HomeFeaturesStaffTalkスタッフ閑談

StaffTalkスタッフ閑談

探す/探し物

  30年ほど昔、初めて国境を越えて、ティフアナの中心街を目指していた私は、田舎道に迷い込んでしまった。戻るべき道を探しても、見当がつかない。地面から針金が突き出ている未舗装の悪路を行く私の車は、二度のパンクに見舞われる。修理工場を探すにも周囲には古い民家が数軒あるだけ。ロードサイドサービスを要請するにも現在位置が分からない。途方に暮れていたら遠方からタクシーが近づいてきた。“地獄に仏” とばかりに乗車したが、これがメキシコ名物「相乗りTAXI」初体験の巻! 最初に母娘2人が後部座席の私の横に座る。次に、ソンブレロとチャロの衣装に身を包んだマリアッチ楽団の男たち3人が乗り込む。運転手を含めて総勢7人が1台の小型車に!! トランクに収まらないギターに挟まれて身動きが取れない。やがて、男たちが大ゲンカを始めたからたまらない。1人が何かを探し始める。ギターケースにマシンガンが隠されていたメキシコ映画を思い出して、不安になる。今度は、子連れのオバさんが私にスペイン語でまくし立てる。「あんた! $1だけ払いなよ。ボラれるんじゃないよ!」と言っている様子。ギターの間から必死にうなずく私が滑稽 (こっけい) なのか、女の子が大笑いしている。中心街へ戻り、乗り捨てた車の所在地も探り当て、ようやく “魔界” から解放された。...

困る/困った

  国境の街サンディエゴの土地柄なのか、私はよく中南米人に間違われる。社会保障局 (SSA) などの政府機関でもスペイン語の書式を渡されることがあり、英語版に替えてもらう。自分ではラテン系の顔つきとは思えないのに、メキシコ国境を越えてティフアナの街へ行こうものなら、同胞扱いされて「変なこと」に巻き込まれる。▽青年がヒスパニック系の名前を叫びながら、私に近づいてきた。人違いなのに、私の肩を抱えて上空を指差す。困惑しつつ、澄み切った青空に目を凝らすと、謎の飛行物体が! 子供の頃に写真で見た「アダムスキー型UFO」に似ている。複数の窓もある! 不思議な感動に包まれて、誰だか知らないけれど、互いに肩を組んで見上げていた。第三者が二人を見たら完全なアミーゴ状態。▽中心街のレボルシオン通りを歩いていると、どこかのお婆さんから「ティノ!」と呼び止められた。出稼ぎ帰りの息子と勘違いしているのか、いきなり私の手を握り、目に涙を浮かべて堰 (せき) を切ったようにスペイン語で延々と話し続ける。「お母さん、僕はティノじゃないんだ。ハポネス」と何度も繰り返したが、分かってもらえるまで想定外の時間を要し、本当に困った。  ▽アメリカへ戻るために税関へ。スペイン語の検問を遮 (さえぎ)...

変化

  人生で意識の大変化が起きた瞬間が三度ある。20代前半は細かく日記を付けていた。日記とは第三者が読む可能性を想定した行為であることに気付いて、怖くなった。私は日記帳を買い替え、赤裸々な感情表現をすべて削除し、事実だけを書き残すという大作業に取りかかり、あまつさえ日記自体もやめてしまった。処世術としての欺瞞 (ぎまん) という悪知恵が生まれた瞬間だった。40歳を過ぎた頃、将来を見据えるパノラマビューのアングルが大きく変化した。譬えて言えば、野球場のバックネットから外野席を超えて大空を映し出す「無限大の画像」が、突然、バックスクリーンからホームプレートを包み込む 「凝縮されたフレーム」に切り替わった。“人生の砂時計” が反転し、寿命の折り返しを覚醒させられた瞬間だった?  還暦を迎えて、老化という現実を前に死生観が大逆転した。父方の先祖で80歳まで生きた男は1人だけ。長寿家系じゃない。自分もあと十数年なら、死を念頭に置き、ひたすらQOLを追求すべきじゃないのか? もし、不治の病が発覚しても、むしろQOLの意義と価値が高まり、充実した余生になる。死は恐るるに足らず。そこまで達観を表明していながら、あえなく周章狼狽 (しゅうしょうろうばい)、世を儚 (はかな)...

奇跡!?

  ▽一時帰国する時は、老齢の母を湯治に連れていく。10年ほど前、新潟県内の老舗温泉宿に投宿した。古代ヒノキの内風呂、茶室風味あふれる床の間など、随所に豊かな日本情緒が感じられ、迷うことなくネットで予約を入れた。母も私も初めて訪れた宿。旅館の歴史を紹介する展示場があり、 陳列品の一つ、麒麟 (キリン) を模した中国の純銀製香炉 (煙を焚く仏具) の説明を読んで腰を抜かすほど驚いた。寄贈者は私の祖父! 日付は昭和28年11月。まだ母は嫁いでいないし、私も生まれていない。祖父からは何も聞かされていない。盆栽と骨董品蒐集が趣味だった祖父。宿帳を調べてくれた3代目の若女将から手紙が届き、当時、祖父母は先々代の宿主とは昵懇 (じっこん) で、定宿にしていたようだ。▽18歳頃から3年間ほど、年に一度だけ、11月30日に激しい...

