どうにかしたい

  ▽妻は信じられない頻度で「アレ」「ソレ」の指示代名詞を連発する。「今日はアレ (?) の用事で外出するけど、冷蔵庫に小皿のアレ (?) と昨日のアレ (?) があるから、ソレ (?) をアレして (電子レンジで温めて?)  そこのソレ (調味料?) を使って食べてね」。本人にしてみれば “完璧に話している” つもりなのだ。恐ろしい。妻のアレを100%理解するのは難しいが、類推すれば、大体何を言ってるのか分かる時もある。それにしても、アレ、ソレの乱用は昔からだけど、加齢とともに激しくなっている。気が付けば自分にも伝染していて、妻との会話にアレがよく出るようになった。マズい。どうにかしたい。▽アレは福島の方言という説がある。私も妻も福島県出身だ (流行鈍感 No.1 都道府県にランクされたり、やたらと我が故郷はディスられる)。当然ながら、指示代名詞は親しい同士で使われるが、元をたどれば、小規模なコミュニティーの中で発達した意思疎通の短縮系らしい。以下は、YouTubeに出ていた福島出身の私立大学准教授 (言語学) の説明。「個人的なアレ (見解?) としては『アレ』を使うことはよくあると思いますが、アレ (研究?) が進んでいないので、これからも調査を続けていけば、面白いアレ (特徴?) が判明すると思います」。全然分からない。本当にどうにかしてくれ! (SS) ▽「本当にどうにかしてほしい」と友人が電話で訴えてきた。彼女はアメリカ市民で、日本に住む父親が危篤状態になったため、急いで帰国する必要があった。しかし、コロナ禍、日本への入国にはビザが必要で、国籍喪失届の提出を求められたそうだ。彼女は公務員として働くためにアメリカ市民になったが、引退後は日本に戻りたいと考えていた。結局、ビザなし渡航が再開された2022年10月に父親の墓参りを行ったそうだ。▽日本の法律では、外国籍を取得すると自動的に日本国籍を失う。日本は二重国籍を認めておらず (国籍法11条1項)、国籍喪失届の提出が必要だが、実際には手続きを行わない人もいる。2023年の国際移住機関 … Read more

2024年/お正月

  星占いで読み解く新年の世相。2024年11月20日に冥王星が宝瓶宮へ順行し、約240年続く “水瓶座の時代” が本格的に始まる。占星術上の大転換期。国家主義から人道主義へ。権威から個性へ。プロの米人占術家の表現を借りると「独裁強権の残滓 (亡霊) から博愛主義の嚆矢 (黎明) へ」。すぐにパラダイスは来ない。人間の意識の大転換は安寧の中では実現しない。それは人類史が証明している。「大災害、パンデミック、ジェノサイドを経験したじゃないか!」と反論されそうだが、決定的なカタストロフィーは起きていない (恐ろしいことを言うなぁ。SSって何様?)。240年の巨大フレームの中で、2024年はどんな1年になる? 前半は既成概念を取り払う絶好機。投資・蓄財プランを見直す決断は吉 (金牛宮木星 SXt 双魚宮土星)。6月以降は、旧知の仲間よりも、新たな知人・団体・組織と関わることが吉。明確な自分自身のテーマを確立した「心の断捨離」が幸運を招く (双子宮木星 TRi 宝瓶宮冥王星/SXt 双魚宮土星)。人間の1万倍強!のニューロン数を持つASI (超人工知能) も急速に進化 (金牛宮木星 SXt → COj 天王星)。AIこそが自己実現を成功させる強力な武器となる。ラッキーカラーはピンク基調。パントン社発表の流行色もピーチファズ。当たるも八卦、当たらぬも八卦。皆さんに幸あれ! (SS) ▽皆さま、明けましておめでとうございます。1987年に誕生した 『ゆうゆう』は多くの方々に支えられて、お陰さまで創刊37周年を迎えることができました。これもひとえに皆さまのご支援の賜物と、心より感謝いたします。▽新型コロナウイルスが収束して初めて迎えるお正月。会いたい人に会える。行きたいところに行ける。共に笑い、美味しい食事を楽しむことができる今こそ、ありふれた日常がいかに特別で、奇跡的なものであるかを改めて感じています。失って初めて、その大切さを学びました。▽2024年は辰年です。辰は十二支の中で唯一の空想上の生き物であり、古来より権力と縁起の良さの象徴とされてきました。準備してきたことが実を結んで、恵みをもたらす年回りと言われています。▽今年は4年に1度のアメリカの大統領選があります。そして、夏のオリンピックが開催されます。どんな感動に出会えるか、ワクワクドキドキ、バクバクしながら応援したいと思います。▽陽光に包まれた America’s Finest City … Read more

年末/年越し

  暮れ行く2023年。今年から帽子を被るようになった。初老の実感はないが、突然死で世を去る同年代の友人もいて、寿命のマジックナンバーのカウントダウンが始まっている。老後に向かってQOLを意識したのも今年。まず、簡単なオシャレに挑戦しようと、ビーニー帽 (ツバなしのニット帽) に手を出した。還暦を過ぎてファッションに目覚めたというのはウソで、薄くなった頭髪をカバーするために妻の薦めで着用している。この帽子、余裕のある後頭部を弛ませるのがオシャレのアクセント。深めに被るとクールな印象になる。似合っているかはともかく、被り方を “研究” しながら、変化をつけて楽しむようになった。今年は5年ぶりに里帰りをして93歳の母と過ごした。「痴呆症になっていないか?」「私を息子と認識できるだろうか?」 一抹の不安を抱きながらチャイムを鳴らす。私は再会を祝う特上寿司の大皿を携えていた。母は「届けていただいて、ありがとう」と丁寧に頭を下げて、ドアを閉めようとする。慌てた私は「母さん、オレだよ!」 と呼び止めた (やはりボケたのか?)。「あなた、どうしてそんなモノ被ってるの?」と驚いている。配達人さんと勘違いしたらしい。鏡に映る自分の姿。確かに、濃紺色のビーニー帽は和食料理人さんの調理帽子によく似ている。母は正常。2023年も心穏やかに越せそう。(SS) ▽2023年の流行語大賞に、阪神タイガースのリーグ制覇&日本一を意味する「アレ (A.R.E)」が選ばれた。他には、今年7月に駆除されたヒグマ「OSO18/アーバンベア」、意中の人に対して急に冷めてしまう「蛙化 (かえるか) 現象」、自分では将棋を指さずに対局観戦を楽しむ「観る将」、「新しい学校のリーダーズ/首振りダンス」、他に「生成AI」「地球沸騰化」「ペッパーミル・パフォーマンス」などが選出された。個人的には、WBC決勝でアメリカ戦の前に大谷くんがナインに呼びかけた「憧れるのをやめましょう」を推していた。▽英語版流行語大賞『コリンズ英語辞典』の “Word of the Year 2023” は「AI」に決まった。ChatGPTを代表格に、簡単にAIを活用できるようになった。次点には、買わないほうがよい商品を紹介する「deinfluencing」、銀行が特定顧客への銀行サービス提供を停止する「debanking」などが選ばれている。▽「きれいに掃除しないと、年神様 (としがみさま) が来ないよ」。12月になると、そんな祖母の言葉が聞こえてくる。一年の実りと幸せをもたらす年神様を迎えるために、一念発起して大掃除に取りかかりたい。▽順番とはいえ、訃報は続くものだ。今年も大切な人を亡くした。毎年のことながら、生きていることの奇跡を深く感じてしまう年の瀬。 (NS) また、年末が巡ってきた。実感として、去年よりも時間が経つのが早くなっている。そして、自分が毎年同じことを言っている、ということにも気がついている。年を重ねるごとに、時が加速して流れているということか? なんと、恐ろしいことだろう。このまま行くと、数年後には、正月を迎えて瞬 (まばた) きを数回したら、もう大晦日ということになりかねない (笑)。あっという間の2023年だった。いろいろなことが今年もあった。▽夏は6年ぶりに日本に帰省した。娘とふたりで、姫路、大阪、長野、東京を満喫した。実家の父とも久しぶりに一緒に過ごせて嬉しかった。▽この2年ほど風邪も引かず元気だったのに、この秋は家族そろって次々と体調を崩して大変だった。やはり、マスク無しの日が普通になって、菌をもらいやすくなったのが原因だろうか。免疫力を高めて、発症しても悪化せずに回復できるようにしたいもの。▽娘が水泳を再開したいというので、プールがあるジムに加入した。ちょうどBlack Fridayの時期で、入会金が免除されてラッキー! 娘が泳いでいる間、私はジムで運動しようと思っている。ヨガやHIIT、ピラテスのクラスもあるようだから、参加してみるのも楽しそう。親子で体を鍛えて、元気に2023年を越したい。(RN) 光陰矢の如し。加齢とともに1年がどんどん短くなっていく・・。誰かが言っていた。10歳の1年は人生の10分の1、50歳の1年はそれの50分の1。故に、年を取れば取るほど1年が短くなっていく——と。ナットク。そんな、ますます短くなっていく今年も「腰が痛い、腰が痛い」とほざきながら、精力的に海外旅行をこなした。春には南米、初夏は日本、そして初秋はここ10年近く恒例となっているイタリア詣で。暮れにはまたまた日本を予定・・。中でも、今年のハイライトは南米の旅だった。目的地はペルーとチリ。ペルーは言わずもがな、マチュピチュ観光が最大の目的。ガイドさんのヘルプで、腰痛持ちでもなんとか登り切り、天空都市を目の当たりにすることができた。そして麓 … Read more

