探す/探し物

  30年ほど昔、初めて国境を越えて、ティフアナの中心街を目指していた私は、田舎道に迷い込んでしまった。戻るべき道を探しても、見当がつかない。地面から針金が突き出ている未舗装の悪路を行く私の車は、二度のパンクに見舞われる。修理工場を探すにも周囲には古い民家が数軒あるだけ。ロードサイドサービスを要請するにも現在位置が分からない。途方に暮れていたら遠方からタクシーが近づいてきた。“地獄に仏” とばかりに乗車したが、これがメキシコ名物「相乗りTAXI」初体験の巻! 最初に母娘2人が後部座席の私の横に座る。次に、ソンブレロとチャロの衣装に身を包んだマリアッチ楽団の男たち3人が乗り込む。運転手を含めて総勢7人が1台の小型車に!! トランクに収まらないギターに挟まれて身動きが取れない。やがて、男たちが大ゲンカを始めたからたまらない。1人が何かを探し始める。ギターケースにマシンガンが隠されていたメキシコ映画を思い出して、不安になる。今度は、子連れのオバさんが私にスペイン語でまくし立てる。「あんた! $1だけ払いなよ。ボラれるんじゃないよ!」と言っている様子。ギターの間から必死にうなずく私が滑稽 (こっけい) なのか、女の子が大笑いしている。中心街へ戻り、乗り捨てた車の所在地も探り当て、ようやく “魔界” から解放された。 (SS) ▽「人生をかけて愛する人を探しているなら、それもやめなさい。 その人は、あなたが好きなことを始めたときに、あらわれます」。Holstee社のマニフェスト「THIS IS YOUR LIFE」に掲載されている一節。なんでも、それを作成した本人たちも驚くほど、世界中でシェアされまくった社訓とのこと。確かに、性別や年齢に関係なく、何かに打ち込み、頑張っているヒトの姿を見ると、胸がキュンとときめくものだ。▽「民は由 (よ) らしむべし,知らしむべからず」。民は政治に従うもの、何も知らなくてよい、という封建時代の政治原理。このネット社会は便利で、探せば見つかるものが多い。とはいえ、忙しい現代、民は自分のことで精いっぱい。じっくりと政治を考える時間がない。▽「やりたい仕事を探そうとすると、かえって見つからなくなるんだって」。友人がLINEで教えてくれた。モノの本によると、天職に就くことができた人の大半は、その過程を、たまたま偶然だと答えた。最初はなんとなく始めたのに、だんだん天職に変わった人がほとんどだったそうだ。天職とは、どこか別のところにあるものではなく、自分のなかで養っていくものらしい。リスクや不安や失敗さえも楽しんで、仕事を手づくりする力があれば、どのような仕事だろうが、自分にとっての天職になり得るかもしれない。(NS) 普段から物の保管場所を決めて、使用後はそこへ戻すようにしているので、探し物をすることは余りない。。。はずなのだが、数年間、とても困った経験をしている。ある日、家を出ようとしたら、車の鍵が見つからない! 通常、持ち歩いているバッグの中に入れているのに、ない! ひっくり返して中身を全部出してみても、ない! もしやと思い、車の中を見に行ったのだが、なさそう。落としたのかな?と、コンドの駐車場から私の部屋までの道筋を念入りに探したが、やはりない! 結局、Locksmith を呼び、新しい鍵を作ってもらった。約1か月後、外出の際にデニムのジャケットを羽織った。あれ? 左ポケットに….失くしたと思っていた車の鍵が!! そして右ポケットに….ガソリン用にしているクレジットカード!!…. (同じ時期に失くしたと思い、紛失届を提出済み)。鍵を左ポケットに入れた同じ日に、ガソリンを入れた後、財布に戻すのを忘れていたみたい。そのジャケットはあれから着ていなかった。。。探し物は見つかったけれど、新しいカードが発行されたので使えない。鍵も新しくプログラミングされたので、これでエンジンは掛けられない。ドアのみを開けられる緊急用の鍵になった。ポケット、便利でついつい物を入れてしまう。気をつけないと…。 (YA) ♪探し物は何ですかぁ~。見つけにくいものですかぁ~♪という井上陽水の「夢の中へ」。この歌詞がとてつもなくトンでいる。カバンの中も机の中も探したけれど、見つからない、と必死で訴えている人に「それより僕と踊りませんか」「そして夢の中へ」と、いうのだ。いいなぁ、こういうの。気分を変えれば、探し物も見つかるとでも言いたいのであろう。確かに。探し物といえば、私の趣味である旅行先で、探し物が見つからず、大パニックになったことがある。姉が住むスイスから飛んだバロセロナでの出来事。その晩、夕食にワインをガブガブ飲んだ。で、宿に帰ってバタンキュー。翌日、「ハンドバッグに入れていた大金がない!」・・・盗まれたのか? いや待てよ、と大慌てで、他のショルダーや部屋中を探すも、ない。しかし、ここまで来て、観光もしないのもいけないと発想を変え、わずかな手持ちでサグラダファミリアへ。で、その晩 … Read more