時間/サマータイム

   “史上最強のマイペース男” と妻に言われる。考えてみれば、子供のころから「時間を自分の都合に合わせる」傾向があった (困った性格だ)。▽小学生時代に固く守り続けていたルールは、帰宅したら、まず宿題を終わらせてから遊びに行くこと。友達と河原で野球をする時間に間に合わず、日没近くになって、グローブとバットを抱えて駆けつける。オレンジ色の夕日が一面に広がって、そこには誰もいない・・。▽中学生時代は遅刻ギリギリの登校を繰り返す日々。学校までの距離が遠いのに、時間を気にせず、朝に放映されていた面白いテレビ番組 (チャップリンの連続短編ドラマ) を観てから自宅を出ていた。私の姿を目撃して慌てて走り出す生徒たち。彼らの後を追い、校庭のホームストレッチでラストスパートをかけ、全員をごぼう抜きにするのが日課。校舎の窓から眺めていた野次馬から歓声が上がった。▽何をするにも手際が良すぎる妻は、仕事も家事もサッサと済ませる。月末の最終週になるとカレンダーをめくり、翌月にしてしまうので、それを知らない私は日付と曜日を間違える。妻はサマータイムを2日前からセットしていた。そうとは知らぬ私も1時間進める。余分なプラス1時間を誰が知る?「なかなか寝つけない」とつぶやく私に、 妻が「じきに慣れるわよ」。(SS) ▽「だいぶ前に、日本にもあったよ夏時間」 と母が電話で教えてくれた。ワシントン州の大学に留学したばかりの頃、サマータイムを知って不思議な気持ちになった。生まれた時から1日は24時間だったので、「時間って、人間が決めた約束事なんだ」と感動すら覚えた。当時、高額だった国際電話でその驚きを母に伝えたら、冒頭の言葉が返ってきた。何でも、第二次世界大戦後の連合国軍占領期にGHQ指導下で導入されたらしい。でも、残業増加や寝不足を引き起こすなどの不評を呼び、3年ぐらいで中止になったとのこと。当時の人々やメディアは“サンマータイム” と表記していたそうです。▽1日24時間、時間は誰にも平等に与えられている。もっと上手に時間を使いたいと、ここ数年、取り入れているのが30分の昼寝。「午後3時までに15分~30分、パワーナップをとりなさい」 と主治医が薦めてくれた。横にならずにクッションを置いて、机上で伏せて寝る。昼寝前にコーヒーを飲むと、カフェインの作用で20分程度で目が覚める。身体にも脳にも良いらしく、最近では、昼寝を取り入れる企業も増えているそうだ。以前は、ランチの後に睡魔に襲われ、気合いで乗り切っていた。ちなみに、脳のゴールデンタイムを生かすためには、22時~23時までに就寝し、6時に起きて、昼に仮眠が良いらしい。(NS) ▽サンディエゴに住むようになり、自分の中で時間の感覚が変わった。春がやってきたと思う頃、時計を1時間進める。日の入りが一気に遅くなり、明るい時間が長くなって夏気分に突入。そして、楽しかった夏が終わり、寒い季節がやってくるな〜と少しブルーな気分になる頃、時計を1時間戻す。夜更けが急加速する。1年に2回、時計を強制的に変えるという習慣をなんの違和感もなく受け入れるようになったのは、いつのことだったろうか。渡米前は、時計が早くなるとか、遅くなるなんてことは考えもしなかった。自国で暮らしている限り、時間は永遠に同じだった。それに対して、アメリカは同じ国の中でも時差が存在する。州によってはサマータイムを取り入れていないところもあるのだ。なんて自由気まま!...

金持ち/金銭感覚

  余計な買物はしない。生活必需品だけでOK。私は物欲の乏しい人間。そう思っていた。物欲欠落者の心理には、① 欲しいものは全て獲得済み、② 物質よりも精神性重視、③ 自己評価が低い、 ④ 無気力で他の欲求も低い、⑤ 絶対的な価値観がある ―― のいずれか、あるいは複数の要素が働いているらしい。自分は...

スピード

  ▽幼い頃、交番勤務の若い巡査さんに絶大な信頼を寄せていた。河原の泥濘 (ぬかるみ) にハマって動けない私を発見し、自転車から飛び降り、驚くべきスピードで救出してくれたことがある。お巡りさんこそ、世界一のスーパーヒーローだった。交番へ行くとチューインガムやキャラメルがもらえた。夏にはスイカまで出してくれる。「気が優しくて、正義感にあふれるお巡りさん」「警察官は現代の救世主」という、子供心に揺るぎない固定観念を持っていた。▽ “海水浴デビュー” を果たした6歳の夏。8月下旬の太平洋は荒れていた。容赦なく強風が吹きつける海岸。父と弟は海水浴へ。 隣りにいた母と叔母の姿がなく、心細くなった私は警察の救護テントに駆け込む! 大音響の拡声器で「お子さんを保護しています!」と呼び出された父が、息を切らして私を迎えにくる。2度目は母の帰りが遅くてパニックに陥り、またもテントに猛ダッシュ! 再びマイクロフォンで呼び出される家族。両手にかき氷を持った母が、遠くから必死に追いかけてきたのも知らずに・・。3度目はビーチパラソルが飛ばされ、もはやこの世の終わりとばかりに、お巡りさんを目がけて一目散! 弟を背負った叔母と両親が必死に追いかけるも、脱兎のごとき猛スピードで駆け抜ける少年を止めることはできなかった。(SS) ▽スピードスケート女子団体追い抜き...

