸に「個性」が浮き彫りになるのでは? そんな思いでした。終わりは新たな始まり。次の一歩を踏み出していきます。感謝を込めて。(SS) ▽いつも『ゆうゆう』をご愛読いただき、ありがとうございます。このたび、発行人である私のセミリタイアに伴い、38年間続いた『ゆうゆう』は2024年12月16日発行号をもちまして最終号を迎えることとなりました。1987年の創刊以来、広告主の皆さま、読者の方々から賜りました温かいご支援に、心より感謝申し上げます。▽わずか一室のアパートから、小さなパソコン1台で始まった雑誌制作。ファクスの導入に胸を躍らせた日々、日本語印刷が可能なMacで初めて誌面を仕上げた感動、そしてインターネットやデジタル入稿、AIの進化がもたらした革新。技術とともに歩んだ38年間は、挑戦と喜びに満ちた歩みでした。その道のりを支えてくださった皆さまに、深く御礼申し上げます。▽これからは、2025年春に全米向けの多言語情報プラットフォーム、夏には世界向けの多言語サイトをローンチする新たな挑戦を始めます。「言葉を超えて、心をつなぐ」をモットーに、より価値ある情報をお届けできるよう努めてまいります。38年間のご愛顧、本当にありがとうございました。皆さまとのご縁に恵まれたことを、重ねて感謝いたします。(NS) ▽2024年も残すところあと少し。加齢を実感させる加速度が半端ない。気持も身体も若い頃のままのつもりでいたのが、今年は体調不良もあり、自分の健康を改めて見直す良い機会をもらえたと思っている。歳を重ねることにネガティブな感情を持っていないと思っていた自分なのに、一時、体が弱って、これから老齢期を迎える現実に不安を覚えたことは否めない。そんな時、長く充実した人生を送るために、老いることへの考え方を変える記事を読む機会があった。老化と聞いてsenile、incompetent、dependent などではなく、learned、sage、experience、storyteller などのポジティブな言葉が自然と頭に思い浮かぶようになれば、しめたものらしい。私も「ポジティブな年齢観」を身につけて、人生を謳歌 (おうか) するおばあちゃんを目指したい。▽今号をもって最終号を迎える『サンディエゴゆうゆう』。アメリカ生活を始めたばかりの頃、出版業界について何も分からなかった私を温かく迎え入れ、時に励まし、時に助けてくれたオーナーや同僚の皆には、心から感謝している。また、これまで私たちを応援し、支えてくださった読者とクライアントの皆さまにも、改めて感謝の気持ちを伝えたい。長い間、本当にありがとうございました。(RN) 昨年暮れから今年は、旧知の80代半ばの男性が次々と病に倒れる稀有 (けう) な年だった。しかも、全員が病床に臥 (ふ) すまではすこぶる健康体だったこと、さらに偶然にも同じ肺疾患。まずは元生徒の祖父。ある日突然に胸が苦しくなり、病院で検査をしたら、肺が真っ白で、医者曰く「よくこの状態で生きていましたね」。早速入院したが、すでに手遅れ。2週間後に亡くなったそうだ。次は中国人の友達の父上。定期検診で肺癌 (がん) が見つかり治療中。本人に全く自覚症状はないそうで「誰が癌?」というほど、お元気という。続いて私の姉の主人。この人は日頃から活動的で、50代にアルプス、70歳でキリマンジャロ、80歳前に日本百名山を制覇。86歳の今年も、毎週土曜日に自転車で往復3時間弱の山登りを続けている。「この人は日本人男性の長寿記録を塗り替えるのでは」と常々思っていたが、7月のある日、数日前から息がしづらいと救急車で病院に搬送されたら、既にステージ4の肺癌を宣告され闘病中。4人目は親友の父上。コロナに罹り検査をしたところ、肺が真っ白と診断されて集中治療室入り。私とイタリアを旅行中だった親友は、それを耳にした途端、急遽 (きょ) 旅行を取りやめて帰国の途に就いた。現在は回復中だという。4人の例は現代の “健康神話” をまさに覆した。今日は元気でも、明日は全く保証なし。「一日一日を大切に!」を痛感させられた一年だった。(Belle) サンディエゴに日本語情報誌があると知って当社を訪問し「何か取材させて頂き、イラスト付きの記事を書かせてください」と編集長に直談判 (じかだんぱん)。(30年も昔なのであんまり覚えてないけど、そんな感じで売り込んだ 笑)  ペンネームはラス・ムチャチャスだったかなー? 今でも、わたしのことを「ムチャチャ」と呼んでくれる方もいる。そして、ぜーんぶ手書き … Read more

回想

  1987年8月にサンディエゴで出版社を立ち上げてから足掛け38年。日本人・日系人の皆様と歩んできた歳月を振り返りながら、12月16日号で日本語情報誌の発行を終了することとなりました。創業当初、まだ小さかった日本人社会の中で、同胞のビジネスや生活を支え、繋がりを深める媒体になりたいと創刊したこの雑誌。私たちが目指したのは、ただの情報誌ではありません。「心のふるさと」を感じていただける場を提供すること。日本を離れた多くの方々にとって懐かしさと安心をもたらし、次世代にも日本の素晴らしさを伝えたいという願いでした。その思いはどれだけ実現できたでしょうか。時代の流れとともに情報のあり方も変化し、私たちも新たな局面を迎えました。皆様への謝恩を形にするには、この時期を節目として、一つの役割を終えることが最善と判断いたしました。さて、当コラムを『編集後記』ではなく『スタッフ閑談』とした理由には、エッセイを書いてほしいという編集長としての希望がありました。担当者は (私も含めて) “プロの物書き” ではありません。作文が少し得意という編集者・記者が同一テーマでプライバシーを垣間 (かいま) 見せつつ、日々の出来事を綴るなら、その座標軸に「個性」が浮き彫りになるのでは? そんな思いでした。終わりは新たな始まり。次の一歩を踏み出していきます。感謝を込めて。(SS) ▽いつも『ゆうゆう』をご愛読いただき、ありがとうございます。このたび、発行人である私のセミリタイアに伴い、38年間続いた『ゆうゆう』は2024年12月16日発行号をもちまして最終号を迎えることとなりました。1987年の創刊以来、広告主の皆さま、読者の方々から賜りました温かいご支援に、心より感謝申し上げます。▽わずか一室のアパートから、小さなパソコン1台で始まった雑誌制作。ファクスの導入に胸を躍らせた日々、日本語印刷が可能なMacで初めて誌面を仕上げた感動、そしてインターネットやデジタル入稿、AIの進化がもたらした革新。技術とともに歩んだ38年間は、挑戦と喜びに満ちた歩みでした。その道のりを支えてくださった皆さまに、深く御礼申し上げます。▽これからは、2025年春に全米向けの多言語情報プラットフォーム、夏には世界向けの多言語サイトをローンチする新たな挑戦を始めます。「言葉を超えて、心をつなぐ」をモットーに、より価値ある情報をお届けできるよう努めてまいります。38年間のご愛顧、本当にありがとうございました。皆さまとのご縁に恵まれたことを、重ねて感謝いたします。(NS) ▽2024年も残すところあと少し。加齢を実感させる加速度が半端ない。気持も身体も若い頃のままのつもりでいたのが、今年は体調不良もあり、自分の健康を改めて見直す良い機会をもらえたと思っている。歳を重ねることにネガティブな感情を持っていないと思っていた自分なのに、一時、体が弱って、これから老齢期を迎える現実に不安を覚えたことは否めない。そんな時、長く充実した人生を送るために、老いることへの考え方を変える記事を読む機会があった。老化と聞いてsenile、incompetent、dependent などではなく、learned、sage、experience、storyteller などのポジティブな言葉が自然と頭に思い浮かぶようになれば、しめたものらしい。私も「ポジティブな年齢観」を身につけて、人生を謳歌 (おうか) するおばあちゃんを目指したい。▽今号をもって最終号を迎える『サンディエゴゆうゆう』。アメリカ生活を始めたばかりの頃、出版業界について何も分からなかった私を温かく迎え入れ、時に励まし、時に助けてくれたオーナーや同僚の皆には、心から感謝している。また、これまで私たちを応援し、支えてくださった読者とクライアントの皆さまにも、改めて感謝の気持ちを伝えたい。長い間、本当にありがとうございました。(RN) 昨年暮れから今年は、旧知の80代半ばの男性が次々と病に倒れる稀有 (けう) な年だった。しかも、全員が病床に臥 (ふ) すまではすこぶる健康体だったこと、さらに偶然にも同じ肺疾患。まずは元生徒の祖父。ある日突然に胸が苦しくなり、病院で検査をしたら、肺が真っ白で、医者曰く「よくこの状態で生きていましたね」。早速入院したが、すでに手遅れ。2週間後に亡くなったそうだ。次は中国人の友達の父上。定期検診で肺癌 (がん) が見つかり治療中。本人に全く自覚症状はないそうで「誰が癌?」というほど、お元気という。続いて私の姉の主人。この人は日頃から活動的で、50代にアルプス、70歳でキリマンジャロ、80歳前に日本百名山を制覇。86歳の今年も、毎週土曜日に自転車で往復3時間弱の山登りを続けている。「この人は日本人男性の長寿記録を塗り替えるのでは」と常々思っていたが、7月のある日、数日前から息がしづらいと救急車で病院に搬送されたら、既にステージ4の肺癌を宣告され闘病中。4人目は親友の父上。コロナに罹り検査をしたところ、肺が真っ白と診断されて集中治療室入り。私とイタリアを旅行中だった親友は、それを耳にした途端、急遽 (きょ) 旅行を取りやめて帰国の途に就いた。現在は回復中だという。4人の例は現代の “健康神話” をまさに覆した。今日は元気でも、明日は全く保証なし。「一日一日を大切に!」を痛感させられた一年だった。(Belle) サンディエゴに日本語情報誌があると知って当社を訪問し「何か取材させて頂き、イラスト付きの記事を書かせてください」と編集長に直談判 (じかだんぱん)。(30年も昔なのであんまり覚えてないけど、そんな感じで売り込んだ 笑)  ペンネームはラス・ムチャチャスだったかなー? 今でも、わたしのことを「ムチャチャ」と呼んでくれる方もいる。そして、ぜーんぶ手書き … Read more