  車にまつわる思い出は「冷や汗体験」が多い。▽渡米直後に買った中古車はドイツ製の ハッチバック クーペ だった。9年落ちで走行距離は20万マイル+。前の所有者はかなり使い込んでいた。この車に7年間乗った。米国には車検制度がない。ある日のこと、メンテナンスの不備が災いしたのか、生命の危機に晒 (さら) されるとんでもない事態に遭遇する。アクセルを踏んでいないのに、轟音を立てて、車が勝手に急加速していく! まるでホラー映画! ブレーキも効かない! フリーウェイが一般車道に交わる直前、私はサイドブレーキを力一杯に引きながら減速させ、誰もいない歩道に乗り上げてエンジンを切り、危機一髪で事故を回避した。「制御基板の故障とブレーキオイル漏れが重なって起きた、珍しいケース」と整備士が説明してくれたが、車に呪われたような不気味さもあり、その場で「廃車にしてほしい」と告げた。▽2台目は日本製の旧式ミニワゴン。購入して1週間も経たない冬の朝に盗まれ、事故車となって乗り捨てられていた。警察署から “You’re suspected of a hit-and-run.” ということで出頭要請を受けたが、事故発生日の前に盗難届が受理されていた事実が証明され、事なきを得ることができた。被害届をすぐに済ませたのが良かった。さもなくば、面倒な状況に置かれていたに違いない。 (SS) ▽昭和30年代初期の日本、女性ドライバーが珍しかった時代、母は勇敢にハンドルを握った。故郷の福島から千葉へと移り住んだ我が家は、八百屋を開業。母は小さな白いスバルのバンで市場へと野菜を仕入れに行き、団地を巡っては挽 (ひ) き売りをしていた。時代とともに、八百屋はスーパーへと変わり、さらにセブンイレブンへと姿を変えた。車も、いすゞの3トン車や日産のブルーバードへと進化していった。男性ドライバー顔負けの母の運転技術を見るにつけ、私はいつも感心していた。時代は流れ、母もまた齢 (よわい) を重ねた。「80代半ばだよ。もう免許を返納した方がいい」と家族から薦められて、母は運転を断念した。その電話での寂しげな声が、今も私の耳に残っている。▽先日、駐車場でアクセルとブレーキを踏み間違えた。まぁ、何事もなかったから良かったものの、一歩間違えれば大惨事。ニュースで目にする高齢者のペダル誤操作による踏み間違い事故。反応速度の低下が原因で、一度のエラーが致命的な結果を招く。加齢により「なんで?」から「そうか!」への認識の転換が遅くなるとのこと。あの日以来、私はブレーキとアクセルを踏む際、常に疑念を持ちながら踏むようになった。慎重なペダル操作を心がけ、アクセルは優しく踏み込む。自分の運転に関して疑って掛からないといけないと、つくづく思う今日この頃。(NS) アメリカ生活に欠かせない車。今はもちろん必須だが、日本でも地方都市に住んでいたので、常に車がある生活だった。車好き&新しいもの好き (?) な父は、常に数台持っていて、どんどん車種を変えていった。そして、母の車は5年ごとに買い換えていたように思う。一番古い記憶は、三菱のディーラーに家族で行き、母用の車を買った時のこと。母は赤いミラージュを選び、車と一緒に黄色いエリマキトカゲの縫いぐるみやグッズをたくさんもらえて、嬉しかったのを覚えている。その頃はエリマキトカゲが流行 (はや) っていた。その後に買った車は車種は忘れたが白い車、次はワインレッドの車になり (会社の人と色が被って母が残念がっていた)、紺色の車にもなった。子供の頃は母の車でよく遠出をしていたので、車の変遷を覚えている。私はサンディエゴで留学中に運転免許を取得し、中古車を買った。最初の車は当時で11年落ちの VW Rabbit。何度も故障して修理を繰り返し、5年ほど乗った。その後は、Honda … Read more

