
| —— 初めて開催される「ジャパン・フィエスタ・イン・サンディエゴ」についてお知らせ下さい。 来たる3月26日(土) にサンディエゴ・スポーツ・アリーナで開催される日米国際交流イベントです。日本に触れ、日本を学び、日本を味わい、日本を楽しむ ̶̶̶。サンディエゴの皆さんに日本の文化や日系人の歴史を知ってもらい、日本への関心を高めるとともに、地元日系コミュニティの一体化をアピールすることを目的に開催します。イベントは2部構成となっています。第1部ではサンディエゴの日系人の歴史や日本文化の展示・紹介を行います。そして第2部では、日本代表チーム「侍ウォリアーズ」と地元サンディエゴのAFLチーム「リップタイド」によるアリーナフットボールの親善試合を予定しています。
アリーナフットボール
——日本文化の展示・紹介についてお話し下さい。 1880年代にサンディエゴに初めて日本人が移住したことが日系人コミュニティの始まりと言われています。 地元日系人の歴史、日本の伝統文化、未来型スポーツ「アリーナフットボール」、将来人間と共存する「ロボット」など 、日系人コミュニティの現在・過去・未来を多彩に紹介したいと思っています。 —— アリーナフットボールについてご説明下さい。
山田晋三(しんぞう)コーチと秦英之さん
—— アリーナフットボール日米親善試合の見どころは。 ハーフタイムショーでは、 元NFLチアの安田愛さんや柳下容子さんが華麗なパフォーマンスを披露するほか、世界で初めて2足歩行を可能にしたソニーの小型ヒューマノイドロボット QRIO (キュリオ) も特別ゲストとして登場する予定です。試合開始予定が午後7時なので QRIOの登場は午後8時を過ぎてしまいますが、小さいお子さんをお持ちの方も、この日だけは昼寝をさせて是非見に来て下さい。
鈴木孝昌(たかまさ)選手とチアリーダー
—— 「ジャパン・フィエスタ・イン・サンディエゴ」開催の経緯は。 山田氏の協力要請を引き受けたものの、「スポーツは言語を越えた精神性を共有できる素晴らしい国際親善の手段に違いない。でも、貴重な日米交流の機会なのだから、アリーナフットボールに限定するのは勿体ない」との思いが強くなっていきました。時を同じくして、サンディエゴに暮らす日系アメリカ人が日本人との交流を望んでいるという話を耳にしました。私はベネスエラで生まれてアメリカで育っているので、彼らが求めているものが理解できるのです。同じ人種なのに、アメリカと日本では基本的な習慣や考え方が異なることから、互いに歩み寄れない要素も確かにある。でも、お互いの「日本人」というルーツに対する気持は同じ。この揺るがしようのない共通点を感じ合い、思いを伝え合う共有のプラットホームを作ることはできないだろうか̶̶̶。国籍を問わずに、子供から年配者までが参加できる大規模な日米国際交流イベントを実現しようと思い立ち、「ジャパン・フィエスタ・イン・サンディエゴ」の誕生に至りました。
侍ウォリアー
—— 発案から実現まで約半年間という、スピード決定でしたね。 前例の無いイベントの趣旨を各機関・団体に理解してもらうまでに相当に時間が掛かりました。逆風もありましたが、可能性を信じていた一番の理由は皆さんからのニーズを感じた確かな手応えがあったからです。イベントの話をする度に「面白そう」「ぜひ開催して欲しい」という、期待が込められた言葉が必ず返ってきたのです。実際、幸運にも恵まれましたね。準備期間があまりにも短く、今からスポーツ・アリーナでの会場確保は難しいと言われていたのですが、室内サッカーの試合が急遽(きょ)キャンセルになり、思いもかけず実現したのです。無我夢中で駆け抜けてきた半年間でしたが、多くの方に支えられ、イベントが開催できることに大変感謝しています。 —— フットボールへの並々ならぬ情熱を感じますが…。 私は自らの希望で明治大学へ進学し、1934年創部の伝統あるアメフト部に入部しました。米国での高校時代もアメフト部に所属していましたが、米国とは異なる、日本の大学の体育会に受け継がれている想像以上に厳しい軍隊形式の練習法に初めは驚きました。最終学年に副主将兼主務となり、チームを4年ぶりのAクラスに導くことができました。また、東西学生オールスター戦の関東代表選手に選出されるなど、実に貴重な4年間を過ごしました。 大学卒業後はソニーへ入社し、同時に母校のアメフト部でコーチを務めるようになりました。入社2年目の1997年、アメフトへの現役選手としての情熱が冷めやらない私は、社会人アメフトチームのアサヒビール・シルバースターから勧誘を受けました。要請を受けて入団したものの、仕事との両立に苦労し、チームも社会人選手権の準決勝、決勝と2年連続して敗退し、初めの2年間は頂点を極めることはできませんでした。理由の一つとして、「仕事とスポーツの両立は苦しい」という甘えが私を含めた選手の心の中にあったのです。私は悔いの残らない1年を過ごした後に引退することを決意し、翌年は必死になって、仕事とアメフトを如何に両立させるかを考えました。365日のスケジュールを分析し、前年にできなかった全部の事柄を書き出し、それを徹底して実行しました。例えば、海外出張中でも接待ディナーの後に1日1時間のバーベルトレーニングを続け、出張以外での残業が深夜に及んで帰宅が遅くなっても30分のランニングは絶対に欠かしませんでした。こうした努力が実を結び、チームは念願の優勝を手にしたのですが、その時の喜びは何にも替えられないものでした。
キュリオ
—— スポーツを媒介とする文化交流に寄せる期待とは。 その後、高校2年の時に再びペンシルバニア州へ渡りました。昔の仲間との再会や、小学生時代に明け暮れていたアメフトを再び満喫できる喜びで一杯でした。ところが、実際には周囲の環境に溶け込むことができなかったのです。日本で4年半暮らしているうちに、私は「周囲との調和を大切にし、自己主張をせずに相手を尊重することが正しい」という日本的な考えを持つ人間になっていました。日本人的な部分しか出せなくなってしまった自分に、昔の友人は驚いていました。こうして再び孤立してしまった私ですが、やはりスポーツが自分を支えてくれたのです。アメフト部に入部したものの「小柄なアジア人が生半可に挑戦している」との印象を与えたのか、最初は全く相手にしてもらえませんでした。ところが、練習場に入ってタックルを一発仕留めた瞬間から仲間として受け入れてもらえたのです。
イベントスタッフ
——今後の夢を教えて下さい。 私は「4P (フォーピー)」という信条を持っています。Pure 「純粋」、Passion 「情熱」、Positive 「前向き」、 Pride 「誇り」の4点です。スポーツに対する純粋な気持と情熱は誰にも負けないと思っています。その中でも「いかに前進 (Positive) していくか」ということと、「どこまで Pride を保てるか」という点が重要であり難しいのです。時には妥協も必要かもしれませんが、Pride を持ち続けていれば自信に繋がり、簡単に挫折することもありません。頭で理解するのは簡単ですが、この4つのバランスを上手く保つことは本当に大変なことですね。今後も「4P」の信条を忘れることなく、日本とサンディエゴの架け橋となるものを求め続けていきたいと思っています。
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