流行語

  小学校低学年の頃、日本発祥の「行軍将棋」 (別名:軍人将棋) が男児の間で流行していた。流行といっても、オリジナル版は日清・日露戦争に勝利した明治後半に考案され、改定後の昭和初期~戦時中に隆盛をみたボードゲーム。その名残りが昭和40年代前半まで続いた。60代以上の男性ならご存知と思うが、元帥 (王将) を筆頭に大将から少将までの将校駒のほか、大尉、砲兵、工兵、戦車、地雷、スパイなどの駒で対戦する盤上遊戯。敵の元帥を先取するか、総司令部を占領してしまうか、または相手を全滅させた側が勝者となる。駒の正体を伏せて裏返しに配置し、審判役を付けて3人で遊ぶというのがルール。戦後20年も経過していた時代に、そんなゲームが子供の娯楽として玩具店で売られていた事実を考えると、何とも奇異な感じがする。なぜなら「原爆」 という駒も含まれていて、極めて不謹慎な遊びだったのだ。行軍将棋には、サイコロを振ったり、手元に巡ってくるカードによって優劣が左右される “運の要素” が一切なく、駒を伏せてパワーを公開しないという意味では、突発的なスリルとサスペンスに満ちた模擬戦争ゲームと言えた。いつしか、仲間の容貌、性格、風格、印象に最も近い駒の名を選んで呼び合うように−−。なぜか元帥よりスパイと呼ばれると鼻高々だった。その当時の人気No.1流行語。(SS) ▽2024年に世界で最も話題となった言葉は「AI Revolution」らしい。人工知能の急速な進化により、さまざまな産業でAIの導入が進み、まさに革命的な変化が起きている。私自身も、仕事の質が大きく変わり、自分の職が脅かされるのではないかと感じている。また、オフィスや自宅に限定されず、自分の好きな場所で働ける「ワークフロムエニウェア(WFA)」や、地球環境への配慮を重視した「サステナブルファッション=Sustainable Fashion」も注目を集めている。確かに、デジタルノマドビザ (リモートワーク滞在許可査証=Digital Nomad Visas) を取得し、世界を旅しながら仕事をしている知人、古着やレンタルを活用している友人も増えた。▽日本では「2024ユーキャン新語・流行語大賞」のノミネート30語が発表された。個人的には、大谷くんが50本塁打/50盗塁を達成した「50-50」を推したい。でも、知らない流行語も多く、少し凹んだ。例えば、Z世代が「仲間」という意味で使う「界隈」、TikTokで流行した「飛び跳ねる猫」の「猫ミーム」、加工なしの写真共有アプリ「BeReal」、昭和世代が共感するタイムスリップドラマ「侍タイムスリッパー」、社会の生きづらさを歌った楽曲「はいよろこんで」などなど。今年はどんな言葉が大賞に輝くだろう。楽しみだ。(NS) 日本で生活していた頃も流行語には疎かった。アメリカでも流行語やスラングを使いこなすほど英語が上達していないので、やっぱり疎い。ただ、プリティーンの子どもたちは、学校やYouTubeなどでいろいろ覚えてくる。10歳の娘がよく口にするのは「Slay! (スレイ)という「カッコイイ」「素敵」を意味する言葉や、Bestie (ベスティー)という 「親友」を指す表現。Baddie (バディー)という 「魅力的な人」、そしてDelulu (デルル) という「現実離れしている」もある。最初は「?」と戸惑ったが、今ではすっかり慣れてしまった。他にも、Sigma (シグマ) : You’re so sigma! 格好いい)、 … Read more

流行語

  小学校低学年の頃、日本発祥の「行軍将棋」 (別名:軍人将棋) が男児の間で流行していた。流行といっても、オリジナル版は日清・日露戦争に勝利した明治後半に考案され、改定後の昭和初期~戦時中に隆盛をみたボードゲーム。その名残りが昭和40年代前半まで続いた。60代以上の男性ならご存知と思うが、元帥 (王将) を筆頭に大将から少将までの将校駒のほか、大尉、砲兵、工兵、戦車、地雷、スパイなどの駒で対戦する盤上遊戯。敵の元帥を先取するか、総司令部を占領してしまうか、または相手を全滅させた側が勝者となる。駒の正体を伏せて裏返しに配置し、審判役を付けて3人で遊ぶというのがルール。戦後20年も経過していた時代に、そんなゲームが子供の娯楽として玩具店で売られていた事実を考えると、何とも奇異な感じがする。なぜなら「原爆」 という駒も含まれていて、極めて不謹慎な遊びだったのだ。行軍将棋には、サイコロを振ったり、手元に巡ってくるカードによって優劣が左右される “運の要素” が一切なく、駒を伏せてパワーを公開しないという意味では、突発的なスリルとサスペンスに満ちた模擬戦争ゲームと言えた。いつしか、仲間の容貌、性格、風格、印象に最も近い駒の名を選んで呼び合うように−−。なぜか元帥よりスパイと呼ばれると鼻高々だった。その当時の人気No.1流行語。(SS) ▽2024年に世界で最も話題となった言葉は「AI Revolution」らしい。人工知能の急速な進化により、さまざまな産業でAIの導入が進み、まさに革命的な変化が起きている。私自身も、仕事の質が大きく変わり、自分の職が脅かされるのではないかと感じている。また、オフィスや自宅に限定されず、自分の好きな場所で働ける「ワークフロムエニウェア(WFA)」や、地球環境への配慮を重視した「サステナブルファッション=Sustainable Fashion」も注目を集めている。確かに、デジタルノマドビザ (リモートワーク滞在許可査証=Digital Nomad Visas) を取得し、世界を旅しながら仕事をしている知人、古着やレンタルを活用している友人も増えた。▽日本では「2024ユーキャン新語・流行語大賞」のノミネート30語が発表された。個人的には、大谷くんが50本塁打/50盗塁を達成した「50-50」を推したい。でも、知らない流行語も多く、少し凹んだ。例えば、Z世代が「仲間」という意味で使う「界隈」、TikTokで流行した「飛び跳ねる猫」の「猫ミーム」、加工なしの写真共有アプリ「BeReal」、昭和世代が共感するタイムスリップドラマ「侍タイムスリッパー」、社会の生きづらさを歌った楽曲「はいよろこんで」などなど。今年はどんな言葉が大賞に輝くだろう。楽しみだ。(NS) 日本で生活していた頃も流行語には疎かった。アメリカでも流行語やスラングを使いこなすほど英語が上達していないので、やっぱり疎い。ただ、プリティーンの子どもたちは、学校やYouTubeなどでいろいろ覚えてくる。10歳の娘がよく口にするのは「Slay! (スレイ)という「カッコイイ」「素敵」を意味する言葉や、Bestie (ベスティー)という 「親友」を指す表現。Baddie (バディー)という 「魅力的な人」、そしてDelulu (デルル) という「現実離れしている」もある。最初は「?」と戸惑ったが、今ではすっかり慣れてしまった。他にも、Sigma (シグマ) : You’re so sigma! 格好いい)、 … Read more