ペット

  ▽40年を超える米国滞在。思い返せば、自分の生活空間には必ずと言っていいほど猫がいた。近所の飼い猫が垣根を飛び越えて “食客” になるケースがほとんど。実在の飼い主を無視するほど居心地が良いのか、帰らずに居候を決め込んでしまう。猫に縁があるものの、譲渡されたことはなく、私たちも来客を迎えるようにエサや簡易寝床を提供するだけ。隣家は保護猫が集まっているのか、複数の猫が定期的に住み替わり、遊びに来る猫種も様々だった。こんな状況だから、自分たちがペットを飼わなくても動物の “癒し効果” を享受できた。なぜ、我が家に移動してくるのか? 隣りは訳アリの雑居家族で、不協和音が絶えず、朝な夕なに怒号が飛び交っている。猫たちはそんな生活環境から避難してきたのかもしれない。▽日本では10代前半にコーギーの子犬を飼っていたが、明確な主従関係の構築、規則正しい散歩の日課など、求められるルーティーンに負担を感じるようになっていた。やがてネコ派に鞍替え。飼い主としては、犬の「依存性」 より猫の「無頼性」 が気楽だ。生まれながらの独立独行ぶりが、何とも心地良い。「元気か?」「まぁね!」のアイコンタクトで済むからね。▽“家族” として迎えたメス♀のオレンジタビーとは7年2か月を共に暮らしたが、3年前に最期を看取った悲しさが癒えることはない。暫くはネコなしで生きる。(SS) ▽パソコンの画面に向かうと、愛猫がやってきては、好奇心旺盛な瞳でモニターを覗き込んで、時にはキーボードを自らの寝床にしてしまう。そんな彼らの行動に、苛立つことなどできず、まぁ、何をされたって、許してしまうのが、猫を愛する下僕の日常だと思う。締切りが迫るほど、我が家の猫はその魔性をますます発揮する。▽子どもの頃、実家には常に猫がいた。「ミー」と「ブー」、愛くるしい親子猫は、昭和30年代のシンプルな「ねこまんま」で育ち、キャットフードやトイレ用の砂、獣医の手も必要とせず、健やかに暮らしていた。毎晩、私と一緒に眠り、小学校への道すがら、跳ねるようにして見送ってくれた。▽アメリカへの移住を経ても、猫との不思議な縁は切れることがない。ワシントン州の学生寮で出会った「マサヨシ」は、冬のある日、雪をかぶって窓辺に現れ、私の心を暖かくした。サンディエゴで迎えた野良猫「ピピ」は、すぐに我が家の一員となり、福猫となった。彼女とともに昼寝をする時間は、日々の忙しさを忘れさせてくれる至福のひとときだ。耳の後ろを優しく撫でれば、ピピは満足げに喉を鳴らし、その穏やかなゴロゴロ音が周囲の喧騒を遠ざけてくれる。猫との時間は、幸せが温かく、柔らかいものであることを教えてくれる。彼らは、言葉を超えて、生きとし生けるものにとって、大切なことを伝えてくれてきた気がする。 (NS) ▽最初に我が家にやって来たのは、つがいのセキセイインコ。ブルーのメスとグリーンのオス。2羽はとても仲が良かった。一緒に東京の狭い団地から田舎街の一軒家に引っ越して、鳥小屋も大きくなり、のびのびと嬉しそうだった。開放的な場所に移住して、両親は自分たちの夢を少しずつ実現。うさぎ、鶏、羊が一家のメンバーとして次々と迎え入れた。一時期は、子豚2匹の里親も引き受けるなど、我が家の庭は小動物園状態になった。田舎とはいえ、住宅街の一角にあった実家。物珍しいのもあって、近所の子供たちがよく庭に遊びに来ていた。▽私が高校生の時、初めて犬を飼った。ブリーダーの家に最後に残っていたゴールデンレトリバーのオス。やんちゃな子犬時代は手を焼くこともあったけれど、優しい子で、受験勉強で疲弊していた私の癒しでもあった。大学進学で家を出て、その後、アメリカに渡ってしまい、愛犬の世話を両親に任せることになり、最期を迎える時も一緒にいられなかったことが今でも悔やまれる。▽現在、我が家には2匹の猫がいる。高齢のお婆ちゃんと年齢不詳男子。喧嘩もせず、くっつきもせずのニュートラルな関係。人間が大好き。そして2匹とも、とても優しい性格。多少手荒に遊ばれても怒らない。私の体のどこかに触れながら、気持ちよさそうに寝る姿を見ていると、ほんわかとあたたかな気持ちになれる。(RN) アメリカに来て驚いた。ほとんどの家にペットがいる。私は18歳まで福山市で暮らしたが、実家には多くのペットが飼われていた。犬猫はもちろん、ウサギ、金魚、鯉、熱帯魚・・。しかし、東京の下宿生活から始まってアパート暮らしでも、ペットを飼うことは論外だった。自分の生活空間で動物の世話をする、という時間と心の余裕が全くない。勤めた出版社は締切り前の2週間は深夜に近い帰宅が当たり前。もしくは会社の机の上で仮眠を取り、仕事を続けるという日常なので、自分の面倒を見るのがやっとこさ。ペットが居ようものなら、何匹殺しただろうか(!)というほど髪を振り乱しての生活だった。やがて、忙殺される生活に見切りをつけた。会社を辞めて糸の切れたタコ状態となった私は、世界をうろついた。ますますペットどころではない。結局、私の生活にペットが存在するというオプションは有り得ないまま今日を迎えている。友達が「ペットに現を抜かしている人の気が知れない。動物に費やす時間とエネルギーがあるなら、人間に注いだ方が価値がある」と豪語していた。私も常々、彼女の意見に賛同していたものだが、同様に子を持たぬ彼女が、最近猫2匹を飼い始めた。すると、話題が猫のことに集中する。私は親でもないし、里親?でもないので、そういう話題にはついていけない・・・。ゴメン! (Belle) 最近、犬と散歩してる人が多い。そして、ほとんどの犬は吠えることがない 笑 それはいいんだけど、とても迷惑なことがあって、、犬のうXこが、歩道に落ちまくってる! (キタナーい!)。お隣のメヒコでは「あるある」だけど、あちらは野良犬も多いから仕方ない。しかし、こちらは滅多に野良犬を見かけない (というか、いない 笑)。飼い犬ばかりなのに、なぜ、うXこが散乱してる? 楽しいお散歩タイムも、うXこ踏みそうになるので、緊張しまくり 笑。ひどい時は2Mごとに1つはある (!!)。なぜ? この街は親切にも、犬のうXこ用のビニール袋まで用意してあるのよ。ある日のこと、現行犯を目撃してしもた! 大柄なおじさんのチワワが他家の人工芝にうXこした (!)。彼はどうするのかと振り返ると、、うXこは放置。おじさんは袋も持ってなく、そのまま過ぎ去っていくではないか! (怒!)。これがほんとのくXじじぃ! (?) 笑。目の前で大型犬を押さえて、わたしが通り過ぎるのを待ってくれた女性が「今から袋を取りにいくけど、あそこにわたしの犬のうXこ落ちてるから気をつけて」と親切に教えてくれた。・・のはいいけど、そのワンちゃん以外のも10個くらい落ちてた 笑。飛び石ゲームみたいに歩道を歩くってどーいうこと? … Read more