待ち合わせ

  20代初めの頃、新古今和歌集が愛読書という◯◯さんとの初デートを1週間後に控え、私は焦っていた。センスの良い男を印象づけたいと、入念なデートプランを練りに練って当日に備えた。映画、観劇、音楽会の中から「N響コンサート」を選んだものの、夕食場所が決まらない。日記を読むと、グルメとは縁遠い自分が背伸びしていたのが窺える。当時の人気レストランから候補を3店に絞った。シビエのグラーシュが一押しのドイツ料理G店 (渋谷)、フルコースが評判のフランス料理L店 (新宿)、フォアグラのポッコンチーニが絶品のイタリア料理K店 (六本木)。事前に各店を巡り、実際に注文して最高の料理を厳ぶという涙ぐましい努力も…。待ち合わせ当日。大過なく初デートを終えて帰宅した私は、拘束から解放された人質のように疲れ果てていた。その後、会うたびに異様な疲れ方をする自分に気づき、付き合いは自然消滅。そして10年後、私は◯◯さんとは似ても似つかぬ元気な△△と結婚する。かたや文学的な正統派美人。こなた「NHKのど自慢」で抱腹絶倒している超庶民派。笑うために生まれてきた女。待ち合わせにプレッシャーなど微塵もなく、2人で寄席やB級グルメの大衆料理を楽しんだ。エエカッコシーでは「幸せ指数」を高められない。地味でも心の底から笑える人生が良いのだ…。(SS) ▽学生のころから「待ち合わせは書店で」と決めていた。約束の時間まで情報収集ができて、遅れた相手に「本を探してたから」と伝えられた。本をきっかけに、初対面の相手とも会話をスムーズに始められた。今はスマホがあるので、暇つぶしには事欠かない。▽自分は「時間を守る」タイプだ。当然のマナーと思っていた。でも「このヒト面白い」と思える人は、皆一様に遅刻の常習犯が多い。だけど、会話がはずんで楽しい。だから、誰に対しても、時間の正確さを求めないようになった。▽時間を守ることは大切だけど、そこには特別な価値が生まれないような気がする。例えば、「遅れずにピザ届けます」よりも「焼くのに時間かかりますけど、極上のピザ届けます」のお店に注文したくなる。▽いつも会議に遅れてくるヒトが、意外なアイデアを出したりする。時間を分単位で守る「べき論」よりも、もっと「夢中」になっていることを優先させている気がする。ユニークなアイデアは、時間にルーズなおおらかさから生まれくるのかもしれない。▽マイペース人間のクレージーなアイデアを実践に移すには「時間を守ること」に命をかけているような人が不可欠だ。世の中には、時間に厳しい人もいれば緩い人もいて、両方のタイプの人間が必要だ。「待ち合わせ」に対して、自分にも他の人にも、もっともっと寛容になりたいと思う。(NS) △私の友人で、待ち合わせの時間に必ずと言っていいほど遅れてくる子がいた。15分程度は遅刻の枠には入らず、最長2時間近く待ったことがある。「あと◯分で着きます」と途中で何度か連絡が入り、到着すると、とても申し訳なさそうに何度も謝るのだが、次も同じことを繰り返すのだ。約束の時間の少なくとも数分前には待ち合わせ場所に着いていたい私は、最初の頃はイライラして「時間を守れないと、社会に出て苦労するよ」などと、生意気にもお説教を垂れたこともあった。でも、気の合う友達だったので、その子との待ち合わせは準備をして臨むようになり、心の平静を保つことができた (笑)。 △友人との待ち合わせに限らず、病院の予約など、約束の時間には余裕を持って間に合うようにしてきた私だったが、子供が生まれてから状況が一変。小さい子がいると予定通りに行かないことが多すぎた。ドクターアポにギリギリに到着したりが何度かあって、 余裕の幅をさらに広げて対応するようになった。普通なら5分で終わることは15分かかると予想して行動するなど。それでも遅刻したな〜。待ち合わせに遅れてくる人には、それぞれ止むを得ぬ事情があるんだと、暖かい目で見られるようになった。子育てを通して、自分もその辺、ちょっとだけ成長できたかな。(RN) 昨年、ある人と待ち合わせて、ありえない! 続けて4回トラブったことがあった。事の始まりは…一緒に歩こうと待ち合せた場所に現れない。時間にルーズな人ではないから、何か事情がと、連絡を取ろうとしたら、シマッタ! 携帯を忘れている!...

マイホーム

  30数年前に最初のマイホームを手に入れた。家屋の造りや外観はどうでもよく、いささかの居住空間と仕事環境を確保したかった。物質は幸せの本質を与えてくれない。漂泊俳人・種田山頭火 (たねだ・さんとうか) のように “草庵の安住感” だけでOK。新居の条件は会社まで車で1分以内の距離という一点のみ。殺風景ながら最初の物件が条件に適い、電光石火の早業 (はやわざ) で購入。見たのは1件だけ。所要時間15分。知人に話したら「よほどの大物か大馬鹿者」とのコメント。床の一部はレッドオークのハードウッドフロアだった。10年後、全体を同じ床板にしようと、フローリング専門業者に張り替えを依頼する。 事前に材料費 (かなり高額)、工事終了時に作業費を支払うことで合意。初日に様子を見に行くと、家全体がレッドオークになっていた。仕事が早すぎないか?...