時間

  「締切」という重い枷 (カセ) を負わされた出版業務を38年続けた。時間に「追われる」日常が加速して、たちまち時間に「追い抜かれ」、いつしか時間を「追いかける」 ようになった。平日と休日の境界線がなくなり、本能的に時間の効率化を図る因果な日々。始終、何かにムチ打たれ、何かに駆られている焦燥感がある。▽生来、短気でせっかちなので、とびきり評判の良い料理店で食事をしようとしても、お客さんの長い列を目撃すると意欲がなくなり、近くの空いている店に飛び込んでしまう。コンビニのキャッシャーに美人の店員さんがいると、男はそのラインを目掛けて並ぶらしいが、私は美人だろうが不美人だろうが、男だろうが女だろうが、若かろうが老けていようが、地球人だろうが火星人だろうが、ガラ空きのキャッシャーに直行する。時短最優先。▽還暦を過ぎて早起きになった。1日の始まりは、明け方に前庭に出て、仁王立ちで朝刊を待つこと。配達時刻が10分以上遅れて、待ちぼうけを食わされると不愉快になるが、腕組みをしながら、朝靄 (あさもや) の薄明かりの中でひたすら待ち続ける。「弁慶か? 薄気味悪い」と妻。▽一度決めたことは変えたくない性分。その傾向に拍車が掛かり、加齢とともに「頑固ジジイ」路線をまっしぐらに突き進みそうなので、改善しなければならない。時間がかかりそうだ。(SS) ▽年を重ねるごとに1年が短く感じるのは、多くの人が経験することだ。小学生のころは一年が終わりのないほど長く感じたのに、今ではあっという間に年末が近づいていると感じる。子供のころは毎日が新しい発見や楽しい出来事でいっぱいで、そのたびに「新しい!」と感じ、脳がたくさん働くため、時間がゆっくり流れているように思えるのだそうだ。▽友人や親戚の子供たちがどんどん成長していく姿を見ると、彼らが未来に向かって「足し算」のように時間を生きているのに対し、大人は過去が増えていく「引き算」の時間を生きていると強く感じる。もし私に子どもがいれば、子育てを通して、もう一度この「足し算」の時間を体感できたかもしれない。▽猫を動物病院に連れて行ったとき、「ペットと人の年齢早見表」を見て、猫が一年で人間の二十歳に相当する成長を遂げ、その後は一年ごとに人間でいうプラス四歳ずつ加算されることを知った。人や動物によって時間の流れ方や感じ方は異なるが、みんなそれぞれの時間を感じながら、同じ場所で一緒に生きていることで、つながっているように思う。▽毎日にちょっとずつ新しいことを取り入れると、1日1日が特別に感じられ、時間がゆっくり流れているように感じられるそうだ。通る道を変えたり、新しい料理に挑戦したり、旅行に行ったり、テニスやゴルフも再開してみたいと思う。(NS) 家族で過ごす時間、友人と過ごす時間、自分ひとりで過ごす時間、どれも私にとって大切な時間だ。先日、夕食後に美味しいスナックを求めて、夫と娘と私の3人で車に乗って少し離れたマーケットへ夜の買い物に出かけた。道中、娘が学校での出来事や友達とのあれこれを話してくれるの聞いたり、日々のたわいのないことを喋り合いながら過ごす時間が心地よかった。高校3年生の娘は、最近友達と過ごす時間が多くなってきた。自分で車を運転するようになったら、家族揃ってこんなふうに一緒に行動する時間がもっと減るのだろうなと思ったら、なんだか寂しくなった。お互い虫の居所が悪くて、険悪な雰囲気になると、こういう感傷的な気持ちはどこかに吹き飛んでしまうのだけれど(笑)▽若い頃の私はよく一人で買い物に行ったり、映画を観に行ったり、ご飯を食べに行ったりしていたなと思う。友達と一緒に出かけるのももちろん楽しかったけれど、自由気ままに自分の好きなことを自分のペースでする時間が定期的に必要だったのだと思う。夫も好きなことは一人でやるものが多い。チームスポーツが苦手なのも私に似ている。一緒に過ごす時間はもちろん、ひとり時間をちゃんと楽しめるって大切だなと思う。(RN) 世の中には時間が守れない人、人種がいるようだ。約束に10分、20分遅れてきても悪びれる様子もなく、謝りもしない。かつて友達だと思っていた人も、必ず遅れる人だった。あまりに約束の時間にいい加減な態度に呆れ果て、「〇〇さん、普段から5分くらい前に着くように家を出ない?」と、やんわりと言ったところ、「出られるワケがないでしょ!」と逆切れされたことがあった。珍しい日本人だ。時間はそこにあるものではなく“作る”もの。作ろうとしなければ、ただ悪戯に過ぎていくだけ。日本人は一般的に時間を守る国民だ。列車の発着時間でも、わずか2、3分の遅延にアナウンスが流れる。こんな国は世界中探してもそうはない、と思う。一方、ラテン系の民族は特に時間にルーズな人が多い。パーティーに平気で遅れてくるのは序の口。自分のウェディングに1時間も遅刻したメキシコ人カップルもいた。かつてのイタリア大使が書いた本に、イタリアのある都市の道路沿いに4つの時計が掲げられていたが、そのどれもが示す時刻が異なっていた、と。そんな時間の差など全く気にならない国民性なのだ。しかし、こんなに時間にいい加減な国でも、公共交通機関の出発時間は「お見事!」と、声を大にして称賛したいほど定刻に出発する。お国が違えば、我々には普通のことをしただけで誉められる。日本の常識は世界の非常識 !? (Belle) 楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。例えば、先週の日本への帰省もそうだ。二週間があっという間に過ぎて、まるで三日間のように感じられた(これって年取ったってこと?笑)。実家に帰る前にあちこち観光して回り、奥州平泉を初めて訪れたときには、まるで時が平安時代に戻ったかのようだった。金色堂は今年建立900年。きゅーひゃくねん?どんだけ時間経ってんの?しかし岩手県民は口数が少ないからか(笑)もっとこの世界遺産のことをエバれば良いのに、京都にもひけをとらないこの街のことを多くのニッポン人が知らないと思う。名古屋の実家に帰って知ったことだが、父も同じ時期に中尊寺にいたらしいのだ(偶然すぎて笑ってしまった)。米国に帰ってすぐロサンゼルスで開催されたアニメOver the Garden Wallの10周年記念コンサートに行った。友人がサイン会を開いているのを見てびっくり。10年前には想像もできなかった光景だ。舞台には有名俳優も登場し、あいさつをしたが、家に帰って検索して初めて、あの小柄な人物が『ロード・オブ・ザ・リング』のフロドだったことに気づいた。時間は誰にも止められない、スターでさえもね(自分も!笑) (りさ子と彩雲と那月と満星が姪) 朝の時間は1時間があっという間に過ぎる。家族で一番早く起きるのは自分。自分の身支度をしてから子供たちのランチを作りと朝食の用意をする。時間を見ながら子供たちが起きたかどうか確認するため電話をかるが、電話に出ない時は2階に行って無理やり起こす。また1階のキッチンへ戻り朝食の支度を続ける。その後、キッチンに戻り朝食を仕上げ、子供たちが食べ終えたら学校に送り届ける。30分ほどすると、夫が起きてきて仕事の準備をして出かけるので、コーヒーを作って送り出す。30分ほどすると夫が起きてきて、仕事の準備をするので、コーヒーを入れて見送る。ここでようやくひと息。自分のためにコーヒーを入れ、適当に朝食を済ませ、ニュースをチェックする。その後は仕事と家事に取りかかり、気づけば子供の迎えの時間だ。毎日がこんな調子で、案外無駄にしている時間もあると感じる。子供の迎えから夕食の準備までの間は、体力が切れるため1時間ほど昼寝をするようになった。最近はジムにも行けず、会費がもったいないと思いつつ、どうしても行く元気がない。朝の時間もあっという間だが、1年もあっという間なのだ。年を取るのも早い!もっと時間を大切に使わねば。(S.U) (2024年11月16日号に掲載)