困る/困った

  国境の街サンディエゴの土地柄なのか、私はよく中南米人に間違われる。社会保障局 (SSA) などの政府機関でもスペイン語の書式を渡されることがあり、英語版に替えてもらう。自分ではラテン系の顔つきとは思えないのに、メキシコ国境を越えてティフアナの街へ行こうものなら、同胞扱いされて「変なこと」に巻き込まれる。▽青年がヒスパニック系の名前を叫びながら、私に近づいてきた。人違いなのに、私の肩を抱えて上空を指差す。困惑しつつ、澄み切った青空に目を凝らすと、謎の飛行物体が! 子供の頃に写真で見た「アダムスキー型UFO」に似ている。複数の窓もある! 不思議な感動に包まれて、誰だか知らないけれど、互いに肩を組んで見上げていた。第三者が二人を見たら完全なアミーゴ状態。▽中心街のレボルシオン通りを歩いていると、どこかのお婆さんから「ティノ!」と呼び止められた。出稼ぎ帰りの息子と勘違いしているのか、いきなり私の手を握り、目に涙を浮かべて堰 (せき) を切ったようにスペイン語で延々と話し続ける。「お母さん、僕はティノじゃないんだ。ハポネス」と何度も繰り返したが、分かってもらえるまで想定外の時間を要し、本当に困った。  ▽アメリカへ戻るために税関へ。スペイン語の検問を遮 (さえぎ) って英語で答える。「ラティーノじゃないの?」 もういい。(SS) ▽「ケミカルがイヤだったら、利尻昆布の白髪用ヘアカラートリートメントが良いかも」。加齢による白髪とはいえ、なんだか最近、急に白いものが増え出したのをグチったら、友人が良い製品を薦めてくれたので、早速購入。続けて使っていると、だんだん染まってくるらしい。髪の毛も元気になるとのことだ。そして、何気なく、いつもと違う角度で鏡を見たら、今度は、頭頂部やつむじあたりの毛髪が相当薄くなっているのに気がついた。自分には見えないところで薄毛が進行していて、ビックリ。「髪型を変えて、薄くなったところを隠してみれば」「ハゲ隠しのパウダーもあるよ」 と友人。若い頃の 「量が多くて」が懐かしい今日この頃だ。▽「どうせ、いずれは皆死ぬ」「それでも我々は天国に行ける」。ロシア国営テレビが、ウクライナ以外の国にも戦闘が拡大する可能性について言及。その番組で、ロシアの某ジャーナリストが、核戦争が起きてもあまり心配することはない、と語りかけたのが冒頭の言葉。プーチン大統領は核兵器を「必要なら使う」と言い始め「第三次世界大戦」に言及するなど西側を威嚇。冷戦期にもなかった本気レベルで、米ロの緊張が高まっている。まさか21世紀にこんなことが起こるとは。毎日報道されているウクライナの惨状に胸が痛む。一日も早い停戦と平和を願うばかりだ。(NS) 私がラップトップで作業を始めると、いつの間にかやってきて、机の上にジャンプし、ラップトップと私の間の狭いスペースに、横になるのが好きな我が家の雄猫。キーボードを打つ私の両腕の上に8kgの巨体をデーンと横たえる姿は、とても幸せそう。可愛いし、私もしばらくは不自然な体勢で作業を続けているけれど、だんだん腕がしびれてくる。キーボードの一部も使いずらくて、仕事がはかどらない。仕方なく床に下ろしても、しつこく何度もジャンプしてくる。なんとか阻止すべく、足でブロックしたりするのだが、気を抜くと飛び乗ってしまう。ジャンプ、下ろす、ジャンプ、下ろすを何度も繰り返すうち、こちらが根負けして、また私の腕の上…。部屋のドアを閉めることも試したが、入れて〜とドアを引っ掻くわ、鳴くわで、うるさくて集中できない。困った〜と思っていたところ、最近、私の座る椅子の横にもう一つ椅子を置き、猫を乗せて上から毛布を覆いかぶせると、かなりの確率でその中で寝てくれることが分かった。ラッキー! 成功しない時もあるけれど、全く腕の上でくつろいでくれなくなったら私も寂しいので、今はこれで良しとしている。(RN) 山本リンダが超甘ったるい声で歌う 「♪困っちゃうなぁ、デートに誘われてぇ~♪」 という歌があったが、私はこの歌詞をもじって「♪困っちゃうなぁ、デートに誘われずぅ♪」と歌い、周囲の笑いを誘っていたことがあった。しかし、何故にデートに誘われて困るのか? 何か、断れない特別な事情でもあったのかと、作詞家の意向を勘ぐる。嫌なら断ればいいだけの話。誘われたから困るのではなく、その誘いを断れない時に困るのだ。そういえば、まだまだ若かりし頃、私もデートに誘われて困ったことを思い出した。叔母の紹介で断るに断れず、しぶしぶ出かけた。行先は東京の高尾山。事前にその人と話すこともなく、最寄りの駅で待ち合わせ。その時点で「違う!」と思ったが、その場で帰るわけにも行かず、とにかく目的地へ。お昼時になり、 自発的にお弁当を作って行った私に、その人は「まさか、サンドイッチじゃないでしょうね」。おにぎりだったのだが、まさかのサンドイッチだったら、一体、どうすると言うのよ! 私はその時もかなりムカついた! そんな気分のまま下山、居酒屋へ。そこでの会話が「共働きだが、相手には自分が戻る前に帰宅し、夕食を準備してほしい」と。ますますムカついた! 飲み代を置いてタクシーで逃げ帰った。断るに断れずに、まっこと困った1日であった。 (Belle) 先日、反応に困ってしまう状況になっちゃった。あるイベントで良い席を取ろうとして、入り口でH部長と2人で列に並んでいた。すると、係員からの「3列に並んで行ってください」という指示。わたしとH部長の2人に、後ろから1人、前に詰めてくれれば3列はできた。ところが、誰も詰めてこない、、前には3人並んでいて、編成はできている。我々が場所を取ってるから、後ろの人が入りづらいのか、とも思ったけど、わたしたち2人は右寄りに立っていて、明らかに左側を空けている。そしたら、、わたしたちのすぐ後ろ (5センチくらい? 鼻息を感じるほど 笑) … Read more

変化

  人生で意識の大変化が起きた瞬間が三度ある。20代前半は細かく日記を付けていた。日記とは第三者が読む可能性を想定した行為であることに気付いて、怖くなった。私は日記帳を買い替え、赤裸々な感情表現をすべて削除し、事実だけを書き残すという大作業に取りかかり、あまつさえ日記自体もやめてしまった。処世術としての欺瞞 (ぎまん) という悪知恵が生まれた瞬間だった。40歳を過ぎた頃、将来を見据えるパノラマビューのアングルが大きく変化した。譬えて言えば、野球場のバックネットから外野席を超えて大空を映し出す「無限大の画像」が、突然、バックスクリーンからホームプレートを包み込む 「凝縮されたフレーム」に切り替わった。“人生の砂時計” が反転し、寿命の折り返しを覚醒させられた瞬間だった?  還暦を迎えて、老化という現実を前に死生観が大逆転した。父方の先祖で80歳まで生きた男は1人だけ。長寿家系じゃない。自分もあと十数年なら、死を念頭に置き、ひたすらQOLを追求すべきじゃないのか? もし、不治の病が発覚しても、むしろQOLの意義と価値が高まり、充実した余生になる。死は恐るるに足らず。そこまで達観を表明していながら、あえなく周章狼狽 (しゅうしょうろうばい)、世を儚 (はかな) む姿を曝け出したらみっともない。晩年も意識の変化が続くのかな? (SS) ▽「2030年の世界の主役は、インドとアフリカだね。すごい変化がやってくるよ」。先日、商社に勤めている知人が教えてくれた。何でも、世界の人口は2030年には81億人に膨張する見通しで、インド (19億人) は中国を抜いて世界第1位に浮上、アフリカ (17億人) ともども、大規模市場になるらしい。現在、ルワンダには「ドローン空港」と呼ばれる発射基地があって、人命救助のための物資を運んでいる。インフラが整備されていない国だからこそ、蛙 (かえる) 飛びのように、いきなり先端テクノロジーで、ダイナミックに発展するとのことだ。▽「ダイエットの停滞期に入ったら、少しだけ、摂取カロリーを多めにしたほうがいいよ」。LINEで友人からアドバイスが届いた。人間の体や脳は変化を嫌うという性質があるらしい。常に一定に保とうとする 「ホメオスタシス」 というメカニズムがあって、体重を減らさないようにする。この時期に「あぁ・・だめだ」とあきらめて、爆食いしてしまうと、恐怖のリバウンド状態になるらしい。身体に起こる変化を理解して、停滞期を乗り切ることがダイエット成功の秘策とのこと。「趣味がダイエット、特技はリバウンド」の自分に、目から鱗 (うろこ) の助言を授けてくれた友人に感謝している、今日この頃だ。(NS) これまでの人生で、目まぐるしく変化したのが音楽メディアだ。父親はレコードを沢山持っていて、よくレコードプレーヤーで聞いていた。私が小学生の頃はカセットテープがメジャーだった。初めて自分のお小遣いで買ったのも「南野陽子」のアルバムのカセットテープ。ウォークマンを買ってもらってからは、ブランクのカセットテープにレコーダーで好きな音楽を録音し、ミックステープを作って聞いていた。そのうちにCDが登場する。レンタルショップでCDのアルバムを借りるようになり、それをカセットテープに録音していた。高校生になる頃には、聞きたい音楽のアルバムをCDで購入するようになっていた。16歳の時、短期留学でアメリカに来てCDの安さに驚いた覚えがある。1990年代後半には日本でMDが普及していたようだが、アメリカに住んでいたので使うことはなかった。2000年代に入り、iPodなどのMP3プレーヤーが発売されて、ほとんど音楽はデジタルダウンロードするようになった。そして現在は、ストリーミングサービスで好きな音楽を簡単に楽しむことができる。家にいるときはAlexaに一声かけるだけで再生操作が可能。音楽メディアは、これからどう変化していくのだろうと思う。 (YA) 戦後77年。人々の生活環境は大きく変わった、変わりまくった。この変化を目の当たりに経験している60代半ばから70代半ばの人たちは、便利に、さらに便利に変化した世の中を肌で感じているに違いない。それまで連綿として釜戸 (かまど) で炊いてきたご飯が、スイッチ・ポンの炊飯器になり、洗濯板を使って洗っていた洗濯物が、洗剤を入れてスイッチを押せば洗濯ができ、すぐに乾燥機も登場。くるくる回る掃除機でお掃除もすいすい、やがて勝手に部屋中を動き回り掃除してくれる新兵器も。家電の進化もさることながら、通信機器の変化のスピードはまさに日進月歩だ。ワープロの登場でも画期的だと思っていたら、海外にでさえ番号を押すだけで文書が送れるファックスにぶっ飛んだ! 25年ほど前に一気に普及したコンピュータの便利さにも目を丸くしていたと思ったら、15年前には携帯電話とパソコンを合体させたiPhoneが登場して世の中をすっかり変えた。カメラ機能も備えたスマホを保持していれば、全員がカメラマン。しばらくすると、全てはバーコードやQRコードで処理・・。今どきスマホが使えないと、社会から放り出される時代にまでなってしまった。 もうこれで十分と思っているのに、まだまだ変化をしていくに違いない。一体どこへ進むのか、この世は?  … Read more

