笑い

  ▽ 笑いとは ① オーソドックスな笑い、② ナンセンスな笑い、③ ブラックユーモア、④ 自嘲 —— の4種類に大別できそうな気がする。数年前まで、私たち夫婦が好んで観ていたTV番組にNHKの『ケータイ大喜利』 があった。視聴者から電話で寄せられる出題テーマの回答にナンセンスな笑いが炸裂していた人気番組。「行きたくないサファリパーク。その理由?・・1匹しかいない」。「評判の悪いバッティングセンター。その理由?・・敬遠してくる」。拍手!! 有りそうもない話に奇想天外な現実感を添えて深い笑いを誘う、理性が優位に立つ高度なテクニック。これらは “シュールギャグ” と呼ばれていたが、幻想や倒錯を直接的に表現するシュールとは異なる。作為的・人間的とも言える微妙な滑稽味が広がる “ナンセンスギャグ” だ。私たちは引退したら、知恵を絞って参加したいと考えていたが、15年間続いた番組は突然、2020年3月に終了。老後の楽しみが一つ消えてしまった。▽ストレス過多の現代は笑いとユーモアを「友」にしないと生きていけない。大袈裟に言えば、不幸・不運に遭遇しても、そこに意味を見つけて笑いに解していけば、残された人生に応えていけそうな気がする。それを態度に示すのは難しい。それでも、私たち夫婦のどちらかが臨終を迎えたとき、これまでの愉快な話をして笑って見送ることを約束している。(SS) ▽私の母はよく笑う人だった。「笑っていいとも」や「笑点」などのテレビ番組が大好きで、笑うだけでなく、「惜しい!」「甘い!」とツッコミを入れながら楽しんでいた。まるでMCのように聞き手として笑いを取るタイプで、堅物の父も笑いながらそのツッコミを楽しんでいたように思う。▽「Sさん、男はね、笑ってくれる娘のほうがカワイイと思うんだよ。女性は、笑いを取りに行かない方がいい」。昔、東京でOLをしていたころ、会社の忘年会で部長に言われたことがある。母のDNAをしっかり受け継いだ私の「一発かましたれ精神」が打ち砕かれた瞬間だった。▽最近の研究によると、笑いに必要とされる「自己主張」や「支配」といった男性的な行動嗜癖を持つ女性は、社会的に冷遇されやすく、残念ながら「モテない」とされている。つまり、面白い女性はそのユーモアゆえに損をするという現実がある。▽幸い、今の旦那は私のツッコミを喜んでくれる人だ。自分が面白いと思ったことを一緒に笑ってくれる人がいると、本当に嬉しくなる。「ユーモアとは、〜にもかかわらず笑うこと」とはドイツの哲学者の言葉。辛いことや苦しいことがあっても、にもかかわらず笑うこと。自分の失敗を相手とともに笑い飛ばすこと。相手に対する思いやりとして笑うこと。できれば自分の臨終の時も、軽妙に笑いを飛ばしてみせたい。(NS) ▽私の夫はよく笑う人。面白いことを見聞きしたり、考えついたりすると、私や娘に話したくて仕方ない。自前のジョークもよく飛び出す。私たちに教えてくれようと話し始めるのだけど、自分で笑い始めてしまってなかなか先に進まない——ということも珍しくない。笑いのツボにハマるともうダメだ。涙目になりながら大笑いしている。本題の話やジョークが面白かろうがつまらなかろうが、私たちは彼のその姿を見て、一緒に笑い始めてしまう。「腹を抱えて笑う」人って本当にいるんだと、夫と出会って知った (笑)。▽自分のことを笑われたと思って不機嫌になりかけた時に、「I’m not laughing AT you, I’m laughing WITH you.」と、慌てて言われたことってありませんか。「なんて都合の良い口実」だと余計に腹が立つこともあるけれど、気がつくと、私も時々、この表現を使っている (笑)。こちらには嘲笑するつもりは全くなくても、言われた人にとっては「馬鹿にされて笑われた」と思ってしまうことがあると思う。一緒に笑い合えるなら、お互いにこの上なくハッピーな気持ちになれるけど、一方的な笑いは人を傷つけることもある。自戒の念を込めて、気をつけようと思う。(RN) 笑う門には福来る! そうです。よく芸能人の結婚会見で「どんな家庭にしたいですか?」 … Read more

里帰り

  それはサンディエゴから日本に里帰りした冬の出来事でした。凍てつく福島駅に降り立った私は、あまりの空腹に耐え切れず、和食にありつきたいと思っていたら、近くに開業したばかりの食事処を見つけた。目立つ看板に大きく宣伝していた「地元福島牛の牛すき鍋焼きうどん+ミニカツ丼セット」 を注文。鍋焼きうどんの温かさに至福を感じながら、ミニカツ丼をまさに食べ終えようとしたところ、ありゃ!? どんぶりの底から緑色の輪ゴムが出てきた! はてさて、この事実を店員さんに伝えるべきか、思案に明け暮れること数分間。私はほぼ完食しており、クレームするにはタイミングが悪すぎる。故郷の新店を応援したいし、注意を喚起するという目的で、お茶を注ぎにきた女店員さんに「これ、入ってました」 と、笑顔を浮かべて小声で伝えると、女店員さんは慌てて「少々お待ちください」 と厨房へ 。暫くして、店長さんの丁重なお詫びの言葉とともに、あろうことか、同じセットが運ばれてきたのだ! 「・・・」 。満腹の私にとって最大の問題は目の前の同じ料理。アメリカのように doggie bag を要求するのは粋じゃないし、食べないで帰るのも失礼と思い、厨房からの視線を感じつつ、自分に「がんばれ!」 と心の中で叱咤激励しながら、特別に出してくれたアイスクリームまで必死に平らげた。冬なのに冷や汗をかいていた。(SS) ▽両親が亡くなってから日本へ里帰りをすることが少なくなった。「Nちゃん、お帰り!!」という声をもう聞くことはできない。振り返ってみると、両親は私に「根拠のない自信」を与えてくれたように思う。「そうだったんだ」「スゴイね」「それはたいへんだ」と、仕事の手を休めずに、いつも耳を傾けてくれた。あの温かさと安心感は、その後の人生で「理由はないけれど、何となく上手くいくような気がする」という、無条件に自分を信じる力となった。母親が得意だった会津の郷土料理、そして、父親のユニークな方言が懐かしく思い出される。▽私の友人知人の多くは、在米歴が40年近くになる。そして、ここ数年は、円安の影響もあってか、老後は日本で過ごすと決めて、永久里帰りをする人が増えている。医療費、介護費、生活費、言語、食事などがその理由だ。確かに、日本では月15万円ほどの老人ホームの料金が、アメリカでは月5,000ドル〜9,500ドルにもなる。30年前は、日本から格安な介護施設を見学するために、多くの日本人がアメリカに来ていたのに、いつの間にか、逆転してしまった。駐在時代に過ごしたマレーシアに移住した知人もいる。余生をどこで過ごすか、情報収集に励んでいる今日この頃だ。(NS) 最後に里帰りしたのは娘が2歳の時。約8年前だ。幼児2人連れはとても無理。前々回に連れていた4歳の息子は夫と残り、娘と2人で帰った。実家が岡山なので乗り換えが大変。独身の頃は、SDからLAまで飛んで、LAから関西国際空港行きの便に乗り、そこから高速バスで実家へ帰っていた。でも、前回は2歳の娘連れ。その頃の娘はなかなか気難しくて神経質な幼児だった。長時間のフライトも心配だったが、その後の高速バス約4時間は考えられなかった。そこで、移動中に眠ってくれることを期待して、LAから真夜中に出発する便 (羽田行き) で帰ることにした。そして羽田から岡山まで約1時間のフライトを予約。大変だったのは待ち時間。午後LAに到着してから夜10時まで、長〜い待ち時間を持て余すことに。幼児用アプの入ったKindleタブレットはもちろん、ミニパズルや絵本、ちょっとした玩具、スナック、ジュースを大量に用意してLAXで時間を潰していた。フライト中はほとんど寝てくれて、とても良い子に過ごしてくれた。後部座席の人たちからも「騒がなくて、良い子だったね」と言ってもらえた。通路を挟んで座っていたアジア系の若い女性からは「喋る声がうるさい」と苦情を受けたけれど。。。今では、子供たちもすっかり大きくなった。今度は3人で里帰りしたい。 (YA) 18歳で故郷を離れた。以降、学生時代は長期の休みが来るたびに、生地の福山へ里帰りを続けていた。大学1年が終わろうとしていた1月に母が亡くなってからは、姉の家事の手伝いで長期の休み期間だけでなく、金曜日の夜行に乗って、週末に実家で家事をして、日曜日の夜行で上京、その足で学校へ行く、ということも珍しくなかった。やがて兄が結婚させられ、姉が結婚し、実家の引っ越しと、次々と家の事情も変わり、私の里帰り先は移転した工場の隣にある兄夫婦の家になった。姉も会社を手伝っていた関係で家事が行き届かず、早くに結婚させられた兄嫁とはお互いによく知らないまま、勝手に?家族となった。その頃は私も会社勤めをしていたので、休みを取れるのは年に数日ほど。里帰りして居心地の良くない嫁がいる家より旅行だ!!と思い、故郷詣でをしない年が続いた。たまに休暇で帰っても「あ!料理上手な〇〇ちゃんが帰ってきた! これで私はラクができる!」と、私を持ち上げた上で家事を私に押し付け、自分はひっくり返って本を読んでいる。「なんという嫁だ!」と思うも、ここしか里帰りの場所がない私。そして里帰りしても特別な用事などない私は、家事でヒマつぶしをすることにそれほど異論はない。というワケで、私の里帰りの記憶は、家族団欒というよりも家事三昧。ちなみに、父の仕事は鍛冶関係だった。どうりで!(Belle) 日本って本籍にお家がなくても、どこでもいいんだって知らなかった。わたしの本籍は名古屋市北区で、そこはお爺ちゃんの家だったけど、亡くなった後に土地を売ってしまった。それでも本籍は変わらない。なんでー? 笑。なのに、そこに帰ることはもうないのね (涙)。でも、実家は隣町の春日井市で帰るところはある (あるんじゃん 笑)。ただ、区画整理開始で、アスファルトの道路ができ、信号機が設置され、一軒もなかったコンビニやスーパーも出現 (田んぼと畦道しかなかった 笑)。なので、里に帰った気がせず、全く知らない土地に来た感じ。一番違和感を感じるのは、家の窓から人が歩いてたり車が通るのが見えること (笑)。前回もビックリしてお母さんに「今の誰?泥棒さん?」 と尋ねたり、隣の家が視界に入り … Read more

