HomeFeatures

Features

YuYu Interview – Shigeko Garcia

Born in Fukuoka, Japan, Shigeko Garcia came to the...

日本/アメリカ

  来ましたね「閑談』 の究極テーマ。私の知人は “嫌米家” が多い。反米感情の理由は、極悪化する銃犯罪、訴訟好きな国民性、節操なき富への執着に絞られる。銃犯罪については、約3億丁の銃が米国内に出回り、内戦国でもないのに、年間48,000人以上が銃弾の犠牲になる事実に「呆れてモノも言えない」と集中砲火を受けた。私が孤立したのはここから。自分も「銃規制派」と宣言した上で「合衆国憲法修正第2条」が保障する個人の武装権は、政府の独裁化を防ぐための崇高な理念でもある」と告げたら、一般市民の命を奪う銃には正義のかけらもないと言わんばかりに、集まった全員から「ケタ外れの理想だな」と一笑に付された。どうやら、日本人の多くは morality (道徳性) と immorality (不道徳性)...

ゆうゆうインタビュー ガルシア繁子

経歴:福岡県出身。1959年渡米。1973年1月、「サンディエゴ俳句会」を創立。1994年1月に「フォーシーズン俳句クラス」と改称して、通信制度による俳句会を結社。俳人協会評議員(1989年)、同名誉会員(2018年、アメリカではただ一人)。芭蕉祭俳句コンテスト選者(2000年~2020年)。羅府新報新年俳句選者(2008年~現在)。日米文化交流の功績でナショナルシティー市長より「市の鍵」授与(1977年=右下写真)。表千家茶道教授、「四季の会」主宰(1998年~現在)。表千家同門会より功労賞授与(2017年)。これまで4冊の句集刊行。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「フォーシーズン俳句クラス」の創立50周年を祝う! 日本文化が凝縮された俳句をアメリカでも学び、楽しみ、広めていきたいーとの熱い思いで、カリフォルニア州サンディエゴ市で「フォーシーズン俳句クラス」が結成されて50年の節目を迎えた。 主宰者のガルシア繁子さんは現在、満93歳を迎えてなお意気軒昂。俳句に対する情熱は衰えることなく、毎月、全米の会員から寄せられる俳句に目を通し、添削し、会報を発行するなど元気に活動を続けている。 俳句会を結社 同会は1973年1月16日、サンディエゴ日本語学園の一室に会員80人が集まり「サンディエゴ俳句会」として設立される。 翌1974年に日本の俳句結社「青樹社」の支部となり、「カリフォルニア青樹支部句会」に改称。そして、1994年1月に現在の「フォーシーズン俳句クラス」と再改名し、結社として独立し、現在に至る。 ワープロを導入 創設以来、ガルシアさんは毎月10ページ超の俳句誌を手書きで制作していたが、「手書きでは大変だろう」と東京の兄がワープロを送ってくれたのを機に、ワープロの通信教育を半年がかりで受講して100点満点で卒業するという頑張りも見せる。ワープロの導入で、俳句のほかエッセイや会員相互の交流記事なども加えて、ページ数は毎月100ページ前後に膨らむが、過労がもとで2回ダウンし、ついに入院の憂き目にも遭う。 会報を出版 創立40周年のころには退院後も体調がすぐれず、2か月ほど俳句クラスを中止する事態に。それでも 「私たち全員で応援していますから、俳句クラスは中止しないでください。一日も早い全快をお祈りし、俳句クラスが再開される日を待っています」と多くの会員から激励のメッセージが寄せられ一念発起。その後は...

ゆうゆうインタビュー 岡崎道弘 D.C.

  In March, 2024, Okazaki Chiropractic celebrated its 20th anniversary—a...

長い/短い

  米国に出張中の友人から電話が入り「明後日、帰国する前に、空港で少しだけ会えないか?」と打診してきた。「どこの空港だ?」 と聞くと、ジョージ・ブッシュ国際空港だという。絶句する私。「ヒューストンに来いってか?」「カリフォルニアからテキサスは近いだろ?」ヤツは東京—新大阪の距離感覚で話してないか? 「会ってどうする?」「空港のパーキングでキャッチボールしよう」・・。私は深い脱力感に襲われる。「心配するな。2人分のグローブとボールがある」。そういう問題じゃないと思いながら承諾した(行くんかい!!)。フライトを利用するのはヤメた。車なら帰路の道中に、巨大なサボテン群生が見事な「サワロ国立公園」、神秘的な異観の世界遺産「カールスバッド洞窟群」などの観光スポット巡りもできる。レンタカーを借り、自宅を早朝に出て、丸一日かけて I-8 → I-10 をひたすら東へ進み、約1,600マイルを走破した。非常識な友人 (自分もな!) と再会したのが翌日午前9時頃。駐車量の少ない空港の片隅で、しばしのキャッチボールに興じ、1時間足らずで別れた。あまりにも長い走行距離に反して、異様なほど短い滞在時間。非生産的で、突拍子...