時間

  「締切」という重い枷 (カセ) を負わされた出版業務を38年続けた。時間に「追われる」日常が加速して、たちまち時間に「追い抜かれ」、いつしか時間を「追いかける」 ようになった。平日と休日の境界線がなくなり、本能的に時間の効率化を図る因果な日々。始終、何かにムチ打たれ、何かに駆られている焦燥感がある。▽生来、短気でせっかちなので、とびきり評判の良い料理店で食事をしようとしても、お客さんの長い列を目撃すると意欲がなくなり、近くの空いている店に飛び込んでしまう。コンビニのキャッシャーに美人の店員さんがいると、男はそのラインを目掛けて並ぶらしいが、私は美人だろうが不美人だろうが、男だろうが女だろうが、若かろうが老けていようが、地球人だろうが火星人だろうが、ガラ空きのキャッシャーに直行する。時短最優先。▽還暦を過ぎて早起きになった。1日の始まりは、明け方に前庭に出て、仁王立ちで朝刊を待つこと。配達時刻が10分以上遅れて、待ちぼうけを食わされると不愉快になるが、腕組みをしながら、朝靄 (あさもや) の薄明かりの中でひたすら待ち続ける。「弁慶か? 薄気味悪い」と妻。▽一度決めたことは変えたくない性分。その傾向に拍車が掛かり、加齢とともに「頑固ジジイ」路線をまっしぐらに突き進みそうなので、改善しなければならない。時間がかかりそうだ。(SS) ▽年を重ねるごとに1年が短く感じるのは、多くの人が経験することだ。小学生のころは一年が終わりのないほど長く感じたのに、今ではあっという間に年末が近づいていると感じる。子供のころは毎日が新しい発見や楽しい出来事でいっぱいで、そのたびに「新しい!」と感じ、脳がたくさん働くため、時間がゆっくり流れているように思えるのだそうだ。▽友人や親戚の子供たちがどんどん成長していく姿を見ると、彼らが未来に向かって「足し算」のように時間を生きているのに対し、大人は過去が増えていく「引き算」の時間を生きていると強く感じる。もし私に子どもがいれば、子育てを通して、もう一度この「足し算」の時間を体感できたかもしれない。▽猫を動物病院に連れて行ったとき、「ペットと人の年齢早見表」を見て、猫が一年で人間の二十歳に相当する成長を遂げ、その後は一年ごとに人間でいうプラス四歳ずつ加算されることを知った。人や動物によって時間の流れ方や感じ方は異なるが、みんなそれぞれの時間を感じながら、同じ場所で一緒に生きていることで、つながっているように思う。▽毎日にちょっとずつ新しいことを取り入れると、1日1日が特別に感じられ、時間がゆっくり流れているように感じられるそうだ。通る道を変えたり、新しい料理に挑戦したり、旅行に行ったり、テニスやゴルフも再開してみたいと思う。(NS) 家族で過ごす時間、友人と過ごす時間、自分ひとりで過ごす時間、どれも私にとって大切な時間だ。先日、夕食後に美味しいスナックを求めて、夫と娘と私の3人で車に乗って少し離れたマーケットへ夜の買い物に出かけた。道中、娘が学校での出来事や友達とのあれこれを話してくれるの聞いたり、日々のたわいのないことを喋り合いながら過ごす時間が心地よかった。高校3年生の娘は、最近友達と過ごす時間が多くなってきた。自分で車を運転するようになったら、家族揃ってこんなふうに一緒に行動する時間がもっと減るのだろうなと思ったら、なんだか寂しくなった。お互い虫の居所が悪くて、険悪な雰囲気になると、こういう感傷的な気持ちはどこかに吹き飛んでしまうのだけれど(笑)▽若い頃の私はよく一人で買い物に行ったり、映画を観に行ったり、ご飯を食べに行ったりしていたなと思う。友達と一緒に出かけるのももちろん楽しかったけれど、自由気ままに自分の好きなことを自分のペースでする時間が定期的に必要だったのだと思う。夫も好きなことは一人でやるものが多い。チームスポーツが苦手なのも私に似ている。一緒に過ごす時間はもちろん、ひとり時間をちゃんと楽しめるって大切だなと思う。(RN) 世の中には時間が守れない人、人種がいるようだ。約束に10分、20分遅れてきても悪びれる様子もなく、謝りもしない。かつて友達だと思っていた人も、必ず遅れる人だった。あまりに約束の時間にいい加減な態度に呆れ果て、「〇〇さん、普段から5分くらい前に着くように家を出ない?」と、やんわりと言ったところ、「出られるワケがないでしょ!」と逆切れされたことがあった。珍しい日本人だ。時間はそこにあるものではなく“作る”もの。作ろうとしなければ、ただ悪戯に過ぎていくだけ。日本人は一般的に時間を守る国民だ。列車の発着時間でも、わずか2、3分の遅延にアナウンスが流れる。こんな国は世界中探してもそうはない、と思う。一方、ラテン系の民族は特に時間にルーズな人が多い。パーティーに平気で遅れてくるのは序の口。自分のウェディングに1時間も遅刻したメキシコ人カップルもいた。かつてのイタリア大使が書いた本に、イタリアのある都市の道路沿いに4つの時計が掲げられていたが、そのどれもが示す時刻が異なっていた、と。そんな時間の差など全く気にならない国民性なのだ。しかし、こんなに時間にいい加減な国でも、公共交通機関の出発時間は「お見事!」と、声を大にして称賛したいほど定刻に出発する。お国が違えば、我々には普通のことをしただけで誉められる。日本の常識は世界の非常識 !? (Belle) 楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。例えば、先週の日本への帰省もそうだ。二週間があっという間に過ぎて、まるで三日間のように感じられた(これって年取ったってこと?笑)。実家に帰る前にあちこち観光して回り、奥州平泉を初めて訪れたときには、まるで時が平安時代に戻ったかのようだった。金色堂は今年建立900年。きゅーひゃくねん?どんだけ時間経ってんの?しかし岩手県民は口数が少ないからか(笑)もっとこの世界遺産のことをエバれば良いのに、京都にもひけをとらないこの街のことを多くのニッポン人が知らないと思う。名古屋の実家に帰って知ったことだが、父も同じ時期に中尊寺にいたらしいのだ(偶然すぎて笑ってしまった)。米国に帰ってすぐロサンゼルスで開催されたアニメOver the Garden Wallの10周年記念コンサートに行った。友人がサイン会を開いているのを見てびっくり。10年前には想像もできなかった光景だ。舞台には有名俳優も登場し、あいさつをしたが、家に帰って検索して初めて、あの小柄な人物が『ロード・オブ・ザ・リング』のフロドだったことに気づいた。時間は誰にも止められない、スターでさえもね(自分も!笑) (りさ子と彩雲と那月と満星が姪) 朝の時間は1時間があっという間に過ぎる。家族で一番早く起きるのは自分。自分の身支度をしてから子供たちのランチを作りと朝食の用意をする。時間を見ながら子供たちが起きたかどうか確認するため電話をかるが、電話に出ない時は2階に行って無理やり起こす。また1階のキッチンへ戻り朝食の支度を続ける。その後、キッチンに戻り朝食を仕上げ、子供たちが食べ終えたら学校に送り届ける。30分ほどすると、夫が起きてきて仕事の準備をして出かけるので、コーヒーを作って送り出す。30分ほどすると夫が起きてきて、仕事の準備をするので、コーヒーを入れて見送る。ここでようやくひと息。自分のためにコーヒーを入れ、適当に朝食を済ませ、ニュースをチェックする。その後は仕事と家事に取りかかり、気づけば子供の迎えの時間だ。毎日がこんな調子で、案外無駄にしている時間もあると感じる。子供の迎えから夕食の準備までの間は、体力が切れるため1時間ほど昼寝をするようになった。最近はジムにも行けず、会費がもったいないと思いつつ、どうしても行く元気がない。朝の時間もあっという間だが、1年もあっという間なのだ。年を取るのも早い!もっと時間を大切に使わねば。(S.U) (2024年11月16日号に掲載)