奇跡!?

  ▽一時帰国する時は、老齢の母を湯治に連れていく。10年ほど前、新潟県内の老舗温泉宿に投宿した。古代ヒノキの内風呂、茶室風味あふれる床の間など、随所に豊かな日本情緒が感じられ、迷うことなくネットで予約を入れた。母も私も初めて訪れた宿。旅館の歴史を紹介する展示場があり、 陳列品の一つ、麒麟 (キリン) を模した中国の純銀製香炉 (煙を焚く仏具) の説明を読んで腰を抜かすほど驚いた。寄贈者は私の祖父! 日付は昭和28年11月。まだ母は嫁いでいないし、私も生まれていない。祖父からは何も聞かされていない。盆栽と骨董品蒐集が趣味だった祖父。宿帳を調べてくれた3代目の若女将から手紙が届き、当時、祖父母は先々代の宿主とは昵懇 (じっこん) で、定宿にしていたようだ。▽18歳頃から3年間ほど、年に一度だけ、11月30日に激しい 「金縛り」 に悩まされた。谷底に突き落とされた衝撃で目が覚める。身動きが取れず、爪先から感覚がマヒして首の皮1枚だけ繋がっているような、今にも幽体離脱しそうな恐怖に襲われたばかりか、ぼんやりと赤味を帯びた人間の顔 (らしきもの) も見えた。なぜ11月30日なのか。過去帳を見て、11月30日と7月31日に一族の命日が集中している事実を知り、身震いした。墓参を心がけた翌年から金縛りは消えた。・・・奇跡か、偶然か、因縁か?(SS) ▽「すごいね。ロバート・アイガー。雑用係からディズニーのCEOになったんだって」。先日、友人が奇跡の実話について教えてくれた。「受付嬢からHPのトップになった人もいるし、吉野家の社長さんは、アルバイトからの叩き上げよ」。周りが自分に何を求めているのかを理解し、自分に任されている以上の仕事をして、CEOにまで上り詰めた人々だ。▽「点と点が繋がる奇跡的瞬間がある」。スティーブ・ジョブズが残した伝説のスピーチ。大学を中退したジョブズは、忍び込んだカリグラフィーの講義で美しい書体に出会い、10年後、素晴らしいフォントを搭載した史上初のMACを誕生させた。ジョブズがその講義と出会わなかったら、パソコンには美しいフォント機能が無かったかもしれない。▽『ゆうゆう』 が誕生した1980年代はパソコンもファックスも無い時代。1台の薄型ワープロで開業した。真夜中、日本語の活字を求めて LAの写植業者へ車を飛ばしたこともあった。そして1991年、美しいフォントが搭載されたマックが届いた。創刊から36年。多くの人々に支えられて 『ゆうゆう』 をお届けできるのは、ミラクルの連続に違いない。将来どうなるかなんて誰にも分からない。過去と今が、どうにかこうにか未来に繋がると信じて、これからも、目の前のワクワクすることを精一杯やっていきたいと思う。(NS) 今、ここにこうして暮らしていることは、奇跡の積み重ねだな、と思うことがある。この世に生まれ出てきたことが、まずは奇跡のはじまり。何億分の1の確率で受精し、胎児として母の体の中で成長した私が生まれてきた。致命的な怪我や病気をすることもなく、なんとか大きくなれたのも奇跡! 後悔する自分の取ったあの時の行動や選択の数々、できることならやり直したいと思うことも多々ある。切に願った奇跡が起こらなかったこともあった。でも、半世紀近く生きてきた私のここまでの人生を総じて振り返ると、大切な人や言葉、サポート、チャンスに要所要所で巡り合えたからこそ、今、こうして幸せに生きていると感じてしまう。これって、奇跡以外のなにものでもない! あのアインシュタインも言ったらしい。「人生には二通りの生き方しかない。ひとつは、奇跡など何も起こらないと思って生きること。もうひとつは、あらゆるものが奇跡だと思って生きること」。来し方行く末、すべての経験と出会いこそ奇跡!と、感謝して生きていく方が幸せそうだ。(RN) 私は中学生の頃からアメリカ音楽に慣れ親しんでいた。英語が上手に、という欲望は常にあったが、全く憧れてもいなかったアメリカ住まいになろうとは! きっかけはこうだ。フリーランスとしてインテリア雑誌に関わっていた私は“世界のお家事情” というページを任されて、世界各地の家々を取材していた。その流れで、アメリカらしい家の取材ということになり、当時、NYC在住の写真家にその取材を締切り1年前に依頼。その後、締切り2か月前に仕事の確認をしてから、日本を2か月留守にした。帰国して聞いた留守電に「できん!」「ウソでしょ!」。仕方なく、私が急遽、米国在住の唯一の友人を頼って飛んできたのがサンディエゴだった。彼女は独身の私にある男性を紹介してくれて、以降1年に4回サンディエゴ詣で。彼の提案もあり、 サンディエゴ移住を決心したところで 「君、ビザはどうするの?」「ウソでしょ!」。が、一旦傾いた心は簡単に変えられず、私はビザなしで半分移住。さあ、ビザ解決に向けての作業が始まったのだ。そんな中で知り合ったのが元旦那。3回目のデートで彼は私にプロポーズをした。後にも先にも、3回目のデートでプロポーズをされたことなどない。ここぞ!という時に、その奇跡は起こった!という経緯で、私はSD住まいが可能になった。感謝! (Belle) わたしは同じ近所に、ながーーーいこと住んでるけど、周りになぜか子供がいない。幼児から高校生まで見当たらない。ましてや、、コンボイ界隈のようにニッポン人と会うこともない 笑。近くのマーケットでも、珈琲店でも、レストランでも、まず見かけない。しかし! … Read more

