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インタビュー

ゆうゆうインタビュー 鈴木功二

  —— ご自身が会長を務める「英語読み上げ算教育協会」について話して下さい。 私はアメリカ、イギリス、カナダ、メキシコ、ブラジル、オーストラリア、ベトナム、インド、中国、台湾、韓国を含む世界約20カ国の小学校から大学まで、30年以上に渡り算数教育やそろばん指導に当たってきました。その経験を基にして1984年に当協会を東京に設立しました。英語読み上げ算学習とは、数字を英語で読み上げ、また英語で読み上げられた数字を計算することにより、英語と計算に強くなるという学習法です。そろばん上達者は、実際にそろばんに触れなくても瞬時に計算できるようになります。これは、そろばんを頭の中にイメージできているからです。英語読み上げ算学習は、英語を発音することで左脳が働くだけでなく、イメージ計算の珠算式暗算学習により、創造性を司る右脳を働かせるという役目も果しているのです。英語読み上げ算は一見簡単そうに見えるのですが、これが結構難しいんですよ。数字とはいえ、D、F、L、R、TH、V など日本人には難しい発音も含まれています。計算する時には、数字を日本語に置き換えて考えるのではなく、聞こえてくる英語をそのまま理解する能力が要求されるのです。また、英語で読み上げられた数字を聞き逃すまいとして、常に緊張感を持って計算に臨もうとするので集中力が養われます。 ...

ゆうゆうインタビュー 金井紀年

  —— 現在のお仕事について話して下さい。 共同貿易(Mutual Trading Co., Inc.)という、日本の食品とその関連雑貨を取り扱う食品商社を経営しています。現在、社員は250名を数え、7,000点の食品と9,000点の雑貨を扱っています。日本の食品の輸出入に携わっているほか、酒、味噌、海苔、うどんなどの商品を現地で生産しています。私は1964年に就任した3代目の社長です。...

ゆうゆうインタビュー 佐々木達夫・成子

  —— 現在の活動について教えて下さい。 ギリシャ「Athens Festival」にて (1969 年 8 月...

ゆうゆうインタビュー 右近勝吉

  —— 便利屋として、どのような仕事をされているのですか。 ドブさらい、お茶の相手、旅行のお供…何でもやります。依頼があれば、世界の何処へでも行きます。以前、世界中の石を集めているという方から 「南極だけはどうしても行けないから、代わりに石を拾ってきて下さい」 との要請を受け、実際に行って来ました。最近は一緒に海外旅行をして欲しいという人達も多く、昨年は10数か国を旅行しました。3か月のうち家に居たのは2日だけでしたね。...

ゆうゆうインタビュー マーサ・W・ロングネッカー

  —— 民芸国際美術館について教えて下さい。 この民芸国際美術館はバルボアパークを永久 (とわ) の住処として1996年8月8日に誕生しました。過去数十年間に世界中で開催されたイベントや体験を基にして設立されました。私は昔から日本を何度も訪れていますが、自らの勉強の目的だけではなく、アメリカのアーティストや学生を随行させたり、逆に日本からもアメリカへ連れてくることもあります。やがて、私は文化の相互交流には団体組織が必要であると実感したのです。そして1974年、今は亡き夫の協力により、世界の文化を通じて「民衆による芸術」(民芸) をより理解するという目的の非営利組織「民芸インターナショナル」を設立しました。1977年にはアーンスト・ハーン氏が手掛ける美術館をユニバーシティ・タウン・センター内に設立するという話が持ち上がりました。そして、陶芸家の濱田庄司氏...

ゆうゆうインタビュー デヴィッド・グランザー

  —— サンディエゴで定期的に開催されているコミック=コンは、いつ始まったのですか。 1970年にスタートして34年間続いています。年に2回開催された年もあったので、7月22~25日に予定している今年のイベントで35回目を数えます。どのように運営してきたのか、私には説明できません! 34年前に US・グラント・ホテルの地下で初めて開催された時の参加者は僅かに300人で、それはコミック本やコミックアート、コミックライティングが好きな人々の同好会でした。彼らはメディアから見放されたと感じていました。世間ではコミックアートは雑誌などと同様に読み捨てるものとして見なされていたからです。このイベントのアイデアはタイムリーでした。何故なら、その価値を知らない人々が屋根裏を掃除した際に、そこに置かれていた値段の付けようのないコミック本のコレクションを顧みることなく、捨てられようとしていたからです。このような話は全てを語ることの出来ないくらい、これまでに沢山耳にしました。 ...