何かがおかしい?

  ▽2001年9月のある日。夕暮れ時に夫婦でテニスを楽しんでいた私たちは、プレーを中断してしまうほど、鮮やかな茜 (あかね) 色に染まる日没の空に釘付けになっていた。その時刻は昔の日本でいう「逢魔時 (おうまがとき)」に当たる。妖気あふれる西日の中に “物の怪 (け)” が潜んでいると伝えられた酉 (とり) の刻。古人はそこに俗界と幽界の接点を感じていたという。この世のものとは思えない、畏怖の念を起こさせる西空の鮮かさは、恐ろしい血の色にも似ていた。不吉な空を呆然と眺める私たち。その心情を適切な言葉で表現するなら、まさしく「何かがおかしい」――。「9.11」の大惨事が起きたのは翌朝だった。▽父と交わした最後の会話となったのは17年前の秋。帰米する前夜、私と父は生涯で唯一と思えるほど胸襟を開いて話し込んでいた。攻撃性が強く、威圧的な父を子供の頃から敬遠していた私は、あの日に限って、生来の鋭さが消え失せ、穏やかに笑う姿を目の当たりにして「何かがおかしい」と感じていた。それから2か月後のある夜、私は何人もの人影に手招きされて、強い光の中へ導かれていく夢を見た。父急死の連絡を受けたのは数時間後だった。人間は無意識のまま異変を敏感に予知するセンサーを備えているが、その意味を知らずに、漠然とサインを受け止めているのかもしれない。...

コミュニケーション(術)

  私たち夫婦は仲が良いと言われるが、それが永遠に続くという幻想は持っていない。出会った頃は、人生の伴侶となる予感がなかった。ボールルームダンスのパートナーとして相性は◎。でも、人生観、価値観の違いから衝突は日常茶飯事。モノを運ぶ例で言うと、「風呂敷の包みを固く結ぶべき」と言う私に「風呂敷を解いて別の用具に移すべき」と妻が反論する。意見の不一致が悉 (ことごと) く顔を出し、苛立つ妻が飛びヒザ蹴りで私に襲いかかり、ドアをブチ抜いたことも。見解の相違は何か? よく考えてみると、モノを安全に運ぼうとする「目的」は一致している。ケンカの種は「過程」の不一致。「入口」は異なるも「出口」は同じ。相手のプロセスを尊重すれば、知らない “景色” が見えて、生活が2倍楽しめる? 加齢とともに、生命力を浪費する夫婦ゲンカを避けてきたが、最近、妻が本音を爆発させた。初めて聞く私への不満が堰 (せき) を切ったように迸...

不足/足りない

  ①   東京都内のコインパーキング。「超過料金400円」の表示。昔はカード払いの駐車メーターがなかった。友人が自動販売機に500円玉+30円を投入し、130円のジュースを買い、釣り銭として100円玉4枚を調達しようとしたが、3枚しか出てこない。よく見ると「釣り銭切れ」のランプが点いている。友人が運営会社に電話でクレーム。待つこと20分。平謝りの係員が不足の100円を持ってくる。メーターに100円玉4枚を追加しようとした瞬間、カチャンと音がして超過料金が加算! 500円に! 唖然! 私「コンビニで小銭を作ってくる」。友人「もう一度電話する。俺たちは被害者だ。泣き寝入りするな!」。私「600円になっちゃうぜ!」。欲しくもないガムを買い、もう1枚、100円玉を投入してケリをつけたが、釈然としない。②   初めて子犬を飼った小学生の頃、見習い大工さんに室内用ドッグハウスを作ってもらった。頭で扉を押せば中に進めるので、ペットもお気に入り。子犬は内側でリラックスしていたが、外に出てくる気配は全くない。やがて元気がなくなり、小屋の中で寂しそうに佇 (たたず)...