夏休み

  ▽福島は夏が短いからか、小中学校の夏休み期間は7/21〜8/20の1か月。私は前半に宿題を終わらせ、後半は解放された時間として自由を満喫しようと思っていた。小学5年生の1学期に体験した十勝沖地震の影響もあり、自由研究のテーマを『地震』にしたが、これが裏目に出た。当時はインターネットなど存在せず、家庭用の百科事典からの情報も限られていた。私は父に連れられて仙台管区気象台へ向かい、地震のメカニズムについて教えてもらった。この年ばかりは宿題に想定外の時間を取られ、気象台へ3回も通うなど、夏休みのほとんどを自由研究に費やしてしまった。▽猫は外で何をしている? 親戚の男の子が『飼い猫の行動様式』を自由研究に選んだ。猫の目に世界はどう見える? 猫の首に小型カメラを装着して記録を始めた (現代の自由研究はIT化が進む)。まず、近くの藪の中で昼寝をした後、他人の家に立ち寄り、オヤツをもらっていた。しかも3軒ハシゴしている! 訪問を受けた人間たちは「あたしたちが好きなのね」と嬉しがっているが、平気で掛け持ちしている猫の方が一枚上手だ (笑)。画期的と思えた自由研究も2日目で頓挫。帰宅した猫の首には小型カメラがなかった。邪魔で自分で外したのか、自然に紛失したのか・・。いずれにしろ、猫は一筋縄ではいかない。それが夏休みに得た結論らしい。(SS) ▽夏休みで思い出すのは、学生時代のワンゲルの夏合宿。「重い荷物担いで、何で、山なんかに登るん?わしは、金をもらってもやらん」という、松本行きの「あずさ」に乗っていたおっちゃんの言葉を思い出す。でも、今なら言える。「おっちゃん、その歩みは、人生そのものなんです。そして、寝食を共にした学友は素晴らしい。キラキラと輝いている」。卒業してから40年が経過した。いつか、ワンゲルの皆んなに会ってみたい。▽アメリカの夏休みは約3か月と長い。留学時代は、サマークラスをとったり、オンボロ車で安いモーテルに泊まりながらアメリカやカナダを旅行した。アメリカの子どもたちは、サマーキャンプに参加したりする。日本と違って、夏休みの宿題はない。いつもと違う出会いや体験が満載だ。夏休みをそれぞれの価値観で自由に生きるという発想は、大人になった時、大きなプラスになるような気がする。▽米農家、八百屋、マーケット、コンビニと業態はかわっても、実家はずっと自営業で忙しかったので、家族旅行というものをしたことがない。だから、巷でいうところの夏休みというものもなかった。キャッシャーをやったり、漬物をつけたり、帳簿を書いたりして、店を手伝っていた。東京で自活して、初めて夏休みというものをとって上高地に行った。これから私の新しい人生が始まると思った。(NS) 夏休みといえば、島根の父の実家への帰省旅行。往路は寝台列車というのが定番だった。食堂車で車窓からの景色を眺めながらの夕食、狭い寝台スペースで列車に揺られながら寝るのが特別な感じで好きだった。父の実家は迷路のような作りで、それも大好きだった。ひなびた商店街に立地し、店舗兼住居の2階建てのその家は、土間の通路がずっと続き、家の中に入る戸口が複数あった。渡り廊下や階段がいくつかあって部屋数もかなりあった気がする(なにせ、子供時代の記憶なのでかなりあいまいだ)。極めつけは五右衛門風呂。夕刻になると、家に住む誰かが風呂焚きの準備にとりかかる。祖父母以外にも、父の兄家族とその他にもいつも誰か複数人いた。東京郊外の団地住まいだった私と弟は、火を使うこと自体めったになかったので、その準備が楽しくて仕方なかった。熱い鉄製の風呂釜に触れないように気を付けながら、おそるおそる湯舟につかるのもスリリングで楽しかった。朝、配達される瓶入りの牛乳が冷たく冷えていて美味しかった。書店と家電屋を営んでいたので、漫画や本は読み放題。好きな歌手のカセットテープももらえたり。お隣の菓子問屋さんに遊びに行けば、何列にも並んだ棚にぎっしり詰まったお菓子も自由に取り放題。子供にとっては天国のような場所だった(笑)(RN) ♬VACATION(アルファベット読み) 楽しいな ギラギラと輝く太陽背に受けて 青い海泳ぎましょう 待ち遠しいのは夏休み…♬ 中学時代にアメリカンポップスに目覚めた私は、その頃の流行りであったアメリカンポップスのカバーバージョン、和製ポップスが音楽界を賑わわせていたのにつられて、この手の音楽を聴きまくっていた。コニー・フランシスが歌った上記の曲も、デビューしたての弘田三枝子がカバーして大ヒットさせていた。そんなワケで夏休みで思い出すのは、子供時代ならラジオ体操と海浜学校。宿題は夏休み前にほとんど終わらせているので、始業式前に宿題に追われた、という記憶はない。私は末っ子で母べったり。母に「あんたは金魚の糞だ」とよく言われていたが、母が行く先々に付いていって、母がしていることを私もやりたがり、母に疎ましがられていた。それが夏休みとなると、時間がたっぷり。ますます金魚の糞度が高まり、嫌がられること必至。例えば、暑い夏の日の夕方、母が道に水を撒き始めると、私も同じことを真似したくなり、母が持っているホースを奪う。奪われた母は台所へ。すると、すぐに私もホースを放ったらかして母の後を追う、という具合。台所で邪魔扱いされながらも、母が作る料理を見ることができたので、姉よりは料理上手になった。これも夏休みで金魚の糞度が上がったお蔭様である。ふん! (Belle) 学校に関わっている人たちは“夏休み”が必ずあると思うのだけど、他の人たちは、自主的に夏休みを作っている(と思う)。自主的に作らない人は、夏休みが存在しない(笑)。わたしも学校に通ってたときは夏休みがあったけど、卒業したら夏休みは向こうからわざわざやって来ず、自分で作っている。日本はお盆休みが夏にあり、ちゃめちゃ祝日があって連休が多い。だから自主的に作らなくともあるっちゃある。米国はどうでしょう。真夏のど真ん中の6月7月8月に祝日や連休ありますか?一日もないわ(号泣)。あ、独立記念日があるじゃん!でも、それは木曜日、飛び石休日っている?(笑)。そこで、お休みが取りづらい人たちでも、週末を使ってステーケーション的な夏休みをクリエイトできるアイデアご紹介!サンディエゴは住んでいると気付かないかもだけど、立派な観光地・ビーチタウン。公共の公園やビーチでなんと!BBQができる(最近知った笑)。海の前で食べるキャンプしない日帰りだけど、キャンプ飯。結構というか、めちゃくちゃ気分がいいしうまい!近いから、毎週末行っても良いくらい。月に4回x3ヶ月=12回!こんなに数をこなせば、1週間キャンプにいった分くらい楽しくなる。もっと早くから知っていればよかった!というか今まで周り見ていた?(笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪) もうすぐミドルスクールに通う娘たちは夏休みに入る。アメリカの夏休みは長い。6月中旬から8月の終わりまで。おまけに大した宿題も出ない。私が小学・中学の頃は、だいたい7月中旬から8月31日までが夏休みで。漢字ドリルに計算ドリル、自由研究、読書感想文など、宿題も盛りだくさんだった。プラス、毎朝ラジオ体操に参加して、出席カードにスタンプを押してもらうという試練もあったな。毎年、今年こそ早めに宿題終わらせて、夏休みを楽しもうと意気込むのだが、だいたい3日ほどで挫折し、結局夏休みの終わりにヒ〜ヒ〜しながらやっとこさで宿題を終わらせていた。あれから数十年が過ぎ、今や私はおばさんになり、夏休みなど無関係だと言いたいところだが、実は今も子供に負けないくらい夏休みが好きだ。学校がないと朝早起きしてお弁当を作らなくていいし、夏休み中は日本に帰省して美味しいものを食べ、家族で温泉に行ったりとリラックスできるからだ。そして何よりも、実家にいる間は、毎日自分だけが家事をやらなくても良いということ。実家には母と2人の姉が同居しているので、食事や洗濯も気がついた人が適当にやっている。子供たちも姉の方へついて回るので、私は1人の時間ができ、自由を満喫できるのだ。ああ、考えていたらウキウキしてきた。早く来い来い夏休み〜。(SU) (2024年6月16日号に掲載)