ゆうゆうインタビュー クリス・タシマ

  —— 演技や映画製作に興味を持つようになった経緯は。 私はパサディナとバークレーで育ったのですが、子供の頃から映画製作に興味を抱いていました。どういうわけか、私は映画産業界で働きたいという思いが強かったのです。その頃のヒット作『スター・ウォーズ』などの大仕掛けの映画に魅せられていました。ところが、自分が何をすべき人間なのかという明確な意識はありませんでした。自分が作りたいと思っていた映画が世の中の主流を行くメジャーな作品であることにも気付かず、ただ夢を描いていました。私は白人が大多数を占める地域で少年期を送っています。中学生の頃、アジア系アメリカ人の活動にも参加しましたが、そこで教えられたことを正しく認識していなかったと思います。アジア系アメリカ人が抱える問題の存在について漠然と理解していた程度でした。 Oscar...

ゆうゆうインタビュー 江本 勝

  —— 水に興味を抱くようになった理由を聞かせて下さい。 私が水に興味を抱いたのは40歳を過ぎてからです。それまでは宗教、哲学、科学には全く関心がなく、神の存在さえ信じていませんでした。私が貿易業を営んでいた頃、同僚がコロイド状の水 (超微粒子が分散した水) を紹介してくれました。それは私が長年抱えていた足の痛みの治療に効果を示し、この経験から水に興味を抱くようになり、研究を開始したのです。唐突かもしれませんが、波動水の勉強を始めたところ、私の前世からの記憶がそうさせたことを悟ったのです。...

ゆうゆうインタビュー ベン・S・セガワ

  —— サンディエゴ日系米人歴史協会 (JAHSSD) の活動目的は何ですか。 サンディエゴの日系米人に関わる歴史物を取り集めて保存していくことが私達の仕事です。戦時中の強制収容所での経験も含めて、私達の歴史をより皆さんに理解してもらえるよう、展示会の開催、学校等での講演を通して協会の普及活動に励んでいます。...

ゆうゆうインタビュー 曽 碧光

  —— アメリカでもブームとなっている漢方について教えて下さい。 漢方薬とは数千年の歴史と経験がその効能効果を証明している生薬 (しょうやく) を組み合せて作られた薬です。漢方の基本理論は...

ゆうゆうインタビュー 今井貞美

  —— ティーチングプロについて説明して下さい。 アメリカのゴルフ界には、丸山茂樹選手のようにツアーに参加して活躍するツアープロと、ゴルフ指導を専門とするティーチングプロが存在しています。華やかなイメージのツアープロに対してティーチングプロの認知度は低いのですが、タイガー・ウッズのようなトップツアープロでさえ専属ティーチングプロの指導を受けているのです。ティーチングプロは PGA (プロゴルフ協会)...

ゆうゆうインタビュー 秦 英之

    —— 初めて開催される「ジャパン・フィエスタ・イン・サンディエゴ」についてお知らせ下さい。 来たる3月26日(土) にサンディエゴ・スポーツ・アリーナで開催される日米国際交流イベントです。日本に触れ、日本を学び、日本を味わい、日本を楽しむ ̶̶̶。サンディエゴの皆さんに日本の文化や日系人の歴史を知ってもらい、日本への関心を高めるとともに、地元日系コミュニティの一体化をアピールすることを目的に開催します。イベントは2部構成となっています。第1部ではサンディエゴの日系人の歴史や日本文化の展示・紹介を行います。そして第2部では、日本代表チーム「侍ウォリアーズ」と地元サンディエゴのAFLチーム「リップタイド」によるアリーナフットボールの親善試合を予定しています。 ...

