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| —— ゲスト学芸員として迎えられた民芸国際美術館の“NINGYO: The Art of the Japanese Doll” について話して下さい。 全米で最有力と言われる 7 人の日本人形の貸し手が集結する、日本国外では最も包括的な展示会です。日本でもこれだけ充実した内容の日本人形展は開催されなかったと思います。勿論、日本には優れた作品が数多くありますが、本展の内容も決して遜色がありません。 展示会では日本人形の 6 つのカテゴリーに焦点を当てます。御所人形、雛人形、武者人形、衣装人形、からくり人形、そして健康祈願の人形です。世界各国にはそれぞれ特有の人形文化が存在していますが、これは人間の本能的な表現芸術であると言えます。 日本人形の起源は日本の先史時代まで遡ります。紀元前 4000 年から 3000 年の縄文時代に、人々は粘土で作られた小立像を豊作祈願に用いていました。それ以降、人形は豪華な儀式を含めた慣習のなかで歴史的、考古学的、文化的に重要な役割を果たすようになり、日本の精神や社会的意味合いが人形に吹き込まれていきました。そのため、人形は日本人の心の中に深く根づいており、彼らの人形に対する思い入れの強さは他国人とは異なります。古い人形は家族代々、手から手へと受け継がれていきます。教育制度が発達した今日の日本でも、人々は人形にかつての保有者の霊的要素を感じ取り、家へ持ち帰ることを拒みます。このように人々の畏敬が込められた存在として扱われ、他の芸術様式とは一線を画する人形だからこそ、日本国外でも、今回のような大規模な形でコレクションを一堂に集めることを可能にしたと言えるのです。 ——英語の“doll”に含まれる意味合いは“Ningyo”ほど深みがないのですか。 そう言えるでしょう。“doll”の訳は「人形」となりますが、そこには日本語の「人形」が持つ精神的、性質的な豊かさを内在する深い意味は読み取れません。“doll”は「人形」とは程遠く、英語にはそれを正しく表現する言い回しが存在しないのです。なぜなら“doll”は玩具であり、軽々しい存在であるのに対し、「人形」はそれとは逆に、重い存在価値を認めている意味が含まれているからです。私たちは先ず、多くの日本人形は子供のために作られたのではないという事実を説明しなければなりません。それらは鑑賞用であったり、大人たちが始めた特定の儀式に使われたりしたのです。 —— 日本人形の芸術様式は遠い昔から存在しているとのことですが、今回の展示会で紹介される様式が誕生した時代は。 平和と安定に支えられ、急速に繁栄する社会の中で発展した江戸時代です。裕福な世の中で、人々は人形を含めた芸術に興味を示し、それまで到達し得なかった様式を確立していきました。室町時代や桃山時代にも貴族たちが人形を取り上げましたが、それは非常に初歩的な未発達のスタイルでした。それが江戸時代に入ると、急速に別のスタイルへと発展します。私が思うに、人形文化は江戸時代に絶頂期を迎えたのです。その後、人形の価値は減少し続けています。現代の人形アーティストは不快に思うかもしれませんが、その原因は時代文化に共鳴する姿勢の欠落だと思うのです。芸術的手腕を備えた現代の職人が素晴らしい人形を持ってきても、私は敬意を表しつつも、彼らが行っていることと過去に行われたことに同義性を感じることができないのです。西洋のテクノロジーが紹介され、無色油状のアニリン染料の登場や製造過程の変化により、人形の存在意義に違いが生じたのだと思います。アンティーク人形には時代、様式、技術、材料などが影響します。それは時間を逆行してまろやかに熟成し、私が敬愛する品質を与えられていきます。そして、ほ のかでありながら、他では認められない個性が生まれるのです。 —— 日本人形の素材は何ですか。
Ningyo with mechanical features, such as this gosho-ningyo, have moving arms that allow raising its mask. Photo by Lynton Gardiner
これは有名な女性コレクターの話ですが、彼女の幼少時代、同じように人形コレクターであった父親が御所人形を持ち帰り、家族全員が大喜びしたそうです。それは高価な作品で、彼らの家にふさわしい美術品として絶賛されたといいます。彼女の弟は家族が喜んでいる様子を目にして、その汚れている人形を綺麗にしてやろうと思い、人形をお風呂に入れ、注意深く且つ愛情を込めて洗い上げたのです。そして、家族の前で鼻高々に、胡粉が剥がれてしまった人形を差し出したというのです。人形を目にすると、人は直感的にその汚れを拭き落とし、輝かせたいと考えます。でも、そうすることで胡粉を瞬く間に落としてしまいます。陶磁器のように扱うことはできないのです。“ありのままの姿”を楽しまなければなりません。 —— ご自身が日本人形に深く関わるようになった経緯は。 こうして私は日本人形に興味を持ち始め、認識を高めていきました。そして、雑誌「DARUMA」(外国人向けに日本の芸術や古美術を紹介する英文誌)編集部とも親交を深めるようになり、日本人形についての執筆依頼を受けるようになりました。私は既に自分のやり方で資料を集め、調査を進めていましたが、この執筆活動を通して、より秩序立てて組織的に調査するようになりました。最初は男子の端午の節句について、次は雛祭りについてというように、1つの記事が別のテーマを導いていきました。ある時点で、私はそれを1冊の本にまとめることを思い付いたのです。周りを見回しても 「それを行うのは私以外にいないのではないか」 という自負がありました。著書の出版は方向づけられていたものの、それを実現させる条件が私には必要でした。
Some ningyo transcend their wood, silk and gofun. If you listen closely̶you can almost hear this isho-ningyo laughing. Photo by Lynton Gardiner.