記憶

  ▽大谷翔平選手の豪快すぎるスイングには、ボールを遠くへ飛ばすテクニックというより、巨獣を一刀両断に叩き斬る壮絶なパワーを感じてしまう。悠然とダイヤモンドを回る勇姿に、ギリシャ神話に登場する「巨大な伝説の生物」を思わずにはいられない。彼は球界のペガサスなのだろう。韓国では大谷翔平の成長物語を綴った漫画が大人気。考えてみると、私は少年時代に『巨人の星』の漫画を読んで人間心理の側面から野球に興味を抱いた記憶がある。今では、スーパースター『オオタニ』が最高の大舞台で燦然と輝き、後から教育マンガとして深く意味づけされている。少し「流れ」が違う。▽テニスのイン/アウト確認に精度99.9%のハイスピードカメラが大活躍 (元来は弾道ミサイル照準用)。来年からエレクトロニック・ラインジャッジ (電子判定技術) も導入される。MLBにも「チャレンジ制度」 (ビデオ判定要求) はあるが、判断を下すのは人間の目。アーマンド・ガララーガ投手 (タイガース) の「2010年幻の完全試合」 (最終打者の一塁ゴロを塁審が内野安打と誤審) はデジタル技術の前では起こらない。ヒューマンエラーで栄誉を逸したが、彼の名は歴代24人の完全試合投手よりも記憶に残り、その不運は情感に強く訴え続ける。むしろ、微妙な誤差こそが、スポーツを人間味のある競技に仕立てている? (SS) ▽ハーバード大学の最近の研究によれば、「勉強後30時間以内」にしっかり寝ると記憶が強く定着するとのこと。脳は睡眠中に記憶を整理し、強化し、重要な情報を長期記憶として保存する作業をしているらしい。推奨される睡眠時間は、大人(18歳以上)は7〜9時間、青少年(14〜17歳)は 8〜10時間、学童(6〜13歳)は 9〜11時間。その昔「四当五落」という言葉があった。「4時間の睡眠なら合格するが、5時間も眠っているようでは合格できない」と先生が叫んでいた。でも、眠ることも勉強の一部。今は「八当五落」の時代かもしれない。▽「すっごく笑えるから、聞いて!」と、友人が森山良子の新曲 Ale Ale Ale のリンクを送ってきた。「♪ ああ あの時のあの Ano Ano Ano、あの人の名前がでてこない、ほらあの時会った あの人なの、もうわかってるのに思い出せない♪ほらあのとき食べた Ale Ale Ale、あの店の名前も出てこない、あなたと行った いえあなたじゃなかった、じゃあ だれ それは … Read more