苦手

  幼少の頃、郵便ポスト、灯台のサーチライト、夜空に炸裂する花火に、とてつもない恐怖を感じておりました。隠さずに申しますと、赤い色とフラッシュライトが苦手だったのです。身の回りに赤色系は置かず、救急車やポリスカーのギラギラから目を背け、打上げ花火も観賞用として楽しめない (音にも拒絶反応)・・そんな子供でした。河畔で花火大会が始まると大泣きし、祖母が私を連れて近場の温泉に “避難” するという手の掛かる男児。霊能者を自称する人が言うには、私の無意識下に前世の記憶が潜んでいて、光は「刀」の照り返しで、赤を忌避するのは「血」に関連した過去生が原因だとか。家系図によると先祖は武士。戦場 (いくさば) で斬殺された? 辻斬りに遭った? 主君に切腹を命じられて不本意な死を遂げた? 霊能者は勝手な想像を膨らませるだけ。カルマ説の真偽は別としても、楽しい話ではありません。ソクラテスだったかな。人間とは冥界で自らが繰り返し選んだ命の形であり「必然のイス」に座らされてから「忘却の原」を横切り、喉が渇いて「忘れ河」の水を飲んだ後に生まれ変わるとか。過去生の記憶は完全に抹殺されていながら、何かの拍子に蘇生するらしいのです。メタフィジカルな話でゴメンなさい。還暦を過ぎた今もなお、独立記念日の花火ショーが苦手な私です。(SS) ▽ヤード、パウンド、フィート、ファーレンハイト・・、ややこしいアメリカの単位が苦手だ。いつもメートルやグラムに換算しながら、ため息をついている。世界標準のメートル法を採用していないのは、世界でたった3か国。リベリア、ミャンマー、そしてアメリカで、リベリアとミャンマーはメートル法への移行が進んでいるとのこと。アメリカでも最近は、科学や軍事の世界で、メートル法を採用。社会システムのいろいろな単位を変えるには、手間がかかるので、惰性でそのまま使っているらしい。▽人の名前や顔を覚えるのが苦手だ。相手が敵か見方かを判別できるように、人間は進化の過程で、顔を瞬時に見分ける能力を取得したらしい。旦那は、ドラマや映画に出てくる脇役の顔はもちろん、役名まで覚えてしまうのに、自分は、主人公の名前も覚えられない。脳障害のため、人の顔を覚えられない失顔症(しつがんしょう)という病気もあるそうで、俳優のブラピも、自身がこの病だと告白している。ブラピと同じかぁ!?...

忘れられない

  若い頃は中古車でアメリカ国内を旅行したが、フリーウェイよりも一般国道や州道を好んでいた。米国の風情と興趣を強く感じ、深く記憶に残る「事件」に遭遇したのもローカル道だった。米軍基地近辺で体験した忘れられないロードトリップ2題。▽30年前、カリフォルニア州道62号線上のジョシュアツリー国立公園前のホテルで、地元に伝わる幻の「Giant Rock Airport」を耳にした。パワースポットと怪奇現象の連載記事を書いていた私は興味を抱く。3日間滞在し、勘だけを頼りに砂漠の道なき道を進んでいくと『未知との遭遇』 の宇宙船発着所に似た、殺風景ながら広大な飛行場が忽然と現れた! 海兵隊航空地上戦センターが近くにあり、エアポートの正体について質問メールを送ろうとしたが、興味本位で米軍と接触するのが恐くなり、ヤメた。▽ネバダ州ファロン海軍航空基地に近い一般国道95号線を走行中、背後から迫る1機の戦闘機 (F-16 ファルコン?) がバックミラーに映る。あろうことか、低空飛行を始めたかと思うと、車の上を轟音とともに掠 (かす)...