ゆうゆうインタビュー 鈴木弘子

  —— プロアメフトの選手生活について話して下さい。 現在アメリカには女子のアメフトチームが81あり、3つのリーグに分かれています。私が所属しているのはWPLFで、サンディエゴにフランチャイズを置く南カリフォルニア・スコーピオンズの一員です。今年、ロングビーチ・アフターショックから移籍してきました。女子アメフトリーグに参加して今年で6シーズン目。毎年オールスター戦に選ばれてプレーオフにも出場してきました。現在、リーグでの日本人プレイヤーは私1人です。 WPLFの試合ルールはNFLと同じ4クォーター制で1...

ゆうゆうインタビュー 桑原和雄

  —— 若い頃からアンティークに興味を持たれていたのですか。 いいえ、実は大学では化学を専攻していました。大学3年の時に日大闘争がありましてね。キャンパスにバリケードが張り巡らされ、約1年間通学不可能になりました。そんなことから大学での勉強に興味を失い、以前から好きだった美術に興味が向いたんです。ただ、大学には既に3年通っていたので「もったいない」「親の期待に応えなきゃ」 という思いもありまして、卒業はするけれども美術関係の仕事に就きたいと考えていました。大学卒業後に方向転換をして、インテリア・デザインを2年間学んで就職。レストラン、バー、ブティック等の内装を手掛けるコマーシャル・デザインの仕事を3年程続けていました。 その後、会社を辞めてデザイン学校で講師助手を務める傍ら、デザインの仕事を自分で探しながらアルバイトで生計を立てていました。講師助手は2年間続けたものの、「自分は講師に向いていない」...

ゆうゆうインタビュー 森本昌義

  —— 今回のサンディエゴ訪問の目的とは。 この度、サンディエゴ・ティファナ日本協会よりビジネスリーダーシップ賞を頂き、その授賞式に出席するためにサンディエゴに来ました。初めてサンディエゴを訪れたのは1972年、33歳の時でした。日本のソニーで人事・労務を担当していましたが、ソニー初のアメリカ進出となったサンディエゴ工場立ち上げの任務を与えられて副工場長として赴任し、15年間滞在しました。今でも娘夫婦や多数の友人がこちらにいますので、年に4、5回は遊びに来ているんです。日本で太陽を浴びることがほとんど無いので、サンディエゴに来るとこの日差しが嬉しいんですよ。 ——ソニー入社の契機について教えて下さい。...

ゆうゆうインタビュー ロバート・“シタ”・ウェルチ・ジュニア

  —— 部族はどのくらい昔から当地に定住しているのですか。 クミアイ族はこの地域に1万年以上も住み続けています。クミアイ族は12に分かれたグループで構成されており、私たちはビエハス一族で、それ以外にバロナやシクアンなどのグループがあります。ビエハス一族は他族と全く特徴が異なります。私たちはかつて多くの儀式でフクロウの羽を使いましたが、ほとんどのインディアン部族はフクロウやフクロウの羽とは関係が無いという違いがあるのです。 ...

ゆうゆうインタビュー マーティン L. イトウ

  —— 北カリフォルニアのご出身だそうですが、ご家族がサンディエゴへ来られた時期は日系人が強制収容される以前のことでしょうか。 それより遥かに昔です。私たちは1927年以前からサンディエゴに住んでいたはずです。私にはエンカント地区の建物が流された1927年の大洪水の記憶が残っているのです。 ...

ゆうゆうインタビュー 稲盛和夫

    — 少年時代はどんな夢をお持ちでしたか。  幼い頃は勝気でガキ大将だったかもしれません。私が育った時代は、日本が第二次世界大戦に突入して軍国主義の真只中にあり、将来自分は軍人になるだろうと思っていました。そして、13歳で終戦を迎えましたが、故郷の鹿児島は99%が空襲で 焼けてしまいました。父が経営していた印刷工場も灰塵に帰して、私は食にも困るという苛酷な境遇に置かれたのです。それから10年間は何をしても上手くい かず、手詰まりの状況でした。大学進学も志望校には入れず、郷里の鹿児島大学へ入学。また、希望する企業にも就職できず、京都にある中堅会社へ入社しまし た。しかし、そんな私にも転機が訪れたのです。私はファインセラミックスに深い興味を抱き、技術開発に没頭するようになりました。それから50年、脇目も 振らずにファインセラミックスの研究に力を注ぎながら、今日までの人生を歩んできました。 ...