冬休み

  福島生まれなのに、寒さが苦手な私は、幼少時代から冬休みが楽しくなかった。子供の頃からスキーを嗜 (たしな) む北国出身者は多いけれど、私には雪原で遊ぶレジャーなど論外だった。一度も試したことがない。米国から帰省を目指す季節は、緑樹に覆われる初夏、紅葉に染まる晩秋と決めていた。そんな私が、やむを得ず冬休みを取り、亡き父の追善供養で20年ぶりに極寒の東北を訪れた時、真冬の畏怖すべき情趣に打ちのめされた。山形県最古の温泉宿K旅館。木枯らしの低い呻 (うめ) きを耳にしながら、展望風呂から眺めた、凍てついた墨絵さながらの雪景に言葉を失う。旅籠 (はたご) は迷うほど広く、無造作に置かれた明治期の大型時計と無数の番傘、そして江戸期の古色蒼然とした雛 (ひな) 飾りは...

2022年/お正月

  アマチュア占星家SSが予見する新年の世相。2年前の木星・土星・冥王星の大会合を起点に、240年続く宝瓶宮 (ほうへいきゅう) 時代へと世界が移行した。権威より個性を尊重し、国境を越えた人道主義が広まっていく。ネットを通じて社会変革を起こす市民革命パワーを獲得したけれど、これからは膨大な情報に呑み込まれず、借り物でない人生の意味を見つけないと幸福になれない。自己価値を確立すれば、他者の価値も受容できる。それが新時代の本質。240年の巨大フレームの中で、2022年はどんな1年になるのか——。前半と中後半の象意は対照的だ。前半は「博愛」。言い換えれば共感と連帯 (双魚宮木星 SEt 金牛宮天王星)。双魚宮を進む木星は3月〜5月に海王星と会合し (双魚宮木星 COj 海王星=両惑星とも双魚宮支配星)、地球上でボランティア活動が盛んになり、優れた芸術作品が続々と登場する。中後半は「挑戦」。変化と開拓がキーワード...

2021年を振り返って

  昨年来のCovid-19パンデミックで年が開け、第5波を迎えて暮れ行く2021年。ワクチン接種が伸び悩み、脅威的な感染力を持つ「オミクロン株」の出現で収束が怪しくなった。新型コロナ情報を追って1年9か月。思うところ多々あり。▽コロナ禍を “リーマンショック以来の危機” と捉え、ビジネス回復とコロナ対策のバランスを取れ!と、お題目のように唱えた為政者。これ、拙 (まず) かったね。サブプライムローン不良債権化が元凶だったリーマンの解決目標は、経済再建のみ。コロナでは経済維持と感染収束という二律背反の命題が衝突しているのに、ひたすら規制と緩和を繰り返し、その悪循環に人々は疲弊していった。政府当局が感染統計の数字だけでなく、この矛盾を正直に表明していれば、世界各地で起きた暴動も回避できたのでは? ▽コロナ収束後も新たなウイルスが人類を襲う? スイス連邦国土研究所は、温暖化で地球上の永久凍土が溶けると、閉じ込められていた未知の細菌やウイルスが放出され、パンデミックが再来する可能性を警告している。コロナで人類はウイルスに脆いという証明をしてしまった。将来も覚悟すべき。どんな危機的状況でも、自らの人生の価値を見つけるために「活動の縮小と意識の拡張」がヒントになりそう。悲観的すぎるかな? (SS) ▽2021年の流行語大賞に大谷翔平選手の「リアル二刀流/ショータイム」が選ばれた。日本の世相でもMVPを受賞。日米どちらも満場一致の選出だった。そして、英語版流行語大賞『コリンズ英語辞典』の “Word...

クリスマス

  米国生活を始めた頃、不思議な世界に足を踏み入れた。ワシントン州の小都市で夢中になったボールルームダンス。コンペティション (競技) とナイトクラブ (社交) のコースがあり、私は競技ダンスを習い始めていた。ご高齢の裕福な貴婦人たちが集まるナイトクラブは「高級サロン」の雰囲気があった。富豪No.1は自動車業界BIG 3の一角を占めたC社の重鎮を夫に持ち、未亡人となってミシガン州から来たミセスP。街の最高級ホテルで催される Xmas Dinner Dance...

知らない / 知らなかった

  ▽母はスイカを知らなかった。別のスイカは知っている。入院中の親戚を訪ねるため、仙台駅に降りた母は「スイカ発売中」という横断幕を目にした。夏の見舞い品にふさわしい。JRとJA (全農) が提携してスイカを売っていると早合点し、駅員さんに売場を尋ねると「券売機で買えますよ」。最初に引換券を買い、それを渡したら持ってきてくれるのね。引換券の購入ボタンが見当たらない。同じ駅員さんに「代金をここで払います。小ぶりでもいいわ。1個運んできてもらえません?」とお願いする母。全てを理解した駅員さん。「ICカードのことです。申し訳ございません」と深々と頭を下げていたが、肩がユサユサと揺れていた。母は「(横断幕に)  Suicaと書いてくださる? カタカナにはアクセント記号が必要ね。スイカとスイカは違うのよ」と憤慨していた。▽東京生活を高校から始めた2年目の冬。私は上京した同郷の3人を得意気に案内していた。中野サンプラザを目指して中央線特快に乗り込ませたら、新宿駅始発は中野駅に停車しなかった! 知らなかった! 慌てて逆方向の電車に飛び乗ったものの、M男の提案で彼らの貴重品を入れていたボックスを棚に忘れる。ドタバタ騒動は誰の責任か、という無益な審議が始まり、“東京人” を鼻にかけた私のチョンボが元凶とされた。 (SS) ▽いくつになっても、知らないことが多い。最近、ピーナッツは「ナッツ」ではないことを知って驚いた。アメリカ人の2020年の平均寿命は77.3歳。コロナの影響で前年より1歳半も短くなり、第2次世界大戦以来の大きな落ち込みとのことだ。世界第1位の日本人女性と10歳も違う。「取り付く島もない」が正しく「取り付く暇もない」は間違いだと知ったのは、社会人になってから。「ひ」と「し」が入れ替わる浅草のおじさんの方言が元凶かもしれない。結婚当初、「40のスペルは...

