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植木も自己主張している

  植木も自己主張している 隣りに引っ越してきたアメリカ人のおばさんは、枝の上に真四角の箱やハートの形をした大きな盆栽を作ることを生き甲斐としている。日本の植木と違って、彼女同様に植木も自己主張しているように思えてならない。 昔、留学生だったころ、両手がハサミのままこの世に残されてしまった人造人間、エドワードが美しい娘に心奪われるラブ・ファンタジー映画“Edward Scissorha nds”( ティム・バートン監督/...

ゆうゆうインタビュー 陳思坦(チェン・ス・タン)

  —— 太極拳の優雅な動きに人気が集中していますが、この武術を説明して下さい。 太極拳はある意味で精神の訓練です。あらゆるものを包括しており、そこには終りや境界線はありません。太極拳は明朝の末期から清朝の初期にかけて始まり、およそ 300 年の歴史を持っています。自然界の様態、昼と夜、光と影のような陰陽のバランスを反映し、物事にはすべて...

ゆうゆうインタビュー 八重澤勇一

  —— 若い頃は農業に希望を託されたとお聞きしましたが。 私は新潟の貧農の家で姉と妹の間に長男として生まれました。米と自給自足分の野菜や果物を作っていましたが、我が家だけでなく、その地域の全農家が貧しかった。そんな状況を見て育ち、幼いながらに感じるものがあったのでしょうね。物心がつく頃には、農業の知識を身に付けて故郷を貧困から救い出したいという志を持つようになり、玉川大学農学部へ入学するために上京したのです。 ...

ゆうゆうインタビュー ゲーリー・T・オノ

  —— ご自身が製作されたドキュメンタリービデオ『コーリング・トウキョウ』が伝えているものは。 『コーリング・トウキョウ』は、戦時中に米英両軍のブロードキャスターとして働いていた私の父、サム・マサミ・オノと他の日系米国人についてのドキュメンタリービデオです。第二次世界大戦が勃発した時、米政府は通訳やラジオ放送に必要な日英バイリンガルを求めていて、必然的に日系米国人が選ばれました。サンフランシスコで任を受けた人もいましたが、コロラド州のアマチ強制収容所から引き抜かれた人がほとんどでした。ブロードキャスターに共通して言えることの一つは、彼らの大半がアメリカに帰国した「帰米」やアメリカで生まれた「二世」であり、ある程度日本で教育を受けているので、日本語を話し、読み書きもできたのです。例えば、私の父は9歳で日本へ渡り、16歳の時に帰国していたので流暢な日本語を話していました。彼らが身に付けていた語学力と日本文化は米政府にとって大変貴重であった反面、彼らが日本軍の味方ではないかとの疑念を抱く理由にもなりました。 ——お父様の稀有な体験談を本人から直接聞いたことは。...

ゆうゆうインタビュー ティム・マーフィー

  —— マラソンに興味を抱いたのは。 私は病院に医療用品を供給する医療産業分野で働いていましたが、常に転勤を繰り返していました。セールス・マネージャーから国際セールス・マネージャー、マーケティング部門の副総裁まで昇進したのですが、次第に企業の世界に疲れ始めたのです。私は仕事の関係上、11年間に10回もの引っ越しを余儀なくされ、シカゴ、ポートランド、マイアミ、ロチェスターと全米各地で住居を構えたのです。もう転居は十分だと感じていた私は、2人の姉妹が暮らしているサンディエゴに定住することを決心しました。それは70年代後半の頃です。当時のサンディエゴでは私の姉妹も含めて誰もがジョギングをしていたことから、私も始めました。私はネブラスカでの高校時代に陸上競技を行っていたものの、長距離に挑戦したことはなかったのです。ジョギングを始めて、すぐに私は走ることに熱中してしまい、毎日4~10マイル走っていました。負けず嫌いの私は1年後には2つのマラソン大会に出場していたのです。 ——今でも当時のように走るのですか。...

ゆうゆうインタビュー アレン・P・ジャド

  ( *注: このインタビューは、サンヨー・ライトシップ (Sanyo が宣伝用に運航している飛行船) でサンディエゴ上空を飛行中に行われました) ...