リラックス

  事件は妻が帰省中の深夜に起きた。1か月前にトイレのドアノブ (握り玉タイプ) が腐蝕して抜け落ち、ネジも紛失。穴が開いたまま放置して、ドアストッパーで密閉を防いでいたが、うっかり内側から閉めてしまった! 出られない! 雪隠詰めとはこれ如何に。内部に手を入れてラッチ (突起部分) を引こうとするが狭くて届かない。道具も使えない。妻がいたら、ドアの両側から通したリボンテープでラッチを押し込められた? ドア全体を取り外すドライバーもない。ドアの隙間に厚紙を入れてラッチにチャレンジしたが、斜面にストッパー枠があり、これも失敗。飼い猫が「ご飯くれ~」 と鳴きながらドアにカリカリと爪を立てる。私はパニック状態の自分をリラックスさせようと、床にバスタオルを敷いて横になった。頭に浮かんだのは、南米の鉱山で地下700メートルに閉じ込められ、2か月後に救出された作業員たちのこと。深刻さは比べものにならない。朝になれば誰かが家の前を通るし、窓から絶叫して911に連絡してもらえばいい。でも、地元ニュースの笑いネタになりそうだ。目に留まった頭の横のビニール袋。壊れたドアノブが中に! 無理にハメ込んで力任せに回したら、開いた!! 約1時間の格闘。帰宅した妻は「大変だったね~」 と目に一杯涙を溜めていた。必死に笑いをこらえている涙だった。(SS) ▽多忙な現代人には「ボーっとする時間」が必要だと言われている。まるで車のエンジンがアイドリング状態になるように、脳をリラックスさせれば再び活力を取り戻せるという。しかし、私はその「ボーっとする」ことが苦手だ。何かしていないと落ち着かない。夫が簡単にその状態に入るのを見るたびに、羨ましく感じることがある。▽今年から友人に勧められてFitbitのスマートウォッチを使い始めた。この時計は、睡眠の質をトラッキングし「目覚め」「レム睡眠」「浅い眠り」「深い眠り」の段階を詳しく表示してくれる。例えば「レム睡眠」は脳がまだ活発に動いている状態、「浅い眠り」は体が軽く休んでいる段階、そして「深い眠り」は体がしっかりリラックスできる段階とのこと。自分のリラックス状態を見える化してくれるこの時計に驚かされている。▽3か月ほど前から早朝の散歩を日課にしている。太陽が昇る前にスマホを持たずに出かけ、朝の澄んだ空気の中を1時間ほど歩く。歩くたびに自然と心が落ち着き、日々のストレスが軽くなるのを感じる。脳科学によると、ボーっとするためには大通りや海、森などの自然風景を見ることが効果的だそうだ。自宅で行う場合は、動画サイトで自然の風景を眺めることも勧められている。実際、私も自然の中で過ごす時間が増え、少しずつ「ボーっとする」感覚を獲得しつつある。(NS) ▷リラックスといっても、毎日忙しくて、なかなかノンビリと時間を取って寛げない。それでも、日々の生活にリラックスタイムが存在していたことに気付いた。挽きたてのコーヒー豆の香りを嗅いだとき、淹れたてコーヒーの一口目を飲んだとき、山積みの仕事を片付け終えたとき、お菓子を焼いてその甘い香りを嗅いだとき、香ばしいパンが焼き上がったとき、シーニックドライブを車で走り、とても美しい景観が見られたとき、掃除を終えて自宅がきれいになったとき、朝起きて、今日は仕事と子供たちの学校が休みの日と気付いたとき、子供たちと一緒に映画を観たり、絵を描いたり、ゲームやクラフトをして過ごしているとき、猫が膝の上でゴロゴロと喉を鳴らしているとき。▷昔、お世話になったホストマザーはBig Bear Lakeに別荘を持っている。去年から数回、このリゾートへの小旅行に招待され、泊まらせて頂いている。夏は青空の下で、緑に囲まれながらハイキングと湖でのアクティビティ、冬は雪景色を愉しみながら雪遊びと、素晴らしい体験をさせてもらった。今は秋たけなわ。また小旅行に誘って頂いた。秋山の風景も素敵だろうな。自然の中で、とてもリラックスできそう〜。 (YA) 私が無二のお酒好きというのは、前号でも書いたのでご存知の方も多いはず。かく言う私も、お酒を飲み始めたのは23、24歳の頃。大学時代のコンパはおろか、初めて訪れたヨーロッパで、名物ワインや名物ビールを一切口にせず帰国した、という真面目な?学生生活を送っていた。ところが、就職した雑誌社のほぼ全員が呑み助で、勧められるがままについつい手を出したら、これがイケる! 以来、飲み遅れた分、飲み急げと、せっせ、せっせとお酒に親しんでいった。もう、夕食時のアルコールは欠かせない。水やお茶で夕食が終わらせられるか!ってなもの。とりわけ、この国に来てからは、会社勤めをしない人生を過ごしているので、時間に余裕があるときは「自宅ハッピーアワー」が日課となっている。毎日飲むからには深酒はしない。翌日のために少し余裕を残しながら、楽しみながら飲む。このハッピーアワーを嗜むことで、「あぁ〜、これで今日もつつがなく終わった」という一日の区切りがつく。ここからの時間こそが、私の毎日の大事なリラックスタイム。最初の一口を口に含んで、それが食道を通り抜けるあたりから、フワ~っといい気分になる。シアワセな心持ちに浸れるのである。何でこれをヤメられようか! お酒を口にしない人は、どうやって一日の区切りをつけているのか不思議だ。お菓子? お煎餅? 誰か教えてぇ~。 (Belle) ニッポンなう。羽田行きのフライトで、いつもは窓際か通路席を指定するんだけど、真ん中席のさらにド真ん中だった 笑。トイレに行きにくいのよ〜。隣の人に気を使ってリラックスでけん、と思っていたけど、どこでも寝られる特技を持つわたしは、余裕で寝て、トイレも行って、真ん中席もまんざらじゃなかった 笑。ニッポンで一番緊張するのが電車利用。初めてPASMO (ICカード乗車券) を使おうとしたけど、クレカと紐づけができなくて、結局、券売機で毎回切符を購入 笑。いちいち、よーーく路線図を見つめて、行先を決めて、金額を確認し、現金入れて切符を買うので、ピッてする人に比べるとモタモタして時間が5倍 … Read more

料理

  幼少期を過ごした旧家は家父長制的な封建色が強く、戦前の竃 (かまど) が残された厨房では祖母が “総料理長” の風格で指揮を執っていた。祖父は旬の食材を好み、 一人だけ豪勢なメニューで1日5度の食事を楽しむ日々 (信じられない!)。祖母はまさに「生きた歳時記」で四季折々の旬味に通じ、台所に並ぶ食材の最高の味わい方と日本の習慣の本義を説明してくれた。旧家では月見を2度していた。準備するのは祖母。“芋 (いも) 名月” と呼ばれる9月中旬の「十五夜」(中秋の名月) はススキと月見だんごは勿論、12個のサトイモを供えて芋料理も食卓に並んだ。2度目は “豆名月” と称される10月中旬の「十三夜」。この日は豆料理のオンパレード。印象深いのは枝豆の色。祖母は水に浸した枝豆を茶色になるまで煮込んで青臭さを完全に抜いた。緑色で歯触 (ざわ) りの良い枝豆ではなく、しんなりと柔らかく変色した大豆という風情。自然食材の本質を堪能するため、旬の野菜を供えて、五穀豊穰 (ごこくほうじょう) を神様に感謝する儀式が月見だと教えてくれた。祖母が亡くなると月見行事は途絶えてしまい、季節を問わず野菜や果物が手に入る促成栽培の時代になった。旬が原点の料理文化を蘇らせるには露地栽培への回帰が必要だ。帰国する度にそう思う。今年の「十三夜」は10月14日。満月直前の美しい月 (月齢12) を眺めていると、あの頃を思い出す。(SS) ▽実家が商売をしていたので、忙しく働く母親に代わって、子どもの頃から祖母と一緒に家族の食事を作っていた。昭和30年代、我が家の食卓には毎日、昔ながらの茶色いおかずがいくつも並んでいた。▽小学2年生の夏休み、父方のモダンな叔母さんからサンドイッチの作り方を習った。家で振る舞ったら「これは美味い!」と家族みんなが喜んでくれた。グラタン、ハンバーグ、洒落た洋風料理が私の十八番となった。▽料理は人に作ってもらうほうが美味しい。ワシントン州に留学した3年間は食事付きの寮生活を送った。「こんなのマズくて食えない」と文句タラタラの日本人留学生を尻目に、お代わりの列に並んでラクチン料理をパクパク食べた。▽60代に入り、生活習慣病の兆しを感じたころ「体は食べ物でできているんだ」と改めて思った。でも、忙しいと料理に時間をかけるのが難しい。そんな時、知人がYouTubeの『買ったらすぐやる、野菜の下ごしらえ 30分だけ頑張ってみる』という動画を教えてくれた。火を使う時間や盛り付けよりも、野菜を洗ったり、皮を剥いたり、切ったりする下ごしらえが大変だったと気づいた。その「時短下ごしらえテクニック」のおかげで、毎日の料理がとても楽になった。野菜たっぷりのヘルシー料理で、疲れたココロとカラダを癒して「百二十歳バンザイ!」を目指したいと思っている。(NS) 料理には、人々を惹きつける独特の魅力がある。最近、私は中国のガーリックチリオイルヌードルを作って食べることに夢中になっている。麺を茹で、その上に酢、醤油、ラー油、オイスターソース、フィッシュソースといった調味料を混ぜ合わせ、ニンニクや生姜、ネギを加える。その後、熱々に温めたオイルを注いで、香りが立ち上る瞬間こそ、まさに料理の醍醐味だ。このシンプルで風味豊かな一皿は、調味料の配分やトッピングを変えることで、毎回、新たな発見をもたらしてくれる。麺料理は、特に最近、私の心を捉え続けている。ガーリックチリオイルヌードルだけでなく、様々な国の文化に根付いた多様な麺料理が存在し、その一つ一つが独自の味わいと魅力を持っている。ラーメンやパスタ、フォーなど、世界中の麺文化に触れることで、味覚だけでなく異文化への興味も深まる。麺料理には自由度が高いという魅力があり、自分好みにアレンジすることが容易だ。少しの調味料の変化で、全く異なる風味を楽しむことができるのは、料理が持つ創造的な側面でもある。このように、料理を通じて、日常にちょっとした冒険心を持ち込むことができるのが、私が麺料理にハマっている理由の一つかもしれない。(RN) 私は呑み助である。23歳になるまでお酒を避けて人生を歩んでいたのに「社会が悪い、男が悪い」。会社と当時のボーイフレンドに強要?されてお酒を嗜むようになった。「飲んだら、飲めた」もんだから、「飲み遅れた」分を取り戻すべく「飲み急いだ」ら正真正銘の?呑み助になった。今や、お酒無くして私の人生は語れない。お酒は私の最大の友達だ。その友達との関係を楽しむには、いわゆる「つまみ」 が不可欠。そう、私は食いしん坊でもある。お酒を飲むようになって、一人飲みでもちゃんと料理をして、何種類かの「おかず」とともにお酒を味わう。これぞ至福の時。作り置き野菜も加えて、食卓には小皿料理が10種近く並ぶことも。どんなに多忙でも、料理をする時間を惜しまない。というより優先順位の上位に料理がある。好きな音楽を聴きながら料理に勤しむのは最高のひととき。この国で暮らそうとしたとき、ビザ取得のために「食」関係の仕事ができたらと思った。結果、日本人のための民宿を始めたり、インド料理教室を開いたり、幼児のいる家族の夕食を週3回届けるという、ケータリングサービスを頼まれたりと、料理に関わる仕事もさせてもらった。「好きこそ物の上手なれ」とは言わないが、呑み助のおかげで自分のために料理を作るようになり、幸いにも、少しは世の中からお金がいただけた。まさに料理万歳!だ。(Belle) 不慣れな料理は複数のレシピをビデオで観ながら作るのだけど、なぜか&いつも自分流に創作してしまう 笑 (レシピを参考にする理由って?笑)。自称エセ・メヒコ人のわたしは、得意?のエスパニョ-ルを活かしまくり、メヒコ料理はメヒコ人が紹介するレシピをググる。そして、メヒコのスーパーで「豚肉のタマレを作るんだけど、どのお肉がいいかな〜?」なーんて、肉屋のおばちゃんと軽く西語で雑談しながら食材をゲット。チレ (唐辛子) コーナーでは種類がありすぎて、どんな風味なのか全く分からんから、その場に居合わせた買物客におススメを聞き出したりする。タマレを作るのはご存知の通り … Read more