決断

  米国生活も35年以上になると、抱腹絶倒の間抜け話、背筋も凍る恐怖体験、異文化ならではのエピソード、アメリカ特有の価値体系など、話のネタはいくらでもある。ワシントン州東部に暮らしていた1985年2月、ボールルームダンス競技に熱中していた私は、州大会への出場権を得て、パートナー (3年後に結婚) を連れてFWYを一路シアトルへ向かった。途中にはカナダ〜米国北西部に延びる難所、カスケード山脈がある。そこは氷河に侵食された急峻な山々が続く、6メートルを超える降雪量No.1の深山幽谷帯 (最高峰は4.392メートルのレーニア山)。競技会が終了した夜半前に雪模様となった。翌日の予定もあり、宿泊せずに日帰りする決断を下したが、真夜中に山脈を走行中、チェーンを準備していない事実に気づいて青ざめた。カーラジオが大雪警報とFWY閉鎖を伝えているが、もう引き返せない。空から綿帽子が重なり合って落ちてくるような、見たこともないドカ雪が降ってくる。視界ゼロ。窓から半身を乗り出し、運転を続けた必死のサバイバル。勢い余って「ROAD CLOSED」の路上サインを突き破り (交通管理局の方々、すみません)、死の淵から帰還した。中古車が故障したら凍死は免れなかったが、奇跡的に持ちこたえた。時として、常軌を逸した無分別な決断は蛮行となる。忘るまじ。(SS) ▽「スティーブ・ジョブズは、決断するエネルギーを無駄遣いしないために、いつも同じ服を着ていたんだって」。友人が教えてくれた。人間は最大、1日に35,000回の決断を下しているそうだ。決断を続けていると脳が疲労する。“決断疲れ” にならないように、自分にとって何が大切なのかを決め、他のことはルーティーン化すると良いらしい。極端に服が少ない自分は、無意識的に省エネモードに入っているような気がする。▽決断に悩んだら「4つのうちどの状況か」を見極めると良いらしい。因果関係も答えも分からない「カオス系」、原因が不明の「複雑系」、専門家の知恵が必要な「面倒系」、原因が明確な「単純系」がそれで、4つの状況を1ステップずつ軽くすることが必須とのこと。「カオス系」を試行錯誤によって「複雑系」にして、学びながら「面倒系」にする。アメリカの国防機関が採用して、成果を出しているらしい。▽モノの本によると、人生最高の決断ができる年齢は35歳とのことだ。130年以上のチェスの対局を調べて明らかになった。でもこれは、あくまで分析能力の場合で、新しいことにチャレンジをするなどして脳を鍛えさえすれば、言語や発想能力はパワーアップするそうだ。65歳過ぎに論文を発表したフロイト、65歳でKFCを創業したカーネル・サンダースなどを見習って、日々学び、成長していきたい。(NS) 自分は総じて優柔不断な人間だと思うのだが、事と場合によっては、決断を下すのが結構はやい。例えば服を買うとき。歳をとったせいもあるのだろうが、自分の好みもある程度決まってきて、色、形、素材 (もちろん値段も) で選別して、とっとと決めてしまう。ウィンドウショッピングは昔から苦手で、...

探す/探し物

  30年ほど昔、初めて国境を越えて、ティフアナの中心街を目指していた私は、田舎道に迷い込んでしまった。戻るべき道を探しても、見当がつかない。地面から針金が突き出ている未舗装の悪路を行く私の車は、二度のパンクに見舞われる。修理工場を探すにも周囲には古い民家が数軒あるだけ。ロードサイドサービスを要請するにも現在位置が分からない。途方に暮れていたら遠方からタクシーが近づいてきた。“地獄に仏” とばかりに乗車したが、これがメキシコ名物「相乗りTAXI」初体験の巻! 最初に母娘2人が後部座席の私の横に座る。次に、ソンブレロとチャロの衣装に身を包んだマリアッチ楽団の男たち3人が乗り込む。運転手を含めて総勢7人が1台の小型車に!! トランクに収まらないギターに挟まれて身動きが取れない。やがて、男たちが大ゲンカを始めたからたまらない。1人が何かを探し始める。ギターケースにマシンガンが隠されていたメキシコ映画を思い出して、不安になる。今度は、子連れのオバさんが私にスペイン語でまくし立てる。「あんた! $1だけ払いなよ。ボラれるんじゃないよ!」と言っている様子。ギターの間から必死にうなずく私が滑稽 (こっけい) なのか、女の子が大笑いしている。中心街へ戻り、乗り捨てた車の所在地も探り当て、ようやく “魔界” から解放された。...

困る/困った

  国境の街サンディエゴの土地柄なのか、私はよく中南米人に間違われる。社会保障局 (SSA) などの政府機関でもスペイン語の書式を渡されることがあり、英語版に替えてもらう。自分ではラテン系の顔つきとは思えないのに、メキシコ国境を越えてティフアナの街へ行こうものなら、同胞扱いされて「変なこと」に巻き込まれる。▽青年がヒスパニック系の名前を叫びながら、私に近づいてきた。人違いなのに、私の肩を抱えて上空を指差す。困惑しつつ、澄み切った青空に目を凝らすと、謎の飛行物体が! 子供の頃に写真で見た「アダムスキー型UFO」に似ている。複数の窓もある! 不思議な感動に包まれて、誰だか知らないけれど、互いに肩を組んで見上げていた。第三者が二人を見たら完全なアミーゴ状態。▽中心街のレボルシオン通りを歩いていると、どこかのお婆さんから「ティノ!」と呼び止められた。出稼ぎ帰りの息子と勘違いしているのか、いきなり私の手を握り、目に涙を浮かべて堰 (せき) を切ったようにスペイン語で延々と話し続ける。「お母さん、僕はティノじゃないんだ。ハポネス」と何度も繰り返したが、分かってもらえるまで想定外の時間を要し、本当に困った。  ▽アメリカへ戻るために税関へ。スペイン語の検問を遮 (さえぎ)...