ゆうゆうインタビュー マイク・井上滋

  —— サンディエゴ・ティファナ日本協会 (JSSDT) の活動内容を教えて下さい。 私達はビジネス、教育の発展、文化交流、そして皆さんに日本、アメリカ (サンディエゴ)、メキシコ(ティファナ)...

ゆうゆうインタビュー 丸山裕子

  —— デビュー CD アルバム「In Tone Nation」 (イントネーション)...

ゆうゆうインタビュー エドウィン・マクダニエル

  —— 「日本人の交渉手段」 を研究されていますが、日本人のコミュニケーションスタイルの特徴とは。 アリゾナ州立大学大学院でスピーチコミュニケーションを研究しましたが、私の学位論文の焦点は「文化の影響が日本企業のコミュニケーションスタイルにどのような影響を与えるか」でした。私がこの分野に興味を持った理由は、日本人とアメリカ人の間で展開されるビジネスにおいて、文化の違いに由来する問題が生じている現実を見てきたからです。特に、アメリカ人が日本人のビジネス事情を理解できないと嘆くのをよく耳にします。そこで、私は実際に日本企業の経営幹部にインタビューを申し出て、2 年の歳月をかけて典型的な日本人の特徴を解明しました。その一例として 「日本人は企画・計画の段階で、アメリカ人が求める以上の情報を収集したり、同じ内容の質問を何度も繰り返す」、また...

ゆうゆうインタビュー 古賀三郎

    —— 彫刻家を志した理由とは。 私は 4 人兄弟の末っ子で、共働きをしている両親の下で育ちました。それほど裕福な家庭ではなかったので、カチカチの泥ダンゴや木の弓などの自分で作った玩具で遊んでいました。5 歳の頃から小刀を器用に使っていたと思います。こうした遊びの中で、モノを作る喜びというものを自然に身に付けていきました。小学...

ゆうゆうインタビュー 三宅一生

    「衣服はデザインとイノベーションに属するもの。ファッションはビジネスの要求を満たすクリエーションに過ぎない」。日本の伝統美に根ざす「一枚の布」という概念と最先端技術が合体するとき、時空、国境、階層を越えた人間生活にフィットする服が誕生する。平面の布が立体の身体の動きと一体となり、そこに造形美が生まれる。革命的デザイナーとして“世界のミヤケ”の名を欲しいままにしている三宅一生氏が、もう一つのノーベル賞と呼ばれる稲盛財団の京都賞( 第22 回・思想芸術部門) を受賞した。先月、サンディエゴ大学での講演を終えた氏に、ポリエステルの軽素材による画期的商品「プリーツプリーズ」、ハサミで切り取るだけの“一体成型”で生産工程を変革した「A-POC」、そして東京・六本木に開設したデザイン施設「21_21 DESIGNSIGHT」などについて尋ねた。 ...

ゆうゆうインタビュー ドナルド・H・エステス

    —— 日本あるいは日本文化に興味を持ったのはいつ頃でしたか。 小学校2年生時の記憶が最も古いでしょうね。学校で外国について調べる宿題が出ましてね、私なりの思いがあって日本を選びました。でも、先生には私の選択を手放しで歓迎する様子など無かった。当時の日米は「戦闘状態に入れり」でしたからね。第二次大戦を挟んで、相当数のサンディエゴの日本人が近所に住んでいた。私は日本人コミュニティーと共に育ちました。一緒に学校へ通い、一緒に遊んで…。ある意味で、日本と日系アメリカ人の文化は常に私の人生の一部でした。それは今も変わらない。 ...