ゆうゆうインタビュー 石井文子

  —— 現在の仕事について教えて下さい。 アーバイン・バレー・カレッジで日本語と日本文化を教えています。アメリカのコミュニティカレッジですから、高校生から社会人まで、学生たちの年齢層も幅広く、趣味、キャリアアップ、チャレンジとその目的も千差万別です。ですから、焦点を絞って指導することが難しいのですが、4年制大学に編入するために必要な外国語として、日本語の知識と能力を取得させることに重きを置いています。一人でコツコツと試行錯誤を繰り返しながら指導してきましたが、気が付いたらもう20年という歳月が流れて、今では1学期に300人もの生徒が集まる満員御礼のクラスに成長しました。学部長の依頼により、3年前から「日本文化」のクラスも担当するようになりました。多くの学生に日本語を学ぶ動機を与えているのは日本のアニメや日本文化への興味ですね。また、日本語を身に付ければ就職に有利という点も学生にとってメリットとなっています。 ...

ゆうゆうインタビュー トーマス・ウイルソン

  —— 「ビューイック・インビテーショナル」 はよく耳にしますが、「サンディエゴ・センチュリー・クラブ」 という言葉には馴染みがありません。どのような活躍をされているのでしょう? 基本的に非営利ボランティア団体で、市民向けに、慈善活動を目的に、そして熱心なゴルフ愛好家をメンバーに結成されています。私達は1961年に3つの目的を掲げて発足しました。サンディエゴでの...

ゆうゆうインタビュー 中村光太郎

  —— 建築の道を志した理由を聞かせて下さい。 私の母方の本家は京都・東山七条にある清水焼の窯元で、焼き上がった茶碗に青いデザインを描き込む作業を幼少の頃から見てきました。やがて、手先を使って形に仕上げる作業に興味を持つようになり、少年時代から指先が器用だった私は小遣いを手にすると必ずプラモデルを買って楽しんでいました。大学進学の際も、細かい作業を必要とする建築学を当然のように選んでいたのです。 ——渡米の契機となったのは。...

ゆうゆうインタビュー 鈴木功二

  —— ご自身が会長を務める「英語読み上げ算教育協会」について話して下さい。 私はアメリカ、イギリス、カナダ、メキシコ、ブラジル、オーストラリア、ベトナム、インド、中国、台湾、韓国を含む世界約20カ国の小学校から大学まで、30年以上に渡り算数教育やそろばん指導に当たってきました。その経験を基にして1984年に当協会を東京に設立しました。英語読み上げ算学習とは、数字を英語で読み上げ、また英語で読み上げられた数字を計算することにより、英語と計算に強くなるという学習法です。そろばん上達者は、実際にそろばんに触れなくても瞬時に計算できるようになります。これは、そろばんを頭の中にイメージできているからです。英語読み上げ算学習は、英語を発音することで左脳が働くだけでなく、イメージ計算の珠算式暗算学習により、創造性を司る右脳を働かせるという役目も果しているのです。英語読み上げ算は一見簡単そうに見えるのですが、これが結構難しいんですよ。数字とはいえ、D、F、L、R、TH、V など日本人には難しい発音も含まれています。計算する時には、数字を日本語に置き換えて考えるのではなく、聞こえてくる英語をそのまま理解する能力が要求されるのです。また、英語で読み上げられた数字を聞き逃すまいとして、常に緊張感を持って計算に臨もうとするので集中力が養われます。 ...

ゆうゆうインタビュー 金井紀年

  —— 現在のお仕事について話して下さい。 共同貿易(Mutual Trading Co., Inc.)という、日本の食品とその関連雑貨を取り扱う食品商社を経営しています。現在、社員は250名を数え、7,000点の食品と9,000点の雑貨を扱っています。日本の食品の輸出入に携わっているほか、酒、味噌、海苔、うどんなどの商品を現地で生産しています。私は1964年に就任した3代目の社長です。...

ゆうゆうインタビュー 佐々木達夫・成子

  —— 現在の活動について教えて下さい。 ギリシャ「Athens Festival」にて (1969 年 8 月...