変化

  人生で意識の大変化が起きた瞬間が三度ある。20代前半は細かく日記を付けていた。日記とは第三者が読む可能性を想定した行為であることに気付いて、怖くなった。私は日記帳を買い替え、赤裸々な感情表現をすべて削除し、事実だけを書き残すという大作業に取りかかり、あまつさえ日記自体もやめてしまった。処世術としての欺瞞 (ぎまん) という悪知恵が生まれた瞬間だった。40歳を過ぎた頃、将来を見据えるパノラマビューのアングルが大きく変化した。譬えて言えば、野球場のバックネットから外野席を超えて大空を映し出す「無限大の画像」が、突然、バックスクリーンからホームプレートを包み込む 「凝縮されたフレーム」に切り替わった。“人生の砂時計” が反転し、寿命の折り返しを覚醒させられた瞬間だった?  還暦を迎えて、老化という現実を前に死生観が大逆転した。父方の先祖で80歳まで生きた男は1人だけ。長寿家系じゃない。自分もあと十数年なら、死を念頭に置き、ひたすらQOLを追求すべきじゃないのか? もし、不治の病が発覚しても、むしろQOLの意義と価値が高まり、充実した余生になる。死は恐るるに足らず。そこまで達観を表明していながら、あえなく周章狼狽 (しゅうしょうろうばい)、世を儚 (はかな)...

奇跡!?

  ▽一時帰国する時は、老齢の母を湯治に連れていく。10年ほど前、新潟県内の老舗温泉宿に投宿した。古代ヒノキの内風呂、茶室風味あふれる床の間など、随所に豊かな日本情緒が感じられ、迷うことなくネットで予約を入れた。母も私も初めて訪れた宿。旅館の歴史を紹介する展示場があり、 陳列品の一つ、麒麟 (キリン) を模した中国の純銀製香炉 (煙を焚く仏具) の説明を読んで腰を抜かすほど驚いた。寄贈者は私の祖父! 日付は昭和28年11月。まだ母は嫁いでいないし、私も生まれていない。祖父からは何も聞かされていない。盆栽と骨董品蒐集が趣味だった祖父。宿帳を調べてくれた3代目の若女将から手紙が届き、当時、祖父母は先々代の宿主とは昵懇 (じっこん) で、定宿にしていたようだ。▽18歳頃から3年間ほど、年に一度だけ、11月30日に激しい...

