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インタビュー

ゆうゆうインタビュー レーン・ニシカワ

  —— 現在の仕事に就いた発端を話して下さい。 大学に通っていた頃、脚本の執筆、自由詩や口語体の創作に興味を抱くようになりました。それは片手間で始めたことでしたが、地道に続けていましたね。演劇と執筆活動をしながら、UPS、空港、駐車係などの数多くの仕事に従事しました。長く続いたのは電器店のセールスマンで、私は販売員と倉庫係として働いていました。当時の私は、脚本家として成功するとは想像もしていませんでした。   アジア系アメリカ人劇団を紹介されたことが機縁となり、脚本だけでなく演技にも興味が向くようになりました。彼らは早いうちから「この作品を上演したい。オーディションを開いてはどうか」と私に提案するので、どうなるかと不安ながらも、オーディションを設定してキャストを集めました。その後で「次は何をすればいいのだろう」と思案していました。この初めての体験を通して、仲間である俳優、監督、脚本家から舞台や演技について多くを学んだのです。私はあらゆることを注意深く観察し、できる限りのことを頭の中へ叩き込みました。詩歌の創作も続けていましたが、舞台での演技が影響してか、その内容は人物描写に重点を置くようになりました。例えば、第442連隊戦闘団の一員であった叔父をモチーフにした人物が第二次世界大戦時代を追体験するなど、...

ゆうゆうインタビュー 吉岡香代子

  —— ダンスの道に進む機縁となったのは。 日本で母がクラシック・バレエを嗜んでいたことから、ヨチヨチ歩きの姉と私も習い始めたんです。まだオムツを当てていた頃ですよ! 親として物心のつかない娘に意図的に何かをさせようとした。それがバレエでしたね。でも、成長とともに、自分自身が望む道だと思うようになりました。 ...

ゆうゆうインタビュー オーラー・貞子

  —— 現在の活動内容について教えて下さい。 自宅でのプライベートレッスンに加えて、バルボアパーク、ナショナルシティー、ランチョサンタフェ、そしてビスタなどの会場で池坊の生け花教室を開いています。日本人に限らず、花に魅せられたアメリカ人の方々が沢山参加しており、現在100余名の生徒さんが稽古に励んでおられます。また、生け花の精神とその芸術性に深い感銘を受けた故エレン・ゴードン・アレン夫人によって1956年に東京で設立された 「いけばなインターナショナル」 という文化団体の活動にも力を入れております。国籍も流派も多様な会員たちが 「花を通じての友好」...

ゆうゆうインタビュー 山本順子

  私は自分自身を ̶̶̶ 私の内面的な世界を描きます。自分の真実の世界を語るために作品を創りたいと思っているので、どうしても私自身に関わった作品を創る以外にないのです。 自分が見て知っている世界の本質を明らかにしたいと思う私は、借り物の考え方や理屈から可能な限り離れて絵を描こうと心掛けています。そのために、イメージの内容よりも創作していく上での具体的な部分、例えばラインの質、色、構図などにこだわるのです。そして、なるべく潜在的な意識の中からイメージを呼び起こします。それは、通常気づいている部分より深い自分の内面の風景を、もっと正確に映し出したいという欲求なのです。ですから、描いている間は、それがどんな意味を持っているのかを意識することはありません。 ...

ゆうゆうインタビュー 猪俣陽子

  —— 現在所属しているサンディエゴ・バレエ団について話して下さい。 サンディエゴ・バレエは1991年に非営利団体として創設されたプロバレエ団です。所属ダンサーは常時20名ほどおり、他のバレエ団と比べて各ダンサーの担当パートが多いのが特徴です。バレエと聞くと、日本では「難しくて高尚な芸術」というイメージが先行し、敷居が高いように思われがちですが、アメリカでは誰もが気軽に足を運べる雰囲気を持っています。私たちは、お客様に舞台の臨場感を味わって頂きたいという理由から、ホートンプラザやUCSD内劇場などの比較的小規模なシアターでパフォーマンスを披露しています。また、教育の一環として、サンディエゴ市内の各小学校を訪問し、バレエのレクチャーも行っています。 ...