幸運

  ▽私は勝負事が好きで、白黒をはっきりさせたいタイプ。ギャンブルに深入りしそうな性格だけど、自分では変えられぬ「ツキの周期」に挑戦する気はなく、射倖心に駆られることもない。パチンコは短時間で500発ほど増えて目減りが始まる。暫くすると盛り返し、500ラインを往来するパターンを何度も繰り返す。やがて、ピークへの到達時間が遅くなり、そのうち息が切れる。私の幸運リミットはせいぜい速攻500発/景品カセットテープ1本が妥当なところ。昔、友人とチームを組み、個人差のあるバイオリズムを利用して、共同作業で打ち止めに成功したことがある。私は先鋒で、憧れだった「食事中」 の札を台の前に立て、休憩時間を十分に取りながらツキの周期を調整し、3人がかりで達成!日本に帰省した折、東京で20数年ぶりに興じた。妻がやたらと強くてアッという間に1台制覇。学生時代は無敗に近かったとか・・お、恐るべし。▽〆切が迫る時期は無駄な時間を最大限に省略したいので、些細な “絶妙のタイミング” に出会うと幸運を感じてしまう。「スプリンクラーの散水範囲を微妙に外れて、濡れなかった朝刊」「芝生の刈り込み終了と同時に到着したゴミ収集車」「必要な日用品を買いに出かけたら、信号が全て青」「牛乳をこぼしてしまい、困っていたところへ隣の猫が現れた」。小さな幸運に感じる絶大なる有り難さ。(SS) ▽モノの本によれば、運には2つの種類が存在するという。1つはギャンブルのような純粋確率に基づく運で、もう1つは出会いや人生のような非純粋確率に基づく運だ。ギャンブルで幸運を手に入れるためには、冷静さが必要とされる。ロンドン大のオンラインカジノに関する研究によると、幸運な人々は2回の大勝ち、または大損をした後に、適切なタイミングでその場を去るか、掛け金を減らして次のチャンスを静かに待つことが多い。一方で、不運な人々は賭け金を増やし続け、最終的には何も残らない状態に陥りやすいそうだ。▽人生のように非純粋確率の運に左右される場合、テンションを高め、意識的に積極的な行動を取ることで幸運に近づけるという。特に効果的なのは日常的に運動をすること。エクササイズを習慣化すると、精神状態が向上し、不安が解消される。これにより、前向きな態度やチャンスを試す回数が増えていき、幸運が連鎖するらしい。▽日本へ里帰りするたびに、今は亡き男やもめの父と格安ツアー旅行を楽しんだ。彼がポツリと漏らした「この観光バスに乗っている人たちはね、皆が幸せな人たち・・」という言葉は、今も私の心に響いている。青空の下を歩くこと、知らない土地を探索すること自体が、すでに幸運なのかもしれない。日々の生活の中で、生かされていることへの感謝の気持ちを忘れずにいたい。(NS) ▽ガソリンスタンドで並ぶことが嫌いな私。混雑しそうな時間帯を避けるようにしているけれど、それでも数台並んでいるのは普通。たまに、全く並ぶことなく給油できた日は最高にラッキーな気分になれる。▽今飼っている猫のトラちゃんがHumane Societyで猛烈ラブコールを送ってくれたのは本当にラッキーだった。トラちゃんの積極的なアピールがなかったら、他の猫ちゃんをもらってきていたかもしれない。トラちゃん、私たちを選んでくれてありがとう。▽近所に出没する大柄な猫が、いつの間にか我が家にもちょくちょく顔を出すようになったのは数年前。最初はご飯だけをあげていたが、ある雨の降る寒い夜に、我が家の玄関先に濡れて座っている姿を見て、うちの子に迎え入れることにした。いつも優しい気持ちにさせてくれるこの子が、私たちを選んでくれて本当にラッキー。▽学生時代、交換留学制度を利用して初めてサンディエゴを訪れた私。留学を躊躇していた私の背中を半ば強引に押してくれたのは亡き母だった。留学中に出会った男性と数年にわたる遠距離恋愛の後、結婚。そしてサンディエゴに移住。何かと大変なこともあったけれど、今はとても幸せだ。自分のことを思ってくれる人が周りに数多くいる中で生きてこられたことは、幸運以外の何ものでもないとつくづく思う。(RN) 私はこれまでの自分の人生を振り返るに、かなりの幸運に恵まれてきたのではないかと思う。私の人生は誰が見ても破天荒でハチャメチャ。故に、これまでも何度か崖っぷちに立たされ、オットットという極限まで追い詰められても、どうにか崖から転げ落ちないで、しぶとく、この世で未だに命を頂けているのは、単衣 (ひとえ) に幸運としか言いようがない。例えば、観光ビザで米国に滞在していた私は、雇った弁護士に言われるままに、観光ビザから就労ビザを申請すべくティファナへ。それをティファナではできないことを知りもせず、当然却下。入国審査で残り2週間あった観光ビザも取り上げられ、ハンドバッグ一つで日本への帰国を余儀なくされるも、知り合ったばかりの男性から結婚を申し込まれ、訪日してくれて結婚届を提出し、見事にビザがクリアできた。これをラッキーと言わずして何と呼ぼうか。日本で勤務していた出版社を辞めた際、スイスに駐在していた姉家族を訪ねて3か月滞在。その間にヨーロッパ各地を旅行した。この時に出会った人を通じて、次から次へと知り合う人たちのお蔭もあり、思いもよらなかったサンディエゴに暮らすことができている。これもラッキー。中には、自分の努力で成就したものもあるが、その多くが人さまのお力を頂いて、何とか今日までハチャメチャ人生を続けられている。衷心 (ちゅうしん) より感謝!である。  (Belle) 危険に直面して、幸運の女神さまが守ってくれたという経験が人生で3回あった (認識してないだけで、アブナイ目にはもっと遭ってるかも・・笑)。①スーパーの前に設置されていたガチャガチャ。なぜか本体の上に1本の包丁が不安定に置いてあり、マシーンの高さよりちょっと身長が低かったわたしは、その周囲 (包丁の周り) をはしゃぎながらグルグル走り回っていた。包丁が落ちて頭にブッ刺さっていた可能性があった。近所のオバちゃんが気づいて包丁をどけてくれた (女神?・・笑)。②殺人現場の第一発見者になったとき (え?・・笑)。事件直後に部屋の中で容疑者と2人きりで30分ほど過ごした (これ、本気で怖いやつ)。殺気立った雰囲気の中、わたしは無事だった (ヒュー!・・汗)。③強風の日にフリーウェイを運転していたら、壁用の木材が宙を舞いながら、わたしの車に向かってヒラヒラと降ってきた。映画でよく見るスローモーション画像のように。ブツかったら周りも巻き込んで大事故 (もうダメだー)。バンッ!と衝突した瞬間に目を閉じた (あれ?まだ運転できてる・・笑)。ミラーが折れているように見えた。あー、ミラーの破損だけで済んだのねーと、車から降りたら、ミラーは壊れてもおらず、内側に閉まっただけ (笑)。これって、女神さまに好かれてる以外にないでしょ (笑)。今日も女神さまに感謝すべく御神酒 (おみき) をいただく (飲みたいだけ・・笑)。(りさ子と彩雲と那月と満星が姪) 私はスーパーへ買い物に行くと不運を感じてしまう。カート運が悪いのだ。とても高い確率で、真っすぐ進まなかったり、ゴミが入っていたり、ガタゴト派手な音が鳴ったりするカートに当たってしまう。スムーズに動かせるカートをゲットした時はラッキー!と思う。他に、幸運を感じることはないかな?どうも地味な幸せしか思い浮かばないので『幸運』 … Read more

マイブーム

  ▽幼少期~少年期を過ごした1960~70年代の日本を邦画で楽しんでいる。スクリーンを通して、あの時代を改めて見つめたい。5年以上続いているマイブームがそれ。激変の時代「昭和」の中間点に生まれた私は兄貴分の「団塊の世代」に憧れた。彼らは学生運動という名の “破壊活動” を通じて戦後の既成価値を否定し、反体制フォーク全盛期の旗手となり、フーテン族やサイケ族などのカウンターカルチャーを生んだ。1950 年代後半生まれの私たちは “時代の大波” に直撃された経験もなく、目立った行動も示せなかった。高度経済成長期の恩恵を受けて生活水準が高くなり、ベトナム戦争も収束へ向かい、気が付けば狂喜と反戦のエネルギーが消えた世の中に放り込まれていた。そんな過度期を当事者として感応するにはあまりにも未成熟で、成人してから後付けで理解しただけ。時代の再認識という大袈裟 (おおげさ) なものじゃない。映画で描き出される社会通念、都市景観、流行ファッションと髪型、家電製品の移り変わりを眺めるのも面白い。▽冠婚葬祭の「葬」を意識する年齢になった。最近のマイブームは自分の遺影となりそうな写真を集めること (妻がイヤがる)。今のところ、別府温泉の「カニ食べ放題」ホテルで至福の笑顔を写した浴衣姿が最有力候補 (photo by 妻)。大好物はカニ。自分らしくて納得の1枚。(SS) ▽先月からスマートウォッチを装着するようになった。「体が資本。Fitbit Inspire3は アップルウォッチより安くて、100ドル以下。スマホやPCとシンクロさせて、いろいろモニタリングできるよ」と、友人が薦めてくれた。睡眠、歩数、距離、消費カロリー、血中酸素、心拍ゾーン、健康指標などのデータを24時間記録してくれる。へぇ〜と思ったのは、睡眠時の状態を教えてくれること。浅い睡眠、深い睡眠、レム睡眠、心拍数、睡眠スコアなどをチェックできる。1日8時間以上の睡眠、5,000歩歩くなど、身体に良いことを実行すると星印をくれる。子供の頃にラジオ体操のスタンプをもらったような感覚だ。まるで、専属のトレーナーがいるようで、毎日「星取り」を目指すようになった。▽最近「格言集め」にハマっている。気に入った言葉を挙げると、アメリカの神学者であり、政治学者でもあったラインホルド・ニーバーの『ニーバーの祈り』。「神よ、私に、変えるべきものを変える勇気与えたまえ。変えることのできないものは、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを見分ける知恵を与えたまえ」。さまざまな困難に直面した際に持つべき心の姿勢について、その要点が簡潔に述べられていて、目から鱗が落ちるような新たな視点に感動した。(NS) 最近YouTubeで、寝る前に9歳の娘と一緒に昔の日本のアニメを見ている。今見ているのは、世界名作劇場の「小公女セーラ」。私が9〜10歳の頃、毎週日曜に母と妹と楽しんでいた。インドで事業を手がける父を持つセーラがロンドンの女学院に転入するところから話が始まる。お金持ちのセーラは学院で優遇待遇を受けるが、父の死により孤児になってしまう。女学院の院長先生がセーラをメイドとして引き取るが、過酷な労働といじめに耐える毎日を送る。最後は亡くなった父の親友がセーラを探し当て、幸せになるーーというストーリー。毎エピソードで、院長先生や元クラスメイト、メイド長と料理長からの意地悪な仕打ちにも負けず、健気に頑張っていくセーラを、母と妹と涙ぐみながら応援したのを覚えている。今は同じアニメを娘と見ている。彼女は意地悪な人たちに文句を言ったり、「I wanna punch them for Sara!」 と怒ったりしながら見ている (娘、強い!!)。英語字幕付きの日本語が流れていて、娘がオープニングソングを覚えたらしく、怪しい日本語で歌っている。かなりハマっているようだ。: ) 私も懐かしいし、娘も喜んでいるし、見ることができて嬉しい。YouTubeに世界名作劇場をアップしてくれた人、ありがとう!! (YA) 我が家にアレクサがやって来てから3年が経った。もちろん、スマートスピーカーのデビューは知っていたが、その機能の適切な把握ができていなかったので、必要とは思わなかった。それが、友達の家に遊びに行って、その便利さを目の当たりにして、私も買おう! 以来、私の生活を至極楽チンにしてくれている、愛おしいともいえるツールに惚れ込んでいる。今や、私の日常生活の必需品。まず、目が覚めるや否や、その日の天気。そしてユーロ、日本円、メキシコペソの為替レートをチェックした後、その年に旅する予定の国のレートを尋ねる。その後はニュースと続く。朝の一連のアレクサへの声掛けの最後は、「Alexa、Play Ultimate … Read more

