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インタビュー

ゆうゆうインタビュー 水野 和行

  —— 宝石デザイナーの具体的な仕事内容を教えて下さい。 ロサンゼルス郊外のローリングヒルズで宝石店「アート・オブ・クリエーション」を経営し、世界各地から宝石の原石を探し出して、研磨、カット、デザインの一連の作業を通してアクセサリーを作っています。1年のうち7か月をアメリカで、5か月を日本と東南アジアで過ごしています。弊店の場合、お客様の7割がカスタムメイドの宝石を好まれますので、お客様一人一人の宝石をデザインしています。 ...

ゆうゆうインタビュー レーン・ニシカワ

  —— 現在の仕事に就いた発端を話して下さい。 大学に通っていた頃、脚本の執筆、自由詩や口語体の創作に興味を抱くようになりました。それは片手間で始めたことでしたが、地道に続けていましたね。演劇と執筆活動をしながら、UPS、空港、駐車係などの数多くの仕事に従事しました。長く続いたのは電器店のセールスマンで、私は販売員と倉庫係として働いていました。当時の私は、脚本家として成功するとは想像もしていませんでした。   アジア系アメリカ人劇団を紹介されたことが機縁となり、脚本だけでなく演技にも興味が向くようになりました。彼らは早いうちから「この作品を上演したい。オーディションを開いてはどうか」と私に提案するので、どうなるかと不安ながらも、オーディションを設定してキャストを集めました。その後で「次は何をすればいいのだろう」と思案していました。この初めての体験を通して、仲間である俳優、監督、脚本家から舞台や演技について多くを学んだのです。私はあらゆることを注意深く観察し、できる限りのことを頭の中へ叩き込みました。詩歌の創作も続けていましたが、舞台での演技が影響してか、その内容は人物描写に重点を置くようになりました。例えば、第442連隊戦闘団の一員であった叔父をモチーフにした人物が第二次世界大戦時代を追体験するなど、...

ゆうゆうインタビュー 吉岡香代子

  —— ダンスの道に進む機縁となったのは。 日本で母がクラシック・バレエを嗜んでいたことから、ヨチヨチ歩きの姉と私も習い始めたんです。まだオムツを当てていた頃ですよ! 親として物心のつかない娘に意図的に何かをさせようとした。それがバレエでしたね。でも、成長とともに、自分自身が望む道だと思うようになりました。 ...

ゆうゆうインタビュー オーラー・貞子

  —— 現在の活動内容について教えて下さい。 自宅でのプライベートレッスンに加えて、バルボアパーク、ナショナルシティー、ランチョサンタフェ、そしてビスタなどの会場で池坊の生け花教室を開いています。日本人に限らず、花に魅せられたアメリカ人の方々が沢山参加しており、現在100余名の生徒さんが稽古に励んでおられます。また、生け花の精神とその芸術性に深い感銘を受けた故エレン・ゴードン・アレン夫人によって1956年に東京で設立された 「いけばなインターナショナル」 という文化団体の活動にも力を入れております。国籍も流派も多様な会員たちが 「花を通じての友好」...

ゆうゆうインタビュー 山本順子

  私は自分自身を ̶̶̶ 私の内面的な世界を描きます。自分の真実の世界を語るために作品を創りたいと思っているので、どうしても私自身に関わった作品を創る以外にないのです。 自分が見て知っている世界の本質を明らかにしたいと思う私は、借り物の考え方や理屈から可能な限り離れて絵を描こうと心掛けています。そのために、イメージの内容よりも創作していく上での具体的な部分、例えばラインの質、色、構図などにこだわるのです。そして、なるべく潜在的な意識の中からイメージを呼び起こします。それは、通常気づいている部分より深い自分の内面の風景を、もっと正確に映し出したいという欲求なのです。ですから、描いている間は、それがどんな意味を持っているのかを意識することはありません。 ...

ゆうゆうインタビュー 猪俣陽子

  —— 現在所属しているサンディエゴ・バレエ団について話して下さい。 サンディエゴ・バレエは1991年に非営利団体として創設されたプロバレエ団です。所属ダンサーは常時20名ほどおり、他のバレエ団と比べて各ダンサーの担当パートが多いのが特徴です。バレエと聞くと、日本では「難しくて高尚な芸術」というイメージが先行し、敷居が高いように思われがちですが、アメリカでは誰もが気軽に足を運べる雰囲気を持っています。私たちは、お客様に舞台の臨場感を味わって頂きたいという理由から、ホートンプラザやUCSD内劇場などの比較的小規模なシアターでパフォーマンスを披露しています。また、教育の一環として、サンディエゴ市内の各小学校を訪問し、バレエのレクチャーも行っています。 ...