ファッション

  ▽日本滞在中に観ていたTV番組が47都道府県の「カテゴリー別・最下位ランキング」を発表していた。「流行鈍感 No.1」の不名誉な栄冠が与えられたのは、私の故郷である福島県 (調査方法は知らず)。長期米国生活者には、県民性がどうの、各県の優劣がどうの——なんてのは重箱の隅を突つくナンセンスとしか思えないが、最悪のファッションセンスに福島が選ばれてしまい、さすがにショックを隠せなかった。▽若い頃の自分はブランドに全く興味がなく、流行オンチを地で行く、野暮天を絵に描いたような青年だった。それが還暦を過ぎ、老年世代の仲間入りをしてからは、オシャレは Quality of Life の重大要素と思えるようになった。自分にどれだけ余生が残されているのだろうか? 計測できない「寿命のマジックナンバー」を恐れず、可能な限りファッションセンスにこだわって死を迎えたい——そう考えている。▽大層なことを言っても、私は今でも黒/紺系統に身を包むくらいで、流行オンチに変わりはない。誰の言葉か忘れたが、ファッションとは人間の本質を露出する覚悟を伴う勇気ある行動らしい。シンプルな服装でも自己の特質を表出できたなら、それこそが見事なオシャレ。三島由紀夫氏が生前に「私らしさのファッションは10年前の流行を着ること」と言っていたが、なるほど・・妙な説得力があった。 (SS) ▽黒いタートルネックとジーンズ。アップルの創始者、スティーブ・ジョブズはいつも同じ服を着ていた。「服を選ぶための時間を、仕事に使いたい」というのがその理由らしい。ジョブズだけでなく、オバマ元大統領、マーク・ザッカーバーグ、経営コンサルタントの大前研一さんも毎日同じ服を着ているとのこと。作家の向田邦子さんは、「同じ服」を「色違い」で、店から在庫がなくなるくらい大量に購入していたという。▽日本に里帰りする度に、街の人たちのおしゃれな服装に驚かされる。それに対してアメリカのファッションは、テキトーだ。流行という概念がなく、安くて良ければそれでOK。自分さえ気に入っていればよく、他人と違うことがむしろ良いとされる。▽私の定番は、ジーパンとTシャツ。かつてはさまざまな服を購入し、クローゼットに溜め込んでいた。痩せたら再びその服を着ることを夢見ていたが、購入した服は長い間、そのままの状態で眠っている。リモートワークが主流になってからは、ヨガウェアが私の定番となった。動きやすく、リラックスでき、そのまま散歩やジム、買い物にも行くことができる。もともと面倒くさがり屋だった私の性格は、長いアメリカ生活によって、さらに磨きがかかった。(NS) 十代でファッションに興味を持ってから、ずっと服&小物好きだ。今でも、自分の服を選んで着ることを楽しんでいる。娘が生まれてからは、その興味が更に増した。彼女が小さかった頃、娘は私の買ってくる花柄やピンク、ユニコーンやフリルの付いた可愛い服を喜んで着ていた。でも、7歳ぐらいから急に可愛らしい服を拒否するようになった。それから毎日、ジーンズにTシャツ、黒やグレーのフーディしか着なくなった。つまらないと思いつつ、彼女が好きそうな服しか買わないようにした。ところが9才になると、急にファッションに興味持ち始めたようで、流行りのクロップトップや私が来ているようなカーディガンやトップスが欲しいと言い出した。最近は、おそろいっぽいカーディガンを着たりして、娘とファッションを楽しんでいる。ちなみに11才の息子は全く着るものに興味がないらしく、毎日同じショートパンツにジップアップパーカー(中のTシャツは違う)を着て、1週間を過ごす。翌週は違う色のショートパンツと違うジップアップパーカーに変えて、また1週間。。。毎日いろいろな服を着て、ランドリーバスケットに入れる娘と反対に、なるべく洗濯物を少なくしようとしてくれる孝行息子だ。 (YA) 日本で出版社勤めをしていた頃は、スーツやワンピース、もしくはそれなりにフォーマルな恰好で出社していた。そして靴、バッグ、アクセサリーもかなりトータルコーディネートされていた。今でこそ、フォーマルっぽいジーンズもあるが、かつてのジーンズは “スーパー普段着” のコンセプト。そんなジーンズで初めて故郷・福山に帰省した際、姉に「あんた! その身なりで新幹線に乗って帰ってきたのか。それほど洋服を買うにも事欠く生活をしているのか?」と驚かれ、呆れられ、嘆かれたことがあった。大昔の話。やがて時は過ぎ、ジーンズは洋服の中で市民権を得て、日常ファッションとしての地位を確立し、生活に密着した洋服になっている。特にアメリカでは。銀行員などのお堅い職場以外、仕事にも遊びに行くのもジーンズにスポーツシューズがお定まりファッション。毎年、私はヨーロッパに出かけるが、やはり彼の地でもジーンズ族を見かけるには見かけるが、アメリカとの決定的とも言える違いは、ヨーロッパではスポーツシューズではなく、スリップオンの革靴を履くのが一般的。それだけでジーンズもファッションの一部となり、普段着ではなく外出着に見えるから不思議。スラッとした紳士がジーンズ+素敵な靴で歩いている姿はとてもカッコいい! アメリカ人男性よ! 是非、見習ってほしいなぁ・・。 (Belle) 好きなようで面倒くさいのが、ファッション。髪型も服もアクセサリーも、はっきり言ってどーでもいい。 (笑) 寝癖があればドライヤーで直すのではなく、そこは切ってしまう。( 笑)  中学高校時代は、休みの日も着る服を考えるのがめんどーだったから、制服と部活のジャージで過ごした。(笑) だけどー、とっても目立ちたがり屋なので、人とは違うものを好む。矛盾のかたまり。(笑)。みんなが選ぶ無難な色やものはイヤで、サングラスは緑だったり、車は古いヨーロッパ車だったり、たま〜にあるパーティーで、いつもお洒落な格好をしているメキシコ人のお姉さんに“あなた、ファッションデザイナーになれるわ!”とお褒めのお言葉をもらうような格好をする場合もあ〜る。紺色のブレザーがいる時があって、そもそも大人サイズは大きすぎるので、小学生の制服コーナーで探し 笑、ふつーのデザインはイヤだったので、子供制服業界ではメジャーなFrench Toastというブランドでかわいいジャケットを10ドルで発見して、みんなの注目を浴びた!(んー、どの意味で浴びたかは、んー笑)。自分はどうでもいいけど、人のファッションを選ぶのは好き。ちなみに友人H部長がこじゃれた格好や帽子を被っているときは、すべてあたいがコーディネイト。やっぱ持つべき友は、こーでねーと!(古い?おやじギャグには流行り廃りはないの! 笑)(りさ子と彩雲と那月と満星が姪) 最近ジーンズとTシャツしか着ていない気がする。秋になって寒きなってくると、Tシャツの上に軽いジャケットを着る。もっと寒くなったらダウンジャケットを着るくらい。要するに、服を選ぶのもコーディネートを考えるのも面倒くさいのだ。基本的に動きやすくて家で洗濯可能、アイロンがけのいらない服ばかり着ている。オシャレはしたいが、どうしたらオシャレになるのか、店に行っても何を買ったらいいのかわからない。服を買いに行くのも嫌。私にとって服を買いにいく時というのは、破けたり、寒くなったのに長袖がないといった必要性があったら行くもので、用もないのにわざわざ服を見に店へ行くということはない。また、洋服を買いに行く時は、目的のものが売っている店に直行し、それだけを探す。試着はできる限りしたくないが、最近は店が空いていて、自分に試着する元気があればする。返品しに戻るのが面倒だから。すごく元気(体力?)がない時は、Amazonで適当に選んでとりあえず買う。家で着てみてサイズなどが合わなければ即リターン。私がこんなだからか、長女が同じように服選びが苦手になってしまった。気が付けば私と同じような服ばかり着ている。しかも、日本の中高生の制服を羨ましがっている。毎朝何を着ていくか悩まなくていいからだ。ホント、オシャレって難しい。(SU) (2023年11月1日号に掲載)

あの頃

  ▽遠い昔の小学校時代。子供たちに豊かな情緒を涵養 (かんよう) せしめる目的から、文部省 (当時) 推薦作品など2本立てを楽しむ「映画教室」があった。驚くなかれ、教育映画の上映後に青年向けの恋愛映画も児童に見せていた! 舟木一夫、西郷輝彦、橋幸夫が (古くてゴメン) 自分のヒット曲と同名の映画に出演し、ヒロインも20代の吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子と華やかな顔ぶれ。純愛がテーマなので、小学生にも無害と判断? 先生たちが見たかった? 私たちは口を半開きにして、大人の恋愛模様をボーッと眺めていた。舟木一夫『絶唱』の一節「♪ 愛おしい山鳩は~山越えてどこの空~名さえ儚 (はかな) い~淡雪の娘よ ♪」を耳にすると、今でもドキドキする。▽半世紀前の日本。男のエエカッコシーにロマンの香りが漂う新車のCMがあった。最終列車に乗り遅れた女を新車に乗せて、次の駅まで颯爽 (さっそう) と送り届ける男。女「お名前だけでも」。男「急がないと、また乗り遅れますよ」。会話はこれだけ。ナレーションが入る。「雪明かりに忘れられぬ、サファリブラウンのブルーバード。心に残る男のクルマ!」。見ていて冷や汗が流れたが、寡黙な男がモテるイメージ全開の新車は空前の大ヒット。ジュリーも歌ってたな。「♪ ボギー! あんたの時代は良かった! オトコがピカピカのキザでいられた ♪」。あの頃のダンディズムは消え失せた。今では、無口すぎる男は変質者に間違えられる。(SS) ▽スマホやメールが普及する前、連絡は家の固定電話を使っていた。彼氏からの連絡を家族に知られぬように、電話の前でドキド待っていた記憶がある。渡米してからは、国際電話料金が高額で、用件だけを話してすぐ切っていた。ショルダーホンを購入した友人からは「電話するね」と前もって告知が来た。黒電話、プッシュホン、ショルダーホン、ポケベル、ガラケー、スマホと、連絡手段は進化してきた。今は好きな時に、いつでもどこからでも、すぐに連絡ができる。その昔、「真知子」と「春樹」のすれ違いの運命に、母とともに息をのんで見入っていたTVドラマ『君の名は』が懐かしい。▽高校時代、全商珠算検定で1ドル=360円と教えられた。しかし、社会人になる頃に変動相場制へ移行。80年代の留学時には1ドル=220円。1995年に姪の結婚式で里帰り。空港で1,000ドルを両替すると、なんと70,000円にもならない。銀行スタッフの「1ドル80円でも、実際のレートは・・」との言葉に驚愕 (がく)。日系2世の知人の奥さんは、以前、住み込みのお手伝いさん付きで横浜に暮らしていたそうだが、「今度は自分がお手伝いさんとして働かなくては」 と言っていた。そして今、1ドル=150円の円安。新たにアメリカへ移住した知人の驚きの表情が目に浮かぶ。為替の流れは予測不能。ビジネスをしている人は大変だ。歴史の中の円の動きに思いを馳せる。(NS) ▽高校生の娘の話を聞いていると、自分の頃はどうだったか、思い返すことがある。娘と同様、友達関係、授業の課題やテスト勉強に追われて大変だったな〜。大体、何となく同じような感じだけれど、決定的に違うのはインターネット、スマホの存在。友達との会話、学校の連絡事項、成績のチェック、何でもスマホで済ませてしまう。分からないことがあれば、自分でササッとネットで調べてしまう。あの頃、スマホがあったら、どんなに便利だったことだろうか——。▽髪を切りに行ったら、若い日本の子がアシスタントとして働いていた。髪に色を塗ってもらっている間に、最近の若者言葉についていくつか教えてもらった。エモい、量産型、草、など。「それマジ草」 などは見かけていたけれど「マジソウ?」 で意味分からず。草はクサと読み、大笑いを意味するとは想像もしなかった。日本の言葉にとてもついていけない感覚は年々増している。そして、アメリカの若者がテキストのやり取りで使う省略語も理解できないものが結構ある。「I will do it … Read more