時間/サマータイム

   “史上最強のマイペース男” と妻に言われる。考えてみれば、子供のころから「時間を自分の都合に合わせる」傾向があった (困った性格だ)。▽小学生時代に固く守り続けていたルールは、帰宅したら、まず宿題を終わらせてから遊びに行くこと。友達と河原で野球をする時間に間に合わず、日没近くになって、グローブとバットを抱えて駆けつける。オレンジ色の夕日が一面に広がって、そこには誰もいない・・。▽中学生時代は遅刻ギリギリの登校を繰り返す日々。学校までの距離が遠いのに、時間を気にせず、朝に放映されていた面白いテレビ番組 (チャップリンの連続短編ドラマ) を観てから自宅を出ていた。私の姿を目撃して慌てて走り出す生徒たち。彼らの後を追い、校庭のホームストレッチでラストスパートをかけ、全員をごぼう抜きにするのが日課。校舎の窓から眺めていた野次馬から歓声が上がった。▽何をするにも手際が良すぎる妻は、仕事も家事もサッサと済ませる。月末の最終週になるとカレンダーをめくり、翌月にしてしまうので、それを知らない私は日付と曜日を間違える。妻はサマータイムを2日前からセットしていた。そうとは知らぬ私も1時間進める。余分なプラス1時間を誰が知る?「なかなか寝つけない」とつぶやく私に、 妻が「じきに慣れるわよ」。(SS) ▽「だいぶ前に、日本にもあったよ夏時間」 と母が電話で教えてくれた。ワシントン州の大学に留学したばかりの頃、サマータイムを知って不思議な気持ちになった。生まれた時から1日は24時間だったので、「時間って、人間が決めた約束事なんだ」と感動すら覚えた。当時、高額だった国際電話でその驚きを母に伝えたら、冒頭の言葉が返ってきた。何でも、第二次世界大戦後の連合国軍占領期にGHQ指導下で導入されたらしい。でも、残業増加や寝不足を引き起こすなどの不評を呼び、3年ぐらいで中止になったとのこと。当時の人々やメディアは“サンマータイム” と表記していたそうです。▽1日24時間、時間は誰にも平等に与えられている。もっと上手に時間を使いたいと、ここ数年、取り入れているのが30分の昼寝。「午後3時までに15分~30分、パワーナップをとりなさい」 と主治医が薦めてくれた。横にならずにクッションを置いて、机上で伏せて寝る。昼寝前にコーヒーを飲むと、カフェインの作用で20分程度で目が覚める。身体にも脳にも良いらしく、最近では、昼寝を取り入れる企業も増えているそうだ。以前は、ランチの後に睡魔に襲われ、気合いで乗り切っていた。ちなみに、脳のゴールデンタイムを生かすためには、22時~23時までに就寝し、6時に起きて、昼に仮眠が良いらしい。(NS) ▽サンディエゴに住むようになり、自分の中で時間の感覚が変わった。春がやってきたと思う頃、時計を1時間進める。日の入りが一気に遅くなり、明るい時間が長くなって夏気分に突入。そして、楽しかった夏が終わり、寒い季節がやってくるな〜と少しブルーな気分になる頃、時計を1時間戻す。夜更けが急加速する。1年に2回、時計を強制的に変えるという習慣をなんの違和感もなく受け入れるようになったのは、いつのことだったろうか。渡米前は、時計が早くなるとか、遅くなるなんてことは考えもしなかった。自国で暮らしている限り、時間は永遠に同じだった。それに対して、アメリカは同じ国の中でも時差が存在する。州によってはサマータイムを取り入れていないところもあるのだ。なんて自由気まま!...

金持ち/金銭感覚

  余計な買物はしない。生活必需品だけでOK。私は物欲の乏しい人間。そう思っていた。物欲欠落者の心理には、① 欲しいものは全て獲得済み、② 物質よりも精神性重視、③ 自己評価が低い、 ④ 無気力で他の欲求も低い、⑤ 絶対的な価値観がある ―― のいずれか、あるいは複数の要素が働いているらしい。自分は...

スピード

  ▽幼い頃、交番勤務の若い巡査さんに絶大な信頼を寄せていた。河原の泥濘 (ぬかるみ) にハマって動けない私を発見し、自転車から飛び降り、驚くべきスピードで救出してくれたことがある。お巡りさんこそ、世界一のスーパーヒーローだった。交番へ行くとチューインガムやキャラメルがもらえた。夏にはスイカまで出してくれる。「気が優しくて、正義感にあふれるお巡りさん」「警察官は現代の救世主」という、子供心に揺るぎない固定観念を持っていた。▽ “海水浴デビュー” を果たした6歳の夏。8月下旬の太平洋は荒れていた。容赦なく強風が吹きつける海岸。父と弟は海水浴へ。 隣りにいた母と叔母の姿がなく、心細くなった私は警察の救護テントに駆け込む! 大音響の拡声器で「お子さんを保護しています!」と呼び出された父が、息を切らして私を迎えにくる。2度目は母の帰りが遅くてパニックに陥り、またもテントに猛ダッシュ! 再びマイクロフォンで呼び出される家族。両手にかき氷を持った母が、遠くから必死に追いかけてきたのも知らずに・・。3度目はビーチパラソルが飛ばされ、もはやこの世の終わりとばかりに、お巡りさんを目がけて一目散! 弟を背負った叔母と両親が必死に追いかけるも、脱兎のごとき猛スピードで駆け抜ける少年を止めることはできなかった。(SS) ▽スピードスケート女子団体追い抜き...