ゆうゆうインタビュー 陳思坦(チェン・ス・タン)

  —— 太極拳の優雅な動きに人気が集中していますが、この武術を説明して下さい。 太極拳はある意味で精神の訓練です。あらゆるものを包括しており、そこには終りや境界線はありません。太極拳は明朝の末期から清朝の初期にかけて始まり、およそ 300 年の歴史を持っています。自然界の様態、昼と夜、光と影のような陰陽のバランスを反映し、物事にはすべて...

ゆうゆうインタビュー 八重澤勇一

  —— 若い頃は農業に希望を託されたとお聞きしましたが。 私は新潟の貧農の家で姉と妹の間に長男として生まれました。米と自給自足分の野菜や果物を作っていましたが、我が家だけでなく、その地域の全農家が貧しかった。そんな状況を見て育ち、幼いながらに感じるものがあったのでしょうね。物心がつく頃には、農業の知識を身に付けて故郷を貧困から救い出したいという志を持つようになり、玉川大学農学部へ入学するために上京したのです。 ...

ゆうゆうインタビュー ゲーリー・T・オノ

  —— ご自身が製作されたドキュメンタリービデオ『コーリング・トウキョウ』が伝えているものは。 『コーリング・トウキョウ』は、戦時中に米英両軍のブロードキャスターとして働いていた私の父、サム・マサミ・オノと他の日系米国人についてのドキュメンタリービデオです。第二次世界大戦が勃発した時、米政府は通訳やラジオ放送に必要な日英バイリンガルを求めていて、必然的に日系米国人が選ばれました。サンフランシスコで任を受けた人もいましたが、コロラド州のアマチ強制収容所から引き抜かれた人がほとんどでした。ブロードキャスターに共通して言えることの一つは、彼らの大半がアメリカに帰国した「帰米」やアメリカで生まれた「二世」であり、ある程度日本で教育を受けているので、日本語を話し、読み書きもできたのです。例えば、私の父は9歳で日本へ渡り、16歳の時に帰国していたので流暢な日本語を話していました。彼らが身に付けていた語学力と日本文化は米政府にとって大変貴重であった反面、彼らが日本軍の味方ではないかとの疑念を抱く理由にもなりました。 ——お父様の稀有な体験談を本人から直接聞いたことは。...

ゆうゆうインタビュー ティム・マーフィー

  —— マラソンに興味を抱いたのは。 私は病院に医療用品を供給する医療産業分野で働いていましたが、常に転勤を繰り返していました。セールス・マネージャーから国際セールス・マネージャー、マーケティング部門の副総裁まで昇進したのですが、次第に企業の世界に疲れ始めたのです。私は仕事の関係上、11年間に10回もの引っ越しを余儀なくされ、シカゴ、ポートランド、マイアミ、ロチェスターと全米各地で住居を構えたのです。もう転居は十分だと感じていた私は、2人の姉妹が暮らしているサンディエゴに定住することを決心しました。それは70年代後半の頃です。当時のサンディエゴでは私の姉妹も含めて誰もがジョギングをしていたことから、私も始めました。私はネブラスカでの高校時代に陸上競技を行っていたものの、長距離に挑戦したことはなかったのです。ジョギングを始めて、すぐに私は走ることに熱中してしまい、毎日4~10マイル走っていました。負けず嫌いの私は1年後には2つのマラソン大会に出場していたのです。 ——今でも当時のように走るのですか。...

ゆうゆうインタビュー アレン・P・ジャド

  ( *注: このインタビューは、サンヨー・ライトシップ (Sanyo が宣伝用に運航している飛行船) でサンディエゴ上空を飛行中に行われました) ...