写真

  ▽1枚の古い写真。子供時代の家族旅行で羽田から九州へ飛ぶ前に、機内で撮影した初フライトの記念写真。機長さん、客室乗務員さんと一緒に私のファミリー4人が収まっている。よく承諾してくれたものだ。時代も大らかだったのか? 満面の笑みを湛える父母と幼い弟をよそに、私の表情だけが硬くこわばっている。実は、心の中で「無事に届けてください」と念じていた。半世紀が過ぎても、フライト恐怖症は続いている。航空事故の7割強は離陸時の3分間、着陸時の8分間に集中していると言われ、魔の11分間と呼ばれている。今は、着陸進入する旅客機に空港から誘導電波 (ILS) を送信しているので、安全性が極めて高い。それでも、離着陸時に襲われる緊張感は変わらない。妻が隠し撮りした私の顔は、昔の写真そのまま。▽ポートレートが苦手の私に写真家が秘策を授けてくれた。目立つモノ・・例えば、一房のブドウのような大きめの果物・・を携えてカメラの前に立つと、自分が被写体というプレッシャーから解放されるらしい。自意識が緩和されて、リラックスできるので、表情も柔和になるとか。良いことを聞いた。猫を抱いてみた。すると、撮影直前に暴れ出し、引っ掻かれるわ、噛み付かれるわで、普段は撮れないミラクルショットが手に入った。これは意外性もあって面白い。写真嫌いを克服できるかも。(SS) ▽昔、カメラといえば、コダック一強だった。取材シーンでカメラマンを見かけると、彼らの手にはほとんどの場合、コダックが握られていた。フィルムも現像もコダックだった。でも、1990年代半ば、デジタルカメラの台頭とともに、その風景は一変した。家庭にパソコンが普及し、高性能のプリンターも登場。写真の印刷が少なくなり始めた。そして、2013年にコダックが破綻した。「カメラの歴史を牽引してきたあのコダックが・・」と、仲間うちで話題となった。さらに、2008年には高性能カメラを備えたiPhoneが世に出た。まさしく新時代の到来だった。▽先日、日本の友人からLINEが届いた。彼女が「自分の遺影撮影をしてきた」とのこと。写真館は「おばあちゃんの原宿」として知られる巣鴨にあり、メイクや髪のセットもしてくれるそうで、写真には彼女の魅力が溢れていた。そういえば、母の葬儀の際に「おふくろの良い写真あるか?」という兄の電話に焦った経験がある。手持ちの写真を探しても、集合写真で小さかったり、強風で髪がボサボサだったり。そもそも、どの写真も主役としては写っていなかった。でも「遺影撮影、しときましょうね」と、元気な時に提案するのは、どうも気が引ける。そう考えると、友人の行動は賢明だと感じる。私も日本に里帰りした際に、巣鴨に行ってみようと思う。(NS) この夏、数年ぶりに日本に帰省した際、叔母夫婦に会いに行った。「後期高齢者になっちゃったわよ」と愚痴 (グチ) る叔母だったが、まだまだ若々しく元気そう。夕食後、居間で寛いでいると「こんなにたくさんあるのよ、どうしよう」と、叔母が数冊のアルバムと大きな箱を抱えて現れた。私の母たちの子供時代から、若かりし頃の祖父母、曽祖父母、親戚、友人、近所の人たちなどの写真の数々。母と叔母の父(私の祖父)は写真撮影が趣味だったらしく、膨大な数の写真の大半は祖父が撮ったと思われる。母の母(私の祖母)は病気のため40代という若さで亡くなっている。私は会ったことがないのだが、10代頃の祖母の可愛い笑顔、看護師長として働いていた頃の凜 (りん) とした佇まいの祖母は素敵だった。アルバムの台紙に貼られた写真の配置や説明書きは祖父の作業らしいが、彼の几帳面な性格と子供への溢れんばかりの愛情がよく表れていて微笑ましかった。デジタル化してクラウドに保存しておけば、いつでもどこでも見られて便利ではあるけれど、こうやって、ペンで書かれた文字をなぞりながら手に取って見る写真は良いな・・と改めて思った。母たちが子供時代に使っていたというお茶碗とお皿と一緒に、数枚の写真をアメリカに持ち帰った。写真の中では、今は亡き私の母も、はにかんだ笑顔の少女として生きている。(RN) 1999年に京セラが世界に先駆けてカメラ付きの携帯を発売した・・とある。当時はまだ、人々のニーズが熟していなかったようだ。2007年にアップル、2008年にアンドロイドが、所謂 (いわゆる) スマホを発売し、日常的に写真をすぐ誰かに送ることが手軽にできるようになり、徐々に普及の兆しを見せ始めたが、それでも2010年の普及率は40%、それが2022年には94%となり、さらに今年は98%を超えているそうだ。こうなると、スマホを持っていないのは乳幼児とスーパー高齢者だけ?と思ってしまうほど、老いも若きも「カメラ機能付き電話」を常に携帯しているのである。まさに一億総カメラマン時代。スマホはかつてのような紙焼きの手間も要らず、パネルをタッチした瞬間に写真が見られるという、夢のような技術を超!身近なものにした。世界中どこにいても、その地の情報が写真付きで瞬時に各地に届けられる。プライベートの楽しみだけでなく、時にはメディアで採用されたり、はたまた偶然、事件の近くにいた人が撮影した映像が犯人逮捕の情報に繋がったりと、社会でも大活躍。撮り続けた写真はスマホにドンドン貯まる。しかし、紙焼き写真もそうだったが、スマホ写真も撮影直後は見るけれど、時が経つと、それらを眺める機会はほとんどない。ま、う~んと年を重ねて、自分の若かりし頃を振り返る楽しみのために、せっせと撮り貯めておこうか! (Belle) セルフポートレート→ 自撮り→ セルフィーって呼び方は変わったけど、それにしても、皆さん、セルフィーお好きよねぇー。そんなことしたらさ、遠近法で自分が一番不利 (誰よりも顔がデカく写る 笑) なのにねー 笑。自分の手や影は撮るけどね。それに自分より他の人を撮るほうが楽しいよ。今までの旅行の写真を見ると、他の人のばかりで、自分が写ってない 笑。よく考えてみたら、誰かに撮ってもらうしかない自分の写真をアルバム代わりに持っていた。なーんでしょう? それは、、これまでに交付されたパスポート、免許証、学生証&あらゆるID~。初めて原付免許を取得した16歳の写真に始まり、18歳から今までX回 (笑) 更新した全ての旅券。ただ、カリフォルニア州運転免許の写真は、ある時から昔の一枚を使ってくれるので、よく言えば、いい感じで時が止まっている 笑。でも、高校のときの写真が免許証だけなんて、寂しすぎるわー (ヤンキーすぎる? 笑)、と思っていたら、昨年末に実家に帰ったとき、お母さんの愛用しているコップに、、どうも見覚えがあるモノが・・。それは高校のクラス写真をコップに印刷したものだった 笑。しかも目立ちたがり屋だったので、クラス全員が並んでいる最前列のド真ん中に、エラそーに座っているのが、わたし・・ … Read more