音楽

  ▽クラシック音楽愛好家は育ちが良くて、上品で、高貴な心が宿っている? そうだろうか。逆かもしれない。そんな「カッコ付け屋」は別として、クラシック中毒症の性格分析をするなら、程度の差こそあれ、気性が激しく、大きく揺れ動く感情の持ち主が多い。クラシック音楽は人間が本能的に刺激を求めるニコチンのような「毒」に思える。凡人の私でも多少は “クラシックの効用” を心得ていて、疲労困憊 (こんぱい) ならモーツァルト (愁)、傷心回復にはチャイコフスキー (愴)、雑務を手早く終わらせるにはドビュッシー (淡)、深い悲嘆から逃れるにはブラームス (憂)、悩める時はラフマニノフ (悶)、弾みをつけるにはベートーベン (壮) と、精神の回復剤として常用してきた。私にとっては意気阻喪 (そそう) の時に嗜む “迎え酒” に近い。▽その昔、弊社にクラシックファンを自称する女性編集員がいた。ブラームス「交響曲第4番ホ短調」がお気に入りで、毎夜、その旋律の中に身を投じて「最高の癒しタイム」を過ごしているという。音楽の聴き方は千差万別だが、その言葉には耳を疑った。クラシック音楽に “深酒” すると心身ともに変調を来 (きた) してしまう。クラシック音楽は五線譜に吐露された作曲家の荒ぶる魂そのもの。三島由紀夫は旋律に宿る魔的な情景を透視して、世にも恐ろしい物語の構想が浮かんだという。劇薬すぎる音楽なのだ。(SS) ▽小学2年生のときにピアノ教室に通い始めた。でも、後から習い出した友だちがメキメキ腕を磨いていく中、私は次第に練習をサボるようになっていた。「サッちゃんちにはピアノがあるけど、私の家にははオルガンしかないから・・」。自分が上達しない理由を必死に探しまくり、祖母に苦しい言い訳をしていた。▽そんなことがあってからか、音楽が遠い存在に感じられるようになった。特に、中学校の音楽鑑賞の授業は苦痛以外の何物でもなかった。音楽室の壁に貼ってあったベートーベンやモーツァルトの肖像画を見つめながら、いっそう眠気に襲われていた。▽NHKの「駅ピアノ・空港ピアノ・街角ピアノ」(https://x.gd/ZwRbi) はお気に入りの番組だ。世界の空港・駅・街角に置かれた “誰でも自由に弾けるピアノ”。耳コピで覚えたJポップを弾き語りする高校教師。病気で視力を失い、ピアノを覚えて音楽学校に進学した若者。様々な人々が思い思いに音楽を紡ぎ、行き交う人が耳を傾ける。一台のピアノから生まれる “一期一会”  の世界が心に響く。▽♪どこから春が巡り来るのか 知らず知らず大人になった♪。連続テレビ小説「虎に翼」の主題歌、米津玄師の「さよーならまたいつか!」が好きだ。未来への希望と再会の約束を感じる。一旦は諦めたピアノだけれど、どこかの駅ピアノ・空港ピアノ・街角ピアノで、この曲を奏でたい気持ちが湧いてきた。(NS) 音楽はいつも2番目に好きな科目だった。1番は図工 (小学校)/美術 (中学校・高校)。4歳の頃からピアノを習っていたので、楽譜を読むのは苦でないし、縦笛やリコーダーなどの授業に必須の楽器演奏も簡単にできた。中学校では放課後の部活動とは別に、授業として全員が選択するクラブがあった。放課後の部活は美術部に所属していた。選択クラブではギタークラブを選んだ。週1回、授業の一環として45分間習うだけなので、ドレミファソラシドの位置を覚えて、単音でメロディを弾けるレベルにしかならなかった。アメリカに来てから、ある時期に1か月ほど、土曜日のアダルトスクールのギタークラスに通ってみた。家でも練習してみたが、マスターする前に挫折した。その後、結婚、出産、子育てで忙しくなり、家のギターは7〜8年間もホコリをかぶっていた。子供たちに手がかからなくなり、時間ができたので、数年前に再びギターを引っ張り出してきた。弦を張り直し、ソロギターの楽譜を入手し、TAB譜の読み方を覚え、また練習するようになった。そして簡単なソロ曲を何曲か弾けるようになった。最近はサボっているが、ぼちぼち続けていこうと思う。これからも長く趣味として愉 … Read more