ウィークエンド

  私は前後の見境なく娯楽に耽溺する「道楽者」ではない (そう思っていた)。そんな自分がボールルームダンス熱に浮かされ、生活の基盤を危うくするほど夢中になってしまい、競技会には必ず出場するというオバカな一時期があった。26歳の時、映画以外に楽しみのないワシントン州東部の小都市で米国生活を始めたが、ウィークエンドが退屈でたまらない。古びたダンススタジオを見つけて「ここはアメリカ。社交ダンスくらい身に付けよう」と思い (その考えがおかしい)、門を叩いたのがマズかった。ワルツのリズムとラテンのシンコペーションの魅力に取り憑 (つ) かれ、週末はもとより週4ペースで足繁く通うことに。州大会で入賞し、インストラクターから才能があるとおだてられ、リズムに乗っただけでなく、調子に乗ったのが命取り。個人レッスンを重ねて、スパンコール付き競技用コスチュームまで特注し、気が付いたら◯万ドルをつぎ込んでいた! スタジオはご高齢の上流階級婦人が集まるサロン的な雰囲気が漂い、パーティーでは男手が足りず、ご婦人方の相手をさせられたが、ホストのボランティアをしていたようなもの。ダンス浪費で生活水準は極貧レベルに転落。安価で大量に買えるワシントン州産コーンとアイダホ州産ポテトが主食になっていた。慚愧 (ざんき) に堪えない日々を過ごしたけれど、そこでダンスパートナーとして出会った女性が妻となる。(SS) ▽日本の国政・地方選挙の投票日は基本的に日曜日だけど、アメリカでは火曜日と決まっている。これは1845年の連邦法で定められたことらしい。当時のアメリカは日曜日を安息日として休むキリスト教の習慣が定着し、馬車での移動が主だった。月曜日を「選挙の日」にすると、遠隔地の有権者が投票に間に合わないこともあるので、1泊の余裕を持たせて火曜日が選ばれたという。▽知人に仕事の手伝いを頼んだら、シャバットという安息日を理由に断られたことがあった。彼女は敬虔なユダヤ教信者で、土曜日に仕事や世俗的な活動を一切行わず、家族&友人との交流や祈りに時間を費やすという厳格なルールを守っていた。PCやスマホの使用を避け、車の運転や火を使うことも控えるという徹底ぶりで、忙しい日常から離れた特別な時間を大切にしている。▽米農家に始まり、セブン-イレブンを複数経営するまで、私の両親はいつも忙しく働いていた。週末は特に多忙を極めたが、笑い声が響いていた。「どこにも連れて行ってくれないから、作文を書くネタがない」と泣きわめいた私に、祖母が諭した言葉を今でも思い出す。「あんたの両親は、戦争で夢を諦めざるを得なかった。でも、おまえは好きなことをすればいい。家族のために、そして、それぞれの夢や目標を実現するために、私たちは働いているんだよ。仕事や客を大事にすることが、家族を大切にすることになるんだよ」。(NS) 平日は子供たちの学校スケジュールで朝が早いので、週末は少し遅めに1日をスタートさせる。普段、バナナやシリアルなどの簡単な朝ごはんを食べている子供たちのために、パンケーキやフレンチトースト、ハムエッグなどを作り、掃除機をかけ、洗濯をする。その後の過ごし方は、週によってまちまちだ。のんびり家で過ごす日もあれば、子供たちをプレイデートに連れて行く日、どこかに出かける日、買い物に出る日もある。子供たちに言わせると「週末は短すぎる! あっという間に終わる!」そうだが、私が子供の頃は、休日は日曜と祝日のみだった。土曜も半日ほど授業があったけれど、給食はなかったので、母が会社の昼休みを使って「小僧寿し」や「ほっか弁」、スーパーのお惣菜をお昼ご飯に買ってきてくれた。たまに母が忙しくて帰って来れない時は、自分で袋ラーメンを作って食べた。日曜の朝は母に起こされ、まず家の掃除を手伝うのが日課だった。布団を干し、朝ごはんを食べ、日中は母がドライブやハイキング、買い物、ランチへ連れて行ってくれた。夕方になるとテレビの『サザエさん』と『世界名作劇場』を見て「もう日曜も終わりか。明日からまた学校。。。」と淋しい気分になっていた。まさに「週末は短すぎる! あっという間に終わってしまう!」だった。 (YA) フリーランス、自由業、もしくはリタイア組でない限り、平日は皆働いている。フリータイムはウィークエンドだけ。だから週末だけは、出好きな私が誰かに遊んでもらえる。結婚していた頃は、もちろん夫は平日に働いていたので、どこにも一緒に出かけることなどできない。さぁ、週末が来た。二人で一緒に外出したいと思っていても、夫は「疲れている」の一点張りで出ようとしない。あぁ、つまらん男だ! この国に来たばかりで、そうそう友達がいるわけじゃない。仕方がない。この退屈な週末を埋めてくれる仕事を探そう!とばかりに、日本人補習校に職を求めた。これで退屈が解消される!と意気揚々で勤め始めたものだ。それが離婚して自由な身となり、それなりに友達も増えてくると、皆と会えるウィークエンドに働く? トンでもないよ!と、さっさと辞めてしまった。あぁ、身勝手! 今でも、でき得る限り、誰かに遊んでもらえる機会がある週末は働かない——というポリシーを持ち続けている。前もって予定を埋めるのが大好きな私は、次の週末は誰に遊んでもらおうかと、事前に友達群に連絡を取りまくる。このたゆまぬ努力?のおかげで、大体の週末は平日にはしない、できないことを実行することで、自分では充実した時間を過ごせて満足な生活をしている——と思えるのだ。友達の皆々様、あぁ、感謝!感謝!  (Belle) コロナ渦で覚えたこと・・・週末をバルボアパークで過ごすこと! なんたる健全なあそび! バルボアパークって散歩できるし、屋台が出ているし、大道芸人はいるし、お洒落なレストランもある。こんな近くにステキな公園があるなんて、恵まれてるわー。でも、ここに行く最大のメリットは「お酒を飲んでよい公園」に指定されていること!! しかーし、地元民にもあまり知られていないけど、公共の場なのに隠れ家的な?笑 見逃してしまいそうな? 笑 看板にダマされてはいけません。引っ掛け問題みたいになってるから! 笑。「ここでお酒飲んでいいですよ」とはどこにも書いてござーませーん 笑。よーく読まないと、あきらめて帰ってしまうし、多少英語力が必要かも(これが狙いかな?笑)。「飲んではいけませんよ、◯時から◯時」と書いてある 笑。最初に否定文と来りゃ、心理的にすぐ凹んで、あきらめてしまう 笑。友達のH部長に任せたら「ダメだ、ここでの飲酒はムリ」と引き返そうとしていた。視力の悪いわたしが看板に近づいて読んでみたら「やっぱいいんじゃん!」。そこからはパラダイス!! … Read more