ヤバい

  私の滞米生活も40年を超えた。日本の知人の多くは、米国はケタ外れに治安が悪く、生命の危機に曝されやすいと思い込んでいる (日本も凶悪犯罪が急増中だけどね)。記憶を辿ると、一歩間違えれば、命を落としかねない極限状況に置かれたことが数回あった。▽樺太と同緯度のワシントン州東部で体験した−30℃以下の真冬の凄まじさ。FWYのアイスバーン (路面凍結) に車輪を取られ、高速のままスピンを開始して絶体絶命! 少ない交通量が幸いして減速に向かい、車両後部を中央分離帯に当てて奇跡的に窮地を脱した。他車と衝突してたら・・ヤバい。▽9.11テロ直後、自宅近辺では不穏な騒動が相次いだ。50メートル先には回教徒のモスクがあり、ファナティックな反イスラム勢力が仕掛けた小型球形の爆弾が炸裂! 大音響とともに窓ガラスが割れ、我が家に粉砕物が降りかかった。負傷者はなかったが、うっかり外に出ていたらヤバかった。▽喫煙していた頃、ミニ売店でタバコを買おうとしたら、短銃を持った男が押し入り、女性店主に銃口を向けた。固まっている私に男が叫ぶ。“One more step and you’re a dead man!”。店主はレジを開けさせまいと抵抗している (マズい!)。押し問答の末に、男は現金を鷲づかみにして走り去った。犯人が業を煮やして発砲していたら・・本当にヤバかった。 (SS) ▽阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝を達成。その夜、道頓堀はファンで溢れ返り、多くの若者が川にダイブした。「かに道楽のカニの看板から離れなさい!」という、DJポリスの叫ぶ声。外国人観光客が「これってクーデター!?」と驚いていた。大阪の熱狂・・いや狂乱ぶりがヤバい!!▽外出禁止令下に、プールを自力で造ったカップルがいる。YouTubeでの情報収集をもとに、庭のデザインを考え、重機をレンタルし、上下水道の許可も取得。約8か月の工期を経て、サンティーの自宅にプールを完成させた。経費は約30,000ドルで、業者の半額以下。奥さまは日本人。彼らの行動力、良い意味でヤバい! ▽9月1日の 「防災の日」に、火山学の第一人者、京都大・鎌田教授が警告。「今後、日本で20年以内に起こるとされている大災害が3つあります。1つは南海トラフ巨大地震、もう1つは首都直下地震、最後は富士山の噴火です」。被害規模は東日本大震災の10倍以上とのこと。本当にヤバい!!と思う。▽エンゼルスの大谷翔平選手が、今シーズンの残り試合を欠場すると発表した。近日中に2度目の右ヒジの手術を受けるらしい。前回の手術から完全復帰まで約3年かかったのを考えると、ヤバい状況だ。スポーツとケガはセットだけれど、これほど悔しいことはない! 大谷選手! 早くマウンドに戻ってきて! 応援しています!(NS) 買い置きの、混ぜるだけの、簡単な ウォルナッツ ブラウニー ミックス があったので、夕方、学校から帰ってくる子供たちのおやつ用に焼いてみた。箱に入っているブラウニーミックス (粉) に水と卵1個と植物油をよく混ぜる。あらかじめ薄く油でコーティングした8 x … Read more

暑い/温暖化

  ▽地球温暖化ではなく、地球沸騰化らしい。記録的猛暑と大規模な森林火災、異常気象がもたらす農作物の不作と食糧危機、さらに、永久凍土に閉じ込められていた未知のウイルスや細菌が氷河融解で放出され、新たなパンデミックが再来するという恐怖・・。人知を結集しないと、地球生命の臨界点を越えてしまう。先ずは温室効果ガス削減の強化。そして脱化石燃料の実現。微力ながらも、個々人ができることを考えよう ▽昨年の夏に重度の熱中症 (heatstroke) を体験した私。今年の夏も暑い。予防のために麦茶をガブガブ飲んでいたら、衝撃の事態に見舞われた。我が家界隈では大掛かりな上下水道工事が行われ、一時的な断水が何度も起きている。回復後から麦茶を大量に作り、飲み続けていた私は、ふと気づいた! 蛇口から流れる水の色そのものが薄っすらと「茶色」ではないか! 慌てて作業員の1人に苦情をぶつける。「流し続ければ透明になるよ。パイプの塗料が少し混ざっただけ。人体には無害なので心配いらない」 と、涼しい顔で言う。でも、レストランで出されるお冷 (ヒヤ) がこの色だったら飲めないよ! 胃腸が丈夫な妻は、少しカビが生えているアップルパイを食べても元気一杯!! 茶色の水を飲んでしまった夫を「何を不安がってるの?」 と笑い飛ばす。あなたのようにはいかないよ。夏の私は弱いから。 (SS) ▽暑い。とても暑い。日本に帰国中の友人からは、次々と「酷暑だよ」「クソ暑い!」「メガ暑、ギガ暑、テラ暑」という声が聞こえてくる。「エアコンは好きではないが、もはや必須」と友人。部屋の温度上昇に気付かないまま倒れる高齢者が続出しているらしい。▽子供の頃、夏と言えば扇風機が活躍していた。昭和時代の扇風機は、ヒラヒラとした吹き流しが付いていて、それが風を感じさせてくれて、なんとなく涼しい気持ちになっていた。扇風機の前で声を出すと、宇宙人っぽい声になるので「ワレワレハ〜ウチュウジンダ〜」と言ってよく遊んだ。▽また、風鈴の音色は夏の象徴だった。でも「風鈴の音で涼しく感じられるのは、日本人だけ」という衝撃の研究結果がNHKの『チコちゃんに叱られる』で紹介されていた。日本人は風鈴の音を聞くだけで、風が吹いていると勘違いし、涼しいと感じる条件反射を身に付けたらしい。▽現在、我が家にはまだエアコンがない。暑さを凌ぐために購入した簡易式クーラーは、稼動した途端に電源がトラブルを起こし、電気屋さんを呼んだら、高額な配電盤が必要とのことで、結局、放置してしまった。地球の気温は年々上昇し続けている。次の50年でさらに1.5〜2.5℃の上昇が予測されており、これからの夏はさらに厳しくなるとのこと。そろそろ真剣にエアコンの設置を考えなければならない。(NS) 地球温暖化のニュースをよく耳にするが、確かにサンディエゴも年々暑くなってきている。サンディエゴの夏はもっと涼しくて、過ごしやすかったと思う。日差しは強いけれど、風が涼しくて、カラッとしていたような。。。いつの間にか、夏が蒸し暑く不快になってきた。もしかしたら、湿気の多いジメジメした日本の夏を久しく経験していないから、少しの湿気でも耐えられなくなってきたのかも。。。やはり、グローバルウォーミングのせい? そのうち、日本の夏のように蒸し蒸しに暑くなるのだろうか。すでに蒸し暑い日本は、どれだけ厳しい暑さになるのだろう。想像すると恐ろしい。今、子供たちの夏休みを利用して、北カリフォルニアにある夫の母の家に滞在している。サンフランシスコから1時間ほど車で北東に行った地点にあるこの街は、海からも遠く、平地に囲まれていて、夏は気温がとても高くなる。日中は100℉以上になる。でも、乾燥していて、カラッとした暑さで、いつでも強い風が吹いている。義母は「暑い暑い」とボヤいているが、湿気の多い最近のサンディエゴの夏に慣れた私たち家族には過ごしやすく感じられる。あと数日でサンディエゴに戻る。これから一番暑い (と言われている) 9月がやってくる。扇風機で乗り切れるだろうか。 (YA) 海面上昇、異常気象、砂漠化などをはじめ、氷河、永久凍土、海氷の融解をもたらす地球温暖化=Global Warming。人間の活動が活発になるにつれ、二酸化炭素などの温室効果ガスが大気中に放出され、地球全体の平均気温が上昇する現象だ。そして、この変化は20世紀半ば以降から、かつてないほどのスピードと規模で深刻化しているという。人類が危機感を抱いて、1985年に温暖化に関する世界会議がオーストリアのフィラハで開かれたそうだ。ある調査によると、10年に0.12~0.22℃の割合で気温が上昇しているとのこと。美しい水の都、私の大好きなベニスもこの地球温暖化の影響をダイレクトに受けて、海面は1年に2ミリずつ上昇。このまま行けば2100年までに水没してしまうとさえ言われている。インドネシアの首都ジャカルタに至っては、地下水の汲み上げによる地盤沈下と温暖化とが相まって、2050年までにはジャカルタ北部の90%が海に沈むという試算から、2045年までに首都を移転する計画もあるそうだ。このように、地球上の誰もがその影響を被 (こうむ) る現象に直面し、各企業がそれぞれ対策を講じて努力を続けているのは周知の通り。では、我々は個人として、何ができるかというと、節電、節水、公共交通機関の利用、エコバッグ持参・・・。はい、すべて努力しています。だから、大好きなベニス、沈まないでぇ~! (Belle) やたら蒸し暑い。こんな酷暑はサンディエゴでは経験しなかった。真夏でも汗が出るほどではなかったし、日陰に入れば涼しさや寒さえ感じていたのに、ここ数年は温暖化の影響なのか、以前ほど乾燥してなくて、湿度が増したように感じる。汗が出る! 洗濯物も食器も、ちょっと放っておけば、すぐ乾いていたのに、翌朝になっても乾いてない! 異常だわー。肌が汗でベトッとする。日本なら当たり前なんだけど、ここ数年、サンディエゴは何かがおかしい。はっきり、くっきり、変化が見られるのは、、外で川などない所で普通に蚊に刺される! 先日は、家を出て中庭を通って、駐車場の車に乗るまでに5箇所ほど刺された! 片道1分くらいの歩行距離なのに … Read more