時間/サマータイム

   “史上最強のマイペース男” と妻に言われる。考えてみれば、子供のころから「時間を自分の都合に合わせる」傾向があった (困った性格だ)。▽小学生時代に固く守り続けていたルールは、帰宅したら、まず宿題を終わらせてから遊びに行くこと。友達と河原で野球をする時間に間に合わず、日没近くになって、グローブとバットを抱えて駆けつける。オレンジ色の夕日が一面に広がって、そこには誰もいない・・。▽中学生時代は遅刻ギリギリの登校を繰り返す日々。学校までの距離が遠いのに、時間を気にせず、朝に放映されていた面白いテレビ番組 (チャップリンの連続短編ドラマ) を観てから自宅を出ていた。私の姿を目撃して慌てて走り出す生徒たち。彼らの後を追い、校庭のホームストレッチでラストスパートをかけ、全員をごぼう抜きにするのが日課。校舎の窓から眺めていた野次馬から歓声が上がった。▽何をするにも手際が良すぎる妻は、仕事も家事もサッサと済ませる。月末の最終週になるとカレンダーをめくり、翌月にしてしまうので、それを知らない私は日付と曜日を間違える。妻はサマータイムを2日前からセットしていた。そうとは知らぬ私も1時間進める。余分なプラス1時間を誰が知る?「なかなか寝つけない」とつぶやく私に、 妻が「じきに慣れるわよ」。(SS) ▽「だいぶ前に、日本にもあったよ夏時間」 と母が電話で教えてくれた。ワシントン州の大学に留学したばかりの頃、サマータイムを知って不思議な気持ちになった。生まれた時から1日は24時間だったので、「時間って、人間が決めた約束事なんだ」と感動すら覚えた。当時、高額だった国際電話でその驚きを母に伝えたら、冒頭の言葉が返ってきた。何でも、第二次世界大戦後の連合国軍占領期にGHQ指導下で導入されたらしい。でも、残業増加や寝不足を引き起こすなどの不評を呼び、3年ぐらいで中止になったとのこと。当時の人々やメディアは“サンマータイム” と表記していたそうです。▽1日24時間、時間は誰にも平等に与えられている。もっと上手に時間を使いたいと、ここ数年、取り入れているのが30分の昼寝。「午後3時までに15分~30分、パワーナップをとりなさい」 と主治医が薦めてくれた。横にならずにクッションを置いて、机上で伏せて寝る。昼寝前にコーヒーを飲むと、カフェインの作用で20分程度で目が覚める。身体にも脳にも良いらしく、最近では、昼寝を取り入れる企業も増えているそうだ。以前は、ランチの後に睡魔に襲われ、気合いで乗り切っていた。ちなみに、脳のゴールデンタイムを生かすためには、22時~23時までに就寝し、6時に起きて、昼に仮眠が良いらしい。(NS) ▽サンディエゴに住むようになり、自分の中で時間の感覚が変わった。春がやってきたと思う頃、時計を1時間進める。日の入りが一気に遅くなり、明るい時間が長くなって夏気分に突入。そして、楽しかった夏が終わり、寒い季節がやってくるな〜と少しブルーな気分になる頃、時計を1時間戻す。夜更けが急加速する。1年に2回、時計を強制的に変えるという習慣をなんの違和感もなく受け入れるようになったのは、いつのことだったろうか。渡米前は、時計が早くなるとか、遅くなるなんてことは考えもしなかった。自国で暮らしている限り、時間は永遠に同じだった。それに対して、アメリカは同じ国の中でも時差が存在する。州によってはサマータイムを取り入れていないところもあるのだ。なんて自由気まま! 米国生活を通して、私の中で時間は絶対的な存在から、いくらでも変更可能な相対的な存在になった。▽最近は、いろいろなデバイスが自動的に時間をリセットしてくれるのでとても助かる。携帯電話を見れば世界各国の時間も一目瞭然。夏時間になったから、今は日本何時だっけ? などと悩むこともなくなった。時計変えるの忘れて遅刻しました〜などという言い訳も、もう通用しないんだろうな。(RN) 絞り出すような声で歌い始める ♪Summer Time~♪…ビリー・ホリデイをはじめ、エラ・フィッツジェラルド、はたまたジャニス・ジョプリンなども歌った、このジャズのスタンダードナンバーをご存知の人も多かろう。 「ラプソディ・イン・ブルー」 「パリのアメリカ人」 などの作曲者、ジョージ・ガーシュインの傑作だ。調べれば1935年に初演されたオペラ「ポーギーとベス」の中で、不自由で貧しくとも心優しい青年ポーギーと、麻薬中毒の娼婦ベスによる悲恋物語が始まってすぐの場面で子守歌として歌われた楽曲。各場面で3回歌われ、それぞれのシーンで異なる印象を与えた曲ということだ。私も大好きな曲で、時々、口ずさんだりすることもある。それはさておき、このテーマの本来の主旨である夏時間。私が渡米した頃は4月の第1週が時間変更日だったが、約20年前から3月第3週に前倒しされた。なぜ? しかし、それはそれで大歓迎。夏時間になると、夜が徐々に明るくなり、その分だけ開放的な気持ちで暮らせる。夏時間大好き! 仕事が終わってもまだまだ明るいから、ベランダで音楽を聴きながら「My Happy Hour」を楽しむことも十分できる。資源節約を主目的に始まった夏時間ということだが、この日から、ますますHappy Hourが楽しめる。まさしく夏時間に乾杯!!!である。 (Belle) 夏時間は、夜が遅れてくる、みたいで、遅い時間まで外でフラついたりできて、ワクワクする。一番ドキドキする時間は、夕方が夜に変わる、マジックアワーと言われる数分間。サンディエゴなら、海岸沿いにいれば、どんな被写体でもそれなりに “映え“ して、誰でも綺麗に写ったりする (あー、そのー、いい意味で?) … Read more

金持ち/金銭感覚

  余計な買物はしない。生活必需品だけでOK。私は物欲の乏しい人間。そう思っていた。物欲欠落者の心理には、① 欲しいものは全て獲得済み、② 物質よりも精神性重視、③ 自己評価が低い、 ④ 無気力で他の欲求も低い、⑤ 絶対的な価値観がある ―― のいずれか、あるいは複数の要素が働いているらしい。自分は ② に近いかもしれないが、どうかな? 他の4項目は当てはまらない。ある夜、こんな夢を見た ―― Lotteryで巨額の泡銭 (あぶくぜに) を手にし、処し方に悩んでいる自分がいる。夢の中の私が取った行動は、古いパビリオンを買い取り、自分の名を冠した記念館として意気揚々と市民団体に寄付するというもの! 世間から売名行為との非難の矢面 (やおもて) に立たされ、自分の心根に宿る虚栄心の醜さにいたたまれず、仏門を叩いて「残金を全て寄進するので魂を救ってください」と高僧に懇願する。高僧 (夢によく出てくる) が言うには 「金の力で世人の尊敬、心の安泰など得られぬ。金の本質は “水” のごとし。水を掴 (つか) もうとするのは愚行なり。水の清々 (すがすが) しさを感じることで幸福になれる。お前は金で名誉を買い、その充足感を “豊かさ” … Read more