寿命

  還暦を過ぎても初老の実感はないが、突然死で世を去る同年代の知人もいて、間違いなく寿命のマジックナンバーのカウントダウンが進んでいる。▽経験則では語れない死。仏教書を読んでもイメージが先行して「あの世」がどんどん遠くなる。私のように霊界を想定した説法に倦んで、神の摂理にも導かれず、真如縁起にも疎い人間は無神論者/無宗派の一語で括られる。▽『歎異抄』 にも挑戦したが「無碍の一道」=死をも煩わない無想の境地=は深遠すぎて本流の対岸が見えず、危うく溺れそうになって断念した。観念的に理解できても、実践論としての釈義を求められるとお手上げだ。▽曹洞宗の名僧、永平寺78代貫首・宮崎奕保禅師の言葉を聞いて雲間から光が射し込んだ。「平気で生きていることが悟りなんや」。仏道修行は死ぬ覚悟や勇気を求めることにあらず。凛として生きる態度が彼岸へと導く。講演で聴いた碩学2人の至言も頭から離れない。「死ぬまでは生きている」 (独文学者・高橋義孝氏)。「寿命を迎えたらさっさと死ね」(禅僧・関牧翁)。箴言ここに極まれり。▽不幸・不運に遭遇しても、意味を見つけてユーモアに解し、自ら態度で示して人生に答えたいと思っているが、この「態度に示す」 が実に難しい。私たち夫婦は今際の際に、これまでの愉快な話をして笑って見送ることにしている。(SS) ▽先日、テレビで不老不死とされるベニクラゲの特集番組を見た。特殊な生態を持つベニクラゲは、体が傷つくと幼体に変身して、何回でも若返ることができるらしい。「ベニクラゲ、いいな」とつぶやいたら、「死があるから、生は美しい」と旦那。そこまで、すんなりと受け入れられない自分がいる。▽母が逝き、父が亡くなって、妙な感覚に襲われた。自分の前に遮るものが無くなって、親の姿に阻まれて見えなかった「死」という水平線がくっきり見えてきた。「次は自分の番だ」という感覚。同時に、子どもを守ってくれていた大きな親の盾を感じた。そして、人生の水平線に思いを馳せながら歩いていると、兄弟や友達や同僚やペットなどがとても大切な存在に思えてきた。▽寿命を考えるとき、スティーブ・ジョブズの最後の言葉を思い出す。「人生を十分に過ごせるだけの富を積み上げた後は、富とは関係ない、他のことを追い求めた方がよい。もっと大切な何か他のこと。それは、人間関係や、芸術や、または若い頃からの夢かもしれない。終わりを知らない富の追求は、人を歪ませてしまう。私のようにね」。成功しても、お金があっても、病気を肩代わりしてくれる人は買えない。ジョブズは家族や友人との時間、愛、健康、夢を追いかけることが本当に大切だと語っている。確かに、あの世に持っていけるモノは、愛情にあふれたポジティブな思い出だけのような気がする。(NS) 「散る桜 残る桜も 散る桜」。良寛和尚の辞世の句とも言われているこの禅語。桜は散る。命は散る。必ず散りゆく命とは何? 病に冒されたから死ぬのではない。生きているから死ぬのである。数か月後の死は不幸で、10年後の死は幸福かといえば、そんなことはないのだろう。▷長期の闘病生活の後、40代後半で亡くなった私の祖母。子供たちが自立し、これから自分の好きなことをゆっくり楽しもうとしていた矢先に病に倒れ、60代後半で亡くなった私の母。平均寿命に及ばずに亡くなった母たちのことを考えると、天寿を全うできずに可哀想だったと心が痛むのだが、良寛和尚の命についての考え方を知り、長生きできずに不憫だったと悲しむ必要はないんだなと、少しだけ心が穏やかになる。▷生きているから死ぬ。とはいえ、命の終わり方は穏やかなものであってほしい。不慮の事故や事件、戦争などで理不尽に命を奪われてしまうのは、どうにもやるせない。宗教上の争い、土地や資源の奪い合い、権力者の利害関係、文化や民族性、政治的信条の違いなど様々な理由で、今も世界各地で争いが続いている。争いの犠牲になって命を落とした人たちの無念さを考えると心が痛む。問題を武力解決しようと決めたトップの方々、どこかの無人島に自分たちだけで集まって、一騎討ちなり何なりで、勝負して頂けたら幸いです。(RN) 私の父は77歳、母にあっては52歳と若くして亡くなり、両親とも平均寿命まで辿り着くことができなかった。しかし、父方の祖父は90歳、祖母は80数歳と、その時代の人としては長寿を全うしたと言える。彼らには3男2女の息子と娘がいたが、お酒を飲み過ぎて肝臓を悪くした父を除いては、皆が100歳近くまで生きた。母方の家系も母を除いて比較的長生きだった。故に、我が家の家系は平均寿命は超えられるらしいと勝手に推測している。先日、子供のいない数人の友達が集まり、その時の話題がお金と寿命。あと何年生きられるかが分かっていれば、お金を後世に残す必要のない我々としては、手持ちのお金を余生の年数で配分して使い切ることができるのだが・・と。しかし、人生はそうはいかない。とにかく生きるにはお金が必要。人生85年と踏んでお金を使ってしまい、想定した平均寿命を超えて命が続きそうなら、その後の人生は使えるお金も残り僅かで、惨めさを強いられる恐れもある。人生の終盤になって惨めな思いなどできるだけ避けたい。友達の一人が言っていた。自分で余命を勝手に決めて、その日が近づいたら、有り金をはたいて豪華クルーズ船に乗り込んで、お金が続く限り世界中を回る。そして、所持金が尽きた時点で海に飛び込む。これなら日々豪華な思いに浸ったままで死ねる・・と。さぁ、あなたならどうずる?  (Belle) わたしはふるーいラップトップを使っている。たぶん15年前くらいの機種 笑。しかも、人からもらったお古 笑。年季が入っているからインターネット速度が遅く、Zoomなどのテレビ会議に使用すると、ビデオ画像が鮮明に映らなくて、いつも顔がブレている 笑。でも、不具合はそれくらいで、他には別に支障がないし、今でも文章は書けているし、使えるから買い換えていない。たまーに充電コードの機嫌がワルかったりすると、パソコンが使えなくなる恐れがある。コードの一部分が切れそうになっているけど、そこは触らずに、パソコンにつなぐ部分の挿し込む角度を変えてみたり、ねじれを直したりすると充電は復活する。同じことが珈琲グラインダーにも起こっている。これはホームレスの人から$2で買った (笑)。箱に入った新品で、これも15年は使っている (長持ち 笑)。それが突然動かなくなった。やはり、コンセントに接続する部分のコードをある角度にすると動くので、まだ現役活躍中。車もそうだけど、古いと扱い方のコツが分かってくる 笑。電化製品の寿命って10年?と言われていたっけ? モノも人もだろうけど、付き合いが長くなれば、不具合発生の可能性が出てくる。それでもコツさえつかんだら、10年以上付き合えるよー 笑。(なんの話だっけ?笑)(りさ子と彩雲と那月と満星が姪) 私の父は2016年に83歳で亡くなっているが、母はこの3月で88歳になり、日本人女性の平均寿命 87.09歳を超えた。母は今年もアメリカに来た。さすがに長いフライトの疲れが身にしみる年齢となり、到着してから昼間も寝ていることが多かった。高齢なのに会いに来てくれた母には感謝しかない。まだまだ元気でいてもらわねば。母のことばかり言ってはいられない。平均寿命が伸びているとはいえ、自分の食生活を考えると楽観的になれない。オバさんになった今でも甘いお菓子が大好きで、気がつくと食事を抜いて、お昼にチョコパイを食べてお腹一杯になっていることも少なくない。一日中コーヒーばかり飲んでいることもよくある。今の生活のままではとても平均寿命まで生きていることなど想像できない。去年、日本に帰省した時の血液検査では、何の問題もなかった肝臓の数値が良くなかった。でも、原因が思い当たらない。お酒は飲んでいないし、週に1、2回テニスをしているので運動量もそれなりにある。強いて言えば睡眠不足だろうか? そんなことはない。日本滞在中はあえて早起きすることもないので十分に寝ていたと思う。あれから1年。取り立てて生活改善もせずに放置したまま。今年の夏も日本で血液検査をする予定。寿命も心配のタネだが、現在の健康状態がとても不安。(SU) (2024年4月16日号に掲載)