好きな家事・苦手な家事

  ▽ 妻が調理師免許を持っているので「得意な料理は◯◯」などと宣言した日にゃ、マトモに突っ込まれそうな気がして、とても言えない。献立のレパートリーは足元にも及ばない。妻を見ていると、仕事、家事、人の世話を同時にこなしている。右脳と左脳を連結する脳梁が女性は男性よりも約50倍太いという(何かの記事で読んだ)。つまり、女は男より50倍もの「複数処理能力」があるらしい。マルチタスク型 (水平思考型) は女性の特質? 一方で、厄介な問題に没頭して解決する一点集中型 (垂直思考型) は男性の特徴? 鍋底にこびり付いた黒焦げをタワシで削ぎ落とす作業を任せれば、男は一心不乱にやり遂げる (笑)。男女脳の “特技” を生かして家事を分担するなら、無用の夫婦ゲンカは回避できそうだ。▽20年前の隣人はユダヤ系の老夫婦。お爺さんの担当家事は私と同じで、週1回のゴミ出しと回収後のコンテナを運び戻すこと。これこそ彼の特技だったようで、いつも近所では一番乗り。そればかりか、我が家のゴミ箱まで素早く元に戻してくれる。とにかく動きが速い。翌週に隣家のコンテナを戻してあげたら、彼の「ゴミコンテナ片付けバトル」の競争心に火をつけたのか、その後3週連続で制覇された。回収車が去るや否や電光石火の如く現れたと妻が言う。ドアの隙間からタイミングを計っていたに違いない。(SS) ▽知人は掃除をプロに任せているが、私は掃除屋さんが来る前に慌てて掃除をしてしまう性格なので、それができない。掃除が苦手な私に、日本の友人がYouTubeの「最強の掃除のやり方&神アイテム」(https://x.gd/a1s5Q)や「キッチン泡ハイター」(https://x.gd/3MEMb)などのリンクを送ってくれた。確かに、楽をして掃除をすることが継続のポイント。特に「キッチン泡ハイター」は台所や浴槽、トイレにも使える便利なクリーナーで、掃除グッズを無駄に増やしていた自分にとって、まさに目からウロコのアイテムだった。▽「少しも料理心なきは つたなき心なり」。これは戦国時代の武将、伊達政宗の言葉。料理好きだった政宗は、毎朝献立を考えていたそうで、その研究は戦時の食料にもつながったと言われている。日持ちしつつ、味も良いものを追求し、当然、美味しい方が士気も上がるというものだ。▽10年ほど前、夫が生活習慣病の兆候があるという検査結果を受けてから、ヘルシーな料理を作るようになった。自家製カスピ海ヨーグルト、「ののじピーラー」のキャベツの千切り、ベリーとナッツのジェラート、豆腐お好み焼き、おから+おおばこピザなど。“You are what you eat”。私たちの身体は口にしたものでできている。「健康がいちばん、食事がいちばん」なのだ。(NS) 好きな家事の1位は洗濯。大まかに洗濯物を分けて洗濯機に放り込み、完了するまで他のことをしながら待つ。終了を知らせるメロディーが鳴ったら、自然乾燥した方が良いものは取り除いて、残りを隣の乾燥機に放り込む。乾燥完了のチャイムが鳴ったら、良い香りに包まれながら、ほんわかと温かい洗濯物をソファーに座ってのんびりと畳む作業が一番好きだ。温かさに吸い寄せられるように猫がやってきて、洗濯物の山の上に丸くなりたがるのをやめさせるのだけが難点。気分が乗った時の食事作りも好き。家にある食材で自己流の料理を作ることもしょっちゅう。美味しくできる時もあるけれど、不思議なものが出来上がる時もあって、家族からは”You don’t have to be too creative.”と注文が入る。▽苦手な家事は、疲れている時にする家事全般。疲れているからといって放棄できないモノもあるのは分かっている。でも、私は自分の精神衛生のために、疲弊時は必要最低限のことだけ済ませて、あとは放っておくことにしている。イライラしながら作って不機嫌な顔で出された食事や、ため息をつきながら掃除されたきれいな部屋は、家族にとってもはた迷惑だろう。テイクアウトのご飯を散らかった部屋で楽しく食べて充電できるなら、家事もまた楽しく取り組める。(RN) 私は自称・他称を問わず、リッパな呑み助。飲兵衛には“おつまみ” が最大の友とばかりに、昔から独り身の割には必要に迫られて、せっせと料理に勤しんできた。それが嵩じて、我が家でのパーティ―開催もいとわず、多い時には月に2回も仲間を集めて、朝6時頃からパーティー料理の準備を始めたり、はたまた友達が勤める会社の忘年会に我が家を使ってもらったりと、自分の時間をかなり料理に費やしている。この国に乗り込んできた時も「食関係で身を立てられたら」という淡い期待を抱いていた。結果、民宿を始めたり、インド料理教室を開いたり、頼まれれば誰かの家庭に夕食を届けるケータリングに手を染めたりと、私は少なからず食関係でお金を頂戴してきた。と、ここまで書けば、当然お分かりだろうが、好きな家事と言えば料理!と言い切ることができる。一方、嫌いな家事はアイロン掛け。この「仕事」だけは溜めるだけ溜め込んで、嫌々ながらしている。そんな私だから、遂にはアイロンを必要とする衣類は着ない、という方向へ走ってしまう。最後にアイロンを使ったのはいつ?と考えなくてはいけないほどだ。そんな中、元旦那の娘がなんとジーンズにアイロン掛けをしているのを見てオッたまげたことがあった。殊更にアイロン掛けが嫌いな人にしてみれば、なんでジーンズにまでアイロン? 世の中には奇特な人もいるもんだ! (Belle) どうしても「お片づけ」ができない友達がいる。帰宅すると、歩きながら自分の持ち物を床に置き捨てていく感じ(分かる?笑)。元の場所へ戻せばいいのにって思うけど、これだから、いつも部屋は散らかし放題。旦那は料理が得意なので“ご飯係” … Read more

エクササイズ/運動

  ▽精神論に傾倒する野球少年 (昭和の男) だった私は、エクササイズの度が過ぎて地獄の入口に立っていた。部活のシゴキに体力の限界まで走り続ける「心臓破りのランニング」 があった。無理だと思いながらも、あの電柱まで走ろう、もう1本、そして、もう1本と目標を上げていく。すると、精神力が体力を凌駕して意識下の制御が効かなくなり、永遠に走り続ける危険な状態に追い込まれる。死に直結する扉を開けた恐怖に襲われ、意識的に路上に倒れて自分の命を救った (?) ことがある。▽野球をやめてから体が重くなり、大学入学時には85kgになっていた。部活勧誘で柔道部主将に目を付けられた私は「君は必ず強くなる! 柔道部を救ってくれ!」と熱っぽく口説かれる。主将の執念は凄まじかった。翌日も正門前で私を待ち構えて強引に入部させようとする。翌々日も私の後を追い、信号待ちをしていたら、突然「ビックリ〜」と姿を現わした。ジョークにもならず、この時に減量を決意した。▽徹底した食事制限と運動により、半年間で23kgのダイエットに成功! ところが、食物を拒否するメカニズムが自分の体を支配して、その後も体重が減少。気が付けば50kg前後まで落ちていた。医師からアノレクシア (拒食症) の一歩手前と診断され、危うく命を落とすところだった。「魔界」に通じる道は至る所にある。ご用心。(SS) ▽三日坊主が得意な自分としては珍しく、この1か月、散歩を続けている。午前6時頃に、日の出とともに家を出て、近隣公園の遊歩道を1時間ほど速歩きする。FitBit (ウェアラブルデバイス) で1日10,000歩を目指している。▽うがいをしてから、日焼け止めを塗り、帽子をかぶって外に出る。これが歩き出すためのコツ。帰宅後は汗だくになるので、シャワーを浴びてから歯を磨く。▽散歩を始めたきっかけはダイエット。この20年間で、旦那と自分の体重が逆転してしまった。毎日見ているので気づかなかったが、先日、旦那と一緒に写真を撮る機会があり、自分の大きさと劣化に驚いた。▽旦那は医者から生活習慣病を指摘されてから20年近く、ほぼ毎日、1時間ほど夕方に散歩をしている。その結果、とてもスリムな健康体になり、どんな服を着ても似合うようになった。▽「リバウンドしてしまったけれど、またダイエットすればいいや」と安易に考えていたところ、私は相撲部屋の新弟子検査に合格できる体重に近づいていた。▽最近では朝の散歩が楽しみになり、ぐっすり眠れるようにもなった。専門家によれば、スマホなし、イヤホンなしで1人静かに歩くとメンタルヘルスに効果があるらしい。あえて行き先を決めず、普段通らない道を歩くことも推奨されている。スタイルが良ければ、どんな服でも似合う。もっと貯筋しようと決意した今日この頃。(NS) 私のエクササイズといえば、時間があるときに行うapp-based deliveryだ。もちろん、運転中は座っているだけだが、この仕事は歩き回ることも多い。デリバリー先のアパートやコンドのユニットが見つからなかったり、近くにパーキングできなかった場合などは、結構歩くことになる。大型ショッピングモール内のレストランや店舗でフードや商品をピックアップする時は、駐車場からの距離があり、階段の上り下りもある。さらに、買い物をして届けるショッピングオーダーが数多く入るので、グロサリーストアーで商品を探し回り、購入を済ませてカスタマーに届けるのもちょっとした運動になる。500ドル分の食料品、巨大なペットフード、猫トイレ用の砂、48パックの水ボトル、箱入りソーダやビール、複数のワインボトル、ガロンウォーター、氷パック、ウォーターディスペンサー用の5ガロンの水まで、重量製品のデリバリー依頼も結構ある。アマゾンで小型のドーリーを買い、クルマに常備しているので、エレベーターのないアパートや段差の多い所に届ける場合はそれを使い、クルマとお届け先を何度も往復して搬送することになる。なかなか大変だが、稼げるし、運動にもなるし、一石二鳥だ。 (YA) 若い頃はとにかく働いて、働いての日々。エクササイズの発想は全くなかった。ましてや、世の中が運動志向の時代ではなかった。故に、私の生活に運動というものは一切組み込まれていなかった。それでも若いうちは新陳代謝が良かったのか、不健康な生活をしていても、贅肉が付きまくることなく、なんとか正視に耐える体つきをしていた。それが中年の域に達する頃から、お腹周りの脂肪がやたら気になるように・・・。「いかん、これでは!」と一念発起。時間をやりくりして「週末には近所を走ろう」と防水加工の施されたジャケットとパンツを購入。真新しい上下を着て、真冬の寒い中を1時間ほど走って、もうすぐ我が家だと思った頃、石か何かに躓いて転倒し、新品のパンツが破れた。以来、運動に興味が失せた。で、移住。主婦を決め込んでいた私は、有り余る暇の使い方に頭を悩ませるほどだった。それで見つけたのが近所のセンターでのエアロビのクラス。通ってみるとこれが面白い。健康的。ハマった。以来、徐々に運動志向になっていく。いつだったか、朝エアロビ、昼間水泳の後で、夕方テニスに出かけたら、テニスの相手から「君は110歳まで生きるつもりか」と聞かれて「ノー、ノー、220歳」と嘘ぶいた。今では中年太りを (いや、老年太り!) を避けるため、朝の運動は日々の必須アイテムだ。さあ、今日も行くぞ! (Belle) 夏休みのラジオ体操を皆がしている理由は何だろう、と思っていた小学生の頃。だって、楽すぎる運動だし、汗はかかないし、息は切れないし・・と、生意気にも日本国民に愛される体操を軽視していた。ところが、今、我が家のエクササイズといえば、、ラジオ体操! 笑。長さもリズムも丁度いいのよ! 笑。メニューにもそれなりのストレッチが入っていて、背中はボキボキ鳴るし 笑。ただ、ラジオ体操だけだと汗をかかないし、筋肉は付かないだろうし、脂肪も落ちない。とうことで、なんちゃって腹筋運動を始めた。上半身が起き上がる本格的な腹筋はとても無理なので、首をちょこっと挙げる程度で 笑、お腹の筋肉を引き締めようという試み。これキツイけど、やはり汗かかない 笑。友達のH部長も平均体重をとっくに超えてしまい、日本では 「肥満」カテゴリーになっちゃったので、焦って室内自転車マシーン漕ぎで、めちゃめちゃ汗を流しながら減量作戦中。でもなぜか、1Kg減って1Kg増えるみたいな、堂々めぐりの繰り返し。二人とも運動の仕方、合ってんの? 継続すればいつか効果が出ることを期待しているんだけど、、運動するたびに柑橘系っぽい匂いがツンと鼻について気が散る。正体はH部長の使ってる汗よけ用の自転車の布! 運動はOKだけど臭いのはたまらん! … Read more