スピード

  ▽幼い頃、交番勤務の若い巡査さんに絶大な信頼を寄せていた。河原の泥濘 (ぬかるみ) にハマって動けない私を発見し、自転車から飛び降り、驚くべきスピードで救出してくれたことがある。お巡りさんこそ、世界一のスーパーヒーローだった。交番へ行くとチューインガムやキャラメルがもらえた。夏にはスイカまで出してくれる。「気が優しくて、正義感にあふれるお巡りさん」「警察官は現代の救世主」という、子供心に揺るぎない固定観念を持っていた。▽ “海水浴デビュー” を果たした6歳の夏。8月下旬の太平洋は荒れていた。容赦なく強風が吹きつける海岸。父と弟は海水浴へ。 隣りにいた母と叔母の姿がなく、心細くなった私は警察の救護テントに駆け込む! 大音響の拡声器で「お子さんを保護しています!」と呼び出された父が、息を切らして私を迎えにくる。2度目は母の帰りが遅くてパニックに陥り、またもテントに猛ダッシュ! 再びマイクロフォンで呼び出される家族。両手にかき氷を持った母が、遠くから必死に追いかけてきたのも知らずに・・。3度目はビーチパラソルが飛ばされ、もはやこの世の終わりとばかりに、お巡りさんを目がけて一目散! 弟を背負った叔母と両親が必死に追いかけるも、脱兎のごとき猛スピードで駆け抜ける少年を止めることはできなかった。(SS) ▽スピードスケート女子団体追い抜き (パシュート) で転倒し、金メダルを逃した日本人選手3人が見せてくれた笑顔が話題になっている。目を赤くして肩を組む3人の姿をファインダー越しに見ていたカメラマンが、レンズを向けたまま泣き始めてしまい、そんな姿に気づいた3人が「いや、そっちが泣くのかー!力が抜けるわ 」と、彼の号泣ぶりを見て涙顔で大笑い。カメラマンの熱い心にも感動を覚えた。▽世はスピード時代。美味しい料理を届けてくれるフードデリバリーが人気なのも不思議ではない。でも、Uber Eats や DoorDash にハマっていた知人が「料理ばっかり届けてもらっていたら、楽しみが消えてしまった。だから、レシピ付きの食材を頼むようにしたの」と教えてくれた。食品ロスがなくなり、レパートリーも増えて、とてもハッピーな様子だ。▽「老化のスピード、止まったよ!」美しいレオタード姿の写真が友人から届いた。健康診断で肝臓の数値に異常が出た彼女は、一念発起して減量に成功。還暦を過ぎて美魔女に変身した。16時間断食ダイエット、週3日/1日30分のHIITトレーニング、7〜8時間の睡眠、30分の昼寝を続けているとのこと。「座ってばかりいる人のテロメア (命の回数券) は短いらしいよ」との友人の言葉にビビり、急いでミニトランポリンに乗り、ヘトヘトになっている自分が情けない。(NS) スピードやスリルを楽しむ乗り物は苦手だ。アミューズメントパークのスリルライド、命綱ひとつで高いところから飛び降りるバンジージャンプ、飛行機からパラシュートで地上に降り立つスカイダイビング —— 。スピードやスリルが好きな人は、そのために長い列に並ぶのも、高い料金を支払うのも苦にならないんだろうけど、私は、たとえ報酬をもらえると言われてもやりたくない。乗り物のスピードは苦手だが、生活上でのスピードは大事だ。仕事はもちろん、日常のこまごました用事、洗い物、片付け、料理など、必ずやらないといけないルーティーンは手際よくサッサと終わらせたい。食べるスピードも、子どもができてからすっかり早くなった。子どもの頃は「何をするのも遅いねー。あなたはのんびり屋さんだねー」と、よく母に言われていたものだ。おっとり、のほほんと育ったはずなのに、すっかりせかせかした大人になってしまった。たまには立ち止まって、何も考えずに景色を楽しんだり、ゆったりと過ごしたりもしようと思っている。 (YA) 世の中には “スピード狂” と呼ばれる人たちがいる。元旦那もその一人だった。彼はかつて「レーシングチームを持っていた」と言い、事実、4台の車のうち、1台はリタイアしたレーシングカーだった。レースを諦めた彼はTVでレース中継があると食い入るように見ている。画面の中の映像は、時々、車が事故を起こして観客が騒然となる以外は、サーキットを唯々、車がぐるぐる周っているだけ。全く興味のない私には「何がそんなに面白いのん?」・・まぁ、それはともかく、そういうスピードには無関心な私であるが、実生活ではスピードが私をかなり牛耳っている。例えば、寝つきがいいこと。ベッドに横たわったら、ものの数分で夢の中。食べるのも結構早い。 この年にしては、歩くのもかなり早い。私は普通に歩いているつもりでも、見る人からすれば「いつも走っている」。確かに、階段は2、3階なら必ず走って上がるし (これは癖?)、廊下も結構走っている。歩いたところで、数秒ほどしか違わないと思うのに、それでも走る。何か事を処理するにも、だらだらではなく、さっさと済ます、片づける。もちろん、その分だけ仕事は決して丁寧ではない。そんな折、ある友人がマグネットをくれた。そこに書いてあったのは 「スピードよりコントロール」。あら、見てたのね~。 … Read more

待ち合わせ

  20代初めの頃、新古今和歌集が愛読書という◯◯さんとの初デートを1週間後に控え、私は焦っていた。センスの良い男を印象づけたいと、入念なデートプランを練りに練って当日に備えた。映画、観劇、音楽会の中から「N響コンサート」を選んだものの、夕食場所が決まらない。日記を読むと、グルメとは縁遠い自分が背伸びしていたのが窺える。当時の人気レストランから候補を3店に絞った。シビエのグラーシュが一押しのドイツ料理G店 (渋谷)、フルコースが評判のフランス料理L店 (新宿)、フォアグラのポッコンチーニが絶品のイタリア料理K店 (六本木)。事前に各店を巡り、実際に注文して最高の料理を厳ぶという涙ぐましい努力も…。待ち合わせ当日。大過なく初デートを終えて帰宅した私は、拘束から解放された人質のように疲れ果てていた。その後、会うたびに異様な疲れ方をする自分に気づき、付き合いは自然消滅。そして10年後、私は◯◯さんとは似ても似つかぬ元気な△△と結婚する。かたや文学的な正統派美人。こなた「NHKのど自慢」で抱腹絶倒している超庶民派。笑うために生まれてきた女。待ち合わせにプレッシャーなど微塵もなく、2人で寄席やB級グルメの大衆料理を楽しんだ。エエカッコシーでは「幸せ指数」を高められない。地味でも心の底から笑える人生が良いのだ…。(SS) ▽学生のころから「待ち合わせは書店で」と決めていた。約束の時間まで情報収集ができて、遅れた相手に「本を探してたから」と伝えられた。本をきっかけに、初対面の相手とも会話をスムーズに始められた。今はスマホがあるので、暇つぶしには事欠かない。▽自分は「時間を守る」タイプだ。当然のマナーと思っていた。でも「このヒト面白い」と思える人は、皆一様に遅刻の常習犯が多い。だけど、会話がはずんで楽しい。だから、誰に対しても、時間の正確さを求めないようになった。▽時間を守ることは大切だけど、そこには特別な価値が生まれないような気がする。例えば、「遅れずにピザ届けます」よりも「焼くのに時間かかりますけど、極上のピザ届けます」のお店に注文したくなる。▽いつも会議に遅れてくるヒトが、意外なアイデアを出したりする。時間を分単位で守る「べき論」よりも、もっと「夢中」になっていることを優先させている気がする。ユニークなアイデアは、時間にルーズなおおらかさから生まれくるのかもしれない。▽マイペース人間のクレージーなアイデアを実践に移すには「時間を守ること」に命をかけているような人が不可欠だ。世の中には、時間に厳しい人もいれば緩い人もいて、両方のタイプの人間が必要だ。「待ち合わせ」に対して、自分にも他の人にも、もっともっと寛容になりたいと思う。(NS) △私の友人で、待ち合わせの時間に必ずと言っていいほど遅れてくる子がいた。15分程度は遅刻の枠には入らず、最長2時間近く待ったことがある。「あと◯分で着きます」と途中で何度か連絡が入り、到着すると、とても申し訳なさそうに何度も謝るのだが、次も同じことを繰り返すのだ。約束の時間の少なくとも数分前には待ち合わせ場所に着いていたい私は、最初の頃はイライラして「時間を守れないと、社会に出て苦労するよ」などと、生意気にもお説教を垂れたこともあった。でも、気の合う友達だったので、その子との待ち合わせは準備をして臨むようになり、心の平静を保つことができた (笑)。 △友人との待ち合わせに限らず、病院の予約など、約束の時間には余裕を持って間に合うようにしてきた私だったが、子供が生まれてから状況が一変。小さい子がいると予定通りに行かないことが多すぎた。ドクターアポにギリギリに到着したりが何度かあって、 余裕の幅をさらに広げて対応するようになった。普通なら5分で終わることは15分かかると予想して行動するなど。それでも遅刻したな〜。待ち合わせに遅れてくる人には、それぞれ止むを得ぬ事情があるんだと、暖かい目で見られるようになった。子育てを通して、自分もその辺、ちょっとだけ成長できたかな。(RN) 昨年、ある人と待ち合わせて、ありえない! 続けて4回トラブったことがあった。事の始まりは…一緒に歩こうと待ち合せた場所に現れない。時間にルーズな人ではないから、何か事情がと、連絡を取ろうとしたら、シマッタ! 携帯を忘れている! 慌てて店の人に電話を借り、彼女にかけたが、彼女は見知らぬ番号ゆえ電話に出ない。で、何度も何度もかけて、やっと20分後に通じて聞いてみると、同じ店の別の場所にいるという。そして今日はもう帰る、とも。次は彼女も行ったことのある店での待ち合わせ。私のミスで、場所は正しいが、似ていて異なる店名を伝えてしまった。彼女はその別店名でググり、全く別の場所に。自分もその店で食べたことがあるのに、変だと思わず、なぜ方向違いの場所に行く? で、3度目。彼女も知っているPBの店で待ち合わせるも、今度は彼女の勘違いでスペルを間違えて入力。結果、SDSU方面へ。で、今日は疲れたから帰ると。西に向くはずを東に向かう。それを変だと思わないのかと、とても不思議だった。4回目もほぼ同じ状況。で、私もちょっと切れて「どうして私が伝えたことでなく、ナビを信じるのよ!」。人の言葉や自分の記憶より、スマホに頼る。待ち合わせって、かくも困難なことだったのか? 待ち合わせの情報交換は念には念を! はい、肝に銘じます。 (Belle) 日本では「じゃあ、どこどこ駅の、北口前でねー」とか「地元ならスーパーは1件だから、ソコ」みたいにかるーく約束して、何事もなくこなせていたことが、文化の違う国ではどれだけ難しいかと、今思えば、よくできたわね、みたいな経験がある 笑。他の友達とは、こんなはっちゃかめっちゃかな条件での待ち合わせは絶対ムリ 笑。①バラバラな場所から集合。スコピエから2名、イスタンブールから3名、わたしはブカレストから。②Wi-Fiが普及してなくネットカフェでしかメールチェックできない。 ③イスタンブールから列車に乗り、ベオグラードで降りるので駅で待て。以上 笑。わたしは1人で、ベオグラードの無人駅で待った。誰もいない 笑。数時間後、誰かがわたしの名前を呼ぶ。スコピエ組が到着。でも、列車が来ない。一応、携帯でメールが見れるか確認したら、イスタンブール発の列車に遅れ (笑)。今日は着かない、到着は明朝。「えーー! 駅で野宿!?」。続きがあって「駅の前を500mまっすぐ、看板を左に曲がり、右手のビルの鉢の下に鍵があるから、それで2階の部屋に入り、寝ろ」笑! 3人で歩いて部屋を見つけ、床に横になる 笑。翌朝に列車が到着! ハラハラもんだったはずだけど、何事もなかったように (笑) … Read more