聞く/話す

  40年ほど昔、仲間に無類の釣りバカがいた。魚釣りに全く関心がない私に、その男は「磯釣り」の醍醐味を熱っぽく話し始める。① 海景色が素晴らしい。② 魚との知恵比べ (潮流と波を計算しないと釣果なし)。③ 釣り上げた魚をそこで食べる幸福感。3つの魅力が太公望への扉を開くと得意気に話す。聞いているうちに興味が湧いた。「道具は俺が全部用意する」と言うので一緒に行くことにした。目指す漁場は南三陸の離れ小島。「♪村の渡しの船頭さんは♪」の童謡に出てきそうな小船で移動。「夕方に迎えに来るよ」と言い残して船頭さんが帰った後で、ヤツが青ざめた。持ってきたリュックに道具と餌が入ってない! 当時は携帯電話がなく、非常時の連絡も取れない。早朝から何もできない青年2人。仕方なく、訥々 (とつとつ) と身の上話を始める。相手の話に耳を傾け、自分の考えも聞かせながら互いに親睦を深めたが、暇つぶしも限界がある。水飴 (みずあめ)...

変わっている

  姪は日本の広告代理店「H社」傘下の制作会社に勤めている。クライアントの切実な要求と〆切厳守の重責を担い (それは業種を問わないが)、とりわけ広告クリエイターには言葉にならないストレスが重くのしかかり、連日、夜明けまで残業を余儀なくされる。変わっているキャラの持ち主が多く、仕事に行き詰まると、常人には考えられない奇抜な行動に出て、新たな発想源を求めるらしい。姪の同僚の1人は動物園から無断でペンギン1匹を連れて職場に現れ、皆を驚かせた。少し遊んだら返しに行くと言うが、どうやって “拝借” して、どのように “返却” したのかは謎だ。創造力とスピードを求められて無理を続け、命を落とした同僚もいたという。姪が言うには「顔の色」の変化が危険サイン。入社当初は情熱にあふれて顔が赤いが、残業で過労気味になると黄色に、次に不安と焦燥感に支配されて青味がかってくる。紫に変わるとヤバイらしい。冗談めかしながら話す姪も死の恐怖に苛 (さいな) まれ、一度退職して休養を取り、数年後に復帰した。ビジネス現場は過酷だ。バブル期に「24時間戦えますか」と歌い上げる栄養ドリンクのCMがあった。近年は「H社」のライバル「D社」の女子社員自殺がクローズアップされるなど、働き方改革が進む。日本の企業戦士の姿が変わりつつある。 (SS) ▽「ねえ、私って、変わっている?」...

お酒

  我が家の直系は蟒蛇 (うわばみ) の系譜なのに、私は一滴も飲まない (飲めない)。昔から少しの甘酒で頭痛に悩まされ、洋酒入りチョコ半個で目が回った。酒食の席でカクテルを注文しても、飲むふりをするだけ。私は酒の効用を知らない。父の酒は「からみ酒」。同じ話を聞かされたあげく、意見を返すと怒鳴られるので始末が悪い。母はまともに相手にせず、父のネチネチとした小言 (こごと) や愚痴に「ウンウン」と頷 (うなず) きながら寝ている!!というスゴ技 (ワザ)...

スポーツ

  父はスポーツ音痴。私たち兄弟は親子でキャッチボールをしたり、スポーツ観戦に出かけた記憶がない。叔父たちは全員スポーツ好き。家業が化学肥料の問屋だったので、商品化された肥料を保管する縦長の倉庫があった。そこには卓球台やバスケットボールのフープが備えられていた。野球もできたが、縦長の倉庫では「三角ベース」は無理。一塁と三塁を直線の延長上に置いて「長四角ベース」を楽しんでいた (二塁なし)。昼休みや休日には、2人ずつチームを組んだ叔父たちと従業員さんがスポーツに興じていた。私と弟も子供ながら 「兄弟チーム」として参加。遊びとはいえ、大人たちは「勝ち」にこだわり、それこそ真剣勝負。ヒートアップしたのは3番目の叔父 (父の3番目の弟) 夫婦との「親戚友好卓球ダブルス定期戦」。開幕戦は14歳と11歳の我ら兄弟組がストレート勝ち。その後も連勝街道を突っ走る。叔父たちは試合中に夫婦ゲンカを始めるほど本気になっていた。相手がリベンジを狙って猛特訓を積んでいる情報を弟がつかみ、闘争心に火がついた。もはや “スポーツ親善試合” どころではない。白熱ぶりを聞きつけた母が観戦に来て、息子たちがポイントを稼ぐたびに小さくガッツポーズを取る姿は目障りだったが、必死に勝ち続けた。 (SS) ▽ 運動やスポーツをすると頭が良くなるというメカニズムが、最近の脳科学の研究で証明されるようになった。ハーバード大学医学部のジョン・J・レイティ博士は著書『脳を鍛えるには運動しかない』...