ゆうゆうインタビュー 右近勝吉

  —— 便利屋として、どのような仕事をされているのですか。 ドブさらい、お茶の相手、旅行のお供…何でもやります。依頼があれば、世界の何処へでも行きます。以前、世界中の石を集めているという方から 「南極だけはどうしても行けないから、代わりに石を拾ってきて下さい」 との要請を受け、実際に行って来ました。最近は一緒に海外旅行をして欲しいという人達も多く、昨年は10数か国を旅行しました。3か月のうち家に居たのは2日だけでしたね。...

ゆうゆうインタビュー マーサ・W・ロングネッカー

  —— 民芸国際美術館について教えて下さい。 この民芸国際美術館はバルボアパークを永久 (とわ) の住処として1996年8月8日に誕生しました。過去数十年間に世界中で開催されたイベントや体験を基にして設立されました。私は昔から日本を何度も訪れていますが、自らの勉強の目的だけではなく、アメリカのアーティストや学生を随行させたり、逆に日本からもアメリカへ連れてくることもあります。やがて、私は文化の相互交流には団体組織が必要であると実感したのです。そして1974年、今は亡き夫の協力により、世界の文化を通じて「民衆による芸術」(民芸) をより理解するという目的の非営利組織「民芸インターナショナル」を設立しました。1977年にはアーンスト・ハーン氏が手掛ける美術館をユニバーシティ・タウン・センター内に設立するという話が持ち上がりました。そして、陶芸家の濱田庄司氏...

ゆうゆうインタビュー デヴィッド・グランザー

  —— サンディエゴで定期的に開催されているコミック=コンは、いつ始まったのですか。 1970年にスタートして34年間続いています。年に2回開催された年もあったので、7月22~25日に予定している今年のイベントで35回目を数えます。どのように運営してきたのか、私には説明できません! 34年前に US・グラント・ホテルの地下で初めて開催された時の参加者は僅かに300人で、それはコミック本やコミックアート、コミックライティングが好きな人々の同好会でした。彼らはメディアから見放されたと感じていました。世間ではコミックアートは雑誌などと同様に読み捨てるものとして見なされていたからです。このイベントのアイデアはタイムリーでした。何故なら、その価値を知らない人々が屋根裏を掃除した際に、そこに置かれていた値段の付けようのないコミック本のコレクションを顧みることなく、捨てられようとしていたからです。このような話は全てを語ることの出来ないくらい、これまでに沢山耳にしました。 ...

ゆうゆうインタビュー クリス・タシマ

  —— 演技や映画製作に興味を持つようになった経緯は。 私はパサディナとバークレーで育ったのですが、子供の頃から映画製作に興味を抱いていました。どういうわけか、私は映画産業界で働きたいという思いが強かったのです。その頃のヒット作『スター・ウォーズ』などの大仕掛けの映画に魅せられていました。ところが、自分が何をすべき人間なのかという明確な意識はありませんでした。自分が作りたいと思っていた映画が世の中の主流を行くメジャーな作品であることにも気付かず、ただ夢を描いていました。私は白人が大多数を占める地域で少年期を送っています。中学生の頃、アジア系アメリカ人の活動にも参加しましたが、そこで教えられたことを正しく認識していなかったと思います。アジア系アメリカ人が抱える問題の存在について漠然と理解していた程度でした。 Oscar...

ゆうゆうインタビュー 江本 勝

  —— 水に興味を抱くようになった理由を聞かせて下さい。 私が水に興味を抱いたのは40歳を過ぎてからです。それまでは宗教、哲学、科学には全く関心がなく、神の存在さえ信じていませんでした。私が貿易業を営んでいた頃、同僚がコロイド状の水 (超微粒子が分散した水) を紹介してくれました。それは私が長年抱えていた足の痛みの治療に効果を示し、この経験から水に興味を抱くようになり、研究を開始したのです。唐突かもしれませんが、波動水の勉強を始めたところ、私の前世からの記憶がそうさせたことを悟ったのです。...

ゆうゆうインタビュー ベン・S・セガワ

  —— サンディエゴ日系米人歴史協会 (JAHSSD) の活動目的は何ですか。 サンディエゴの日系米人に関わる歴史物を取り集めて保存していくことが私達の仕事です。戦時中の強制収容所での経験も含めて、私達の歴史をより皆さんに理解してもらえるよう、展示会の開催、学校等での講演を通して協会の普及活動に励んでいます。...