繰り返し/リピート

  ▽写真の撮られ方が下手だ。シャッターを切る瞬間に目を閉じるので、パスポートや運転免許証の更新写真が一度で決まらず、撮影を繰り返す。「瞬 (まばた) きをせず、軽く笑顔をつくる感じで、口角を上げて、そのまま!」と言われても、プレッシャーを感じて、思わずレンズを睨 (にら) んでしまう。修学旅行の記念写真でも私は目をつぶった。写真家に聞いたら、集合写真を一発で決める奥の手があるという。先ず、全員に目を閉じさせる (!)。そして「はい!」の掛け声とともに目を開けるよう指示。全員が号令一下で目を開けるので、勢いもあり、半目になる心配もなく、成功間違いなしとか——。▽朝露の香りが立ちこめる中庭に佇 (たたず) み、カリフォルニアレモンと蘭 (ラン) の木で受粉の媒介を繰り返す野鳥の姿を眺める。毎朝これをリピート。頭と羽が青いアメリカカケスや、紅色の胸が芝生に映えるコマツグミの艶姿 (あですがた) を目にするのも珍しくない。多くはスズメだが、集団主義の彼らの行動様式にもルールがあって、捕食鳥のハヤブサから身を隠す時など、司令塔役の一羽が警戒警報の囀 (さえず) りを発して、仲間の危機管理に努めている。スズメの寿命は約2年。世代交代の繰り返しにハッと気付かされることも。その無常感がたまらない。空 (くう) とは、営みを繰り返す不変の摂理と、絶え間ない変化の両域に身を任せる心境かな。まだ観念的だな。実は何も解っちゃいない (笑)。(SS) ▽15年ほど前から、朝の6時頃、窓の外に散歩するご夫婦の姿が見えていた。時が経つにつれ、旦那さんの歩く速度が遅くなり、やがて奥さんだけの姿になった。あるゴミ出しの日、彼女と話す機会があり、ご主人が亡くなったことを知った。雨の日も、風の日も、彼女の散歩は続いている。それは単に体や心のリフレッシュだけでなく、困難を乗り越えようとする、彼女の強い意志の表れとも思えた。▽散歩と言えば、歴史に名を刻んだ偉人たちも、しばしば散歩を日課にしていたと言われている。例えば、厳格なルーティンを守り続けた哲学者カントは、毎日、同じ服を身にまとい、午後3時半に散歩に出ていたという。進化論の父ダーウィン、天才作曲家ベートーベン、詩人のゲーテ、心理学者フロイト、画家のピカソ、アップルの創始者ジョブズ、作家の村上春樹らも、優れたアイディアを思いつく度にメモをとり、再び歩き始める。それを繰り返していたと聞く。▽三日坊主が特技の自分としては、多くの偉人たちが続けていた「情熱のルーティン」を見習いたいと思っている。散歩に限らず、続けることの価値を見つけ、行動に移すことこそが、人生に深みと彩りを加えるのだろう。彼らのように、自分の信念に従って日々を過ごすことが、真の豊かさを手に入れるための秘訣なのかもしれない。(NS) 最近購入して、とても気に入った、リピート買い決定のアイテムたち。①日焼け止めクリーム。日本へ帰省中に立ち寄った、大手の生活雑貨店で見つけた日本製のもので、まさに秀逸な一品。顔にも体にも使えて、特に塗った後のサラッとした感触が快適。クリーム系を体に塗るのを嫌がる高校生の娘でも、これだとOKらしい。この調子で使っていたら、この夏が終わる前に使い切ってしまう。どうして、あの時1つしか買わなかったのか、すごーく後悔中。ネットで買えるか調べてみよう。②ヘアクリーム。これも、帰省中の家族旅行で義妹が持っていたものを使わせてもらい、その効果に感激。夜に入浴後、タオルドライした髪にこのヘアクリームを塗り、ドライヤーで乾かすと、翌朝には、いつもうねりまくる癖毛+乾燥してバサバサの私の髪が、しっとり艶やかに整っている。感激して、どこで購入できるかを聞いて、旅行後、早速その店に行き、まとめ買いをした! 次回帰るまで保ちますように。③これは最近始まったことじゃないけれど、我が家の猫たちは小袋入りのペースト状の、あの魔法の日本製おやつが大好物。こちらでも買えるけれど、日本滞在中にペットショップで大袋を買い込む。食の細いおばあちゃん猫も、この小袋の封を開けると喜んで駆け寄り、1袋を全部平らげる。(RN) 自分自身をよ~く観察してみると、どうやら、私は繰り返し何かをすることが好きな人間のようだ。例えばレストラン。今からン十年も昔、地下鉄で知り合ったインド人が偶然にもインドレストランのオーナーだった。その店に行ってみたら、あまりの美味しさに仰天! 以来、足繁く通うことになり、多い時は週に4、5回も。金曜夜に行って、土曜昼にもというのはザラだった。私はインド料理の味に魅了され、インドへ習いに行ったほどだ。次に音楽。一度気に入ったら、そのアーティストの曲ばかりを毎日毎日繰り返し聴く。この傾向に気づいたのは中島みゆきにハマってから。明けても暮れても、彼女の音楽を YouTube で聴きまくった。それがアンドレア・ボチェッリになり、セサリア・エボラになり、ルイス・ミゲールになり…今はイタリアのハンサムトリオ Il Volo に夢中になり、既に1年以上。これが朝昼晩、いくら聴いても聴いてもまだ飽きない。この持続性はこれまでの記録だ。そして旅行。一旦、その土地が気に入ると繰り返し訪れる。日本にいた時はタイのコサムイに魅了され、最多で年4回、各季節にダイビングに。計15回ほど行っただろうか。現在は南イタリアに恋して、毎年晩夏には決まってイタリア詣でをして、各地の雲丹 (ウニ) パスタを堪能している。ああ、楽しからずや、繰り返し癖! … Read more