待ち合わせ

  20代初めの頃、新古今和歌集が愛読書という◯◯さんとの初デートを1週間後に控え、私は焦っていた。センスの良い男を印象づけたいと、入念なデートプランを練りに練って当日に備えた。映画、観劇、音楽会の中から「N響コンサート」を選んだものの、夕食場所が決まらない。日記を読むと、グルメとは縁遠い自分が背伸びしていたのが窺える。当時の人気レストランから候補を3店に絞った。シビエのグラーシュが一押しのドイツ料理G店 (渋谷)、フルコースが評判のフランス料理L店 (新宿)、フォアグラのポッコンチーニが絶品のイタリア料理K店 (六本木)。事前に各店を巡り、実際に注文して最高の料理を厳ぶという涙ぐましい努力も…。待ち合わせ当日。大過なく初デートを終えて帰宅した私は、拘束から解放された人質のように疲れ果てていた。その後、会うたびに異様な疲れ方をする自分に気づき、付き合いは自然消滅。そして10年後、私は◯◯さんとは似ても似つかぬ元気な△△と結婚する。かたや文学的な正統派美人。こなた「NHKのど自慢」で抱腹絶倒している超庶民派。笑うために生まれてきた女。待ち合わせにプレッシャーなど微塵もなく、2人で寄席やB級グルメの大衆料理を楽しんだ。エエカッコシーでは「幸せ指数」を高められない。地味でも心の底から笑える人生が良いのだ…。(SS) ▽学生のころから「待ち合わせは書店で」と決めていた。約束の時間まで情報収集ができて、遅れた相手に「本を探してたから」と伝えられた。本をきっかけに、初対面の相手とも会話をスムーズに始められた。今はスマホがあるので、暇つぶしには事欠かない。▽自分は「時間を守る」タイプだ。当然のマナーと思っていた。でも「このヒト面白い」と思える人は、皆一様に遅刻の常習犯が多い。だけど、会話がはずんで楽しい。だから、誰に対しても、時間の正確さを求めないようになった。▽時間を守ることは大切だけど、そこには特別な価値が生まれないような気がする。例えば、「遅れずにピザ届けます」よりも「焼くのに時間かかりますけど、極上のピザ届けます」のお店に注文したくなる。▽いつも会議に遅れてくるヒトが、意外なアイデアを出したりする。時間を分単位で守る「べき論」よりも、もっと「夢中」になっていることを優先させている気がする。ユニークなアイデアは、時間にルーズなおおらかさから生まれくるのかもしれない。▽マイペース人間のクレージーなアイデアを実践に移すには「時間を守ること」に命をかけているような人が不可欠だ。世の中には、時間に厳しい人もいれば緩い人もいて、両方のタイプの人間が必要だ。「待ち合わせ」に対して、自分にも他の人にも、もっともっと寛容になりたいと思う。(NS) △私の友人で、待ち合わせの時間に必ずと言っていいほど遅れてくる子がいた。15分程度は遅刻の枠には入らず、最長2時間近く待ったことがある。「あと◯分で着きます」と途中で何度か連絡が入り、到着すると、とても申し訳なさそうに何度も謝るのだが、次も同じことを繰り返すのだ。約束の時間の少なくとも数分前には待ち合わせ場所に着いていたい私は、最初の頃はイライラして「時間を守れないと、社会に出て苦労するよ」などと、生意気にもお説教を垂れたこともあった。でも、気の合う友達だったので、その子との待ち合わせは準備をして臨むようになり、心の平静を保つことができた (笑)。 △友人との待ち合わせに限らず、病院の予約など、約束の時間には余裕を持って間に合うようにしてきた私だったが、子供が生まれてから状況が一変。小さい子がいると予定通りに行かないことが多すぎた。ドクターアポにギリギリに到着したりが何度かあって、 余裕の幅をさらに広げて対応するようになった。普通なら5分で終わることは15分かかると予想して行動するなど。それでも遅刻したな〜。待ち合わせに遅れてくる人には、それぞれ止むを得ぬ事情があるんだと、暖かい目で見られるようになった。子育てを通して、自分もその辺、ちょっとだけ成長できたかな。(RN) 昨年、ある人と待ち合わせて、ありえない! 続けて4回トラブったことがあった。事の始まりは…一緒に歩こうと待ち合せた場所に現れない。時間にルーズな人ではないから、何か事情がと、連絡を取ろうとしたら、シマッタ! 携帯を忘れている!...

マイホーム

  30数年前に最初のマイホームを手に入れた。家屋の造りや外観はどうでもよく、いささかの居住空間と仕事環境を確保したかった。物質は幸せの本質を与えてくれない。漂泊俳人・種田山頭火 (たねだ・さんとうか) のように “草庵の安住感” だけでOK。新居の条件は会社まで車で1分以内の距離という一点のみ。殺風景ながら最初の物件が条件に適い、電光石火の早業 (はやわざ) で購入。見たのは1件だけ。所要時間15分。知人に話したら「よほどの大物か大馬鹿者」とのコメント。床の一部はレッドオークのハードウッドフロアだった。10年後、全体を同じ床板にしようと、フローリング専門業者に張り替えを依頼する。 事前に材料費 (かなり高額)、工事終了時に作業費を支払うことで合意。初日に様子を見に行くと、家全体がレッドオークになっていた。仕事が早すぎないか?...

