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| —— 現在の活動について教えて下さい。
ギリシャ「Athens Festival」にて
(1969 年 8 月 5 日 )
成子 シンフォニーやオペラの他にサンディエゴ・チェンバーやレコーディング、室内楽の演奏も行っています。時間的には非常に忙しいのですが、技術を保つための毎日の練習は欠かしたことがありません。
小学校のピアノ開きでマリンバの演奏を披露(1957年)
達夫 小学校1年生の学芸会で偶然に木琴を担当したのが始まりです。担任の音楽の先生が私の音色を聞いて才能があると思ったらしいのです。我が子に才能があると知った父は材木を買ってきて、自分で木琴を作ってくれました。当時、木琴奏者は日本には2人しかおらず、毎朝ラジオから流れる彼らの演奏が国民的な人気を博していました。演奏家の名前は平岡養一氏と朝吹英一氏で、平岡氏は後に私の師となる人です。その音色を毎朝聴きながら独学を続けました。 成子 私の母は明治の女性としては非常に進歩的な人で、ミッションスクールの専攻科でイギリス人の宣教師から英語とピアノを学びました。その後、クリスチャンとなって教会でオルガンを弾いていました。母は自分が大好きだったピアノをぜひ私にも習わせたいと思ったのですが、当時は戦後間もない頃で、とてもピアノを買えるほどの経済的余裕がなく、代わりにバイオリンを買ってきてくれました。これが私にとって人生を決定する運命的な出来事になってしまったのです。 —— 音楽大学に入学するまでの経緯は。
母の後押しでバイオリンを始める(1953年)
成子 私が生まれたのは終戦を迎える1か月前。6人兄弟の末っ子でした。日本の食糧事情は最悪で、九州大学農学部出身の父は酪農を始めていました。飢えで苦しむ日本の子供たちを救おうと決心し、勤めを辞めて田舎で開墾生活に入ったのです。学究肌だった父は音楽を‘遊び’としか考えない人でしたから、最初は母の思いは通りませんでした。しかし、父も母の熱意に押され、私は許しを得ることができました。音楽の道に進む決心をして大阪の高校に入学したのですが、当時、東京の音大の受験準備のために上京してレッスンに通うというのが常識でしたし、母は私を毎月通わせる代わりに東京の女子高へ転校させたのです。そして、国立音楽大学に入学。母の強い意思̶̶それが私を音楽家にしたと言えます 。 —— サンディエゴ・シンフォニー入団までの経緯は。 成子 国立音楽大学を卒業後、東京の読売新人演奏会に出演し、当時は小澤征爾氏が主席指揮者を務めていた日本フィルハーモニー交響楽団へ入団。そして結婚して、直ちにブラジルへ渡りました。結婚もブラジル行きもサンディエゴ行きもそうですが、いつも私たちには突然に転機が訪れるのです。サンディエゴに到着したのは1973年9月で、ブラジルで出産したばかりの長男を連れてやって来ました。
東京文化会館リサイタルホールにて(1970年)
—— 自分自身を評価できるアチーブメントは。
サンディエゴ・シンフォニーでの公演(1995年)
—— 腕前を磨くために工夫していることは。 成子 バイオリンを弾く姿勢はともすると不自然になりがちなので、身体に負担を掛けてしまいます。毎日何時間も演奏する生活が続いて、肩、首、腰を痛めてしまいました。そこで、友人に勧められた気功を始めるようになり、力の抜き方をマスターしてからは調子も良くなりました。健康管理が第一ですね。 —— 至福を感じる時、苦痛を感じる時は。
サンディエゴ・シンフォニーでの公演(1975年)
成子 自然とのふれあいです。木や花や草と一体化した時に至福を感じます。苦痛ですか? 演奏家の生活は常に本番に向けて心身共に最高のコンディションを保つことが大切で、緊張感を持続しなければなりません。人並み以上の忍耐力が必要です。逆説的に言うなら、実生活上で困難な事態に遭遇しても音楽の力に癒されてきたのかもしれません。私たちは夕方になると黒っぽい衣装に身を包んで“別世界”に飛び立ち、仕事を終えると再び“現実”に戻ってきます。その二元的人生が私たち夫婦を泥臭い現実生活から救い上げてくれたと思えるのです。 —— 音楽の効用についてご教示下さい。 成子 幼児期からクラシック音楽に触れた子供は豊かな表現力と音感を身に付けて感受性が鋭くなります。それに伴って想像力も深まり、独創的な世界が広がっていきます。また、自分で楽器を弾けるようになった子供は忍耐力も養われます。言葉を覚えるのと同様に、音楽体験が早ければ早いほど習得度は目覚ましいものです。例えば、バイオリンは肉体的にも精神的にも高度で複雑な技術が要求されるのですが、子供はそれを簡単にマスターしてしまいます。仮に、レッスンを開始して4、5年で辞めたとしても、音楽を通して育まれた感受性は生涯を通じて失われることがありません。 —— 「佐々木音楽院」について教えて下さい。
長女牧さんの結婚式。左から成子さん、達夫さん、牧さん、新郎の南俊行さん、長男の潤さん、潤さんの妻ムイさん、息子ベンジャミンくん(2005年3月)
成子 私は最近まで「引退後は音楽から離れた生活を送ろう」と思っていました。今まではバイオリン一筋の人生でしたから、引退後は全く別の生き方をしようと…。でも、バイオリンは私の身体の一部になっていたのですね。近い将来に引退しようと考え始めた途端、「後輩に伝えなければ!」という使命感が私の血の中で騒ぎ始めたのです。若い世代の人達がクラシック離れしつつある時代ですから必要性を強く感じます。将来、子供たちがジャズやロックに興味を持ったとしてもクラシック教育の基礎は必ず役に立ちます。いつの日か、音楽の楽しさを分かち合えた生徒さんの中から、どのような分野でもプロとしての演奏家が誕生したら最高の喜びですね。 佐々木達夫 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ サンディエゴ・シンフォニー 首席ティンパニスト。1944年3月30日岡山県生まれ。7歳よりマリンバを始める。東京芸術大学卒業。1965年フルブライト留学生としてジュリアード 音楽院に留学、ニューヨーク・フィルのティンパニスト、ソール・グッドマン氏に師事。ニューヨーク滞在中、平岡養一氏に師事。ストコフスキー指揮のアメリ カン・シンフォニー、ズビン・メータ指揮のイスラエル交響楽団、小沢征爾指揮の日本フィルハーモニー交響楽団、ブラジル交響楽団を経て、1973年サン ディエゴ・シンフォニーに入団、現在まで首席ティンパニー奏者として在籍。オーケストラ演奏の傍ら、世界各地でリサイタルやマスタークラスを行うなど国際 的に音楽活動を続ける。 佐々木成子 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ サンディエゴ・シンフォニー バイオリニスト。1945年7月18日大阪府生まれ。7歳よりバイオリンを始める。1969年国立音楽大学を卒業後、日本フィルハーモニー交響楽団に入 団。1972年ブラジル交響楽団への入団決定と同時に結婚し、達夫氏と共にリオデジャネイロへ渡り、翌1973年夫婦でサンディエゴ・シンフォニーへ。 オーケストラ演奏のほか、室内楽や“Legally Blonde 2”など数多くの映画音楽録音に携り、教会コンサートにも出演するなど幅広く活動中。 San Diego Symphony公式サイト: www.sandiegosymphony.org (2005年10月1日号に掲載) |