旅行

  私は環境の変化に馴染めないタイプなので、旅行移動中に熟睡することができない。周りの人の所作も気になる。新幹線の車中。カシャカシャ、ゴソゴソと耳障りな音。私の座席から通路を挟んだ左側の乗客が、何やら悪戦苦闘中。会社員風の中年男性。テーブルにはKIOSKで買ったと思われる缶ビール、真空パックのチーズ、焼き干し芋。「一人宴会」を始めようとしてチーズを開封したものの、両端が金具で留められたビニールを剥くのに四苦八苦。爪で引っかいたり、捻ったり、二つ折りにしたり、歯で千切ろうとしたり・・。それでも諦めない (その気持ち、分かる)。彼は15分近く格闘していたが、手を止めてビールを飲み始める (諦めたのか?)。いや、チーズは後回しにして、干し芋の封を開け始めた。ところが、切り分けられた芋が袋の中でベッタリと引っ付いて、1枚だけ取り出すのは無理。ベトベトの手をハンカチで拭う。日本の商品は品質管理と衛生基準のレベルが高く、密閉/密封を厳重にしているので、安全性に信頼が置ける。しかし、少々度が過ぎる感もある。疲れ果てた男性はビールだけ飲み干して、チーズと干し芋を抱えながら、哀愁を漂わせて、私が降りる1つ前の駅で下車した。釈然としない結末のドキュメンタリーを観ていたような約30分間。春の旅行中に私が目にした、日本的な光景 (?) の一つ。 (SS) ▽初めての海外旅行がワシントン州への留学で、その後、カリフォルニア州に移り住み、日本への里帰りが定番旅行となった。未だに、ヨーロッパも、アジアも、ハワイもニューヨークも行ったことがない。▽かつて、家族で「西部国立公園ツアー」に参加した。父は空港でカメラを置き忘れ、母は足に魚の目、姪はホテルに上着を忘れるなどのハプニングが続出。私といえば、お腹の不調で、バスの最前席と最後尾のトイレを何回も往復した。渓谷の景色よりも、そんな旅のドタバタが懐かしい思い出となっている。▽コロナ禍で家に籠もりながら、バーチャル旅行を楽しんだ。将来、アバターロボットで月や深海を探検したり、遠くの友達と世界旅行に出かけて、現地ガイドの案内をリアルタイムで体験できるとのこと。さらに、網膜と脳を連動させたフルダイブ体験で五感を活用する旅が可能になると言われている。歳をとって動けなくなっても、新しい冒険が待っている。▽「旅行は計画している時が一番楽しい」らしい。そんな「休暇幸福曲線」をオランダの研究者が明らかにした。旅行中の幸福は2週間限定だが、計画に感じる幸福感は8週間持続するとのこと。ルートや観光地の選定が前頭前野を刺激し、ドーパミンを放出して興奮と意欲が増すらしい。旅から帰ったら、すぐ次の計画をしよう。パッケージ旅行が大好きな自分としては、目からウロコが落ちるほどの発見だった。(NS) 子供の頃、両親が共働きで忙しかったので、家族旅行をした記憶があまりない。でも、普段の休日には母と妹と3人で出かけることが多かった。買い物とランチ、山へハイキング、瀬戸大橋や蒜山 (ひるぜん) 高原までドライブ、冬は年に1、2度スキーに連れて行ってくれた。お盆休み、お正月休みには、よく兵庫県の母の実家へ帰省していた。私が覚えている家族4人の旅行らしい旅行といえば、中学生の頃に訪れたハワイ、山口の萩、高知の足摺岬、それから私が米国留学する少し前にキャンピングカーで岡山県北部へ行った一泊旅行だ。成人して自分が親になってみると、忙しい中、私たちをいろいろな所に連れて行ってくれた母をとても有難く感じる。私も子供たちに多くのことを体験させてあげたいが、時間的制約と経済面でなかなか難しい。日本にも連れて行きたいけれど、なかなか実現しない。この夏、子供たちのクラスメイトは外国へ行くそうだが、私たち家族は北カリフォルニアのグランマの家へ行く。2人とも大喜びで、楽しみにしているので私も嬉しい。グランマと過ごして、プールで泳いで、夏休みをエンジョイしてほしい。私もサンディエゴからベイエリアへ引っ越した友人ファミリーや義母、義父、夫の叔父叔母に会うのが待ち遠しい。義母宅の広いキッチンで料理をするのも楽しい。 (YA) 大抵の人は旅行好きだと思うが、諸事情でなかなか出かけられない人も多々いることも確か。私は東京時代、忙しい仕事のせいで、思うように休みがもらえず、せいぜいが旅程4、5日の近場の外国が旅行先。しかし、その会社を退職し、フリーランスになってからは、世に言う「糸の切れたタコ」状態。暇とお金を遣り繰りしての、大型小型の世界旅行が始まった。東京で遊ぶと高くつく。飛行機代さえ出せば後は格安、と暇に任せて、1年に春夏秋冬、タイのサムイ島に行くなど、かなり人生を遊んで過ごしてきた。物にお金を使うより、記憶にお金を使う。故に、せっせと節約に励んでは旅行に出かける。最近になって、その回数と旅程の長さが増えた。暇とお金は何とかなるにしても、健康な時に行けるだけ行っておこうと、最早イケイケドンドン状態だ。そして、とうとう私の海外訪問国50か国目となるチリに、この春、足を踏み入れた。首都サンティアゴで、世界各地と比べると格安という雲丹 (ウニ) を3食続けて味わうという贅沢、至極の幸せを経験させてもらった。日本も含めて旅行先で美味しいものを食す。そんな時、あぁ、生きててよかった、健康でよかったと痛感する。私がこんな話を従姉 (いとこ) にすると、旅行に行くには勇気も必要よ、と言う。暇もお金も健康も手にしていながら、勇気のない人は旅にも出られないのか。あって良かった、勇気。バンザーイ! (Belle) 米国では希少で貴重~な3連休の2日目に (1日目はダラっと飲んでオワってしもた 笑)、、、あ、2日目の朝からキャンプ始めたんじゃなくて、午後にキャンプへ行くと決めた (遅っ!笑)。しかし、、祝日のキャンプ場予約が当日に取れるワケがなく、、。過去に友人H部長が、連休に「翔平 (野球試合) を観に行って、帰りに San Onofre のキャンプ場で2泊しよう」と、なんとも楽しい思い付きにすぐ乗っかったわたしは、エンゼル・スタジアムに向かう途中で「えーっと、ゲームは何時からかな?」と調べ出したら、、試合はあるけれど、アウェイ&他州 (・・・) だった (^_^;)。H部長の頭の中では「試合=アナハイム」らしい … Read more