ペット

  高校時代の夏休みに帰省した私を待ち受けていたのは、旅行中の叔父家族が飼っている犬を散歩させる役目だった。犬種はラフコリー。名前はラッシー。見た目はTVドラマの主役犬そのもの。散歩初日。ある家から小犬が唸り声を上げながら、歯をむき出しにしてラッシー目がけて突進してきた。大きな図体とは裏腹に、ビビッて逃げ惑うヘタレな “迷犬ラッシー”。パワーに引っ張られて転倒した私は右ヒザを擦りむいた。振り返ると、飼い主らしき夫婦 (?) が笑いながら謝っている (笑うか?)。難を逃れた私とラッシーは公園で休息を取っていた。道端に落ちていた古いテニスボール。私が何の気なしに蹴り飛ばしたら、それに反応して脱兎 (だっと) のごとく猛ダッシュ! 後を追いかけた私は、再び転んで左ヒザも擦りむく。翌日、同じ轍 (てつ)...

オリンピック

  ▽コロナ禍中の東京五輪開催。恙 (つつが) なく成功裏に終わることを祈っていた。蘇るオリンピックの記憶。▽2000年シドニー大会。女子マラソンで日本人初の金メダルに輝いた高橋尚子選手こそ最大のハイライトだが、彼女の大ピンチを救った「奇跡のボトルリレー」を覚えている? TVカメラが一部始終を捉えていた。先頭集団を走る日本勢3人が給水ポイントに近づいた時、水を取り損ねた高橋選手。それを見た山口衛里選手が機転を利かせて彼女にボトルをパス (!)。水分補給できた高橋選手が次に市橋有里選手に手渡した (!)。その直後、高橋選手が猛スパートをかけ、一気にトップへ躍り出て栄冠を勝ち取る。スポーツマンシップと勝負師魂が瞬時に現れた、絵になるシーンだった。▽これもシドニー五輪。アフリカの (国名は覚えていない) 男子競泳選手が出場した予選組は3選手だけのレース。しかも、他の2人がフライングで失格し、あろうことか、1人だけでタイムを競う異常事態に。この選手は水泳歴が浅く、スタミナが切れてどんどんスピードが落ちていく。それでも会場は大歓声と嵐のような拍手に包まれ、アナウンサーも最後まで彼の泳ぎを情熱的に実況していた。五輪大会で必ず起こる感動的な珍事。それを期待して、今年もTVに釘付けになった。 (SS) ▽オリンピック期間中、LINEがバンバン飛び交った。「開会式、始まった。この人たち、全員日本にいるんだ〜!...

美味しい

  ▽グルメとは縁遠く、優れた味覚の持ち主でもない私が、これぞ美味!と思える一品 —— それは「雪虎」(ゆきとら)。希代の食通、北大路魯山人 (きたおおじ・ろさんじん) の小著『夏日小味』に出てくる簡単な夏料理。豆腐半丁を油で揚げ、火で炙りながら焼き網で筋を入れ (虎の縞模様)、大根おろし (雪) を乗せる。私は冷やして醤油をかけて食べる。ネギを乗せると「竹虎」(たけとら) と呼び名が変わる。早い話が...

現在のマイブーム

  今のマイブームは「オンライン旅行」。旅に出る前に綿密な行動予定表を作成していた私。旅程を完璧にしておけば、旅の雰囲気を120%満喫できるという信念があった。“旅情重視型” の私が目的を絞り込み、ヴァーチャル旅行に具体的な体験を求める “目的遂行型” にシフトしたのは、コロナ禍で渡航規制が敷かれていた影響もある。単独行動を好む自分はツアー観光を苦手としているが、美術館オンラインツアーはむしろ価値があると思った。ガイドさんの説明がよく聞こえる。意外にも画像が鮮明。自宅からコーヒーを飲みながら参加できる。盗難に遭うこともない。トイレに並ぶ必要もない…etc。オーロラ鑑賞ツアーも納得。$1,000ほどの現地ツアーに参加しても、条件が悪ければ見ることができない。低価格のオンラインツアーなら、再び申し込める金銭的余裕がある。生 (ナマ) で目撃するオーロラと映像で眺めるオーロラは違う? いやいや、モニターを通すだけで、そのオーロラは仮想現実ではありません。立派なリアル体験です。オンラインツアー参加者は指定された出発日時を厳守し、開始ボタンを押さなければ置き去りにされてしまう。服装は自由かもしれないが、どんなにズボラでも、これだけは心掛けなきゃいけない。(SS) 健康志向の友人の薦めで、この1年、いろいろなことにチャレンジしている。▽25分 (集中) /...

スマホ

  ▽私はスマホの機能を熟知していない。乗客が寝静まった旅客機内で、常備薬を足元に落としてしまった。座席を照らす「読書灯」では探しにくいので、スマホのフラッシュライト (始めからONになっていた!) を頼りにサーチを開始。見つけるまで約10分。いざ、OFFにしようとしても…消えない。ガチャガチャと悪戦苦闘。スマホは強い光を発していて、両隣りと斜め前の乗客が目を覚ました。1人の顔に直接光が当たっていたようで、私は詫びながら、明るいままのスマホをバッグの中に戻した。ある機種は音量ボタンを長押しするとONになるらしい (私はスマホで音楽を聴いていた)。カメラのアプリを起動すればOFFになる (マニュアルを読め!)。▽日本の友人がスマホでアダルトサイトをクリックしたら、いきなり「入会金33万円です。ありがとうございます!」の表示が出てビックリ仰天!「2時間以内なら脱会できます」 とあり、すぐに☎︎したという。脱会手数料4,500円が必要だが、特別割引入会金15万円を納めれば、手数料を引いた14万5,500円を返金すると言われ、変だと思ったらしい。警察署で「無視すればいいんです」と指導を受けた友人。敵もしつこく電話攻勢をかけてくる。やがて音沙汰もなくなったが、彼は憔悴 (しょうすい) していた。(私ではありません、念のため)  (SS) ▽「スマホあるある」をご紹介。仰向...