マイホーム

  30数年前に最初のマイホームを手に入れた。家屋の造りや外観はどうでもよく、いささかの居住空間と仕事環境を確保したかった。物質は幸せの本質を与えてくれない。漂泊俳人・種田山頭火 (たねだ・さんとうか) のように “草庵の安住感” だけでOK。新居の条件は会社まで車で1分以内の距離という一点のみ。殺風景ながら最初の物件が条件に適い、電光石火の早業 (はやわざ) で購入。見たのは1件だけ。所要時間15分。知人に話したら「よほどの大物か大馬鹿者」とのコメント。床の一部はレッドオークのハードウッドフロアだった。10年後、全体を同じ床板にしようと、フローリング専門業者に張り替えを依頼する。 事前に材料費 (かなり高額)、工事終了時に作業費を支払うことで合意。初日に様子を見に行くと、家全体がレッドオークになっていた。仕事が早すぎないか? 何かがおかしい。業者に尋ねると、口ごもりながら「絨毯を剥がしたら、全部ハードウッドフロアだったよ」。し、知らなかった!!  材料費の返金要求に抵抗する業者。オリジナルの床材は古く、サンディングマシーンで研磨した後、傷跡や隙間をウッドフィラーで塗り替え、縁取りを整える着色と、ウレタン塗装でツヤを出す作業が必要で、相当額になると説得される。どう考えても高くついた。マイホームに無頓着すぎた私の大ポカ。大物? 大馬鹿者? 後者かもしれない。(SS) ▽「田舎の家とおんなじだべ〜」と祖母。その昔、白川郷の合掌造りの家を見学していた時のこと。 確かに、福島県会津の故郷の茅葺 (かやぶ) き屋根の生家と同じだった。黒光りしている柱や梁 (はり)、土間には釜戸があって、囲炉裏 (いろり) の周りで食事をとり、日差しが気持ちよい縁側もあり、屋根裏で蚕 (かいこ) を飼い、ごく当たり前に、米農家として自給自足の生活をしていた。子どもの頃は、寒くて古い家だと思っていたが、都会暮らしをしてみると、里山と共生したとてもエコな家だと思うようになった。▽テスラやスペースXの代表イーロン・マスクが豪邸を売り払い、5万ドルの狭小住宅暮らしを始めたそうだ。彼が住んでいるBoxabl製の折りたたみ式ユニットCasitaは、台所、浴室、電気、配管、冷暖房が全て工場でセットアップされているので、目的地に到着したら広げるだけでOK。基礎に取り付け、電気、ガス、水道につなげれば生活が始められるとのこと。おしゃれなワンルームマンションのようなもので、すでに5万人以上が順番待ちリストに名を連ねている。さらに大きめのユニットも登場するらしい。▽小さなマイホームが好きだ。35年以上も前に移り住んだ現在の家を丸ごと片付けて、夫婦一つずつのカシータを持てば、やもめになった時の準備もできる。友人夫妻もカシータ計画に乗り気で「同じ敷地に建てよう」と盛り上がっている。(NS) 今の家に暮らし始めて12年目に入った。もともと築40年のコンド。12年も住み続けると、いろいろとガタが出てくる。ごく最近では、家の中の半分で電気が使えなくなった。エレクトリシャンを呼び、点検してもらったところ、コンセントの一つが壊れたために、そこと繋がっている全ての所は電気が使えなくなっていた。数年前は水漏れで、バスタブのオーバーフローとシャワーのパイプを取り替えないといけなくなり、シャワールームの壁とタイルも張り替えた。今でも直したいところが沢山ある。ベッドルームのドア (枠が壊れているので閉まらないし、ドアノブを回さないでもドアを押すと開く)、バスルーム: 床 (ラミネートが剥がれてきている)、壁 (穴あり、ペイントも途中止まり)、シンクの上の電燈 (夫が数年前に外してそのまま)、メディスンボックス (夫が数年前に外してそのまま)、タオルハンガー … Read more