修理・修繕

  ▽私が通った小学校は明治政府が近代学校制度 (学制) を公布した翌年 (明治6年) に建てられ、60年前に入学した時点で90年以上の歴史を刻んでいた。谷崎潤一郎が著書『陰翳礼讃』で「日本美の核心は影の深みにあり」と絶賛したように、古色蒼然たる校舎には風趣があったものの、朽廃が進んで修理が連日続いていた。階段の上部には、巨大なゼンマイ式時計が故障したまま10時25分を指していた。修理不能で放置されていたが、真夜中にボーンボーンと鳴り出すこともあり、宿直の先生が肝を潰したらしい。修理の域を超えた校舎は私が卒業した数年後に取り壊された。現存していれば、国指定重要文化財の旧遷喬 (せんきょう) 尋常小学校 (岡山県真庭市/明治40年築) にヒケを取らぬ国家遺産になっていたはず。▽昭和初期に建てられた私の生家は格式を備えていたが、無理な増築と修理を重ねて不気味な内部構造になっていた。三階建てなのに「中二階」 が二階下にあり、実際には四階建て。一階から最上階に直通する急勾配の長い階段は、踏み外せば命を落としかねない。各部屋を結ぶ廊下が枝葉のように分かれていて、そう簡単に戻れない。遊びに来た友達全員が帰ったはずなのに、誰かが迷子になり、日が暮れてから台所にヌッと現れて、母が「うわっ!誰!?」と仰天することも一度ならず。旧家は30年前に解体された。(SS) ▽「納得いかない…」。 昨年末、長く愛用してきたウォシュレットから水が漏れ出した。YouTubeで調べたところ、パーツ交換で直せると知るも、メーカーは撤退済み。問い合わせた他の会社も対応してくれない。「どんなウォシュレットも修理OK」という業者に依頼したところ、彼らにトイレの全交換を勧められてしまった。小さなパーツ交換で済むはずなのに…。納得できず、修理を諦めて止水栓を操作して使用している。▽「思わず、ウルウル…」。日本の友人が、お父様の遺品である40年前のビデオカメラを修理し、懐かしい映像を復活させた。この奇跡を起こしたのは、三重県の山奥に住む「修理の神様」こと今井和美さん。販売終了の家電を95%以上の成功率で修理する今井さんを、友人はテレビ番組で知ったそうだ。中学卒業後、独学で修理技術を習得した今井さんには、全国から依頼が殺到している。彼の手によって、多くの人々の貴重な思い出が蘇っている。▽「もっと貯筋しよう…」。齢を重ねるにつれて、友人・知人との会話の中で、健康に関するトピックがグッと増えてきたことに気づく。家電製品は 「修理/修繕」によって長く使い続けることができるが、人間の体はそう簡単にはいかない。日常のメンテナンスの重要性を深く実感するようになった。 (NS) 毎日暮らしていると、いろいろなものが壊れて修理が必要になるものだ。△今の家に移り住んだとき、元の住人の冷蔵庫と洗濯機がそのまま残されていた。どちらもかなり年季が入っていたが、順調に作動するので、そのまま使うことにした。2、3年経った頃、まず調子が悪くなったのが冷蔵庫。片方の扉の取っ手が外れかかり、ダクトテープで応急処置。一時しのぎのはずが、それでも案外大丈夫で、結局、その後1年ほど使い続けた。次にガタが来たのが洗濯機。夫がどこかをいじったら動くようになり、それを何度か繰り返しているうちに全く動かなくなってしまった。そこで、ようやく新しい洗濯機を購入。節水機能で静かだし、大容量でたっぷり洗えるという感動ものだった。△ここ最近の大雨続きで、我が家もついに雨漏りを体験。この家に住んで十数年、問題なかった屋根にもついにガタがきたようだ。屋根にタープを敷いて雨漏りは一応ストップしたが、そろそろ屋根の修理を決断しないといけない。築70年近くの歴史ある(?)家なので、やはり、あちこち修理・修繕が必要なところが出てくる。古くて小さくても愛着ある我が家。これからも暮らしやすく整えていきたい。(RN) 現在の住まいに引っ越して20数年。サンディエゴに移住する前は、東京は世田谷区の築20年の集合住宅を入居前に改装し15年間住んでいた。以来、サンディエゴに来るまでの間、外装の大掛かりな修繕工事は一度だけだったが、内装の修理修繕を行った記憶はない。とりあえず、物事は順調に進んでいた。現在の住まいもそれなりに年数を重ねている物件だが、前居と違い、入居以来、キッチン、バスルームなど何度となく修理修繕を重ね、その度に、より快適な住まい空間への道を歩んでいる。それらの最初の修繕工事がまさに悪夢だった!! 普通、アメリカの住宅にウォシュレットはない。それを使い慣れていて、それなしでは快適な生活が送れないことを日本人はよく知っている。ということで、この住まいに引っ越すなりウォシュレットを買ってきた。で、経費をケチりたい私は自分で取り付けることに。それがそもそも大間違い! とにかく築年数が経っているので、水道栓のレバーがこびりついている。無理やり動かして何とか自分で取り付けた。その深夜、階下の住人から苦情が入り、水漏れしているという。ひえ~、うっそ~! なんと、その修繕費は約6,000ドル。当時、住宅保険に加入することをすっかり忘れていた私。全額が自分のポケットから。結果、世界一高価なウォシュレットとなった。ウンに見放された話である。あ~めん! (Belle) 実家は愛知県だけど、年始に初めて横須賀市を訪れた! 今回の帰省で、お母さんは“家族ルーツを辿る”にハマッていた。特に気になっているのは、お爺ちゃんが建てて自分が生まれ育った家のこと。家で撮った1940年代の写真を見ながら「この家はまだあるのかなぁ」とブツブツ。そんなのGoogle Mapで確かめればいいじゃんと思い、探してみたらすぐ見つかった 笑。で、Google Mapを頼りに、その家を目がけて、わたし一人横須賀へ。家は割と簡単に発見できたけど、わたしのミッションは家に入ること 笑。見つけただけでは帰れない 笑。不法侵入はするなと注意されてたけどピンポンがない。ちょうど近所のおばちゃんがいて頼んだら、居間にいた住人の方を呼んできてくれた。事情を説明すると、快く庭を案内してくれた。お母さんが言っていた鯉がいた池とプールは埋めたそう。縁側の向こうに居間の障子が見えた。これって、お母さんが見せてくれた写真と同じじゃん!となり、住人の奥さまに「わたしここの写真持ってます!」と興奮して伝えたら、家に上げてくれた 笑 (ミッションクリア! … Read more