ここ4、5年の間、私は1か月置きに日本を訪れています。仕入れと同時に、より多くの情報を集めて研究を進めているのですが、日本語にしろ英語にしろ、日本人形について記された本は極く僅かです。可能な限り情報を渉猟しなければ、伝えたい内容をまとめることはできません。私は専門分野に詳しい学芸員や、日本人形に情熱を捧げる蒐集家などの人々と話をしました。彼らは見識に優れ、本に書かれていない多くの物語を知っていました。同時に、私は古文書の記録もひも解いています。その一部は、江戸幕府の日本人形に対する法規に関するものでした。人形の世界を解釈するために史料を読み解いて翻訳する作業も必要でした。人形の世界に深入りする度に、私はさらなる情熱を掻き立てられていきました。現在の熱狂度は最初の頃とは比べものになりません。私は謎に満ちた対象を探り、それを発見した時、より興味をそそられるのです。その謎は日本の芸術や文化を愛する人によって解き明かされていきます。謎の一片を集めることが、私たちを魅力的な江戸の庶民文化の世界へと誘いざなってくれる手掛かりとなるのです。 —— 日本人形は独特のスタイルで時代文化を反映したということですか。 —— ここにある 「友情の人形」 について説明して下さい。
This“Friendship Doll”, from 1927, was one of only 58 ever created as gifts from Japan to each of the 50 states and select museums. Photo by Lynton Gardiner.
1920年代のアメリカでは反アジア人感情が高まり、移民を制限する法律が制定され、多くの公民権が抑圧されました。そんな社会情勢の中、聖職者シドニー・ギューリックは日米両国の理解を深めて協調の精神を促そうと、アメリカの生徒たちが縫い上げた12,739体の「青い目の人形」を日本の生徒たちへ送るという運動の先頭に立ちました。そのお返しとして、日本から「友情の人形」と名付けられた58体の市松人形が届いたのです。人形は有力美術館のほかに各州に1体ずつ渡されました。各人形には「ミス関東州」「ミス満州」というように、日本の主要都市、地域、植民地の名前が付けられていました。これらの人形は第二次世界大戦の開戦までは好意的に受け入れられ、一般向けに展示されていました。やがて、戦争が始まると人々の関心が失われ、全ての人形は取り払われました。ここに残るその1体は、最初に迎えられた場所からは遠く離れたニュージャージー州の「蚤の市」あたりで発見されたものです。幸運なことに、蒐集家がこの人形の存在に目を止めて救い出したのです。 —— この意義深い人形さえも評価されない現実に遭いながらも、ご自身が胸に抱いている希望とは。
Alan, alongside the exquisite bunraku-ningyo. Ningyo such as this were puppets, with moveable heads, hands, eyes and eyebrows
私は自著の出版と「NINGYO展」開催により、学術研究者と芸術界に喚起を促したいと思っているのです。彼らは先に述べた事実を問題にしなければなりません。私が投げ掛けた論議に対して、日本人の専門家たちがどう反応するのか興味津々です。私の今後の具体的な目標としては、日本人形という特殊な芸術様式に対する認識と知識を深めていくということです。日本のアニメのようにポピュラーになるという幻想はありませんが、私が望むのは「人形」という言葉がより深く理解され、広く一般に認識されることです。勿論、それが日常で使用される“馴染み言葉”になるとは思いませんが、特に組織的レベルにおいて、アジア芸術を取り扱う美術館では定期的に日本人形の展示会を開催してほしいと願っています。 少なくとも、これらの美術館は日本人形を所蔵すべきです。日本人形の芸術的価値に敬意を払い、公共に向けた使命として紹介できる知識と意欲を持つべきなのです。美術館の目的は社会を教育することであり、教育には正しい評価と鑑賞力を必要とします。そして、理解することが正しい評価を生み出します。私は今、これらの素晴らしい作品の仮の管理人であると考えています。それぞれの人形は300年もの歳月を生き延びてきましたが、私が個人的に永続的な保管を試みても限界が出てきます。永く寿命を持ち続けてほしいこれらの人形を、私は一時的に預かっているのです。
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