冬休み

  福島生まれなのに、寒さが苦手な私は、幼少時代から冬休みが楽しくなかった。子供の頃からスキーを嗜 (たしな) む北国出身者は多いけれど、私には雪原で遊ぶレジャーなど論外だった。一度も試したことがない。米国から帰省を目指す季節は、緑樹に覆われる初夏、紅葉に染まる晩秋と決めていた。そんな私が、やむを得ず冬休みを取り、亡き父の追善供養で20年ぶりに極寒の東北を訪れた時、真冬の畏怖すべき情趣に打ちのめされた。山形県最古の温泉宿K旅館。木枯らしの低い呻 (うめ) きを耳にしながら、展望風呂から眺めた、凍てついた墨絵さながらの雪景に言葉を失う。旅籠 (はたご) は迷うほど広く、無造作に置かれた明治期の大型時計と無数の番傘、そして江戸期の古色蒼然とした雛 (ひな) 飾りは “凍結された時間” の象徴。宿泊客は私1人。深夜に再び湯殿へ。雪音が夜の静寂を増幅させるのか、大浴場の湯気の中で「物の怪 (け)」が漂う邪気を感じた。それは海外生活者が味わえる異質な陶酔感なのかも。母国の暮らしに身を投じれば、感性が摩滅して異質さも日常に紛れてしまう。憧れとは無いものねだり? そうだとしても、日本という名の “美しい蝶” の羽根に、もう一筋の神秘的な紋様を見た思いがした。齢 (よわい) を重ねた私への、思わぬ冬休みの贈り物。(SS) ▽「何がおもろいのか、箱根駅伝ナウ!」「大人エレベーターやauのCMもおもろ〜」。日本の友人から元旦、LINEが届いた。そういえば、冬休みになると、毎年、日本中が箱根駅伝に熱中する。モノの本によると「日本人の『和』 を尊ぶ思想にピタッとハマった競技だからではないか」と考察している。▽その昔、留学生としてワシントン州の田舎町で暮らしたことがある。冬休みになると学食が閉まるので、先生が毎日、留学生をバンに乗せてレストランに連れていってくれた。ある日、車がエンスト。−25℃の極寒の吹雪の中を必死に歩いた。そして、レストランのドアを開けた瞬間、皆、歓声を上げて喜んだ。▽実家では、いつの頃からか「年越しの直前、地球上にいなかったシーン」をカメラで撮リ合うのが恒例となっている。新年を迎える瞬間にジャンプすると、なぜか前向きな感じがしてシンプルに楽しい。今年の冬休みも姪たちが数多くの写真を送ってきた。▽冬休み、日本へ里帰りするたびに、男やもめの父を誘って格安ツアー旅行を楽しんだ。「この観光バスに乗っている人たちはね、みんな幸せな人たち…」と、旅先で父がボソッとつぶやいた。青空の下を歩くとか、知らない土地を旅するとか、それだけで凄いこと。「できない人にとっては、奇跡に近いことなんだ」と教えてくれた。(NS)       冬休み。学校に通っていた頃は、冬休みはクリスマスあたりからお正月の「松の内」頃までだったと思う。クリスマスにプレゼントをもらって、クリスマスケーキを食べ、大掃除、大晦日、年越しをして、 元旦に初詣に行き、お節料理とお雑煮を味わって、お年玉をもらい、遊んで、冬休みの宿題をしたら、すぐに新学期が始まる。記憶にとても残った冬休みの出来事などは特にないけれど、冬といえば、小学生のころ、よく稲刈り後の田んぼで遊んだ覚えがある。刈られた後の稲の切り株と、そこら中に散りばめられた乾いた藁は、遊ぶのにちょうどよい大きさだった。集めて三つ編みにしてみたり、ままごとに使ってみたり、輪にして引いて強さ比べをしたり、積んである稲藁にジャンプしたり (見つかると叱られる)、などなど楽しく遊べた。乾燥した藁の香りが懐かしい。子供の頃にたくさんあった田んぼはほぼ住宅地になってしまった。里帰りしても、もう見られないのが淋しい。 (YA) △子供の頃、冬休みになると、知り合いの農場の餅つきに参加していた。釜戸で炊いたホカホカのもち米を臼に投入、手際よく杵でつかれたもち米が餅に変化していく様子を見るのは楽しかった。出来立ての餅を、きな粉、あんこ、おろし大根、醤油などに浸けてお腹いっぱい食べたな〜。その場で食べきれない餅は丸餅にして、お土産に持たせてもらった。あんなふうにしてついた餅を、最後に食べたのはいつのことだったか。△冬休みの思い出といえば、町内会の年末福引も頭に浮かぶ。子供の頃からくじ運のない私は、いつも残念賞ばかりだったけれど、弟はくじ運が良く、荒巻鮭やら高級そうな缶詰の詰め合わせセットやらを当てて得意気だった。大掃除やお正月の準備で、なんだか忙ない雰囲気で冬休みの前半が過ぎていき、夜中まで起きていられる特別な日、大晦日を迎える。こたつに食べ物と飲み物を取りそろえ、紅白歌合戦を家族で観る。年越しを迎える頃、おもむろに父が台所に立ち、蕎麦の準備。温かい掛け蕎麦風の年もあったけれど、たいていは父の実家、出雲の割子そば。丸い漆器に蕎麦を盛り、青ネギ、海苔、大根おろしなどの薬味を載せ、甘めのつゆをかけて頂く。あ〜食べたい! 私の冬休みは食べ物の思い出ばかり。(RN) 子供の頃の夏休みの記憶はいろいろあるが、冬休みに関しての記憶はあまりない。冬休みの宿題をする、年越しそばやお正月料理を食べる以外に、一体、何をして過ごしていたのだろう…。大人になって出版社で働き始めてからは、毎月締切に追いかけられる生活の上、ちゃんとした有給制度もなかったので、休みも自由に取れず。どころか休日に働いても代休さえもない、という会社だった。それを社長に言うと「休みたければ、休めばいいじゃないか」。休日出勤の代休なら堂々と休めるが、そうでなければ休みづらい。ということで、働き詰めの生活だったが、毎年暮れだけは他社よりちょっぴり長い休みがもらえていた。寒いのが苦手な私は、1週間、 … Read more

2022年/お正月

  アマチュア占星家SSが予見する新年の世相。2年前の木星・土星・冥王星の大会合を起点に、240年続く宝瓶宮 (ほうへいきゅう) 時代へと世界が移行した。権威より個性を尊重し、国境を越えた人道主義が広まっていく。ネットを通じて社会変革を起こす市民革命パワーを獲得したけれど、これからは膨大な情報に呑み込まれず、借り物でない人生の意味を見つけないと幸福になれない。自己価値を確立すれば、他者の価値も受容できる。それが新時代の本質。240年の巨大フレームの中で、2022年はどんな1年になるのか——。前半と中後半の象意は対照的だ。前半は「博愛」。言い換えれば共感と連帯 (双魚宮木星 SEt 金牛宮天王星)。双魚宮を進む木星は3月〜5月に海王星と会合し (双魚宮木星 COj 海王星=両惑星とも双魚宮支配星)、地球上でボランティア活動が盛んになり、優れた芸術作品が続々と登場する。中後半は「挑戦」。変化と開拓がキーワード (白羊宮木星 SEt 磨羯宮冥王星)。経済界が激動し、パイオニア企業が注目の的に。新年前半の世相に先駆的ビジネスモデルのヒントが隠されている。先んじて準備・着手することが成功のカギ。ラッキーカラーは前半が 「群青=ぐんじょう」 (Pantone社の青系と一致)、後半は 「ワインレッド系」。 (SS) ▽皆さま、明けましておめでとうございます。1987年に誕生した『ゆうゆう』は多くの方々に支えられて、お陰さまで創刊35周年を迎えることができました。これもひとえに皆さまのご支援の賜物と、心より感謝いたします。▽お正月、日本に里帰りすると決まって、実家の面々総出で成田山新勝寺に初詣に行っていた。昨年は、時期をずらしての「分散参拝」の呼びかけがあり、兄が代表して行ってくれた。2022年は平常通りとなり、参道の店も賑わいが戻るらしい。▽毎年、タイムズスクエアのカウントダウンをライブで見ているNYの知人がいる。極寒の中、5時間以上待たなければならず、何と、オムツを履いて出陣するそうだ。▽コロナ禍で迎える2度目のお正月。会いたい人に会えない。行きたいところに行けない。やりたいことをやれない。ありふれた日常こそが特別であり、奇跡そのものなのだ。失ったときに初めて、その大切さに気付かされた。 ▽「たとえワクチン接種が成功しても、収束には2、3年かかる」とアメリカの疫学専門家が語っている。明けない夜はない。やまない雨もない。過ぎ去らない嵐もない。嵐が去った後は、きっと、素晴らしい景色が広がっている。私たちは、過去に繰り返された感染症の大流行から生き残った 『幸運な先祖』 の子孫なのだから。(NS)       明けましておめでとうございます。アメリカのお正月は味気ない。クリスマスで盛り上がった後のおまけっぽい。メインはカウントダウンのみ。年が明けると、元旦は祝日で、その後、すぐに2日 (3日?) から日常生活に戻る。小学生の子供が2人いる我が家もメインイベントはクリスマスだ。アドベントカレンダー、クリスマスツリーにサンタさんへの手紙、クリスマスカード、どこからか突然に現れるエルフ (親がこっそり用意)、クリスマスイブはサンタさんへのクッキーを焼き (私が)、ミルクを用意、娘のリクエストでトナカイ用に人参とリンゴも用意、クリスマスプレゼント (アメリカはプレゼントの数が多すぎる!) … Read more