省エネ

  ▽長年使用していた furnace が故障したので高額な暖房システムを導入した。セントラルヒーティングなので家中が暖かくなっても、光熱費の上昇ペースはスカイロケット級。そこで1人に1枚ずつ、LED表示のタイマー付き電気ブランケットを買い入れ、furnece を稼動させずに冬の日々を過ごした。節電効果は大成功! 見事なまでに家計を助ける省エネとなった。微力ながらも、各家庭がエコ生活を実践すれば地球温暖化対策に貢献できる。▽「省エネ」は「省力」にあらず。子供の頃、私と弟は10日間ほど知り合いの寺に預けられ、そこから小学校へ通った。日課は朝夕の「落ち葉掃除」。掃き清めても、翌日には枯れ葉が境内に落ちてくる。「2日に一度でいいのでは?」と先延ばしを願い出た私たちに、若いお坊さんが柔和な笑顔で「心を掃くんだよ」と一言。毎日、苦もなく俗事を続ける平常心が大事。やがて魂が浄化されて往生できる。明日死のうが、百歳まで生きようが、人生の質を高めたいなら「心の省エネをするな」ということらしい。▽多忙を極める人気俳優 T・Kさんの名言が光る。「手を抜いた仕事は、より疲労感が残る」。悟られないように適当に仕事を切り上げても、真剣に取り組まなかった不全感/罪悪感が自分を苦しめて精神的に数倍も疲れてしまう。「省エネ」と「省力」を履き違えてはいけない。(SS) ▽日本にいる姪は、昨年、コンロや給湯機を電気からガスに替えたそうだ。ひと月の電気代が10万円を超え、オール電化住宅を諦めたとのこと。サンディエゴの友人は、セントラル空調をやめて、部屋用エアコンを取り付けた。自分は電気代が半額になる「スーパーオフピーク」の時間帯を狙って料理や洗濯をしている。▽仕事の省エネや時短は不可欠だが、最近、断られた → 返信しない「メール1往復主義」を採用する人が増えている気がする。「またよろしくお願いします」という「一往復半」に慣れている自分としては、何となく寂しい気分になる。▽急激に食事量を減らすと、人間の体は飢餓から身を守ろうとして「省エネモード」に切り替わるらしい。この状態で食事を摂ると余ったエネルギーが脂肪として蓄えられてしまう。リバウンドしちゃったけど、またダイエットすればいいや!と、安易に考えていたら、相撲部屋の新弟子検査に合格できる体重に近づいていた。▽人間の脳は「省エネ」を好むらしい。脳はとても小さいけれど、体が消費するエネルギーの20%も消費するので、時々「サボりたい」と思うらしい。だから、大切なことに集中することを心がけて、他のことは習慣にしてしまうと、脳が疲れにくくなるそうだ。何もしたくない時でも、とりあえず、何かを始めて10分ほど続けていると、不思議とやる気が出てくるという。(NS) 省エネで思いつくのは、エアコン停止、使わない部屋の消灯、誰も見ていないテレビを消す、こまめに家電のプラグを抜く——などかな。我が家はエアコンを全く使わない。蒸し暑いときはシーリングファンを回し、それでも暑いとドアを開け、扇風機の風でしのぐ。冷え込むときは厚着をして、まだ寒ければ先日買ったミニヒーターを使う。不要照明の節電は普段から心がけている。私は一人でテレビを見ることがほとんどない。映画やTV番組はタブレットで楽しむことが多い。たまに子供たちがテレビをONにしたままタブレットやパソコンを使っているので、見かねて消すように言っている。節電とはいえ、冷蔵庫、オーブンなどのプラグを抜くことはできない。トースター、電子レンジも使用頻度が高く、抜くのが面倒なので付けたまま。アマゾンのスマートスピーカー Echo はプラグを抜くと作動しないので、もちろん繋ぎっぱなし。TV、DVD Player は、使用しないときはプラグを抜いた方が良いとは思うけれど、とても煩わしくて実行できない。とはいえ、数日間も家を空けるときは、待機電力カットと安全のために、電子レンジ、トースター、TV などのプラグを抜くようにしている。私の家族にとって、これ以上実行できる省エネはないかも——。 (YA) 日本のTVバラエティ番組の中でも、『情熱大陸』や『ガイアの夜明け』などの過去に放送された情報番組をネットでよく見る。最近見た番組で、日本最大手の小売チェーン店イオンの省エネに取り組む姿勢が紹介されていて、とても興味深かった。番組によると、イオンの電力使用量は日本全体の0.8%を占めているそうだ。いかに節電をするかが日常の課題。その電力を必要とする最たる設備がターボ冷凍機という冷房機器で、その使用量を下げるため、春と秋は館内を自然換気方式に変更。自動で窓を開閉させ、AIで空調をコントロールして、2022年5月は7.4%、10月は7.5%減に成功したという。また、エリアごとの照明の明るさやエレベーターの稼働数を調整するなどして、徹底的な省エネ対策を実施し、それらの電力使用量を50%オフにまで実現した——と番組は報じていた。ごリッパ! 今や、省エネの意識は企業だけでなく、個人レベルにもかなり浸透している。私は海外へよく行くが、そこで出会った人たちに「私は米国サンディエゴに住んでいる。美しい街のみならず、気候的にもパラダイス。年間を通じて冷暖房不要な、世界でも稀 (まれ) な場所」と、我が地の素晴らしさを得意げに紹介する。実際に、昨夏は扇風機さえも使わなかった。これこそ究極の省エネタウン。万歳!! サンディエゴ!!  (Belle) 姪っ子のりさ子は、千葉県の実家に住んでいるんだけど、家に帰ってくるのはなぜか月に2〜3回 笑。都会の事情は分からんが、勤務地が東京駅付近なので、1時間の通勤は面倒というのが理由らしい。確かに時短になるし、満員電車のストレスからも解放される。これ、自分への省エネだわ! 「じゃあ、残り28日間ほどは、どこに泊まってんの?」と尋ねたら、3軒の鍵を持っていて 笑、2つは友達の家、1つは社内恋愛が最近バレてしまった彼氏宅 笑。どういう順番で回っているかというと、その晩に飲みに行く店に近い家に泊まるんだとか・・笑。あやつは、♪ 彼氏といつも一緒がいいーっ ♪ … Read more

方言

  ▽方言とお国訛 (なま) りに悩んだのは、福島から東京の私立高校に入学した頃。新入生の内訳は、附属中学からのエスカレーター組4割、首都圏組4割、地方組2割。悲惨なのは地方出身者で、私は福島弁 (がおる → 疲れる、くさし → 怠け者) を標準語と勘違いして笑われた。何よりも、言葉の節々に出るアクセントの違いが一番の悩み。現代国語の教師が秋田出身で、福島出身の私と山形出身のF夫を朗読役に指名して「懐しい響きだなぁ」と喜ぶ姿にゾッとした。F夫は苦笑いしていたが、内心は傷ついていた。私は秘かに『NHKアナウンス読本』を買い求めて発音・抑揚の矯正に勤 (いそ) しんだ。そんな15歳の努力を誰が知るだろう。私の訛りは大学時代に消えた。▽東北でも各県の訛りには特徴がある。岩手は抑揚にメリハリがあり日常会話も「日本昔話」になる。仙台は都会で訛り度は低い (それでも少し残る)。福島はモノトーン。青森は早口だと理解不能。津軽弁の響きはフランス語よりコクがある (笑)。▽サンディエゴでプロを目指していた日本人 (19歳男子) からテニスの指導を受け、私の腕前もアップ。彼は “若者言葉” を連発していたが、アクセントに微妙な違いがあった。「東北出身?仙台あたり?」と尋ねたら、激しく狼狽 (ろうばい) しながら「何で分かるんですか!!」(泣)。東北人には分かるんだよ。ゴメン。 (SS) ▽学生時代、山岳部には日本各地から集まったメンバーがいたので、方言にまつわるユニークなエピソードで思わず吹き出したことが何度もあった。例を挙げると、茨城出身の先輩が喫茶店で「マッチ」を所望したところ、運ばれてきたのは抹茶! その時、名古屋生まれの後輩が「先輩、 えっらそうやなぁ」とコメント。名古屋弁の「えらそう」は「疲れてる」という意味と分かった途端、固まっていた皆が爆笑。山行中に転んだ私に、沖縄出身の先輩が 「ヤマシタカ~?」 と声をかけてくれて 「いいえ、佐藤です」と返答。実は「怪我はないか?」という意味だった。そして、青森生まれの同期は津軽弁で自慢げに「桃太郎」を披露してみんなを笑わせた。「鬼ヶ島さ行くはんで きびだんごば こへでけねべが」。▽その昔、沖縄には「方言札」が存在していたことを先輩から聞いた。沖縄が琉球王国から日本の一部になった時、学校で方言を話した者は、次に話す人が現れるまで、罰として木板で作った「方言札」を首からぶら下げたとか。言葉に関する悲しい過去を伝える話だ。▽「さすけねぇ、さすけねぇ」 が祖母や母の口ぐせだった。福島県の会津弁で … Read more

無駄

  ▽日本のサラリーマン時代。過労気味だった20代の私は会社を休んで、ブラリと房総半島南端の景勝地「平砂浦 (へいさうら)」を訪れた。心は和 (なご) んだが、無為な1日を過ごした罪悪感を拭い切れずに帰途につく。追い打ちをかけるように「お急ぎの方は、急行列車に乗り換えてください」とのアナウンス。条件反射的に移動しようとした刹那 (せつな)、相模湾の彼方に浮世絵のように美しく映える富士山を目撃する。忙 (せわ) しく動き回る乗客をよそに、私だけ普通列車の座席に戻り、見事な景観に見惚 (と) れていた。ここで覚醒。「1時間早く家に着いて何をする? 夕食を取り、朝起きて、いつものように出勤する。その繰り返しの果てには、死あるのみ」。「それだけだろ」と妙に合点が行って、バカバカしいほど清々 (すがすが) しい気持になった。▽「80対20の法則」(パレートの法則) も無駄を肯定している。稼働時間の実質20%で仕事の80%が終わっているとか。言い換えれば、実務時間の8割は効率が上がらない。集中力が最大効果を発揮するのは短時間で、残りの長時間は必然的に要領が悪くなる。無駄の極意ここにあり!意味のない無駄もなし!▽江戸中期の臨済宗僧侶、慧端禅師 (えたんぜんじ) も言ってるね。「一大事と申すは今日、唯今の心なり」。肝心なのは今、この瞬間。無駄と思える営為こそが将来への豊かな糧 (かて) となる。そう説いている・・ような気がするけど。 (SS) ▽私の故郷、福島県会津柳津 (あいづやないづ) は日本でも有数の豪雪地だ。そこにあった生家は、黒光りする梁や柱を持つ頑丈な茅葺 (かやぶ) き屋根の家屋で、米農家として、ごく当たり前に、自給自足の生活をしていた。土間の釜戸、囲炉裏での食事、縁側での日向ぼっこ、屋根裏での蚕 (かいこ) の飼育。味噌、納豆、ぬか漬け、たくあん、干し柿、干し芋、番茶、わさび漬け、和菓子など、何でも自家製だった。保存食を保管するための部屋もあり、今でも、その独特の香りが記憶に残っている。冬は、脱穀した藁 (わら) で草鞋 (わらじ) や蓑 … Read more