ゆうゆうインタビュー 石井文子

  —— 現在の仕事について教えて下さい。 アーバイン・バレー・カレッジで日本語と日本文化を教えています。アメリカのコミュニティカレッジですから、高校生から社会人まで、学生たちの年齢層も幅広く、趣味、キャリアアップ、チャレンジとその目的も千差万別です。ですから、焦点を絞って指導することが難しいのですが、4年制大学に編入するために必要な外国語として、日本語の知識と能力を取得させることに重きを置いています。一人でコツコツと試行錯誤を繰り返しながら指導してきましたが、気が付いたらもう20年という歳月が流れて、今では1学期に300人もの生徒が集まる満員御礼のクラスに成長しました。学部長の依頼により、3年前から「日本文化」のクラスも担当するようになりました。多くの学生に日本語を学ぶ動機を与えているのは日本のアニメや日本文化への興味ですね。また、日本語を身に付ければ就職に有利という点も学生にとってメリットとなっています。 ...

ゆうゆうインタビュー トーマス・ウイルソン

  —— 「ビューイック・インビテーショナル」 はよく耳にしますが、「サンディエゴ・センチュリー・クラブ」 という言葉には馴染みがありません。どのような活躍をされているのでしょう? 基本的に非営利ボランティア団体で、市民向けに、慈善活動を目的に、そして熱心なゴルフ愛好家をメンバーに結成されています。私達は1961年に3つの目的を掲げて発足しました。サンディエゴでの...

ゆうゆうインタビュー 中村光太郎

  —— 建築の道を志した理由を聞かせて下さい。 私の母方の本家は京都・東山七条にある清水焼の窯元で、焼き上がった茶碗に青いデザインを描き込む作業を幼少の頃から見てきました。やがて、手先を使って形に仕上げる作業に興味を持つようになり、少年時代から指先が器用だった私は小遣いを手にすると必ずプラモデルを買って楽しんでいました。大学進学の際も、細かい作業を必要とする建築学を当然のように選んでいたのです。 ——渡米の契機となったのは。...

ゆうゆうインタビュー 鈴木功二

  —— ご自身が会長を務める「英語読み上げ算教育協会」について話して下さい。 私はアメリカ、イギリス、カナダ、メキシコ、ブラジル、オーストラリア、ベトナム、インド、中国、台湾、韓国を含む世界約20カ国の小学校から大学まで、30年以上に渡り算数教育やそろばん指導に当たってきました。その経験を基にして1984年に当協会を東京に設立しました。英語読み上げ算学習とは、数字を英語で読み上げ、また英語で読み上げられた数字を計算することにより、英語と計算に強くなるという学習法です。そろばん上達者は、実際にそろばんに触れなくても瞬時に計算できるようになります。これは、そろばんを頭の中にイメージできているからです。英語読み上げ算学習は、英語を発音することで左脳が働くだけでなく、イメージ計算の珠算式暗算学習により、創造性を司る右脳を働かせるという役目も果しているのです。英語読み上げ算は一見簡単そうに見えるのですが、これが結構難しいんですよ。数字とはいえ、D、F、L、R、TH、V など日本人には難しい発音も含まれています。計算する時には、数字を日本語に置き換えて考えるのではなく、聞こえてくる英語をそのまま理解する能力が要求されるのです。また、英語で読み上げられた数字を聞き逃すまいとして、常に緊張感を持って計算に臨もうとするので集中力が養われます。 ...

ゆうゆうインタビュー 金井紀年

  —— 現在のお仕事について話して下さい。 共同貿易(Mutual Trading Co., Inc.)という、日本の食品とその関連雑貨を取り扱う食品商社を経営しています。現在、社員は250名を数え、7,000点の食品と9,000点の雑貨を扱っています。日本の食品の輸出入に携わっているほか、酒、味噌、海苔、うどんなどの商品を現地で生産しています。私は1964年に就任した3代目の社長です。...