2021年を振り返って

  昨年来のCovid-19パンデミックで年が開け、第5波を迎えて暮れ行く2021年。ワクチン接種が伸び悩み、脅威的な感染力を持つ「オミクロン株」の出現で収束が怪しくなった。新型コロナ情報を追って1年9か月。思うところ多々あり。▽コロナ禍を “リーマンショック以来の危機” と捉え、ビジネス回復とコロナ対策のバランスを取れ!と、お題目のように唱えた為政者。これ、拙 (まず) かったね。サブプライムローン不良債権化が元凶だったリーマンの解決目標は、経済再建のみ。コロナでは経済維持と感染収束という二律背反の命題が衝突しているのに、ひたすら規制と緩和を繰り返し、その悪循環に人々は疲弊していった。政府当局が感染統計の数字だけでなく、この矛盾を正直に表明していれば、世界各地で起きた暴動も回避できたのでは? ▽コロナ収束後も新たなウイルスが人類を襲う? スイス連邦国土研究所は、温暖化で地球上の永久凍土が溶けると、閉じ込められていた未知の細菌やウイルスが放出され、パンデミックが再来する可能性を警告している。コロナで人類はウイルスに脆いという証明をしてしまった。将来も覚悟すべき。どんな危機的状況でも、自らの人生の価値を見つけるために「活動の縮小と意識の拡張」がヒントになりそう。悲観的すぎるかな? (SS) ▽2021年の流行語大賞に大谷翔平選手の「リアル二刀流/ショータイム」が選ばれた。日本の世相でもMVPを受賞。日米どちらも満場一致の選出だった。そして、英語版流行語大賞『コリンズ英語辞典』の “Word of the Year” は、NFT (Non-Fungible Token=非代替性トークン) に決まった。作品売買が困難だったデジタルアートにNFTを紐付けて、証明書付きのデジタル資産になるとのこと。BeepleというアーティストのNFT作品が75億円で落札されるなど、2021年はNFTブームの年になったそうだ。▽家にいる時間が増えて、今年はよく料理を作るようになった。そして、冷蔵庫に貼った調味料の黄金比が大活躍した。計量の手間がなくなり、調理がぐっと簡単になった。例えば、ドレッシング=砂糖1:醤油2:酢2:油2、冷やし中華=醤油2:酢3:ごま油1、煮物=砂糖1:醤油1:みりん1など。▽アートの世界にも黄金比があるそうだ。長いと短いの比が1:1.618 (約5:8)。ピラミッド、モナリザ、凱旋門、名刺、トランプ、美男美女の顔、風や星雲の渦、花びらの枚数、ひまわりの種の列数など、自然界や宇宙にまで通じる法則で、神秘的な気持ちにさえなる。コロナ禍の中、人生の黄金比についても考えてみたくなった。(NS)       2021年も、新型コロナウイルス感染症が収束しないまま過ぎていく。でも、去年に比べると、大分、日常に戻りつつある年だった。グロサリーや日用品以外の店が営業を再開し、レストランではインドアダイニングができるようになり、図書館やレクリエーションセンターなどもオープンした。ガラガラに空いていたフリーウェイは、朝夕、渋滞するようになった。アミューズメントパーク、国内旅行、季節のイベント、アウトドア&インドアイベント、スポーツ観戦、ショー、ミュージカルなどにも行けるようになった。公立学校のインパーソン授業が始まったのが良かった。子供たちも私たちも、1年間続いたディスタント・ラーニングにはうんざりしていた。4月から週4日、半日のみのインパーソン授業が始まって、新学期からは通常のスケジュールに戻った。毎日、子供たちはマスクをして学校に通っている。ほとんど皆がワクチンを受けていない年齢なので、コロナの感染が不安だったが、何事もなく冬休みを迎えられそうだ。2022年はもっと良い年になることを願う。 (YA) △8月末、娘、待望の登校再開。約18か月ぶりに校舎に足を踏み入れて、学校生活を再開。終日マスク着用は息苦しさもあって大変だろうけれど、愚痴をこぼすこともほとんどない。校内で実施されている週1回のコロナ感染テストも受け続けている(たまに忘れてくるけれど)。友達とのプレイデートなども、また始まって嬉しそう。新しい変異株の出現で、落ち着きかけていたと思ったコロナ情勢がどうなるのか不安は尽きないが、ジタバタしても始まらない。できることをして、心の健康に気をつけて、乗り越えていこう。△遅ればせながら、ついに我が家もコンポスターを始めた。360度回転するタイプで、雑草、枯葉、刈り草、家庭生ごみなどを入れて、ぐるぐる回転させる。私は回すたびに、子供の頃、商店街で年末にやった福引きを思い出す。いつも最下位の白い玉ばかりで、ティッシュペーパーばかりもらっていたな〜。そろそろ1回目の堆肥ができ上がる頃。ちゃんと良いのができているかドキドキだ。自家製の堆肥をまいたら、我が家の半放置状態の果樹たちも喜びそう。(RN) 昨年も今年も、私の最大のお金の道である世界旅行に行けず、多少、小金が貯まったので、「この際だぁ~! このお金を毎日の生活の快適さに使おう」 と家の改装を計画した。工事人を探していた折、近所の人がバスルームを改造したばかりで、その彼女の工事人を紹介してくれた。「彼はあなたを失望させることはない」 と言い切ったので、彼に関して何の情報もないまま、彼女の言葉を信じて契約をした。これが悪夢の始まりだった。長い人生の中で「人は簡単に信用できない」という教訓を学んでいたはずなのに、その経験は少しも生かされず、言われるがままに彼を雇ったのが大間違い。とにかく時間にルーズ。しかも、便利屋としての経験はあったのかもしれないが、バスルームの改築という大仕事の経験は、彼女の場合が初めてだったということを後から知ったが、既に手遅れ。やる仕事、やる仕事でミスを重ねて、当然、工事は遅れに遅れ、6週間の予定が10週間たっても終わりそうにない。堪忍袋の緒が切れて別の人を雇ったら、彼のいい加減な仕事ぶりが露呈して、工事のやり直しやら何やらで、時間もお金も山ほどかかった。この間、泣いたり情けなかったりと、自分の愚かさを嫌というほど見せつけられた。シュン! 自分史に強烈に残る2021年だった。 … Read more