スポーツ/オリンピック

  ▽夏季五輪に4回出場し、28個のメダル (23個は金) を手にした、伝説の競泳選手マイケル・フェルプス。金5個を獲得したリオ五輪でのインタビューで “If it comes to that, I can swim fast.” (いざとなれば、オレは速く泳げる) と言っていたのを思い出す。これだな!と思った。天賦の才という恩恵があるとはいえ、若手の台頭を許さず、12年間も王座に君臨し続けるという超人的な偉業を成し遂げた原動力は、想像を絶する練習量は勿論のこと、精神的に他者を凌ぐ隠されたパワーがあったはず。それが、あの言葉「その時には速く泳げる」 じゃないのか。フェルプス自身が言霊 (ことだま) の効用を熟知していて、口癖のように自分に言い聞かせてきたのだろう。人間の自律神経は思考で働く。思考は言語で作られるので、ポジティブな言葉を常に口にしているとMAXの実力を発揮できる。それを信じていたに違いない。▽私は冬季五輪の隠れファン。ウインタースポーツに縁がなく、オフバランスを原点とするスキー&スケートを敬遠してきた反動なのか、雪と氷を征服したアスリートへの尊敬と憧憬の念でTV中継に釘付けとなる。コンマ○○秒の記録を争うアルペン・ダウンヒルは見ていてもシビレる。夏冬を問わず五輪大会で必ず起こる感動的なシーン。期待しながらパリ五輪を観戦中。(SS) ▽子どもの頃から足が速かった。だから、小学生から高校まで陸上部員だった。足が速いとスポーツ万能と勘違いされるが、決してそんなことはない! ソフトボールなど一度もプレーしたことがないのに、高校の球技大会当日、無理やり一塁を守らされた。無茶振りもいいところ。左手でグローブを使うことができず、右の素手でボールを受け続けて、皆に爆笑された。チームは優勝したが、自分の右手は青あざができて、しばらく箸が握れなかった。▽運動が脳に与える影響を「スポーツ脳」と呼ぶらしい。運動をすると「幸せホルモン」が作られて爽快な気分になり、ストレスや不安が減るとのこと。ネットでポチれば食料が簡単に手に入る時代だが、脳は1万年前からほとんど進化していないとか。私たちが身体を活発に動かして家に戻ると、脳は食べ物や新しい住処を探していたと解釈し、報酬として多幸感を与えてくれるという。生物学的に、私たちの脳はまだサバンナにいるのだ。▽パリ五輪が始まった。2026冬季はミラノ、2028夏季はロサンゼルス、2030冬季は未定、2032夏季はオーストラリアのブリスベンで開催される。夏季オリンピックを4回迎えると、ゼロ歳児が成人式を迎え、70歳のシニアは90歳になる。次の五輪大会を観戦することが、高齢者の目標となっているように思う。(NS) スポーツは何もしていない。小学生の頃から体育の授業が苦痛だった。短距離競争は走るのが遅いし、長距離は持久力がない。鉄棒や跳び箱、マット運動も苦手、球技も全然ダメ。ペアになって行う練習では、なるべく自分と同じように球技が苦手で、スポーツに真剣でない子と組むようにしていた (私の番になると球を落としてしまうので続かない。上手な子と組むと相手にイライラされそうだし・・・)。球技大会はチームに迷惑ががかりそうで、参加するのが申し訳なかった。スポーツ観戦も、野球どころかオリンピック中継も観ない家庭で育ったので、全く興味がない。そんな親の影響もあって、子供と一緒にスポーツを楽しめない私。せいぜい一緒に歩くくらい? このままだと、私のようにスポーツとは縁のないインドア派に育つんだろうなと不安になったので、去年から空手を習わせた (インドアだけど、一応スポーツ)。予想に反して、兄妹とも筋が良さそう。空手の型をどんどん覚えて、キック、パンチ、ディフェンスも上達し、ベルトテストを受けて、着々と昇級している。空手は礼儀作法、集中力や忍耐力が身に付いて、心身ともに成長できるので、始めて良かったなと思う。黒帯を目指して、これからも頑張ってほしい。 (YA) 今年で通算3回目、100年ぶりの開催となったパリ・オリンピック。今号が発行される頃には始まっている。フランスと言えば想像する言葉は「優雅」。多くの観戦者の興味を引くであろう開会式のパレードは、オリンピック史上初! パリの街を流れるセーヌ川のオステルリッツ橋からイエナ橋までの6㎞を、選手たちが国別の船に乗って開会式を彩るというから、なんと優雅なオープニングセレモニーであろうか。それはともかく、私はスポーツとは自分が身体を動かすモノであって、テレビなどで見るモノではない、という持論がある。日本にいた頃、夏の夜はビールを片手に枝豆をつまみながらテレビで野球を見る、というのが定番の娯楽だったらしい。私はそのカテゴリーの人々には属していなかった。米国に来て驚いたのは、野球もさることながら、アメフトを始めバスケなどなど、テレビでのスポーツ観戦人口、ひいてはスポーツバーの数だった。まぁ、コンサートなども実際に劇場に足を運ばないでTVやネットなどで見たりもするから、スポーツ観戦も同じかとも思ったりもする。スポーツは頑張れば自分でもできる。その楽しみの方が大きいと思うのだが。というワケで、私の場合、開会式で繰り広げられる各国のユニークな衣装や選手たちの表情を見るのがオリンピックの最大の楽しみという、つまらない観戦者ではある。(Belle) スポーツらしいスポーツをずーーっとしてない。学校時代は部活でキャプテンを務めていたし、運動がキラいってことではない。でも、走ったり筋力つけたり、頑張って苦しむのはもうイヤ 笑。走るのはムリなので、せいぜい近所の散歩、家での腹筋10回が限度 笑。観戦するのはだーいすき。オリンピックのボランティアに参加したという知り合いはいるけど、わたしはオリンピックを生で観たこともない。今回の五輪開催地パリで生まれ育ち、そこに両親が暮らす実家がある友達は、毎年子供を連れて里帰りしている。場所はパリのド真ん中の、歴史あるふるーい小さなアパートの最上階。いつもはそこに寝泊りしてるらしいんだけど、今年は、彼女のお母さん曰く「オリンピックがパリに来るなんて、生涯でもうないかもしれない … Read more