冬休み

  福島生まれなのに、寒さが苦手な私は、幼少時代から冬休みが楽しくなかった。子供の頃からスキーを嗜 (たしな) む北国出身者は多いけれど、私には雪原で遊ぶレジャーなど論外だった。一度も試したことがない。米国から帰省を目指す季節は、緑樹に覆われる初夏、紅葉に染まる晩秋と決めていた。そんな私が、やむを得ず冬休みを取り、亡き父の追善供養で20年ぶりに極寒の東北を訪れた時、真冬の畏怖すべき情趣に打ちのめされた。山形県最古の温泉宿K旅館。木枯らしの低い呻 (うめ) きを耳にしながら、展望風呂から眺めた、凍てついた墨絵さながらの雪景に言葉を失う。旅籠 (はたご) は迷うほど広く、無造作に置かれた明治期の大型時計と無数の番傘、そして江戸期の古色蒼然とした雛 (ひな) 飾りは...

2022年/お正月

  アマチュア占星家SSが予見する新年の世相。2年前の木星・土星・冥王星の大会合を起点に、240年続く宝瓶宮 (ほうへいきゅう) 時代へと世界が移行した。権威より個性を尊重し、国境を越えた人道主義が広まっていく。ネットを通じて社会変革を起こす市民革命パワーを獲得したけれど、これからは膨大な情報に呑み込まれず、借り物でない人生の意味を見つけないと幸福になれない。自己価値を確立すれば、他者の価値も受容できる。それが新時代の本質。240年の巨大フレームの中で、2022年はどんな1年になるのか——。前半と中後半の象意は対照的だ。前半は「博愛」。言い換えれば共感と連帯 (双魚宮木星 SEt 金牛宮天王星)。双魚宮を進む木星は3月〜5月に海王星と会合し (双魚宮木星 COj 海王星=両惑星とも双魚宮支配星)、地球上でボランティア活動が盛んになり、優れた芸術作品が続々と登場する。中後半は「挑戦」。変化と開拓がキーワード...

2021年を振り返って

  昨年来のCovid-19パンデミックで年が開け、第5波を迎えて暮れ行く2021年。ワクチン接種が伸び悩み、脅威的な感染力を持つ「オミクロン株」の出現で収束が怪しくなった。新型コロナ情報を追って1年9か月。思うところ多々あり。▽コロナ禍を “リーマンショック以来の危機” と捉え、ビジネス回復とコロナ対策のバランスを取れ!と、お題目のように唱えた為政者。これ、拙 (まず) かったね。サブプライムローン不良債権化が元凶だったリーマンの解決目標は、経済再建のみ。コロナでは経済維持と感染収束という二律背反の命題が衝突しているのに、ひたすら規制と緩和を繰り返し、その悪循環に人々は疲弊していった。政府当局が感染統計の数字だけでなく、この矛盾を正直に表明していれば、世界各地で起きた暴動も回避できたのでは? ▽コロナ収束後も新たなウイルスが人類を襲う? スイス連邦国土研究所は、温暖化で地球上の永久凍土が溶けると、閉じ込められていた未知の細菌やウイルスが放出され、パンデミックが再来する可能性を警告している。コロナで人類はウイルスに脆いという証明をしてしまった。将来も覚悟すべき。どんな危機的状況でも、自らの人生の価値を見つけるために「活動の縮小と意識の拡張」がヒントになりそう。悲観的すぎるかな? (SS) ▽2021年の流行語大賞に大谷翔平選手の「リアル二刀流/ショータイム」が選ばれた。日本の世相でもMVPを受賞。日米どちらも満場一致の選出だった。そして、英語版流行語大賞『コリンズ英語辞典』の “Word...

クリスマス

  米国生活を始めた頃、不思議な世界に足を踏み入れた。ワシントン州の小都市で夢中になったボールルームダンス。コンペティション (競技) とナイトクラブ (社交) のコースがあり、私は競技ダンスを習い始めていた。ご高齢の裕福な貴婦人たちが集まるナイトクラブは「高級サロン」の雰囲気があった。富豪No.1は自動車業界BIG 3の一角を占めたC社の重鎮を夫に持ち、未亡人となってミシガン州から来たミセスP。街の最高級ホテルで催される Xmas Dinner Dance...