ゆうゆうインタビュー 曽 碧光

  —— アメリカでもブームとなっている漢方について教えて下さい。 漢方薬とは数千年の歴史と経験がその効能効果を証明している生薬 (しょうやく) を組み合せて作られた薬です。漢方の基本理論は...

ゆうゆうインタビュー 今井貞美

  —— ティーチングプロについて説明して下さい。 アメリカのゴルフ界には、丸山茂樹選手のようにツアーに参加して活躍するツアープロと、ゴルフ指導を専門とするティーチングプロが存在しています。華やかなイメージのツアープロに対してティーチングプロの認知度は低いのですが、タイガー・ウッズのようなトップツアープロでさえ専属ティーチングプロの指導を受けているのです。ティーチングプロは PGA (プロゴルフ協会)...

ゆうゆうインタビュー 秦 英之

    —— 初めて開催される「ジャパン・フィエスタ・イン・サンディエゴ」についてお知らせ下さい。 来たる3月26日(土) にサンディエゴ・スポーツ・アリーナで開催される日米国際交流イベントです。日本に触れ、日本を学び、日本を味わい、日本を楽しむ ̶̶̶。サンディエゴの皆さんに日本の文化や日系人の歴史を知ってもらい、日本への関心を高めるとともに、地元日系コミュニティの一体化をアピールすることを目的に開催します。イベントは2部構成となっています。第1部ではサンディエゴの日系人の歴史や日本文化の展示・紹介を行います。そして第2部では、日本代表チーム「侍ウォリアーズ」と地元サンディエゴのAFLチーム「リップタイド」によるアリーナフットボールの親善試合を予定しています。 ...

ゆうゆうインタビュー 鈴木弘子

  —— プロアメフトの選手生活について話して下さい。 現在アメリカには女子のアメフトチームが81あり、3つのリーグに分かれています。私が所属しているのはWPLFで、サンディエゴにフランチャイズを置く南カリフォルニア・スコーピオンズの一員です。今年、ロングビーチ・アフターショックから移籍してきました。女子アメフトリーグに参加して今年で6シーズン目。毎年オールスター戦に選ばれてプレーオフにも出場してきました。現在、リーグでの日本人プレイヤーは私1人です。 WPLFの試合ルールはNFLと同じ4クォーター制で1...

ゆうゆうインタビュー 桑原和雄

  —— 若い頃からアンティークに興味を持たれていたのですか。 いいえ、実は大学では化学を専攻していました。大学3年の時に日大闘争がありましてね。キャンパスにバリケードが張り巡らされ、約1年間通学不可能になりました。そんなことから大学での勉強に興味を失い、以前から好きだった美術に興味が向いたんです。ただ、大学には既に3年通っていたので「もったいない」「親の期待に応えなきゃ」 という思いもありまして、卒業はするけれども美術関係の仕事に就きたいと考えていました。大学卒業後に方向転換をして、インテリア・デザインを2年間学んで就職。レストラン、バー、ブティック等の内装を手掛けるコマーシャル・デザインの仕事を3年程続けていました。 その後、会社を辞めてデザイン学校で講師助手を務める傍ら、デザインの仕事を自分で探しながらアルバイトで生計を立てていました。講師助手は2年間続けたものの、「自分は講師に向いていない」...

ゆうゆうインタビュー 森本昌義

  —— 今回のサンディエゴ訪問の目的とは。 この度、サンディエゴ・ティファナ日本協会よりビジネスリーダーシップ賞を頂き、その授賞式に出席するためにサンディエゴに来ました。初めてサンディエゴを訪れたのは1972年、33歳の時でした。日本のソニーで人事・労務を担当していましたが、ソニー初のアメリカ進出となったサンディエゴ工場立ち上げの任務を与えられて副工場長として赴任し、15年間滞在しました。今でも娘夫婦や多数の友人がこちらにいますので、年に4、5回は遊びに来ているんです。日本で太陽を浴びることがほとんど無いので、サンディエゴに来るとこの日差しが嬉しいんですよ。 ——ソニー入社の契機について教えて下さい。...