男/女

  私の妻は、とにかく男っぽい。細かいことを気にせずサバサバしている。トラブルを根に持たない。物怖 (ものお) じせずに発言する。芯が強くブレない。自分一人で解決する。相手と対等の関係性を築く。(誉めすぎか?)  猛暑の夏。妻は自分、私、飼い猫用に3台のポータブルエアコンを買ってきたが、同時に使うとブレーカーが落ちた。アンペア増力の電気工事は高額なので見送り、1台だけ使用することに。猫用は余計だったが、それを言うと楽しそうに笑い飛ばす。全く後悔していない。無駄を無駄とも思わない太っ腹。家の中でゴソゴソ動いているトカゲを網で捕まえた妻。外へ逃がしてこいと私に言う。爬虫類の苦手な私は閉口したが、捕獲した手柄を考えれば断れない。妻は1日の活動時間が長く、体力もスゴい。早朝3時に起床して、すぐに全開モード。食べるスピードも速い。私が調味料で味を整えている間に完食。最近、妻の体重が私を超えた。「どうして私の方が重いのよ?」と、不愉快そうに詰め寄るが、私に言われても困る。食べる量が違うし、食後にすぐ寝るのもよくない。相撲部屋の力士が太る “ちゃんこ状態” と同じだけど、言わない方が安全だ。結局、あまり気にしていない。世間はこれを 「男気」(おとこぎ)  と呼ぶ。老後を逞 (たくま)...

父の日

  ギリシャ悲劇『オイディプス王』を引用するまでもなく、父と息子は終生の否定的関係と思っていた。父が他界する半年前までは —— 。父は平気で感情を表に出す直情径行/大言壮語の人だった。ホテルのラウンジで歌う歌手に「ブラボー!」と叫んで立ち上がったり、赤の他人を怒鳴 (どな) りつけたり、誰もが驚く行動ばかりで、私は父との距離を置いていた。父は会社勤めをしたことがなく、祖父の遺産で生活していた。弁護士になる夢は果たせず、不動産鑑定士の資格を取得したが、仕事が性に合わず、50歳頃から引退生活のような日々を送り、生き甲斐を見つけられずに76歳で世を去った。酒浸りの晩年は傍目 (はため) にも哀れだった。父はカンツォーネを愛聴し、オペラやクラシックにも通じていた。彼の魂を救済したのは音楽。私は父の日に 『3大テノール世紀の饗宴』 (パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラス)...

先生

  ▽試験答案にプラタナスの実 (スズカケノキの果実) を正確に描けば、出席不足でも合格点を与える風変わりな先生がいた。その人は一般教養科目の生物学を教えていた (植物学じゃない!)。満員電車に潰 (つぶ) されて早朝クラスに出るのは辛いので、先生の「温情救済」にすがることにした。授業の面白さを讃えるエッセイと欠席続きの “詫び状” を書いて、果実の外皮に整然と並ぶ突起1本1本を丁寧に描いたら、何と「A」をくれた。「C」の予定調和を超えた想定外の過剰報酬。その真意は・・? 自分の心に巣喰っていた「世の中こんなもの」という青二才の舐...

母の日

  昨年の春、老齢の母が歩行中に転倒し、治療とリハビリのために入院を余儀なくされた。90歳を目前に負傷したので、寝たきり状態になることも覚悟していたが、幸いにも骨盤は折れておらず、4か月の入院期間を経て完治し、歩ける姿に戻った。療養中の母を元気づけようとした私は、病室で持て余している時間を楽しく過ごせるだろうと、母の日のプレゼントに音楽のCDを贈ることにした。その昔、母は村田英雄が好きだったので、往年の歌手の名前を挙げて希望を尋ねた。母の口をついて出てきたのは意外な歌手 (グループ) だった。それはSMAP!! えーっ! ファンだったのか!? 母のお気に入りSMAPの楽曲 BEST3:『がんばりましょう』 — 軽快なテンポで「どんな時も...

ルームメイト

  20代初めの頃、普通車運転免許証を取得する「合宿コース」に申し込んだ。静岡県の小都市にある自動車学校で同室になったのは、私を含めて5名。考えてみれば、目的が同じとはいえ、年齢も職業も生活環境も異なる男たちが偶然にルームメイトとなり、2週間以上も寝起きを共にする機会など、生涯でそうあるものじゃない。私は単独行動を好む人間なので、合宿所での夕食後、街の中心部まで散歩するのを日課としていた。喫茶店で寛いだ後、門限には帰宿していたが、毎晩私が何をしているのか、ルームメイトから怪しまれた。夜遊びなどしていません。陽気な40代の自営業者は運動神経が鈍すぎると悩んでいた。「どうしても、方向指示器を逆に出しちゃうんだよ。教官から 『ふざけてんのか!』 と雷を落とされる」 と笑いながら話す。普通、右折の時は右に出すだろ? 運動神経の話じゃないだろ!  問題児は18歳のトビ職人。運転技術はピカイチで誰よりも上手い。路上教習でスピードを出しすぎて教官から怒鳴られまくっていた。その彼がテクニックに溺れたのか、教習所内で交通事故を起こした! 同乗していた教官が負傷して病院に搬送される。地元のTVニュースは「自動車学校内の事故で救急車が出動したのは、前代未聞の珍事」と報じた。(SS) ▽明治生まれの祖母が、私の最初のルームメイトだった。子どもの頃から実家を出るまで、ずっと一緒の部屋で暮らしていた。「知らざあ言って聞かせやしょう 浜の真砂と五右衛門が〜」「あんたの父母はモダンな人で、結婚前にふたりで旅館に〜」「私は腹膜炎で一度死んでね、でも、また生き返ったのさ」など、毎晩、寝る前に面白い話を披露してくれた。テストに朝寝坊したことを祖母に八つ当たりしたり、ひとりの空間が欲しくて作ったダンボールの城壁の小窓から、祖母が特製のおはぎを差し入れてくれたり、落ち込んでいると「さすけね〜」と慰めてくれた。人生の機微を教えてくれたルームメイトだった。▽ワシントン州の学生寮で、クリスという金髪のルームメイトと暮らしたことがある。バドワイザーとビザが大好きな法律専攻の学生で、レッドツェッペリンのロックを年中流していた。母子家庭対象の返済不要の奨学金を得て頑張っていた。スニーカーを乾燥機で乾かしたり、バイトの前にリステリンで酒の匂いを消し、好きな時におならを連発。私が持っていたウォークマンに興奮して、自分のモノのように学生寮の皆に見せびらかしていた。今は弁護士として活躍している。「運命は自分で変える」的な、たくましい精神を彼女に教えてもらった。(NS) 台湾の親元から離れ、日本へ留学中、小さな6畳のアパートを借りて一人暮らしをしていた。小さな台所、小さな浴室、小さな洗濯機、とりあえず生活には必要な “コンパクト設備”...

うそ

  ▽日本に暮らす老齢の母が初めてオレオレ詐欺の電話を受けたのは8年前。「母さん、オレだよ、オレ」「A (弟) かい、どうしたの?」「仕事で大ポカやってしまって、このままだとクビになる!」「あなた、まだ仕事決まってないでしょ!?」 —— 相手の勇み足で被害はなかったが、私と弟は母を守るために “ウソにはウソで撃退する” 方法を伝授した。別の詐欺電話。「どうしても100万円必要なんだ」「分かったわ。1億円振り込んでおく」 —— これも成功したが、最近の母は瞬殺効果100%の伝家の宝刀を使いまくる。それは読経。40年以上も仏門で修行を積んだ母の読経は、まさしく...

友達

  私は少年期から現在に至るまで、言動に派手さもなく、隠忍自重 (いんにんじちょう) という印象を周囲に与えてきたが、実は、強烈な自己顕示欲を隠し持っていた。渡米して間もなく、ボールルームダンス競技会に熱中し、ウルトラマンのようなスパンコール付きコスチュームに身を包み、平気で人前で踊る自分に驚いた。日本にいた20代の頃、友達から結婚式の司会を頼まれた。私の “表向き” の性格なら断るところを二つ返事で引き受ける。心の中で燃えるものがあった。司会進行の台本を綿密に作り上げ、一言一句を暗記して完璧を目指したが、本番で噛みまくってしどろもどろ。列席者の一人から「滑舌が良くなるよ」と酒を差し出される始末。捨て身の作戦に出た私は、台本と羞恥心をかなぐり捨て、アドリブで勝負をかけた。余興では 「素人のど自慢」の司会者のごとく、花束贈呈のクライマックスでは絶叫マシンよろしく、会場全体の感情を盛り上げることに成功し、拍手の嵐に包まれた。人は窮地に追い込まれると、奥に隠された大変身へのスイッチを押すらしい。友達のために一肌脱ごうとしたのは勿論だけど、どうしても「司会の下手なあいつ」という汚名だけは受けたくなかった。翌日には、私は友達の誰もが知っている、口数の少ない、内向的な人間に戻っていた。(SS) ▽モノの本によると、友だちは、大きく8つのタイプに分けられるそうだ。アドバイスをくれるビルダー、めっちゃほめてくれるチャンピオン、趣味が一緒のコラボレイター、どんな時も友だちでいてくれるコンパニオン、人を紹介してくれるコネクター、楽しくてエネルギーをくれるエナジャイザー、奇抜な意見でひらめきを与えてくれるマインドオープナー、困った時に道を示してくれるメンター。いろんな友の顔が浮かんでくるが、ひとりで何役も兼ね備えている人もいるとのこと。ちなみに、親友であるコンパニオンがいると、一番幸福度が高く、人生大成功とのことだ。▽その親友という存在は、自分がなるのも、相手に求めるのも、難しい。実際、そんな理想の友だちを追い求めると、幸せが遠のいてしまうらしい。「部分的には好きだけれど、好きになれない部分もある…」というくらいがちょうどよいとのことだ。「もっといい友だちが見つかるはずだ」ではなく「友だちともっと楽しい時間を過ごすには」という発想が、お互いの幸福度をグッと上げてくれるらしい。年を取るほど友人の存在は不可欠なものになるが、「いいところもあるけれど…」の精神で友だちの輪を維持していきたい。(NS) ケンちゃんと出会ったのは、今から約30年前。当時、友人のYさんとよく新宿のディスコ (死語?) へ通っていた。派手な格好の私たちはそこの黒服 (これも死語?)...